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具体的に、どんな歌? 音楽 のことをいいますか?

昔々、教授(坂本龍一さん)の著書を読んだ時に、生理的に受け付けないという音楽はない、というような、表現がおかしい? というような文面がありました。

それは、どんな歌でも、どんな音楽でも、自由な表現なんだよ、という意味で、教授は心のキャパが広いので書かれているのだと理解したんですが、、、

確かに、周囲の音楽人さんたちも、リスナーも、歌手のこの人の歌は、生理的に受け付けないという様な表現をする人は とても多い気がします。
そして、私が聞いた限りでは、
桃井かおりさんとか、平原綾香さんとか、原ますみさんとか、、、

ピブラートを歌詞の終わりに有効的に使う正統派に歌の上手な歌手さんではなく、ずっとビブラートをかけている感じの歌い方とか、醸し出す雰囲気や個性がもの凄く強い独特な歌い方をする人に対して使う表現みたいだな、と記憶してます。

みなさんには、生理的に受け付けない 音楽とか 歌 など、感じたことはありますか?
どんな曲ですか? 
その、生理的に受け付けない の意味は、どういう意味で使いますか?
それはどうしてそう感じたのでしょうか?

人によって、使い方、意味が違うような気がして、質問してみました。
よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

たぶん、個人的な経験と結びついている曲が「生理的に受け付けない」


可能性はあると思います。  
どういうことかというと、私の場合皮肉にも坂本龍一氏の「シェルタリング
スカイ」の中に入っている(アラブ圏)アフリカ民族音楽がまさに良い例です。
氏の作品自体は好きで、このミュージックテープ(の時代でしたので)も
おそらくはロードショー前に買っていた筈なのですが、後に父の仕事で
モロッコに同行し、ひどい食中毒となって依頼、このサウンドトラックは
あまり聴かなくなりました。
ホテルのベッドで一人 遠くで聴こえるコーランとか、食欲も回復しない弱
った体で 歩いた迷路のような旧市街で益々疲労感を感じたり、ムッとする
ラム肉のニオイ。。 ミントティーの強烈な味。。 そういったものが
”イスラム圏のアフリカ民族音楽”が引き金となり フラッシュバックとなって
蘇るのでしょうね。。  

または演歌。  子供の頃、(父方)祖母が演歌(特に美空ひばり)を好んで
いた反面、母が演歌を嫌って(美空ひばりについても「どこがいいのかしら?」
とよく言っていました・・・)いましたので、たぶん”母色”の眼鏡で見ている
かもしれません。  石川さゆりあたりは好きですけど。

海外に住んでいるせいか、近年は AKB(AKB48? どう呼ぶのか知りません)
など理解できなくて、ああいう子供アイドルの未熟な声を聴くと、娘をもつ母
として、”大人に騙されて、売り物にされて、カワイそう、、、”のような複雑な
感情になります。 既に”異文化”を感じますし、それを認めたくないので
「生理的に嫌」に近いですね。 

歌手と言えば、オペラを歌うような方はポップス歌手の声を聞くと「生理的
に嫌だ」という人がいる可能性があります。 現に昔短期間ついた声楽の
先生が「”私たち”は音楽を聴くと、(歌ってなくても)声帯が反応するわけ。 
(歌謡界で)あんな歌い方をされると、喉が痛くなるのよねぇ」と言って
いましたし。 まぁ、ちょっとヒステリックな先生でしたけど。。(笑)
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この回答へのお礼

面白い体験談、たくさんありがとうございます。

確かに、
>”大人に騙されて、売り物にされて、カワイそう、、、”のような複雑な感情
こういう芸能界特有な状況は、歌自体の上手いとか下手とか、音楽の良さとかも通り越して、生活のため、という手段にしていることなので、どんなに やりたくても出来ない人が大勢いるんだから、という言葉を聞いても、舞台裏が見えてしまうのかも知れませんね。

