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仏教について詳しいかた、教えてください(; ;)


悟りを開かれたあと、説法に躊躇されたというエピソードは何を言おうとしているのか

降魔・成道について(降悪・成道の関連)

ブッダ最後の旅で、大病から立ち上がられ説法されたブッダの「最後の教え」とはのような内容のものか(特に、教師の握り拳・白帰依・法帰依)

A 回答 (1件)

>悟りを開かれたあと、説法に躊躇されたというエピソードは何を言おうとしているのか



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E9%81%A0% …

当時の衆生には難信難解(なんしんなんげ)と慮ったのです。
今でも勿論そうですが。

>ブッダ最後の旅で、大病から立ち上がられ説法されたブッダの「最後の教え」とはのような内容のものか(特に、教師の握り拳・白帰依・法帰依)

迦葉菩薩よ、私の身体は生類の身体のように、脆く、壊れるものだと考えてはならない。
よく知っておくべきだ。
私の身体は無量千万年の年月を超えている存在である。
堅固で破壊することがない。人間界や神々の世界の身体ではない。
おそれを知らない身体である。雑食する身体ではない。
私の身体はいわゆる身体とはいえない身体である。生ずるでもなく、
滅するでもない身体である。何かを積み重ねたり、学習して出来上がった身体ではない。
無量無辺の身体である。
(「大般涅槃経」)

さとりを開いた釈迦は、教えを広める伝道生活を送り、
やがて八十歳で自分の死期を悟りました。そして故郷を目指し、最後の旅へ。 
やがて臨終を迎えた釈迦は、弟子アーナンダに漏らした。
「ああ、この世はなんと美しく、人間の命はなんと甘美なものなのだろう。」
と言い残し、沙羅双樹の根元に身を横たえると、そのまま入滅した。 

その姿は、
● 諸行無常(しょぎょうむじょう) 世は、すべて移り変わるものであり
● 諸法無我(しょほうむが) 一切が、我が物でないことを知れば
● 涅槃静寂(ねはんせいじゃく) 迷いや苦しみのない心に、たどり着くことができると、
               無言の内に語っていたという。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/07/30 16:03

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