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まあ普通の歴史感を持つ、普通の人ならあの戦争を『負けると分かっていた戦争』と言われる事は百も承知で質問します。

当時の日本の国力でも 勝てない迄も負けない戦いは出来たのでは?と思っています。

戦争遂行に必要な資源を確保した段階で戦線を維持し、防衛戦に特化した作戦を取る。

対中戦でも 内陸部から順次 中共軍の拠点を制圧していき、海側へと中共軍を追いやれば壊滅させる事は出来なかったのでしょうか?

勿論、真珠湾攻撃などは下の下策。

飽くまで南方の資源を確保するに留めていたら中共軍を降伏させた時点で 早期講和にもって行けたと思うのですが…。

まあ、IFの話なので 反論、異論有る方は余り熱くならない程度で回答お願いします。

A 回答 (30件中1~10件)

満州国を作った石原完爾少将は、東条英機と対立して陸軍を追われた天才軍人ですが、世界の最終戦争は日本とアメリカの間で行われ、日本が勝つと言う大構想を持っていました。

満州国を作ったのはその戦略の一環です。石原の考えはとりあえずの敵はソ連で、その戦争に勝ってアジアの盟主の地位を築き、最終的にアメリカと戦うと言うものでした。それ故、東条ら陸軍が中国戦線を拡大するのには大反対でした。中国は日本の敵ではないと。そんなつまらぬことにエネルギーを消耗するなと。今はアメリカとの最終戦のために国力を高めるべきだと。そのため東条に煙たがられ陸軍を退役させられました。

石原構想のアメリカとの戦争はいわゆる持久戦で、東条らがやった真珠湾攻撃のような派手な殲滅戦は最後まで反対していました。戦争末期日本の敗色濃厚になったとき、困った東条が石原にどうしたらいいか聞いたら、お前がやっているうちは駄目だと取り合わなかったそうです。

石原の言うように、支那事変拡大や真珠湾攻撃などせず、ソ連という後顧の憂いを絶って、しっかり国力を付けてからアメリカと雌雄を決したら、勝ち目はあった可能性は高いです。その場合の戦争は真珠湾のような派手なドンパチではなく、外交力を駆使したベトナム戦争のような形態だったでしょう。石原は持久戦の信奉者でしたから。あのベトナムでさえ持久戦でアメリカを撃退したのです。日本に出来ないわけがありません。今となっては夢のまた夢ですが。

石原完爾の「最終戦争論」は青空文庫で読むことが出来ます。読んでみて下さい。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000230/files/1154_ …
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この回答へのお礼

真摯な回答ありがとうございました。

中途半端に 支那に手を出したのが間違い…、真珠湾攻撃などせずに ソ連と対抗していれば 共産主義との聖戦になりますね。

そうなれば アメリカ世論も、大きく対日戦争の回避に傾きますよね。

ソ連のスパイが暗躍して、ただのメモレベルであったハルノートを改竄して、アメリカ政府の公式文書的な物にしたって言う話も有りますが…。

ドイツとの決着がつくまでは 日本と戦端を切りたくないソ連…。どうしても日本とアメリカが開戦してくれなきゃダメだった訳ですね。

お礼日時:2013/07/19 01:38

一般に、「強い相手と戦争したから愚かである」 は結果論です。


単純な物量比較から先の戦争は愚策であり勝てるわけなかった。ではベトナムは?
人口や工業力が圧倒的に足りないから、長期戦になったらアメリカには勝てっこなかったのでしょうか。
史実とちがいますね。
であれば、その説にはどこか穴があるのでしょう。
・ソ連と戦争して勝ったフィンランド。
・アメリカと戦争して負けないアラブテロリスト。
・モンゴル帝国を撃退した北条時宗。
・平氏相手に挙兵した源頼朝。

