太平洋戦争について、太平洋側、すなわち海軍にだけ絞って考えます。
開戦に踏み切る際のシナリオは、次の通り、と思っています。(なお、私は、歴史について、十分な知識を持っているとは思いませんので、かなり誤解している面がある、と思います)
(1)まず、真珠湾を奇襲して、
(2)その後、弱体化したアメリカ海軍と戦い、勝利し、
(3)そして、東南アジアを手中に治め、石油や鉄鋼石などを確保する、
(4)そして、不敗の体制を築き上げる。
ところで、現実では、(1)の真珠湾奇襲は成功しましたが,(2)は、ミッドウェイ海戦にほぼ失敗し、それ以後勝ち目がなくなりました。
しかし、仮に、当初のシナリオどおり、(2)についても成功し、(3)の東南アジアを手中に治めることができた、とします。
質問したいことは、日本は、(3)の東南アジアとの海上輸送路を、最初はともかく、長期に安全に保持できる、と考えていたのでしょうか? 国力に任せて次第に回復してくるはずのアメリカ海軍のリベンジから、日本は、3000km以上の海上路を守ることが、可能だ、と思って、開戦に踏み切ったのでしょうか?
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
一応海軍では造船能力とひ撃沈数から海上輸送能力の確保は可能という見積もりは提出してますが、実質でっちあげのお手盛り計算です。
結局アメリカに戦争をふっかけられるのは避けられない情勢なので、成功の見込みなど無いまま戦端を開くしかなかったんですよ。
あとは開戦時はドイツが破竹の勢いでヨーロッパを席捲していたので、ドイツがヨーロッパを制し大西洋を挟んでアメリカとにらみ合う体制になれば講和できるだろう、史実ほどの長期戦にはならないだろうと言う甘い願望もあったと思います。
早速の回答ありがとうございました。
1、一応、(お手盛り)計算のうえでは、
<造船能力とひ撃沈数から>
可能となっていたのですね。
2、<成功の見込みなど無いまま>
開戦もあったのですね。
3、他力的な(ドイツ)情勢により、
<長期戦にはならない>
という願望だったのですね。
No.10
- 回答日時:
ご質問者様の挙げられた計画なのですがこれはあくまで海軍が勝手に練って勝手にしかも独断で実行したものです。
実際は政府や陸軍はアメリカに対しての開戦や攻撃には比較的に懐疑的だったのに海軍はイケルとふんでやたらと攻撃をかけたのです。
なぜか?それは海軍力に関しては米太平洋艦隊くらいなら日本海軍でも十分に勝てる戦力だったからです。
その証拠に国が決めた太平洋戦争の基本方針で、開戦前に政府と陸海軍が取り決めた 「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」では、まずアジアで英軍を屈服させることとなっていました
具体的には日独で英国を追い込み、ビルマ、インドの独立を誘発し、 その事によって政治的に米国の戦意を削ぎ、対米和平へと持ち込む事を目標としていました。(太平洋の対米艦隊への攻撃は適時とし、補助的な扱いとなっている)
これは当時日本との開戦には消極的だったアメリカの世論を考えてばとても現実的な作戦です。
しかし海軍の山本五十六はこの国の基本方針を無視して独断でハワイを攻撃し (東条首相は海軍がハワイを攻撃することを知らされていなかった)ミッドウエーやソロモン方面で大規模作戦を展開しました。
このためアジアでの作戦は実施が大幅に遅れ、 戦力も大幅に太平洋に削がれてしまいました。
その結果ビルマの航空兵力は大部分がソロモン方面に移動させられ消耗することになり本来の太平洋戦争の目的であった東南アジアの確保も海軍に足を引っ張られ失敗しました。
話がだいぶ飛びましたが
ご質問の東南アジアとの海上輸送路を、最初はともかく、長期に安全に保持できる、と考えていたのでしょうか?
