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「森進一」のほうが「五木ひろし」より唄は上手い。
これを解説して下さい。

※「そうは思わない」のであれば回答は不要です。

A 回答 (3件)

 演歌は西洋音楽の技法を用いていますが、根本は日本の音楽なので、音程やリズムの正確性を求めるのは間違っています。

振動数が2倍であれば1オクターブ、その間を12等分したのが平均律で・・・などという音階に関するルールは、アジア人である私達には不自由で仕方がない。リズムについても同様です。規則的な拍感に性格であることは、音楽の本質ではありません。

 日本語の韻律は、西洋音楽の音階やリズムとは必ずしも合致しない。となれば、そこからいかに自由であるかが、日本語を歌詞とする音楽の命題ではないか・・・と考えます。ただし、そこには様式感というものもあって、「とにかく西洋的でなければよい」などと言い切ってしまえるほど単純なものではありません。

 しかし、演歌に限っていえば、西洋音楽の理論や楽器を用いてはいるものの「日本の音楽」であることは間違いないので、相当に自由であるべきだと考えます。特に言葉を扱うボーカルは、日本語ならではの韻律や、言語による世界観の表現を優先するべきで、最も「非西洋的要素」が要求されるパートです。

 このように考えた場合、五木ひろしの歌唱は、森進一に比べ西洋音楽的には正当です。五木ひろしは、演歌を西洋音楽と東洋文化の融合と考えているのでしょうか。西洋音楽の枠組みから著しくはみ出そうとはしません。
 一方で森進一は、演歌には西洋音楽としての要素もあるということすら気にしていません。否定しているのではなく、気にしていない。すなわち、西洋音楽に縛られることなく、全く自由です。言葉による表現が最優先で、歌唱というよりも、朗唱という言葉が適切であるような印象を受けます。

 そもそも「唄が上手い」ということの定義が難しい問題ですが、以上のことから私は勝手に次のように結論づけます。

 演歌は、西洋音楽の表現技法を取り入れた日本音楽である。したがって、日本語の韻律を生かした歌唱が優先されるべきで、西洋音楽的要素に合致することは必ずしも重要ではなく、むしろ非西洋的であることが演歌の特徴である。
 森進一は五木ひろしに比べ、演歌的特徴を強く表している。
 よって、「森進一」のほうが「五木ひろし」より唄は上手い。

 
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この回答へのお礼

丁寧に、ありがとうございます。

お礼日時:2010/02/13 16:33

こんばんは。


まるで、森派と五木派に分かれてのディベートの素材収集みたいな感じですね。

森さんには、「音が全く外れたビブラート」(←私が勝手に命名)というワザがあります。
それは、一曲の中で最高潮になった部分で出現します。

一例を挙げますと、「おふくろさん」では、
♪あなたの あなたの 真実ぅ~ぅ~ぅ~
♪忘れはしないぃ~ぃ~ぃ
の「つぅ~ぅ~ぅ~」や「いぃ~ぃ~ぃ」の部分のビブラートは、
楽譜に書かれた音符とは全く無関係な、上に外れた音で歌っています。
しかし、多くの人には違和感を与えません。

つまり、外しているのにもかかわらず、外れたように聴こえないということですね。
こういうワザを持っている歌手は少ないと思います。
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この回答へのお礼

丁寧に、ありがとうございます。

お礼日時:2010/02/13 16:33

演歌では比較する方がおかしいと思いますよ。

私の感覚では、お二人とも”音程やリズム”も”いい加減で話しになりません。演歌が如何こうということではなく、お金を払ってまで聞くような程度ではないということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/02/13 16:32

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