こんな例は、他に腐るほどあります。
こういうことを言うと、いやベトナムと日本は事情がちがう、60年代の米国は弱かった、的な意見がわんさか出るのですが、
戦争に負けたから相手は強かった、逆に戦争に勝てたから相手は弱かった、は結果論。
現実には、相手の強い・弱いは、実際に戦ってみて初めてわかるんです。気の弱そうなチビがナイフ持ってたり、身長2mの巨漢が実は糖尿病でボロボロだったり。
いや戦う前から知ってたなんてのは、半分以上が意図的につかまされたニセ情報であるのがオチです。相手だって諜報活動するんだから。
あと相手にどれくらい戦意があるかも大きい。戦意のない巨人は捨て身の小人に負けるから、戦前の日本の精神論もあながち間違いじゃない。

現実には、戦さの勝ち負けなんてのは半分以上運です。相手に思わぬ油断や、外から見えない弱点があった的なことも含めて、運。
その意味で、山本五十六とベトナム軍首脳、北条時宗と源頼朝は、同じです。
勝つも負けるも、たまたま。五十六だってミッドウェーのポカがなかったら勝ってたし、頼朝だって石橋山合戦を落としたら負けてた。
たまたま勝った人を名将と讃え、負けた奴を愚将とこきおろす場あたり評価してるのは、日本だけです。
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この回答へのお礼

真摯な回答ありがとうございました

コメント書きたいですが 割愛させて頂きます。ただし感謝の思いは他の回答者さんと同様です。

自分の考えは他の回答者さんへのコメント見ていただければと思います

回答者さんたちにコメントするのに 三連休初日の半分使ってます。疲れました(笑)

お礼日時:2013/07/19 14:27

#12です。



質問者さん、アメリカというか、アングロサクソンを甘く見ているよ。あいつら、世界中のどの民族より戦争が好きですから。ドイツ人もアーリア系という点ではアングロサクソンの一派ですしね。

先だってのイラク戦争のとき、アメリカはフセイン大統領(当時)に「大量破壊兵器を隠し持っているだろ。出せ。出さないなら戦争だ」と迫って戦争になりましたが、その大量破壊兵器なるものは存在しなかったことが判明しました。そもそも、イラクにそんなことを迫ったきっかけは9.11だったけど、9.11テロとフセイン政権は直接はまったく無関係だったしね。

湾岸戦争がまだ湾岸危機だったとき、アメリカの議会で「クウェートから命からがら逃げてきた少女」が涙ながらにイラク軍の暴挙について訴えました。彼女曰く、目の前で幼い弟を殺されたそうです。彼女の証言が全米に放送されると世論は一気に戦争支持となりました。
ところがこの少女、【在米】クウェート大使の娘で、湾岸危機当時にはクウェートどころかアメリカにいたことが判明しました。彼女の証言はねつ造だったのです。だけど、それはもうアメリカでは世論を変えるほどのニュースにはなりませんでした。

アメリカがベトナム戦争に深く介入するきっかけになったのがトンキン湾事件です。北ベトナム軍がアメリカ軍の駆逐艦に攻撃したとされる事件です。近年、この事件がアメリカのねつ造であったことが公式に明らかになりました。以前からねつ造説は強かったのですけどね。

1898年ですから日本なら明治時代ですが、米西戦争というのがありました。きっかけはキューバでアメリカ軍の戦艦が爆発したことで、アメリカ政府はこれをスペインの仕業として戦争を始めましたが、その爆発の原因は今もって不明です。とりあえず、スペインの仕業とする証拠は見つかっていません。単なる事故説、アメリカの自作自演説などがあります。

「リメンバー・パールハーバー」の元ネタになった言葉が「リメンバー・ジ・アラモ」で、これはアラモ砦の戦いとして有名ですが、そもそもは単なる砦をめぐる戦いです。「女子供、奴隷でさえ皆殺しにされた」と宣伝されて今でも「アメリカン魂の象徴」みたいに扱われていますが、実は女子供や奴隷は殺されていなかったことが明らかになっています。

