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私の勘違いかも知れませんが、今の年配者を見ていると
昔の年配者よりわが身の可愛さ第一な感じで、余り若者
の幸福や未来の事を考えているようには見えないのです
が、そのあたりの社会的理念はどのように思われていま
すでしょうか?
もちろん、皆様、自分の孫などは可愛くて、孫の未来が
幸多き事を願っているでしょうが、日本社会全体を俯瞰
した時には、若者世代の事をどのように思い、考えられて
いるのでしょうか?

年配者以外の方でも、今の年配者の若者の未来に対する
見方などで感じている事などがあれば、ご意見下さいね。

A 回答 (15件中1~10件)

私の周囲の年配者の方との話の中で感じたこと(個人的にです)



明治生まれの女性方 = 女傑多し 良い意味でも悪い意味でも毅然としている 生活保護を受ける気なし 政府のことを「お上」と呼び 「お上にご迷惑をかけるなんてとんでもない」という 息子を戦争で失くしているので 平和なだけでもありがたいと思ってる世代 (この世代の男性とはお会いしたことがないので女性しか知らないけど)

大正生まれの方 = 15年と短いのでめったに会えない 4人しか会ったことないが なぜかおちゃめで明るく 戦争中に乳飲み子抱えて空襲の中逃げ惑った人には見えない 「あのときのたいへんさに比べたら今は本当によい」と言ってる世代

昭和ひとけた生まれ = 正直 わたしはこの世代が大嫌いだ。 第二次世界大戦のときに この世代は 戦争に行くいかないのギリギリで育っていて 二言目には 「物がないときで苦労した 今の子は幸せだ 」と連呼している この世代は 食べ盛りにちょうど第二次世界大戦だったので 空腹の記憶がすごい
しかも親の愛が薄い 産めよ増やせよの時代で 「子育て」= 食べ物確保  というわけで 人としての節度や品位 情操教育をされていないのではと思う  空腹 → 高度成長時代 → (今までの財力で不況を乗り越え) → 老後になって 「今までさんざん苦労してきたんだから面倒みてくれるのは当然」 と言ってる人多し

昭和10年代生まれ 戦争中は幼児だったので薄い記憶しかない 最低の生活の子ども時代からそのまま高度成長時代にいっているから 全般的に この古い世代の中では個人主義 自分さえよければ的な考えがある 昭和ひとけたと違うところは 昭和ひとけたの世代は 「さんざん苦労したんだから 老後はラクされてもらうのが当然」に対して 単純に 今までどおり自分の思うとおりに生きたいと思ってる

昭和20年代生まれ=第一次ベビーブーム 団塊の世代 多数決で決まっていく日本社会において一大勢力を誇る 青春時代が完璧に高度成長期だったので やればできるみたいなパワーが半端ない ご質問者さまの 年配者というのは この世代を指しているのかしら? 「おれたち」意識強し この世代が一番 「今ごろの若いものは、、」とぼやいている気がします。

昭和30年代生まれ =高度成長は 小学~中学生ぐらいで終わり 思春期にオイルショックを経験しているので けっこう個人主義 「競争社会」「頼れるのは自分だけ」というのが日本社会では初めて出てきた世代のような気がします。かわいそうなのはこの世代の子は「ゆとり教育」で 自分たちの「競争社会」と子どもたちが言う「ゆとり社会」のギャップで悶えまくる世代

それ以降は 年配とはまだ言えないと思うので省略しますが
各世代でずいぶん違う考えだと思います。

ひどい独断と偏見でまとめさせていただきますと

昭和一桁生まれが一番 若者の未来を考えていないと思います。自分たちは空腹で苦労した。今の若者は、、と そっちに矛先が向かっている気がします

次に 団塊の世代の方が 日本が強かった時代の「昔はよかった」みたいなノスタルジーを引きずっていて、もう時代が変わっているのに「格差社会」が理解できず 「今どきの若者は、、」と かってにバイアスかかった考えを変えていないと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今の若い子で一番きついのは 未来のイメージが浮かばないことではないかと思います。
昔は 未来はバラ色と信じてみんなで頑張っていました。実際 その通り焼野原から先進国の仲間入りです。
ですが、頂点にたどり着いてしまったので あとは 落ちるか維持か、、
なにより 年金問題は非常に大きい

