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序数詞でも基数詞でもよいのですが、比喩表現に使えますか?

たとえばキリスト教の神を表わす「三位一体」という言葉があります。
これを「三位一体の改革」というふうに比喩に用いることがありますが、
実は、この「三位一体」自体が、目に見えない「神」の比喩ではないかと思います。
「位」と「体」は助数詞で、これはもちろん比喩ですが、問題は数字の方です。
「三」と「一」の基数詞は、量ることのできない存在である神を物に喩えていますね?
違いますか?そして、基数詞も序数詞も、比喩表現に使えますよね?

A 回答 (2件)

「三位一体」というのは宗教用語なので、信心にかかわり一般の概念と同様に扱ってよいかどうかはわかりませんが、その特殊性を考慮せずに答えるなら、これは完全に比喩です。


その意味はgoodistさんがおっしゃるとおりでよいと思います。ここでは数詞も助数詞も比喩に用いられています。marbleshitさんへの補足に書いておられる質問にも答えておきます。
(1)隠喩でしょうが寓意にも近い。(2)「前三後一」が喩えるもの(媒体)なので、これを用いた文が無いとわかりません。「彼は前三後一で戦いを挑んだ」という場合、喩えられるものは「彼」が戦いにのぞむ様、喩えるものは「前三後一」、類似性は全力の姿勢とかそういうことかな。(3)いや、揃うと思います。下のブログでは「三位一体」も一層目は隠喩だと言われていますが三要素で答えられていますよね。(4)そうです、比喩です。でも敬虔な信者は認めたがらないのでは。(5)~(7)下のブログを参照。すでにお気付きのことと思いますが、あなたと似たことを質問した人(もしやあなたでは?)の質問に見事に答えておられる先生のブログがありますよね。これで正解でしょう(結論だけ引用しておきます)。
〔この「三位一体」という言葉には、三層の比喩が用いられていることなります。まず、一層目は今回書いたことで、「三位一体」という四字熟語の意味が「隠喩」であるということ。つぎに二層目は前回の内容で、「三位一体」がキリスト教の「三神」について言われることで、そこには神の擬人化があり、「擬人法」という比喩となっていること。さらに三層目は、前々回に書いた内容で、「三位」すなわち、父と子と聖霊という神のうち、「父と子」はそれぞれヤハウェ、イエスの「隠喩」となっていること。〕

参考URL:http://ameblo.jp/gen-dai-bun/entry-11543747932.h …
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この回答へのお礼

とてもくわしい説明をして下さりありがとうございました。
待っても、これ以上の回答は出ないと思われますので
B・Aとして終了させて頂きます。

お礼日時:2013/06/04 22:43

もちろんです。


三々五々、四分六分、前三後一、十把一絡げ、九分九厘
等全て比喩的数詞です。

この回答への補足

回答ありがとうございます。さらに以下のことを教えて下さい。

(1)例に挙げて下さった中で「前三後一」ですが、これは隠喩ですか?
(2)これは慎重かつ全力で戦う姿勢を意味し、由来は獅子が獲物を狙う態勢・習性とのことですが、これを比喩の3要素に分けると、この場合、喩えるものは獅子で、喩えられるものは当事者(人間)で、類似性は・・・何ですか?
(3)それとも隠喩なので3つは揃いませんか?
(4)私が挙げた例の「三位一体」では、「三」と「一」の数詞も「位」と「体」の助数詞も全部、比喩だということですか?
(5)この場合も隠喩ですか?
(6)喩えられるものは神ですが喩えるものは何ですか?そして類似性は?
(7)これも隠喩なので3つは揃いませんか?

以上、追加で教えて下さい。

補足日時:2013/05/28 11:23
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