かように、アメリカっつー国は「戦争をするぞ」と決めたら、ねつ造だろうがなんだろうが手段を選ばず戦争をする国なんです。イラク戦争も、湾岸戦争も、米西戦争も、開戦前は戦争に反対する声は少なからずありました。ところがアメリカっつー国は、いざ開戦となると大統領支持率がはね上がる国なんです。「戦争という国家の危機において、我らのリーダーの足を引っ張るべきではない」と考えるのですね。

考えなければならないのは、当時のルーズベルト政権は第二次大戦への参加を望んでいたということです。それは主に対ドイツ戦に、ということですが。
第一次大戦以降、アメリカにとって日本というのは「目の上のたんこぶ」であり、「いつかは膺懲してやらねばならない相手」でもありました。当時の日本は、仏領インドシナ(ベトナム)進駐まではアメリカは黙認すると思っていたんです。ところがそれに対してアメリカは「対日石油輸出禁止」という手を打ちました。
この時点で「アメリカは(戦争を)やる気」だったんですよ。「こうすれば日本は戦争に出ざるを得ないだろう」というのは見越していたのです。ただ、真珠湾に奇襲されるとは思っていなかった。それがアメリカとしては失態であったとはいえましょう。もっとも、ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を知っていたという説もあります。なにしろ当時の日本の暗号はほぼアメリカに筒抜けになっていましたからね。
対日石油輸出禁止をされた時点で、日本の選択肢は「開戦か、アメリカにひれ伏すか」の二択しか残っていなかったのです。それはまるでイラクのフセイン大統領と同じでした。「開戦か、自分の首をアメリカに差し出すか」の二択しかなかったようにね。

実は対日戦というのはアメリカからすれば「片手間」だったんです。アメリカが本気になる相手はあくまで「ドイツ」であり、日本は「ドイツを片づけてからゆっくりやっつければいい」と思っていたのです。だから対ドイツ戦に勝利するまでは対日戦では反撃はしない方針だったのです。
それは対ドイツ戦に投入されたアメリカ陸軍部隊の装備と対日戦の海兵隊や陸軍部隊の装備を比較すれば明らかです。ヨーロッパ戦線に投じられた兵士には最新のM1ガーランド銃が与えられましたが、ガダルカナルの海兵隊は旧式のボルトアクション銃でした。大砲なんかも旧式だったんです。だけど、それでも日本軍はその火力に圧倒されたんですけどね。投じられた戦力もせいぜい海兵隊1個師団程度です。大量の陸軍部隊が投じられるのはマリアナ海戦(サイパン作戦)以降です。
ではなぜアメリカはガダルカナルを始め太平洋戦線でも反撃をしたのかというと、ご存じマッカーサー元帥と日本ではほぼ無名なのですが、アメリカ海軍作戦部長のキング提督が「太平洋でも反撃させんか、ゴルァ!」としつこくねじ込んだからです。なにしろこのお二人ときたら、アメリカ軍の中でも飛び抜けて我が強い性格でしたからね。キング提督はとてつもなく優秀だったので海軍作戦部長にいたのですが、上司からも部下からも家族からも蛇蝎のごとく嫌われていたっつー人です。
アメリカはマリアナ海戦以降VT信管を投じたことはご存知でしょう。しかしアメリカはVT信管を対ドイツ戦には使わなかった。なぜか。ドイツ軍ならそれを手に入れたら真似される危険があったからです。
ではなぜ対日戦には使ったか。「日本のテクノロジーじゃ、作れねえだろう」と知っていたからです。実際、あんなもんは当時の日本では作れませんでした。

あれでも、アメリカからすると「俺はまだ本気出してないだけ」なんです。アメリカが本気出したら?アメリカは、ソ連とイギリスに膨大な物資を「貸与」しました。どのくらい与えたかって?いやほんのソ連軍の使っていたトラックのほとんどがメイドインUSAだったっていう程度です。もちろんイギリス軍も。ちなみに航空機に使われていた100オクタン価の「ハイオク燃料」もアメリカじゃないと作れませんでした(ドイツ軍が85オクタン価くらいだったかな?)。
アメリカが「隔月刊正規空母」「週刊護衛空母」で生産したのはご存じでしょう。輸送船である戦時標準船は8時間に1隻、爆撃機に至っては1時間に1機生産されるペースです。それでも、これでさえ「まだ本気出してない」のです。だって、アイスクリームやコーラを飲んでる余裕があったんだもん。アイスクリーム船っていって前線の兵士にアイスクリームを提供する専門の船が作られてたんだぜ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

貴重なお話しありがとうございました…。

う~んう~ん おっしゃる通りであれば う~んう~ん。(-_-;)

過去の戦訓としては アメリカとは 何があっても戦うな!!っう事ですね!!