今の高齢者は 高度成長期の恩恵を受けた人はとくに 贅沢に慣れていて我慢が足りないと思います。
自分たちは 今まで働いてきたから当然と思ってる人がけっこういるのには情けない気持ちがします。

偏った考えかもしれませんが、とくに団塊の世代が介護される世代にいっせいに入ったときに
数は力で 福祉福祉と叫ぶ政党にいっぱい票を入れそうでこわいです
未来は若者の手にあるのに
選挙で 政治を左右するのは 数の多い高齢者世代
若者票は 2倍 せめて 1.5倍の票数にしないと いつまでも 高齢者の都合のよいようにまわされるような気がしてなりません。

とりあえず 選挙行こう!
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この回答へのお礼

素晴らしい回答を長文で下さり、感激です。
本当に目を見張る分析力で思わず考えさせられました。
わがままで頑固な年配者が増える事で、この国が破綻しない事を心から願っています。
とにかく政治家を変えなくてはなりませんね。
若者が選挙に行くもはもちろん、選挙制度も世代別人口比率を重視したものへと変えていかなければならないですね。

お礼日時:2013/07/20 22:41

お邪魔します



 私も戦争を体験していない高齢者です。

 NO-7さんとN0-8さんの回答に共感を覚えるものがあります。

 昭和25年生まれ以降の人達には戦争の体験は無いと思います。
 主に戦争体験者が現在の日本の基礎を作り上げ、戦後の人達が新しい運営方法を作ってきたと云えると思います。

 戦後急速に人口が増え、核家族化してきたために、それまで有った、世代を引き継ぐ家族的政策が視られなくなった。

 それまで、夫々に少なからず有った家系の伝統と云うものが、庶民の間に視られなくなってきたのが、現在の日本を創ったものと思います。

 したがって、子供を生んでも、家系の基礎になる教育の必要性が視られなくなり、子供は玩具のような感覚で育てる人達が多くなった。

 また高度成長に伴い、生活も楽になったおかげで、夫々に厳しく世渡りできる人達を創ると云う概念が無くなってきたものでしょう。

 全ての家族ではないが、戦後、子供に対して厳しいしつけを行わない為に、親に反抗する子供達(現在の高齢者)が多くなってきた。

 その人達が社会を作り上げてきた、その到達した社会性に、虐めが至極多くなってきた背景となっているのではないでしょうか。

 その為に高齢者も、私欲しか考えることができなくなっているものと思います。

 私、個人的には貧乏であったが、最高にして幸せな人生を得られたのはラッキーであったと云えるように思いますが、現在外国に住んでおり、暫し帰る日本国内の老人を視ると、私が住んでいる国の人々とは異なり、悩んだ老人達が非常に多いような気もします。

 つまり、臆病になっていると感じられ、己が生きていくのに、他人から影響を受けないように、必死に防御する姿勢が視られと思います。

 その実、高齢者と、現在の若者はまったく同じ器と感じるのは私ばかりでしょうか

 今の若者を視て、我々若い頃の世代に視た情景が、異なっているのは景色(経済)のみで、真実に未来を視ようとする人達は居ない様に思われてならない。
 それは核家族した社会性から起こったもので未来を視る意味合いを失った為と思われます。

 それらの状況は、現在の若者と我々子供の頃とは、まったく変わりないように思います。

 つまり、現在の老人の殆どが、若者を恐れている。
 
  思いは年配であっても、差し向ける感情は同僚にしかならないと云えると思います。

 その社会性が、虐め、パワハラ、セクハラ、スケベ事件を多く起こしているものと思います。

 双方共(高齢者、若者)怒りを収めることができなくなってきていますね。

 2005年、一時帰国した際、子供が小便をするのに、お父さんが敬語を使って、子供さんに手伝ってあげようかと接していたのを視て、これは大変な世の中である、と感じたものですが、日本の到るところで同じ状況。