>(歌謡界で)あんな歌い方をされると、喉が痛くなるのよねぇ」と言っていましたし。

これもわかります。
高い声出せば売れると言われてたのも、過去の話なのに、どうしてこだわっちゃう、右へ習え?なんじゃ。
同じ売り方しても、誰かが成功しちゃってれば同じことしても売れないのに、、、不思議です。
首筋や頭の欠陥、破裂するんじゃないか?という無理な歌い方は、リスナーにとって聴いてられないですしね。

歌い手が気持ち良い歌い方するのが一番上手く聴こえるというのもまた、自己中でしょうが、どんなに声量ある正当派の上手い方も、基礎練習は欠かさないし、多少苦しさ伴った発声から鍛え上げて滑らかな声など創ってることも確かなので、人それぞれ 個性があるので、としか言えなくなっちゃいますかね。

お礼日時:2013/05/10 06:49

私の場合は、歌い方ですね。




昭和の演歌歌手が得意とした、わざと演奏に遅れてためて歌う歌い方。

館ひろしや、福山雅治のような、ええカッコしいな歌い方。

桑田佳祐や、中島みゆきみたいな歌い方は、気持ち悪いです。
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この回答へのお礼

うひゃひゃひゃひゃ....

インテンポが 勝手にズレて来ちゃうのは、演歌に限らず、なのかも知れません、加齢現象?(笑)
若い頃の様に、楽譜に正確に歌いなさい!って、注意されなくなっちゃうから、ベテランの歌い手が気持ちよく歌っちゃうと、テクニックなのかな?と、思われがちで誤摩化されちゃうみたいですよ。

ただ、正しいテンポ外してしまってるのが癖になっているだけのこと、もあって、カラオケ世代の素人さんは、プロより歌うまい人も大勢いるので、誤摩化しは、実は効かない、バレバレなんですよね。

ビブラートも、効果的にテクニックとして用いるのは有効だけど、ずっと揺らしっぱなしは、腹筋弱い、横隔膜正しく使えない、弱い声帯の人特有の、誤摩化しみたく感じられてしまうこともありますしね。

カラオケ文化流行らせた人のせいかも。。。

お礼日時:2013/05/10 06:32

特にございません☆



数小節を意味なくひたすら繰り返し流されますと、よろしい音楽も残念気分にはなります様な☆
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この回答へのお礼

ぐるぐる、まわるまわる系の 洗脳的な曲ですかね。
もうサブリミナル的 戦略は、これだけジャンルもアーティストも豊富なくらい増えちゃうと、あまり意味ない気がしますが、しつこいのは だめですねぇ、、、私も。

お礼日時:2013/05/10 06:22

ラップ。

個人的に音楽なのかどうかすら怪しいけど、それは仕方ない。
一ジャンルとしては存在すべきでしょう。
本場のは歌詞が分からないので、まず無理。社会風刺をしてようとしてまいと
日本人の自分にとってはあまり関係ないし。
Jは輪をかけて酷い。変に歌詞が分かる時点で本場を越えて駄目。
桐谷健太の即興ラップぐらいなら何とかなるけど、それはラップの細かいつまんない
ルールを即興でやるから芸として見ているだけだと思う。
あの懐かしい「学校に行こう!」でやっていたB-RAPとかね。

生理的かどうか分からないけど、アーティストよりファンの方が受け付けないかな。
道行く車から大音量で聞かせてくれるけど、かっこよくない。
聞いてる俺かっこいいと思ってても、僕には騒音以上に耳に付く。
そういう理由もあってラップが生理的に嫌いという事は言えるかなと思います。
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この回答へのお礼

ハイハイ、そのお気持ちもよぉくわかりますね。
音楽の1ジャンルではあるけど、音楽というよりか、リズムにゴロ合わせの風刺的言葉乗せた、俳句みたいな感が強いかな?

