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靖国神社はもともとA級戦犯はまつられていなかったのに
合祀したから諸外国との軋轢がうまれたので
A級戦犯はふつうにそれぞれのお墓に
戻すだけで
諸外国との軋轢もカイショー\(^-^)/
って思うのですが
なぜこれを政府はしないんですか?
こんな単純に解決できないことですか?

A 回答 (4件)

神道では霊魂は一体で分離して存在するものではなりません。

それが神道の大前提なのです。キリスト教徒に「アラーも釈迦も崇めなさい。日本の八百万の神の崇めなさい」と、いうのと同じです。政府は政教分離の立場から、靖国神社には口出しができないのです。

この回答への補足

そんなくだらないことで韓国中国と軋轢
なるなら
超法規で全責任を時の首相持ちで
さっさと合祀をやめればいい話だと思います。

補足日時:2013/05/06 21:08
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 貴方のいう通り、A級戦犯を分祀するだけで問題は解決します。


しかし、靖国神社は国の機関でなくただの神社です。命令することができないのです。今のようにバカな大臣が参拝すると、やめますとも言いづらくなります。問題はバカな自民党の大臣です。
 また反日運動が始まらなければ良いのですが。今度反日運動が始まったら参拝した議員は中国・韓国に行って十分に説明してほしいと思います。
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まず、現在の靖国にA級戦犯はいません。



「A級戦犯」は↓の経緯で赦免され、名誉の回復もされています。
現在、彼らを戦犯と呼ぶことは彼らへの侮辱となりますので、注意していただきたいと思います。

1951年の平和条約により、日本は主権を取り戻します。
通常の平和条約では、締結の時点で、占領国が行った政策(立法・裁判も)は無効となり、それらの失効も継続もその国の自由です。
ところが、この平和条約は日本に東京裁判を受け入れることを要求しています。
これは、いわゆる戦犯の名誉を公的には回復できないことで、講和後の主権国家の内政に干渉しており、異常な内容です。

しかし条約では、裁判参加11ヶ国の過半数が同意すれば、日本政府は受刑者の赦免・減刑ができました。
1958年、その11ヶ国から、戦犯者の刑の残りを免除する通知が出ています。
これについては、中国は平和条約に調印していないので↑の件で何も言われる覚えはありません。

国内的にも、服役中の死亡は「公務死」、逮捕者は「抑留又は逮捕された者」とし、恩給や社会的な権利も復活させています。


更に、彼らを裁いた東京裁判も、↓のような戦勝国による私刑であり、裁判の名に値しない事は、裁いた側も認めています。

1:判事は、国際法より連合国の意向に沿う判決を要求されていました。
(「法」以外の何かの「意向」が優先されている時点で裁判ではありません)
2:元A級戦犯の罪状である「平和に対する罪」が戦時中には存在しない「事後法」を適用している。
3:判事や裁判官に戦勝国側の者しかいない(裁判の公平性が保たれていない)
4:判事に国際法の専門家は、インドのパール判事しかいない。(パール判事は、日本の無罪を主張)
5:実際の審理も、連合国に有利な証拠は審理が甘く、敗戦国側からの証拠や弁護は認められなかったり却下されている。(これは、判決後、裁判に関わった者も指摘しています。)
6:戦争を個人の罪として裁いている。
国際法上は、戦争は国家の行為であり、戦争指導者であっても個人に責任はないと言うのが常識です。
(これは東京裁判で日本の弁護を担当したアメリカ人も指摘し、裁判自体の無効を主張しましたが却下されています。)

1951年、米上院の軍事外交合同委員会でマッカーサーは、
「日本の戦争は自衛戦争であり、アメリカが過去100年に太平洋で犯した最大の政治的過ちは、共産主義者が支那において勢力を増大して行くのを黙過してしまったことである」
と語っています。