お礼日時:2013/07/19 14:10

すみません。


アメリカに負けた、中国に勝ったと云っても意味は無い。
結果往来、いわば、中国にも完全に負けたのです。

 意味が判りますか?(三日天下にしか成り得ない)
 中国は戦争終結後、毛沢東の指揮のも下に10億近い人間を即座に纏めてしまった。

 結果往来とは、私の先に投稿にあるように、一度勝っても意味が無い、
 つまり、中国に勝ったとしても毛沢東が築いた結束力に対して継続が不可能であったことを明確である。

 つまり、勝ったという表現は継続ができたか否かを視なければならない。
 たとえアメリカが当時の中国を援助しなかったと仮定して、分析しても、中国に勝ることはできなかったでしょう。

 そこには人口の有利性が郡を抜いている。

 それは、山本五十六氏が生きていたならば、彼は必ずそう云ったでしょう。
 中国にも負けた、と
  彼は、非常に日本で云う侍的な人物で、真珠湾を攻撃した後の、負けを理解していた。その後も責任から彼は現場を視察に回っていたことからも、死を覚悟していたものでしょう。

  その他、立派な人には土肥原 賢二という人がおりましたね。
 彼の戦争思考はわかりませんが、指導者としてはリッパな人物と思います。

 彼も軍人で中国に長い間滞在し、中国人を助けてきた。
  彼は処刑されましたが、 多分、生きていたならば、人口に勝るものはないと言うでしょう。

 さて、物理的に日本はどの国にも勝てなかった、と表現させて頂きます。

 結果往来、どのこ民族でも誇りを抱いていますから、戦争が始まれば、日本人の誇りに共感する民族は皆無となるでしょう。

 いわば、現在の北朝鮮も同様、当時の日本軍隊のような思考が有って、世界を我が物にしようとしても、不可能である。

 また、現在の中国が環境汚染、そして政策の云々を説いても意味はない。

 これは過剰な人口が成せる業、一つの家の中(地球)に居て現在の中国を非難しても始まらない。
 シンガポールは同じ華人が政治を握っていますが、環境には30年前から考慮してきた背景をみれば期待できるのではないかと思います。

1996年から急速に伸びてきた経済の動向に,追いついてこれなかった。日本でも彼等の政治に期待しなければならないし、また応援もしなければならない。

隣で、煙を出して、煙ったい、と非難してもね~。
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この回答へのお礼

回答ありがとう、

人口人口って 実にその通り、今後の中国は一人っ子政策が機能して 日本以上に少子高齢化が進み、拝金主義、個人主義のせいで地域社会で老人達は子供からも厄介者とされ 哀れな最期が待っている…そう人口人口人口が多いおかげで、その様な不幸な老人達の数は何億人!? 例え亡くなったとしても 誰も墓さえ建てない…死んだ人間に金使う必要な~い。

ソビエトが崩壊した様に 共産主義などは近い将来に、地球上から消え失せる。

ソビエトは中国と違い、民度が高かったのかいち早くそれに気づいた。

中国人民にエールを贈りたい。早く共産主義から目覚めなさいってね。

あっ、忘れてた…共産党が人民を纏めた!?中世的な恐怖政治で、押さえ込んでるだけでしょう!?それもネットの発展で難しくなってあちこちで暴動だらけ…、中国的な考え方はそれを纏めたって言うんだね。

