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織田信長や豊臣秀吉が生きていた時代は、音楽の教科書に載っているようなクラッシックの作曲家は一人も生まれて無かったんはずなんですけど、織田信長や豊臣秀吉が聴いた西洋音楽がどのようなクラッシック音楽なのでしょうか?当時は西洋に昔から伝わっている伝統音楽を織田信長や豊臣秀吉が聴いたと思い、西洋の伝統音楽は今で言う、ボカロPやユーロビートを聴くぐらい斬新で最前線の新しい音楽に感じたんだと思うんですが?分かる方は回答をお願いします。

A 回答 (3件)

いわゆるヨーロッパ文化って、ルネサンス以降のものです。

ルネサンスは14~16世紀で、レオナルド・ダ・ヴィンチの生没年は 1452~1519 ですから、日本の戦国時代ですね。
音楽はようやくルネサンス末期のモンテヴェルディ(1567~1643)あたりから現代のクラシック音楽に通ずるものが作られるようになりました。ちょうど江戸時代の初期ですね。
「音楽の父」などと呼ばれるバッハは 1685~1750 ですから、活躍したのは日本の江戸中期、元禄年間(1688~1704)よりも後ですね。

織田信長や豊臣秀吉が聴いたとしたら、中世のキリスト教音楽、いわゆる「グレゴリオ聖歌」と呼ばれるようなものだったと思います。
それらは「口承」で伝えられ、「ネウマ譜」と呼ばれる記号で記されているものの統一的な「楽譜」に相当するものがなかったことから、その正確な姿はよく分かっていません。

↓ グレゴリオ聖歌
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC …

その音楽はこんな感じ。
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この回答へのお礼

ありがとう

リンクを貼って頂きありがとうございます。

お礼日時:2021/11/23 07:04

楽譜の活版印刷技術ができたのが、1600年少し前くらいで、それ以前は宮廷やサロンの音楽は、お抱え楽士が門外不出として、大衆に広めるには至っていなかったと思います。



その後、楽譜の活版印刷技術が普及し、楽譜が出版されるようになると、次第に音楽家の収入の構造が変わり(貴族のお抱えになる必要が薄れ)、また楽譜をもとに劇場での演奏会もできるようになって広く大衆に愛好されるようになったと思います。

楽譜の活版印刷が普及した頃は日本ではちょうど戦国時代で、出版された楽譜が日本にタイムリーに届くことは考えにくく、彼らが聴くことは無かったと思います。

https://masafumiiwasaki.com/blog/score-print-his …
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この回答へのお礼

助かりました

はい、わかりました。

お礼日時:2021/11/23 07:02

もしもピアノが弾けたなら。


西洋の大家も織田信長や豊臣秀吉もみんなそうです。
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この回答へのお礼

はい、わかりました。

お礼日時:2021/11/23 07:05

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