 これでは若者は高齢者/先輩を敬うことはできなくなる、さすれば高齢者は己自信のことのみを考える以外、若者の為に何かをしてあげようとは行かないものでしょう。

 それは戦後の人達が作り上げてきた悲劇であると思います。

 参考になりませんかな
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この回答へのお礼

回答を下さり有難うございます。
やはり戦後の子育てが影響してきているのですね。
利己的な年配者が社会で増えていく事でこの国の未来に影を落とさないように
祈ります。
回答者様のような外国に住んでいる方の客観的なご意見は貴重だと思います。
参考になるご意見を下さり、心から感謝いたします。

お礼日時:2013/07/22 19:30

ANo5です。



他の回答者様の年配者に対する見識を興味深く拝読させて頂きました。

私は、来月の誕生日を迎えると63歳ですから「今の年配者」に該当すると思ってますが、私の父親は明治44年生まれの6人兄妹の長男で大正生まれの弟3人と妹2人の長兄、母親は大正9年生まれの9人兄妹の8番目に生まれた4女で明治生まれの兄4人と姉1人に大正生まれの姉2人と妹1人の家庭環境で育ちました。

従って、私の両親を始め伯父・伯母・叔父・叔母達は全員が「昔の年配者」に該当すると思います。

なお、私の父方の祖父母は昭和20年3月10日の東京大空襲で犠牲となり共に亡くなってますが、母方の祖父(明治12年生)と祖母(明治15年生)は私が子供時代の昭和30年代まで健在でしたので、明治10年代の大昔の人とも接した記憶も僅かに残ってます。

私から見た、明治生まれの年配者は「封建的な考え」で、男尊女卑の考えが著しかったですし「長男は家督を継ぐのが当然」の考えでしたから、戦後教育を受けた私なんかは明治生まれの封建的考えの父親に対して思春期時代は猛烈に反抗してました。

また、大正生まれの母親も「長男夫婦と同居するのが当たり前」という考えの家庭教育で育ちました。

ですから、私の伯父や伯母達の長男(従兄達)の殆んどは私達夫婦を含んで親と同居してます。

しかし、私の姉3人を含む昭和1桁生まれから昭和10年代及び20年代生まれの従兄・従姉達は長男夫婦と同居してるような世帯は半数にも満たないです。

その理由として、親世帯と同居を拒む昭和40年代以降生まれの女性が増えたこと、嫁ぎ先の舅・姑を敬うような女性が少なくなったからと思います。

実際、私の姉達(昭和10年代生)や妻の姉達(昭和20年代生)は若い頃には嫁ぎ先の舅・姑を敬いながら仕えて、姑の立場になったら息子の妻には気遣いする「私達世代は割に合わない」と聞かされてます。

その意味では、我が子(長男夫婦)と同居するのが当たり前という封建的な考え方が多かった昔(明治・大正生まれ)の年配者のほうが「わが身の可愛さ第一」と私の両親を見ても思いますけどね。

少なくとも、戦後教育を受けた私達夫婦は「老後の生活は自分達で考えて計画的に預金を蓄えた」ので若い世代に頼るような甘い考えは持たないですから、明治・大正生まれの昔の年配者よりは「若い世代の将来を考えてる」60歳代・70歳代の人達が多いと思います。
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この回答へのお礼

再度、ご意見を下さり感謝いたします。
確かに回答者様が言われるように、今の年配者は高度成長や先進国になったと言う事も背景にはありますが、さらに昔の年配者と比べたら、自分の子供達には面倒をかけないようにしたいと言う方々は多いように思います。素晴らしい心構えであると同時に、その事により、若者がますます年配者を敬わないようになってしまわないか心配です。親の老後の面倒を見ると言うのは、親の経済状況に関係なく、人生の先輩である年配者を敬って大切にする事で互いの世代の相関関係を構築醸成していくためには欠かせないものだと思えます。
回答者様のように若者の未来を思慮してくれている方がいると思うと、若者世代も安心すると思います。

お礼日時:2013/07/22 19:47

ANO11様の分析は、興味深かったですね!



私は、昭和34年生まれ54歳です。

質問者様の昔の年配者が、どれくらい昔の年配者を指しておられるのか、良くわかりませんけど、私の若い頃は明治時代の年配者がおられました。

ANO11様も指摘されておられましたが、明治の年配者は一言で言うと頑固で、自分の価値観を若い世代に合わせたり、進んで理解しようとしませんでしたね!


