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こにちは。田山花袋の田舎教師という小説の中の内容についての質問です。

私は外国人です。今、田舎教師を読んでいますが、質問があります。

よければ、教えていただけませんか。
返事、お願いします。


原文は田舎教師の「第一篇」の会話です。http://www.aozora.gr.jp/cards/000214/files/1668_ …

***

1.十日ほど前、親友の加藤郁治かとういくじと熊谷から歩いて帰ってくる途中で、
文学のことやら将来のことやら恋のことやらを話した。
二人は一少女に対するある友人の関係についてまず語った。

「そうしてみると、先生なかなかご執心しゅうしんなんだねえ」

「ご執心以上さ!」と郁治は笑った。


***

質問は、ここの「先生」は、ある友人を指す、尊敬の気持ちをもって呼ぶ表現でしょうか?


2.

***

調子抜けがして、二人はまた黙って歩いた。
 しばらくして、
「君はあの『尾花おばな』を知ってるね」
 郁治はこうたずねた。
「知ってるさ」
「君は先生にラヴができるかね」
「いや」と清三は笑って、「ラヴはできるかどうかしらんが、単に外形美がいけいびとして見てることは見てるさ」
「Aのほうは?」
「そんな考えはない」

***

質問は、ここの「尾花」は女の子の名前でしょか。

で、後の「君は先生にラヴができるかね」の「先生」は、この「尾花」を指すでしょうか。

3.「ラヴはできるかどうかしらんが、単に外形美がいけいびとして見てることは見てるさ」

これは、意味全然分かりませんでしたが、教えでいただけませんか?


4.
***

郁治は躊躇ちゅうちょしながら、「じゃ Art は?」
 清三の胸は少しくおどった。「そうさね、機会が来ればどうなるかわからんけれど……今のところでは、まだそんなことを考えていないね」こう言いかけて急にはしゃいだ調子で、
「もし君が Art に行けば、……そうさな、僕はちょうど小畑おばたと Miss N とに対する関係のような考えで、君と Art に対するようになると思うね」
「じゃ僕はその方面に進むぞ」
 郁治は一歩を進めた。

***


ここ、「僕はちょうど小畑おばたと Miss N とに対する関係のような考えで、君と Art に対するようになると思うね」
「じゃ僕はその方面に進むぞ」

どんな意味なんでしょうか。


返事、お願いします。

A 回答 (1件)

こんにちは、「田舎教師」を御読みとの事。


懐かしいですね、六十数年前に読みました。

独断ですが・・。

1.ご質問の「先生」は尊敬して言う「先生」では無く少し揶揄(からかい半分でわざと)して「先生」と云っています。
この使い方は我々の年代では良くあることです。今は日本語も語彙が少なくなってしまって日本人でも判らない人のほうは多いかもしれませんね。(ひど過ぎると思いますが)

2.尾花(本来の意味は芒:すすきです、女性教師の綽名なんでしょう。)

ラブは当時入ってきた外来語の響きが新鮮なのと適当な日本語に当てはめられない時代ですから、其の侭ラブと云う表現をしたのだと思います。
当時の風潮(大正モダニズムの時代ですから)として其の侭漠然とした意味で使ったのだろうと思います。

3.尾花(多分先生の綽名)に恋焦がれる事(憧憬:あこがれが嵩じて一方的な恋愛感情になる)は無いと思うけれど、外見は美人なんだしその美人(美形)と云う事は認識しているよ。・・と云う意味です。

4.Artは誰か彼らの周りに居る女性の綽名でしょうね。多分Artの君(きみ:女性を指し憧れの人に使う)と云ってるのかもしれません。

郁治は清三がArtの君に気があるのかもしれないので気の置けない友人としては少しためらって恐る恐る聞いたら、清三は一瞬図星を指されたように(自分の心を言い当てられたように)一瞬どきりとしたけれど、慎重にまあ将来機会があれば恋愛関係に発展するかもしれないけれど今は恋焦がれると云う様な気持ちではないと答えています。

それで安心したのか郁治は別の知り合い(友人かも)の小畑と Miss N(仮名でしょう)が、・・文面からは恋愛かプラトニックかはわかりませんが・・若し清三とArtの君が恋愛関係になっても、その二人(小畑とmissN)に対して取っている第三者的な立場を保つようになるだろうな。と云います。

だから清三は(安心したように)じゃあ俺はArtの君と・・恋愛か憧憬か女性友達になるかは未知数(確定していない事)・・だけれど進んでいくよ。(男女の仲になれる様に)

と答えています。

この会話の部分は二人の恋愛論の会話でしょう。

当時、日本では「男女七歳にして席を同じゅうせず」(七歳になれば男と女は別々に教育などを受けて同じ席に居ては駄目だという時代ですから(私も小学校入学時は男女は別の組でした)恋愛論自体も控え目、隠れてと云った風でしたね。

田山花袋の小説は深く掘り下げて理解するものでは無く、情景を淡々と記述しているところに彼の真骨頂(本分:ほんとうの意義)があります。

尾崎紅葉の影響があるとは考えますが少し暗いですね。

でもこう云った今時の人たちが読まず、名前も聞いたことが無いという人も多い昔の小説を御読みになっているとは・・敬意を表します。

私の解釈は上記の通りですが、どなたか詳しい方から訂正があるかもしれません。
その時は御容赦を。
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この回答へのお礼

chomicatさん、ご親切にご指摘をいただき、誠にありがとうございました。大変勉強になりました。
大変助かりました。

お礼日時:2013/05/23 19:47

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