>合祀したから諸外国との軋轢がうまれたので

諸外国と、軋轢の内容と、「元」戦犯の合祀が原因である根拠を提示してください。
私は、特定の隣国を「諸外国」とか「アジア」とか「世界」とは思っていません。

元A級戦犯の合祀は昭和53年からですが、中国の抗議は昭和60年からです。

↓は、靖国神社を参拝した「諸外国」の要人です。

1956年:台湾 張道藩 立法院院長一行
1960年:ビルマ ウー・ヌー前首相
1961年:アルゼンチン フロンデシ大統領夫妻
1963年:タイ プミポン国王夫妻
1963年:アメリカ合衆国 空軍士官学校候補生一行
1964年: イタリアJ・アンドレオッティ国防相と士官候補生90人(参拝後、遊就館を見学)
1965年:西ドイツ 練習艦ドイッチェランド号の士官候補生50人
1965年:タイ 練習艦隊司令官のパントム海軍少将一行
1965年:アルゼンチン 海軍練習艦リベルタード号の艦長オスカルモヘ海軍中佐以下 海軍士官候補生
1966年:フランス、ヘリ空母ジャンヌ・ダルク号、護衛艦ヴィクトール・シェルシェ号の士官候補生と乗組員
1966年:米沖縄民政府政治顧問 ジェームス・マーチン夫妻
1968年:ブラジル、練習艦隊クストディオ・デ・メーロ号のシャモンテ艦長、士官候補生と乗員120人
1969年:アメリカ、在日海軍司令官ダニエル・T・スミス海軍少将以下 幹部25人
1970年:ドイツ、空軍総監ヨハネス・シュタインホフ中将
1972年:スペイン、海軍練習艦隊ファン・セバスチャン・エルカー号の艦長 リカルド・バリエスピン・ラウレル海軍中佐以下50人
1972)年:チリ、海軍練習艦エスメラルダ号のシルバ大佐以下士官候補生と駐日大使
1973年:ペルー 海軍練習艦隊のルイス艦長以下乗員60人
1973年:トンガ王国 タウファハウ・ツボー4世国王
1981年:チベット・ラマ教 法王ダライ・ラマ14世
1981年:インドネシア アラムシャ・R・プラウィネガラ宗教相
1982年:前イスラム審議会事務総長 M・T・オーエイダ博士
1984年:旧インド国民軍・S・B・カーン陸軍大佐
1987年:元ドイツ連邦共和国大使館付武官クルグ海軍大佐夫妻
1993年:リトアニア共和国 スレジェべシス首相
1994年:駐日英国大使館付武官M・スミス海軍大佐
1995年:プロサント・パール氏(東京裁判のインド人判事である故ラダビノール・パール博士の令息)
1996年:日・米 パラオ・ぺリリュー戦の旧日米両軍関係者53人
1998:トルコ・ブラジル・イスラエル・ポーランドの各国駐在武官が春季例大祭当日祭に参列
1998アメリカ合衆国 横田基地の空軍関係者が遊就館を見学

1960年代に、日本社会党が訪中時に「日本は戦争により中国に多大な迷惑をおかけしました」と謝ったが、
毛沢東は「なにも謝ることはない。日本軍は我々に大きな利益をもたらした。日本軍のおかげで中国共産党は中国を手に入れることができた」
と応えています。


>A級戦犯はふつうにそれぞれのお墓に戻すだけで諸外国との軋轢もカイショー\(^-^)/って思うのですが
なぜこれを政府はしないんですか?

彼らのお墓は靖国以外の場所に合祀以前からあります。
それと、合祀とは全く別の事です。
神道では、合祀した御霊を分離することは不可能。

【韓国初? 靖国神社に位牌も遺骨もないことを確認】
http://blog.goo.ne.jp/daewongun/e/a15e6143f7f819 …
(これまで中国や韓国のプレスでは、位牌や遺骨があることが半ば常識化していたが、靖国神社や日本人の抗議によってようやく遺骨も位牌もないことを認めた形になった。)


その軋轢とやらは、中韓の一方的に非難が原因であり、内政干渉に当たるもので、日本に非があることではなく、こちらが配慮する義務も必要もありません。

向こうが立場をわきまえて、事実を認識すれば済むことです。
※添付画像が削除されました。

この回答への補足

 

補足日時:2013/05/06 22:28
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この回答へのお礼

 

お礼日時:2013/05/06 22:40

現実的にわが国の首相は堂々と英霊に


手を合わすことができていません。
これが問題だと僕は思うのです。
あの小泉元首相でさえ、8月15日の終戦記念日の参拝は
さけています。(2006年のみ8月15日に参拝)
こんな国があっていいのでしょうか?
何のために英霊たちは命を国に捧げたのであろうか。
これもすべてA級戦犯の合祀のせいです。

と、いうことでA級戦犯は靖国からはずすべきであり、
国家権力を持ってすれば、そんなことは可能だと思います。
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