なのですが本来の計画(「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」)では海軍の艦船は東南アジアの制海権維持に使われる予定でした。
もし使われていたら十分ではないにせよある程度は安全に保持されていた可能性も十分あったと思います。
回答ありがとうございました。
アメリカが参戦しなのであれば、
<ある程度は安全に保持されていた可能性も十分あった>
ですね。
私も、日本は。真珠湾を奇襲して、なぜ、アメリカを太平洋戦争にわざわざ引きずり出したのか、不審に思っています。アメリカを極力刺激しないようにして、コソ泥のように、東南アジアを掠め取る、のが日本の実力に相応しかった、と後講釈ですが、思います。
No.9
- 回答日時:
ちょっと気になる回答を見たので。
>『1941年11月末』までに、対米和平が成立しなければ開戦するしかないという結論が、タイムリミットから決まってしまった。
アメリカが石油を禁輸を発令した時点で戦争はすでに不可避です。
武装解除と同等の手段を突きつけてきた相手と和平の道など存在しないでしょう。
このとき御前会議で第1項に戦争決意が記されており、天皇陛下の強烈な意向で第二項に外交努力を尽くす旨記載されていますが、すでに開戦が避けられない情勢でかつ国家方針が開戦と決まっている中で戦争回避へ主導するものがいないのはあたりまえでしょう。
想定外も何も国家方針がすでに開戦で、開戦こそこの時期の想定内なんです。
そしてあれだけ完ぺきな奇襲攻撃を決めた開戦が、想定外というのはちょっとありえないですね。
回答あいがとうございました。
<武装解除と同等の手段を突きつけてきた相手と和平の道など存在しないでしょう。>
ですね。
<国家方針が開戦と決まっている>
のでしたね。
歴史は難しいですね。
No.8
- 回答日時:
NHKの日米開戦時の特別番組多数(毎年。
8月や12月に放送される特別番組)から浮かび上がってくるのは、開戦に踏み切る国家的意思がないまま、開戦に至ったという当時の事情です。当時の日本は、日本政府のもとに軍事が行われていたのではなく、外交は政府、軍事は軍省と海軍省がそれぞれ個別に動いていたというのが実態です。
また、日米開戦時の1941年12月の時点で、4年以上にも渡って戦われていた「日華事変」による日本国内の状況を踏まえないで、回答できません。
<1937年~開戦までの日本の状況>
1936年に、29万人だった兵力が、日華事変がはじまり、1941年の時点では平常時の6倍以上の185万人に膨れ上がり、国内の労働力不足が深刻化して、国内経済が停滞。(各種国内生産の多くは、1937年を境に停滞・減少を始める。)
・1938年4月 国家総動員法
保有武器による短期決戦は、国家経済に与える影響が軽微ですが、長期戦となると話は全く違います。
現在の超大国アメリカでさえ、イラク・アフガニスタンでの長期軍事作戦費用に、大量の赤字国債を発行し、お金を大量にあふれさせ、国内経済がバブル化し、それが資本自由化に乗って世界バブル化になり、現在のアメリカ・ヨーロッパ経済の不健全化を招いてしまいました。
人口3億人のアメリカが、それぞれ人口3000万人のイラク・アフガニスタンに手を出しても、この状態です。
日本よりはるかに人口の多い中国に、数十万人以上の兵力を送って、何年も戦い続けたことにより、日本経済は限界に達していました。
特にアメリカの石油禁輸は深刻(当時の日本産業の動力は、石炭。日本の石油の50%は軍需用だった。)で、『アメリカの石油禁輸が続けば、日本は戦争継続ができず、中国に勝てない。』ことが明白になった。
<NHKの特集によれば・・・>
石油の備蓄等の分析で、1942年1月以降では、アメリカと開戦するだけの戦略物資備蓄が、確保できなくなるという結果が出て、『1941年11月末』までに、対米和平が成立しなければ開戦するしかないという結論が、タイムリミットから決まってしまった。
このタイムリミットまで、「外交手段を尽くして戦争を回避する。」と言うことだったが、戦争回避=中国からの陸軍撤退を意味しており、
1、陸軍は、多数の戦死者を出しての中国撤退を意味しており、当初の出兵主導者の問責などが必至で、自分からは「戦争回避」を主導できなかった。
2、海軍は、全く無傷で、燃料・弾薬の備蓄もあり、「戦争回避」を主導すると、弱腰を追及される。
3、政府は、陸軍・海軍が「戦争回避」を主張しないのに、単独で戦争回避をすれば、国民からの『陸軍に対する中国撤退責任・海軍に対する弱腰追求』の両方を代わって、負わなければならなかった。
このような、政府・陸軍・海軍三者の、誰もがアメリカとの戦争では勝てないと思いつつも、『誰も和平を主導しない』状況のまま時間が過ぎていき、タイムリミットの12月が来てしまい、開戦となった。