音楽的には、ちょっと音域の動きがなくて退屈かな。

お礼日時:2013/05/10 06:19

どうやら私は、Perfumeの「声」が”生理的にダメ”です。


ファンの方には大変申し訳ないですが。

彼女たちが嫌いな訳じゃないです。
ルックスも(別に特別カワイイとは思わないけど)いやじゃないし、
曲や振り付けは、むしろ好き。言動や態度がおかしいわけでもない。
売れない頃から地道にやってきたのは、頑張ってきたなあと感心しますし。
でも、曲が聞こえると、CMであっても「うわー、ダメだわ…」と。

最初はピコピコした曲がいやなのかなと思ったのですが、
元々YMOなんかも聞いて育ったような世代でピコピコは嫌いじゃないし、
同じ中田ヤスタカの手がけた作品でも他のものは大丈夫。
で、行き着いたのが、何かの番組での彼女たちの話し声でした。
喋り方や内容は問題ないのに、声がなんか「あー、ダメ!」で。
そこで気づきました。

表現するならば、
美味しいのはわかってるけどアレルギーが出るから食べられない
というのに近いかな。
Perfumeとは別に、歌い方や雰囲気やキャラが好きじゃない、
という、根拠があって苦手な歌手やアーティストはいるので。
そういうのは"生理的"とは違う気がします。

Perfumeは嫌いなわけではないので、今後も活躍して欲しいです。
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この回答へのお礼

じーつに面白い回答、ありがとうございました。
Perfumeとか、もう、よくわかんない、似たようなグループがたくさん出過ぎてて、、、な私ですが、おっしゃる声の個性で、ダメ、とか、心地よいとか、好み、歌には特に多いですよね。

YMOといえば、私も 流行の軽快な、TOKIOとか、代々木公園で躍るのによく使われた曲から、とってもとっても怪しげなシットリしたやつ(すいません、タイトル忘れちゃったけど)まで、聴いてました。
たぶん、DVDやらCDすみずみ聴いてる人しか覚えてないようなメディアにはあまり取り上げられていなかったマニアックな隠れた作品に、すっごい良い曲が潜んでて、なんでこっちの曲の良さをわかる人いないの?みんな同じのばかり支持して、変だな、というのが
YMOにしても、マイケルジャクソンにしても、あったので、私の好みもちょっと多数派から 外れてる?のかも知れませんが、本格的に良いものばかりが支持されるわけでもなさそうですよね。

メディア側、売り出し側の戦略とは関係無しに、リスナーに本当に支持された隠れた名曲特集とか、好きです。

あと、声に特徴ある方というと、矢野あっこちゃんとか、初めて聴いた時、衝撃が走りました。
かわいらしい声で、あの不思議な面白い感性の歌に、思わず、なんじゃこりゃ?と、何回も聴いて、思わず歌詞に笑いこみあげちゃう、幸せな歌だなぁ、、、と。
不思議すぎて、歌真似が難しかったけど、CMのこにゃんこ親子の歌も、大好き。
最初、みょーに不思議な感性に出会った気のするものでも、気になってしょうがなくて、気づいたら好きになってる、という歌もあります。
自分にはない感性をもっている人とか、に多いのかな?

お礼日時:2013/05/10 06:14

 わたしは先生についてジャズ、ポップス系の歌を教わっていますが、クラシックと呼ばれるジャンルの歌曲。

古謡だとか愛唱歌、あるいはムードロマン艶歌なども嫌いではありません。ちあきなおみさんなどは本当にうまいなぁ…と聞き惚れてしまいます。

 さらにはベタな演歌も生理的に嫌いと思ったこともなく、美空ひばりさんの歌などは、取り立てて好きではないものの、本当に素晴らしいとも思うし、二度と現われることもないほどの天才だとも思います。

 ただ、ある種の演歌、これだけは聞くのも嫌、だから、仲間たちとカラオケに行くのも考えてしまうといったジャンルの演歌が…生理的に…嫌いだと言っていいかと思います。

 それは、主として歌詞。終わった恋の未練に誘われて、あの頃愛を交わした宿を訪ねる…といった、その筋定番の「宿もの」、多くはたいして名も知られていない駆け出し歌手が歌っていることもあって、一層低俗さがネチネチと鼻についてしまうのです。

 ところが、こうした「宿もの」はなぜかカラオケ族には人気があるようです。なんといっても、すぐに覚えて歌えるメロディーの簡単さ。たいして流行するわけでもないけれど、それなりに簡単に自分のレパートリーに加えやすく、「俺はこんな歌も覚えたぜ」とレパートリー数を競うには絶好のジャンル。

 わたしがこうした「宿もの」を嫌うのも、ただ単に好みじゃないだけのこと、さして生理的に…と言うほとのことでもない、ただの自己満足の裏返し。理性ではそうは思うのですが、現実には、もう、聞くのも嫌で嫌でたまらないのです。
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この回答へのお礼

はい、確かに、、、
これは演歌に限らず、あることではないでしょうか?