でも普通の国の普通の考え方は それを混乱してる、纏まってない、ヒットラー以下の独裁政治って言うんですけど。

お礼日時:2013/07/19 11:58

長期戦になれば敗北することは馬鹿でも分かっていましたが、馬鹿な陸軍中心に突進し続けました。


日本が有利な時に早期に米国と講和条約を結んで終結させていれば本土大空襲も原爆投下もシベリア抑留などにも合わずに終わっていたのは間違いありません。
実際そうすべきと唱えた首脳部もいたようですが陸軍や東条ら戦争継続派のせいで多くの日本人が命を落としました。
まあそしたら今も軍国主義の国のままだったでしょうけど…。
私は当時の世界情勢からみて戦争突入は仕方なかったと思いますが敗戦濃厚になっても戦争を続け多くの日本人を殺した東条や軍幹部らを英霊として祭っている靖国には違和感を感じます。
オウムの麻原しょうこうを英霊としているのと大差ないと思います。

まあ戦時中の日本は今の北朝鮮と大差なかった弾圧軍事国家だったのは間違いありません。
戦争中でも自国民に対して一定の人権(今ほどではないですが)を確保していた米国とは全く違いましたね。
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この回答へのお礼

真摯な回答ありがとうございました

おっしゃる通り アメリカは人権重視の民主主義国家です、『真珠湾攻撃』さえしなければ 2年もしないうちに世論が嫌戦へと傾く事は予想されました。

山本五十六などは アメリカを熟知していた軍人とも言われていますので その辺の所も理解していた筈です。

なのに何故!? 『真珠湾攻撃』だったのか…

緒戦から 講和の道を閉ざすやってはならない過ちを山本五十六は 行ってしまったのではないか?

お礼日時:2013/07/19 09:31

真珠湾の攻撃は、インドネシアとかの南方の石油資源確保後の輸送をアメリカ軍に邪魔されたくないからなので下の策ではないと思います。



日本の敗因の1つは戦線を拡大しすぎたことです。
ドイツも同じですが
補給ができないということです。


ドイツも日本ももう少し我慢して足元を確保してから戦線を広げアメリカ参戦を回避したら僅かな可能性が大きくなったかなと思います。
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この回答へのお礼

真摯な回答ありがとうございました。

真珠湾攻撃しなくても 日露戦争の日本海開戦でのバルチック艦隊を待ち受けた時同様に フィリピンで太平洋艦隊との海戦をする方が勝てる要素は多かったと思われます。

それよりなにより、真珠湾攻撃がアメリカ国民の嫌戦ムードを一変してしまった事を考えると 『ハワイを叩いて早期講和』の筈が、逆にハワイを叩いた事で早期講和の芽を摘んでしまった、『最低の作戦であり、その立案指揮した山本五十六は最低の愚将』

後世の今日で 英雄視されるべき軍人などではない筈です。

お礼日時:2013/07/19 08:50

でもアジアなどの利権を独占したい欧米は、日本のそういう政策などを許容しなかったでしょうね。


何とか泥沼の戦争に引きずり込んで日本を圧し、世界征覇しなければならない国家方針がありますからね。
これはアメリカの良心性や理論の思想文化とは違う、権力の論理ですからね。
泥沼の戦争に引きずり込まれ、負けなければならない。或いはシナなどのように最初から利権の餌食に甘んじる。
それしかない、ゲルマンの大移動。十字軍。そして大航海時代の展開はそういうことでしょう。
妥協と講和が許されなかったのです。
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この回答へのお礼

真摯な回答ありがとうございました

真珠湾攻撃を下の下策と評しました。

真珠湾攻撃する前は アメリカの議会や世論にも『ルーズベルトの対日戦やむ無し』に対して反対する意見は少なくなかった。

アメリカ国民には 日本と戦争する正当性や意味が理解出来てなかった。

仮にアジアでアメリカと開戦して、日本海軍に艦船沈められるたびに『そろそろ日本と講和しろ』と2年もしないうちにアメリカ世論や議会の反発が起きるでしょう。

しかし、真珠湾攻撃はその様なアメリカ世論を『日本を潰せ』の一色に変えてしまった。

そう考えると 仕方のない戦争であったにしろ、その入り方には大きな間違いがあったのでは!?…その後の悲惨な戦況の原因を緒戦で作ってしまった愚将、山本五十六。

奴は 決して英雄視されるべき軍人などではない筈です。

お礼日時:2013/07/19 09:20

太平洋戦争に突入する前に、勝てない戦争を始めた理由は、当時の日本軍が満州国の建国、日中戦争をしていたことから、国際社会から圧力を受けるようになり、そのため国際連盟から脱退したことから、始まっています。