各自の道徳観や、若い頃からの社会常識(親世代や修身で学んだ事)こそが、正しく次世代に継承すべきものと考える人が多かったように感じております。


自分の価値観を若い世代に伝える行為は、若い世代の将来を考えてもいたでしょうけど、個人個人の生活ベースでは自分の幸福が一番だったと思います。


ただ、我が身可愛さが第一だったのか?今の年配者と違っていたのか?という質問様の疑問ですが、マナーや礼儀と言う観点から少し考えてみました。


昔は教育程度も低く、またマナーという価値観がほとんどなかったと思われますが、礼儀などには厳しく家族を核とした狭いコミュニティーのルールの縛りは強かったです。


従って若い世代との交流も深く、大人の模範としての言動を心がけていたでしょうね。また、当時の子供は親の言う事は絶対で、反発する人もいたでしょうけど、ほとんどの人は親に従っていたと思います。


そういう意味では、戦後個人主義が主流になり、家族団欒が無くなり孤食と言う言葉が生まれ、親とは別居するのが当たり前になった現代は、家族が崩壊しつつあると思います。


その個人主義が当たり前になった現代、私は私を含めた年配者のマナー低下に辟易しております。


絶対数では若者のマナー違反は多いですけど、50代60代70代の自分だけ良ければというマナー違反は年々増えております。
また、若者に注意してもダメと諦めから何もしない年配者も増えました。


年配者も若者も、多様な自由な価値観の権利だけを謳歌しているのではないでしょうか?

権利には、必ず義務が伴うという事を、年配者も忘れてしまっている人が多くなってしまったという事だと思います。


しかし、年配者が無我夢中で働いてきた結果が、今の日本の経済的地位を作ったのは事実です。
若者の苦しい事情もわかりますが、楽しみを我慢し無我夢中で働いた事あります?

私は、仕事を選ばず人の嫌がる仕事を長時間働いて稼いできましたよ。
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この回答へのお礼

洞察力に満ちた回答ありがとうございます。
核家族化以上に戦後の個人主義は世代間の思いやりにおいて、深刻なダメージを与えたようですね。
今の時代だからこそ、温故知新の精神が必要ですね。

お礼日時:2013/07/22 19:54

なんで選挙でどうにかしようとするの?


それが不条理の始まりじゃん。
政治が小さくなったらえこひいきのしようがないじゃん。役人が飯食う以外に。

政治で世代間が確執してても何億年やっても切りないよ。
政治そのものが消耗非効率の原因です。

昭和一桁にも親がいて、それは昭和一桁よりも理不尽な明治世代なのです。

世代なんて仮想じゃないか。連れてこいよ、老人世代という物を。そういう観念議論は何の役にも立たない。シナと朝鮮はずっとそれをやっていて近代化に遅れた。言葉に洗脳されてなければ小学生でも馬鹿らしさに気がつく議論だと思う。

一万円の福沢諭吉はゆとり世代もびっくりの進歩主義的日本人でした。時代のせいには出来ません。個人主義の自己責任を認めない土民がクズ人種なのです。
一体一億人の一億の問題の正体とはなんなのか。
正体はどれも親子間の問題に終始しているのです。
ジジイも赤ちゃんも政治を縮小すれば自分と家族の問題でしょうが。
てめえの家族以外への責任転嫁は不道徳です。
その不道徳の悪習慣をやめないやつらが迷惑なんです。
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>一番の問題は、この国は国家予算に対する拠出割合では若者に最もお金を使っていないと言う事です。

これは紛れもない事実であり、今の年配者が若かった頃には、存在していなかった事なので、今の年配者の方はその部分の時代背景の事は余り深刻に推察されてないように見受けられるのです。