開戦タイムリミットを決めた時は、タイムリミットまで、「外交手段を尽くして戦争を回避する。」という、政府・陸軍・海軍の合意だったので、戦争になったのは、その当時の政府・陸軍・海軍当事者にとって、『想定外』と言うことだったようです。
回答ありがとうございました。
<開戦に踏み切る国家的意思がないまま、開戦に至った>
のですね。
<『誰も和平を主導しない』状況のまま時間が過ぎていき、タイムリミット・・・・・>
なのですね。こんな状況では、海上輸送路の護衛など、本気で、検討や対策はとれませんよね。
No.7
- 回答日時:
こんにちは。
開戦し、初戦の占領作戦を実施しつつ、アメリカ艦隊の進出に備えていました。
真珠湾攻撃でも、戦艦戦力の半数撃破が見込まれただけで、全滅を信じていたのは、航空関係の一部だけでした。
傷ついたアメリカ艦隊が出撃したら、南方作戦中でも、南遣艦隊、第3艦隊を残し、南方を放置して全艦隊が集結して、
マーシャル付近で、艦隊決戦をするつもりでした。
日中作戦で陸軍が、急激な軍拡を行った様に、開戦を理由に(5)計画を推進するのが、大きな目的な一つでした。
アジアの資源確保、護衛作戦では、実際に行われた様に、南遣艦隊の増強を実行し、船舶被害見積もりは、
第一次大戦のドイツ作戦と同等と見積もられました。
実際に、アメリカ海軍は開戦後、直ちに潜水艦による、無制限通商破壊作戦を発動させましたが、効果を上げたのは、
昭和17年後半頃でした。同時期にガダルカナル消耗戦が行われ、日本海軍は一気に小型艦艇の数的、能力的の
不足に悩まされ、ミッドウエーの空母不足と伴に、建艦計画、艦隊作戦の大きな転換を迫られました。
やっと昭和18年6月に計画された、海上護衛総隊が開隊されたのが、昭和18年11月でした。
アメリカ海軍の潜水艦作戦が、昭和17年前半に大きな成果を挙げられなかったのは、開戦前に備蓄されていた潜水艦用魚雷の大半が、速力の低い電気式魚雷であった事、更に信管不良で多大な不発を発生していた事でした。
それが改善された昭和17年後半より急激な戦果を挙げて行くのです。
これが、実際の流れで、海軍としては、急激な軍拡、(5)計画の完成と伴に、最終的には、第2線級に落ちた内線部隊の艦船(足柄、天竜級、長良、鬼怒、那珂、睦月級、吹雪級I型、水雷艇、掃海艇、特設艦等の小艦艇の適宜配置)で、海上護衛は十分行えると、考えていました。
(ちなみに、球磨級は全艦重雷装艦へ、峯風級、神風級、2等駆逐艦は、全艦上陸作戦用哨戒艇への改造が計画されていました)
明らかな廃艦予定は、日露戦争体験艦だけの様です。
こんな自己満足な拡大計画の夢を追っていたのです。
フィリピンの根拠地を奪い、マーシャル沖の海戦で大勝し、講和できるだろう。
もし駄目でも(5)計画で艦隊を充実し、その後のヴィンソン計画艦も逐次撃破してゆけば良いだろう程度の腹案しか、ありませんでした。
そうして制海権を奪えば、内部のアジアの船舶輸送には、被害は少なかろうと考えていました。
これで、お答えになるでしょうか?
早速の回答ありがとうございました。
開戦前、海軍は、<船舶被害見積もりは、第一次大戦のドイツ作戦と同等と見積もられ>
<内線部隊の艦船・・・・・で、海上護衛は十分行えると、考えていました。>
のですね。
史実では、17年後半ころから、海上護衛はうまくゆかなくなったのですね。
その理由は、(1)日本側では、ガダルカナルでの消耗戦以降、
<小型艦艇の数的、能力的の不足に悩まされ>
(2)アメリカ側では、潜水艦作戦が改善されてきたのですね。
No.6
- 回答日時:
アメリカに勝てるとは思っていなかったでしょう。
日露戦争の経験が日本の進路を誤らせた、と言ってよいと思います。
日本の真意は、初戦で優位の状態を築いて、その次の適当な機会(ミッドウェイだったかもしれない)にダメ出しして、講和に持ち込む予定だった、と思います。
ミッドウェイに負けて、講和のきっかけ作りを失い、そのきっかけ作りとして、どこかでもう一度大戦果をあげようとしてジリ貧になって行ったものです。
日露戦争の時には、義和団事件の処理を通して、欧米からの評価は高く極東の憲兵とすら表現されていたようです。そういう日本への好意を下敷きに、日本からの要請に基づき、アメリカが仲介の労をとってくれたものです。
日露戦争時には日本をとりまく背景が良かった、とは言えますが、講和のタイミングを誤らなかった政府の指導力が光りました。
早速の回答ありがとうございました。
日本の真意は、
<講和に持ち込む予定だった>
のですね。しかし、ミッドウェイに負け、その後も取り返す事が無く、じり貧。
歴史の教訓が、悪い方に作用したのですね。
海上輸送路はたいしたことではないのですね。
No.5
- 回答日時:
park123さん、こんばんわ。
日本は、3000km以上の海上路を守ることが、可能だ、と思って、開戦に踏み切ったのでしょうか?