たぶん、洗脳的な力が働いて、やたら大勢の人たちに浸透させてしまうプロモーションされている楽曲なんかは、そうみたいですよ。

たいして歌がうまいわけでもないのに、たいしてものすごく感動するような曲でもないのに、やたら、繰り返しが多くて、1度聴くと頭をまわるまわる、、、みたいな曲なんかも。

きっと、演歌好きの世代の方達を 洗脳しちゃってるんですかね、宿もの。

お礼日時:2013/05/10 05:48

生理的に受つけない、という言い方をしたことはありませんが、どうしても受け入れられない、というかまともに取り合う気になれない歌や演奏や曲はありますね。


それはジャンルというより個々のミュージシャンについて感じることです。

私はロックが好きなんですが、実は多くのロックは聴くに耐えないものだと感じています。
形式としていかに上手に出来たロックでも、ボーカルがやたらにしゃくりあげたりのべつハイトーンだったり大げさなビブラートを効かせたり、そういうものは聴く価値を感じません。

楽器の音でも似たような感覚があります。

曲調も切々としたマイナーのメロディにはほとんど魅力を感じませんし、ポップスなのにオーケストレーションで盛り上がる感じのものが嫌いです。

たぶん、大げさだったり露骨だったりするものが嫌なんだと思います。
もちろん、嫌いなタイプであってもそんなものを超えて素晴らしいと感じる楽曲・演奏・ミュージシャンはいます。
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この回答へのお礼

好みは、人それぞれ、確実にある自由なもの、が音楽ですからね。

確かに、ロックは、アメリカ他、海外のミュージシャンとか、本格的なものばかり聞いて育った人には、ロックと称して出て来たミュージシャンを聴いて、へっ????どこがロックなんだろ???ということは多いかも知れませんね。

ま、それは流行に乗らないと、売れないから、戦略もあり、生活もあるわけで、致し方ないのかな?
と感じたりしてました。

お礼日時:2013/05/10 05:43

演歌と言われて居るジャンルはダメですね。


自然とイライラしてきますので、生理的に受け付けないと言う事なのでしょう。
また、嫌いな人が何を歌ってもイライラしてきますし、その嫌いな人の代表曲などを他の人が歌ってもイライラしてきます。
生理的に受け付けないとは、自然とイライラさせる事も有ると思います。
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この回答へのお礼

はい!同感です。
私も、演歌あまり好きになれません。
暗くて、重すぎて....

でもたまーに、やっぱり歌が本格的に上手い人の演歌で、楽曲に恵まれた歌は、耳を傾けてしまうことはあります。

音楽好きなので、やはり本物、良いものは良いとわかることは大切かな?と、年齢とともに丸くなりました。

お礼日時:2013/05/10 05:37

単なる「好き嫌い」を「生理的に受け付けない」と言っているだけでしょうね。



「嫌い」と言えば、角が立ったり、極端に言えば人格に触れる場合がありますが、「生理的」と言えば、個人の問題として「無理もないか」ですんでしまう。
「嫌い」と言う責任を、「生理的に」と言って誤魔化しているに過ぎないでしょう。

これは音楽だけに限りません。
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この回答へのお礼

私も、ああ、やはり 嫌いということなのかな?
と思ったことが多い使い方だと思いました、が、
自分にはまったくない感性、変わっている?よくわからない、という場合にも、使われることあるんですね。
そちらは、嫌い というわけではなく、恋愛にも似た症状があるようですが、変で気になって仕方ない、気づくと好きになっていたり、妙に心地よい存在になっていて、嫌いというよりは不可思議、でも好きになれる可能性がある、みたいなこともあるそうです。

よくわかんにゃくなってきちゃいまーしたっ。
一番、質問に忠実なご回答ありがとう。

お礼日時:2013/05/10 06:55

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