それは大いなる誤解です。昔も今も国家予算で若者向けの拠出は多くはありませんでした。我々が若かった頃、戦後から高度経済成長の頃までは、若者向けの支出どころかろくな社会福祉予算もありませんでした。皆貧乏で(貧乏の程度が今とはまったく違います)、毎日の食事にも事欠き、学校へ行っても給食も出ず、皆弁当持ちでした。弁当も持ってこられない生徒がたくさんいました。コンビニもブランドショップもスマホもありませんでした。高校や大学への進学率の低く、半分以上の若者は中学を出るとすぐ就職したのです。寅さんの映画に出てくる、タコ社長の会社の従業員達です。

今の若い人たちが、その気になれば誰でも大学へ行けて、海外旅行が出来たり、コンビニで好きなものが自由に買えたりするのは、我々から見たら夢のようです。つくづく羨ましい。それが可能なのは親御さん達の懐が豊かだからです。それは政府支出とは違いますが、給与水準や年金や社会保険が手厚く、お子さんにその金を回せるからです。その多くは政府の経済対策や社会福祉予算から出ています。つまり今のお年寄りの豊かさは、回り回ってあなた方の豊かさを支えているのです。日本は1000兆円もの借金がありますが、すべて政府の支出に使われたものです。その金がいろいろな形であなた方の(我々の頃とは比べものにならない)豊かさを可能にしているのです。あなた方が老齢化した頃にはそう言うことは出来なくなります。あなた方のお子さん達はさぞ惨めな生活を送ることでしょう。あなた方お年寄りは年金も減らされ貧乏になりますから。

今のお年寄りのことを悪く言っていないで、あなた方の将来はあなた方自身が考えなさい。少なくとも我々はそうしてきました。明日の選挙はそのいい機会です。
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この回答へのお礼

国が背負った借金は若者達にも使われていると言いますが、それは違うと言えます。なぜなら、この国の借金が膨らんだのは、その大半が先進国になってからも発展途上時代でしか通用しない赤字垂れ流しの無駄な公共事業や、膨らみ続ける高齢者の社会保障費なのですから。
それに今、若者が便利な生活が出来るのは、今の世代も頑張っているからの結果であって、全て年配者のおかげだと言うのは恩着せがましく、暴論だと言えます。もちろん年配者の方も現在、その便利で豊かな恩恵を享受しているのですから誤った印象を持たれないように語彙には気を付けた方がよいと思いますよ。
最後に若者世代の老後を皮肉めいて哀れんでいる暇があれば、同じ日本民族として真摯に憂いてみてはいかがですか?
明日の選挙は若者の未来を考えた一票を投じるいい機会ですよ。

お礼日時:2013/07/20 18:08

目くそ鼻くその議論ですね。


人間らしく生きようとすればある程度の「無駄」これは絶対と言って
良い位必要な事だと思います。それが余りにも急速になくなってきている。

福祉(老人)について言えば先が短くそれこそギリギリに曲りなりにでも
何とか生活していければ良いのです。
新たにセカンドライフに入った方はそうでもありませんが、それ以前の方は
全てよき時代に育ってきた、要するに時代が違うのです。
今とギャップが大きすぎるのです。何も自分の能力で安定した今を築いているのではなく
普通にしてきた結果だけの事です。
もっと言えばちょっと位流れにはずれていたとしても何とか老後を過ごせます。

それにしても今の若者の現状は違うでしょう。情報が嫌というほど簡単に手に入る。
要するに自分の将来が見える。そこでの現実。

そしてパイの少なくなった職場、汚いやりたくない「老人介護」の職場のウエイトが
目に見えるくらい増えてきている。
(その制度に反対する者ではありませんが、、、、)

ちょっと賢いと言うか中途半端に賢い若者は虚無感、なげやり気味になりもっとの
若者は投げ出す。(それでも生きていける)
ここが急激な世の中の構造的な変革期における混乱、ギャップ、当たり前の現象だと
思います。
理不尽さの中一生懸命に生きている大多数の若者が「損」をする(長い目で見て)
世の中になることはありませんが、、、、、。

ツギハギの福祉、生活保護制度の現状は世の中を滅ぼさないとも限らないと思ったりします。
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この回答へのお礼

回答どうもです。
確かにお互いの事を理解しようとせず、互いの意見だけを擁護したり、主張しているだけでは目くそ鼻くその水掛け論になりますよね。

お礼日時:2013/07/20 16:15

私は年配者ではありませんが。



年配者が若者のことを考える機会を、社会(あるいは若者?個人主義?)が奪ってきたように見えますが。

例えば、最近は子供の声や物音に悩まされる年配者が増えているそうです。
これは、日本だけではなく先進国共通。
ではなぜ、先進国の年配者は、小さな子供をうるさいと思うか?