国際連盟から脱退すると、当然外交がうまくいかなくなり、貿易に影響を受けて、思うように資源が入らなくなって、日本のライフライン問題が出て、東南アジア、東アジアあたりに資源を取りに行くため、戦争が始まったようです。
あげたこぶしはそう簡単に下ろせなくなってしまったのもあります。

その勢いでアメリカを叩こうということで、太平洋戦争が始まったのです。
その前に、山本五十六長官は、米国留学の経験からもし太平洋戦争を始めたら、最終的には日本が負けると明言していましたが、最終的には軍の組織の意向に従って、対応したようです。

結果的にはその夜折になりましたが、その差は、米国が豊富な資源からの大量生産ができていた、資金も戦時国債を設けて金に苦しむようなことはなかった、変化する戦場に対して、武器、科学、情報、組織などの戦略を発展させたなどから巻き返してきたのです。(ソ連も武器の後方生産でナチスドイツを倒したくらい)
それに引換え、資源を思うように手に入らず、当然後方生産も思うようにいかず、補給もできなくなって、戦略も雲泥の差となって、負けてしまったのです。磁力の差でしょうね。

日本が今の時代に当てはめても、地理的、政治的、国民感情、物質的には、勝てる戦争ができないでしょうね。ゲリラ戦争がせいぜいです。
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この回答へのお礼

真摯な回答ありがとうございました。

う~ん、そんな山本五十六だから 尚更腹が立つ…アメリカ国民の世論を一気に対日戦本気モードにした真珠湾攻撃…そんな事は最初から折り込み済みだったのか…。

おまけに最期は ブーゲンビルで 自殺、どうせ死ぬなら割腹か拳銃での自決するべきなのに わざわざ若いパイロット道連れにして名誉ある戦死を装った。

真珠湾攻撃さえしなければ…、日本に負け方の選択肢は残された筈たど思う

お礼日時:2013/07/19 02:11

戦争の勝敗ラインって戦闘結果なんですか?


私は違うと思ってますが…
私の勝敗ラインは戦前と戦後の状況と思ってます

   各国が失った物
日本…満州、朝鮮、台湾
米国…フィリピン
英国…ほとんどの植民地
フランス…ほとんどの植民地
オランダ…インドネシア
中国…中国大陸
ソ連…なし
ドイツ…オーデルナイセ以東の領土(領土の40%)
ポーランド…領土の50%
   各国が得た物
日本…東南アジア経済圏
米国…なし
英国…なし
フランス…なし
オランダ…なし
中国…台湾
ソ連…ポーランドの50%、カレリア、東プロイセン
ドイツ…なし
ポーランド…オーデルナイセ以東のドイツ
   各国が果たさねばならぬ事
日本…なし
米国…朝鮮問題、インドシナ問題など
英国…パレスチナ問題、東南アジア問題
フランス…アフリカ問題
オランダ…なし
中国…大陸奪還
ソ連…なし
ドイツ…ドイツ統一
ポーランド…ソ連の奴隷

先の戦争、誰が得して誰が損してますか?
日本は得したんじゃありませんか?