もともと、日本海軍は主力艦・補助艦ばかり作って、輸送艦艇についてほとんどといっていいほど建造しませんでした。その理由はサイパン、グアム、テニアンの周辺の海域でアメリカ艦隊と決戦するため、短期決戦論なので、そのようなものはあまりいらないと思っていました。
しかし、日米開戦2年くらい前から軍令部では不十分ながら、輸送船舶量の建造量と損失量を把握してしていました。しかし、船舶損失量を第一次世界大戦のイギリスのドイツのUボートによる損失で計算したため、現実に比べて、極めて楽観的な数量計算でした。これを研究した軍令部参謀がこれは楽観論ですといったのを上層部が取り上げたのです。しかし、実際はかなりそれを上回る損失量だったので驚いて昭和19年くらいから護衛駆逐艦もどきを作るようになりましたが、後の祭りでした。
一応可能だと思って、準備不足でしたが、計画し、やってみたが、不十分なため失敗したというのが事実だと思います。
早速の回答ありがとうございました。
イギリスの例を使い
<現実に比べて、極めて楽観的な数量計算でした>
が、考慮はしていたのですね。
そして、短期決戦であるから、海上路を守ることは、重要度が低かったのですね。
No.4
- 回答日時:
かなり誤解されてますよ
(1)まず、真珠湾を奇襲して、
(2)臨時戦費の海軍割当を増やさせる((5)造船計画)
(3)戦争をだらだらと続けさせる
(4)米国が屈服したらそれは海軍の成果である
と、したいんです
海軍省にとって重要なのは、海軍予算を陸軍に持っていかれないようにし、出来れば陸軍予算の一部を海軍に回させることです。
今の官公庁みてみなさい
何も変わらないんですよ
早速の回答ありがとうございました。
海軍サイドは、
<戦争をだらだらと続けさせる>
が目標なのですね。
海軍にとって、アメリカと同時に陸軍に対しても、戦争をしているのですね。
海上輸送路の防衛なんて、たいして重要なことではないのですね。
No.3
- 回答日時:
図上演習でも勝てないと分っていました、しかし当時の首脳部は
戦争では何が起こるか分らないとの希望的観測で戦争に突入しました
図上演習の結果はもちろん当事者だけの秘密でした
またドイツが勝ち、開戦後数年で日本もアメリカと休戦するとの希望的観測でした
しかし、アメリカ側はそのつもりは無く あくまで日本と戦争をするつもりで
日本を完全に潰すつもりでしたので 結局戦争は避けられなかったでしょう
公平に言って日本海軍もアメリカとは戦うつもりだったのです
ただ、その時期が早くなっただけでした 日本の準備が出来ない内に戦争を始めた
アメリカが成功したと言う事です
当時の日本がどの様にすれば良かったのかと研究はされています
たとえば、フィリピンを直に独立させて同盟を結び、農地改革をして
民衆を味方にする インドネシア等 他の占領地でも同じようにする
しかし当時の日本社会から考えて殆ど実行できない様なものでした
早速の回答ありがとうございました。
<希望的観測>
があったのですね。
1.勝てないと分かっていても
<戦争では何が起こるか分らない>
2.<開戦後数年で日本もアメリカと休戦する>
そして、
<日本の準備が出来ない内に戦争を始めた>
あるいは、始めさせた、アメリカの成功なのですね。
また、日本の改革をせずに、占領地を味方につけることも、難しかったのですね。
No.2
- 回答日時:
>1)まず、真珠湾を奇襲して、
(2)その後、弱体化したアメリカ海軍と戦い、勝利し・・
米海軍と戦い勝利出来るなどと、当時の帝国海軍参謀の誰1人本心では思って無かった筈です。
連合艦隊山本長官は6ヵ月間は暴れて見せますとだけ言いましたが、開戦には反対で大平洋艦隊に勝てるなどとは思っていませんでした。
質問で触れられている、大東亜圏の海上輸送路の保持(連合国からの防衛)は当時の日本の海軍力では到底不可能な計画であり、長期展望無く開戦に踏み切ってしまったと言うのが定説です。
ただただ真珠湾攻撃により、痛手を食わせ、連合国の主米国と早期和平に持ち込めるとの考えが大間違いだった訳です。
早速の回答ありがとうございました。
(2)について
<大平洋艦隊に勝てるなどとは思っていませんでした >
ですね。
<早期和平に持ち込めると>
という期待だったのですね。
そして、海上輸送路の防衛は、不可能であったことは知っており、またそこまで考慮することはない、ということだったのですね。
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