すでに、対策を取り始めている国もある(イギリスだったかな?)。
どんな対策かというと、年配者の子育てへの社会参加。
若者が年配者の手を必要とする、社会の仕組みの再構築。
個人主義社会が奪ってきたものを、改めて取り戻そうとしているのです。

こうした世の流れをどう思う?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
とても考えさせられました。
核家族化や個人主義や他者への不干渉などの社会環境の変化が招いた事も否定はできないですね。
年配者ばかりのせいにしてはいけませんね。

お礼日時:2013/07/20 14:50

”今の年配者を見ていると


昔の年配者よりわが身の可愛さ第一な感じで”
  ↑
年配者といっても、戦後教育を受けた人が殆ど
ですからねえ。
若者とあまり変わりが無いと思います。
日本人全体の問題でしょう。

戦後教育は欧米流の権利中心の個人主義です。
欧米はこれでよいのです。
欧米にはキリスト教という軸がありますから。

しかし、そんなものがない日本での権利中心
個人主義は、我が儘の為に権利を利用する
ということになってしまいます。
その典型がクレーマー、モンスターペアレント、
生活保護の不正受給です。

”余り若者の幸福や未来の事を考えているようには見えないのです
が?”
   ↑
それでは若者は老人や日本の未来のことを考えて
いますか?
選挙にも行きません。
この豊かさを築いたのは老人で、若者は
それにただ乗りしているだけです。
それなのに、口を開けば老人に対する不満ばかりで
感謝の念は皆無です。
今の、劣化した若者のレベルなら、途上国がお似合いです。
文句を言いたいのなら、ただ乗りを止めてからに
すべきです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
若者が日本の豊かさにタダ乗りしている事はさすがにないと思いますが、選挙に行かない人が多かったり、年配世代の事を思っている人がどれだけいるのか?という事には一理あると思います。
しかし、この国は余りにも政治における税金の使い方では、若者に対する拠出金が世界各国の先進国と比べても少なすぎると言えます。その上、若者世代は無条件でたくさんの借金を背負わされてしまうので、主に年配者たちの為に借金してまで拠出されている医療や年金などの社会保障費用を担わされている事で年配者に貢献しているという見方も出来ます。
年配者の方は若者の未来を軽視しているのではないかと言う不安がよぎったので、このような質問をさせていただいた次第です。

お礼日時:2013/07/20 15:10

年配者といえども、戦後の日教組教育を受けた日本人がほとんどになりました。


教育勅語に基づく教育を受けた人でも、与野党を問わない福祉政策重視の公約に乗せられて有頂天になって我欲を追求する人がほとんどです。
また、滅私奉公などという言葉は最早死語になっています。これを唱えると「右翼」といった謂われのない非難を受けることになります。

私は今の所現役世代ですが、父親(故人)は山林を所有し私が小さいころ植林のために一緒に山に入っていました。その時父親曰く「今植えている木は俺が生きている内は材木にならない、お前が大人になっても材木にはならない、孫が成長した時代になって初めて材木になる。人間は将来のことを考えて今を生きていかなければならない。」
これは個人であろうと国家であろうと基本的には同じ事だろうと今でも思っています。

今の状況を変えるには教育制度、方針を変えることが重要で、5年や10年では解決できないかも知れませんが、30年先、50年先を見据えた改革が必要なのでしょう。
今の憲法を改正することから始める必要があると思います。
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この回答へのお礼

素敵な回答ありがとうございます。
fullfillさんのご意見はとても理知的で達観していると思います。そして何より、お父様の名言に中にあらゆる事の本質が詰まっていると思います。
貴方のお父様のような方が政治家になってくれていたらと思います(笑)
憲法の改正も必要ですよね。現状の憲法では近代の問題に対して機能不全を起こしてばかりですからね。

お礼日時:2013/07/20 15:21

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