喧嘩に負けて、勝負に勝った
それが日本です。
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この回答へのお礼

真摯な回答ありがとうございました。

いやはや、思いもよらない視点での回答興味深いものでした。

しかし、2発の原爆 …それと戦う事も出来ずに 南方や南洋の孤島で亡くなった方々と…多大な犠牲を強いられました。

お礼日時:2013/07/19 01:49

いやあ~ね


 前置きしておきます 、私の脳味噌は豆腐ですから

 絶対に勝てませんでした、その理由を少し述べますね

 何故、こんな馬鹿なことをしたのか?第二次世界大戦

 そして、現在の北朝鮮も、更に韓国、現在は安倍首相までが、軍備増強と9条を変えようとしている、愚かな考えが理解できない。

 第二次大戦当時の日本の人口は6千から7千万。
 戦争に駆り出すことができる人数は2百万強

 更に、実質現場で戦争する人数は、百五十万程度
 エネルギーについても、二百万の人達を動かすには、全ての食料及び輸送、その他の物質をエネルギー(仮にガソリンに)に換算すると、一日963,000リッター、一ヶ月ドラム缶で145,000缶必要となる。
 とてもお金が無い。
 これに飛行機、船舶、軍隊が使用するエネルギーを賄う必要がある。

 当時の、中国、アメリカ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、その他敵対していた国々の働ける人口、全てをあわせれば、3億を超えていたでしょう。

 仮に占拠したからと言っても、明智光秀と同様で、三日天下にしかならない。

 何故ならば、管理ができないからですね。
  つまり継続ができない。

 私が戦争の指示を出せる立場であったならば、先ず徹底的にアメリカを叩いていたでしょう。

その他の国は見ない。
 そして燃料の根源を全て占拠し、日本の人口の3000万を送ったでしょうね。

 しかし、占領しても三年天下にしかならない。

 論理的に云っても戦争は人口に勝る他に手段は無い。

 現在、阿部さんが強気で、軍備を増やそうとしています。
しかし、実質、中国と戦争になったと仮定したならば、人工的に日本は絶対に勝ることはできない。

 一瞬の内に中国の90パーセントの人達を抹殺しない限り、例え日本が勝ったとしても、半年未満の天下。

 北朝鮮がミサイルを1000発作って、アメリカに、戦争を起こす行動としてミサイルを発射したならば、三日以内に北朝鮮は廃墟になってしまう。それは先ず主要都市が廃墟となる。

 中国が強気で挑発するのは、そこにあるわけですが、
 たとえ日本が主要都市を攻撃し廃墟にしても、残された人口が2億あれば、中国は絶対に勝てることになるのが理解できないといけない。

 実質、軍事バランスは人口で勝敗が決まる。

 従って、軍事バランス等と世界の首脳が考えるのは、無能な知能であった。
  紀元前からの人々よりも遥かに劣ると云えるでしょうね。

 即ち、第二次世界大戦において、28名の戦犯達は、負けることに突き進んでいった。
 感情のみに左右された、愚かな無能者の決定と云える。
   脳味噌、石で出来てたかな~? 現在の六本木事件と瓜二つですね

 すみませ~ん、怒らないでね、私の脳味噌は豆腐で~す。

 阿部さん、どうかな~???
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

日本は太平洋戦争に負けました。しかしアメリカ一国に負けたのであって、中国に負けた訳ではないのは理解してるよね。

日本がアメリカに負けた事によって中国で悪魔の権化のごとき 毛沢東率いる共産党がのさばる事になった事が 13億の中国人民にとって とっても不幸な事でしょうよ。

中共によって 何百万人の罪無い 人民が死に追いやられたか!!

中国人民にとっては 朝鮮の様に 一時でも日本の属国になってたら即文明国の仲間入り出来た筈だし、日本帝国陸軍によって共産党が退治されていれば 今の中国は超民主的なアメリカを上回る超超大国になって 大中華思想を近隣周辺国の尊敬の眼差しでもって具現化していたかもね。

官僚の汚職も、北京の大気汚染も、毒入り食品も、河川の汚染も存在しない立派な大国になって筈。

日本帝国が大戦に敗れて 一番不幸だったのは…もしかしたら中国人民達かも知れないね。

ゴメン、俺の頭も納豆で出来てて、まっ一部は雪花菜だけどね♪

お礼日時:2013/07/19 01:17

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