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ドイツが英、ソ連と開戦したとき日本は傍観していました。
日本がアメリカに宣戦布告するとドイツとアメリカは戦いました。
ドイツの立場になってみれば、強国アメリカと戦火を交えるのは避けたいところです。
どういう事情なのでしょうか?
チャーチルがアメリカに泣きついたからでしょうか?
アメリカはドイツと戦いたかったのでしょうか?
そのあたりの事情を教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

他の回答者の方もおっしゃられているように同盟の規約によりドイツは対米宣戦せざるを得ませんでした



ドイツにとってはかなり不利であることは確かです
なぜなら戦略物資ニッケルをドイツはアメリカからの輸入に頼っていたからです
ニッケルの不足は戦車などの装甲板に必要な物資であったためドイツは代替装甲を作製するのに苦労しました

もっとも戦車の砲弾に必要なタングステンも中国からの輸入に頼っていたので
日本との同盟により途絶
代わりにポルトガルの植民地から調達していましたが
戦争中期にイギリスがポルトガルのサラザール政権に圧力をかけ禁輸されました

国際政治学者の高橋和夫氏がおっしゃられているように
アメリカはイギリスとかドイツとか単一国家が台頭しても政治的、経済的に十二分対抗できると考えていましたが
武力にしろ平和的手段にしろヨーロッパに統一的なスーパーパワー的国家が現れると極めて不利な状況に陥ると危惧していました
はたして第一次、第二次世界大戦でドイツがその一歩手前まできたのです

結局アメリカの参戦で戦局は連合国有利になりスーパーパワー的国家出現が阻止されたともに
戦争末期のブレドンウッズ会議で経済的にもそれまで国際機軸通貨であったポンドからドルへ代わらせることにも成功しました

軍事的に不可能であったヨーロッパのスーパーパワー的国家は結局EUという形で後日実現してしまうのですが

長文失礼致しました
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米国はどうしても戦争をしたかったのです。



1930年代の大不況の結果、株価は1/10に
GDPは半分に落ち込み、失業率は30%を越えました。
外では、社会主義革命の足音が聞こえます。

ルーズベルトは色々と手を打ちましたが、効果はさっぱりです。
それで体制崩壊の危機を感じた米国は戦争を
やりたかったのです。
事実、戦争が終わって、米国の経済は見事回復しました。

この辺りは、イラク戦争と似ています。
米国は石油欲しさに、難癖をつけ、とうとう戦争に
持ち込むことに成功しました。
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>チャーチルがアメリカに泣きついたからでしょうか?


>アメリカはドイツと戦いたかったのでしょうか?
この辺のアメリカ(政府?大統領?)はドイツと戦いたがっているはずというヒットラーの読みはあったと思います。

客観的に考えて、官民問わずイギリスに対して莫大な債権を持つ状態でイギリスを負けさせ貸し倒れを作ることができるか、このままドイツがヨーロッパを席捲し覇権を握るのをだまって指をくわえて見ているか、こう考えると独米が衝突するのはやはり歴史の必然に思えます。であるならば米国船籍船をUボートの攻撃対象として加えるのは、そうおかしな選択とも私は思わないのですが。


結局ヒットラーの心の中のこととなると個々人の解釈に過ぎないと思いますが、アメリカと戦火を交えるのは避けられないというヒットラーの読みが理由ではないでしょうか?
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人様の回答にケチをつけるのは削除対象なので避けたいのですが、なんだかあまりによくわからないことを書いてらっしゃる方がいますのでちょっと補足します。



「武器無償貸与法案」は別名レンドリース法といって、1941年3月11日に可決しました。それがどうしたって?

太平洋戦争が始まったのが、1941年12月7日なんですよ。んで、ヒトラーが対米宣戦布告をしたのが同年12月11日です。

1942年3月からレンドリースされたら、Uボートが指をくわえて見ているのはおかしくなってしまいます。だって、前年12月に開戦しているのだから。

あとついでに、当時のアメリカ大統領はフランクリン・ルーズベルトです。ウェンデル・ウィルキーって誰なのかと思ったら、大統領候補だった議員さんみたいでした。1942年6月3日の対独宣戦布告に至ってはなんのことやらまったく分りません。ちょうどあのミッドウェー海戦がそのくらいにありましたけどね。

さて、当時は日独伊三国同盟がありましたが、条文では、日独伊がどこかの国の「侵略を受けた」ら同盟国はその国に宣戦を布告することになっています。逆にいえば日独伊が自ら攻めた国に対しては参戦の義務はなかったのです。
だから、ドイツがソ連に侵略したときに日本は対ソ戦に参戦しませんでした。

しかしご存知の通りヒトラーは真珠湾攻撃のわずか4日後に対米宣戦布告しています。実はこれが「謎」なんです。はっきりしたことが分らない。ひとつだけはっきりしているのは、周囲の反対を押し切ってヒトラーが自ら宣戦布告を決断したということなんです。
理由はいろいろと考えられると思います。大きかったのは、日本が対米戦に突入したこと。アメリカの戦力と生産力が少なからず対日戦に投入されるので、早めに参戦したほうが有利になるだろうという読みがあったでしょう。
また対英、対ソに行っていた前述のアメリカのレンドリースに対するイラつきもあったと思います。あからさまに英ソ支援をするのであればもうはっきりと戦ったほうがいいという考えもあったようです。
また、ドイツが対米戦に参加すれば、日本が対ソ戦に参加するのではないかという期待もあったようです。当時ドイツはモスクワを直前にして食い止められ、ロシアの冬将軍とソ連軍の反撃で苦しい立場にありました。もし日本が対ソ戦に参戦すれば、ソ連軍は崩壊し対ソ戦に勝利することができるという目論見があったようです。
まあそのへんの総合的な読みが独裁者の気まぐれというスパイスを通じて対米宣戦布告につながったようですね。
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1942年3月17日、アメリカ連邦議会は「武器無償貸与法案」を可決、連合国に対する膨大な軍需物資の支援を加速させます。



また、アメリカ船籍の船舶が英などの護衛艦に守られながら、アメリカ東海岸から欧州、北アフリカを目指すようになります。

この国際法や国際常識を無視したといってもよいアメリカ政府の措置に、ドイツを始めとする枢軸国側は激しく非難します。

しかし、これ以上強大な敵を抱える事など悪夢でしかないので、それ以上の行動に出る事はなく、ドイツ海軍自慢の「Uボート」も指をくわえて見送らざるをえませんでした。

しかも、この無償貸与法案が可決するや、アメリカ船籍の船団をアメリカ海軍の艦艇が護衛にあたるようにすらなり、しかもアメリカ政府はアメリカ船籍の船を攻撃するものに対しては反撃を行うと、事実上の宣戦布告すら行います。

とはいえ、第二次世界大戦勃発当時、アメリカの世論は、欧州大戦参戦には極めて消極的でした。

それは、連合国を構成している主な国が、建国以来の潜在敵と言って良い大英帝国だからです。

(独立戦争をしている訳です。)

しかも、20世紀に入って、第1次世界大戦から後を考えれば、ドイツとの親密度の方が高い位だったのですからなおさらでしょう。

確かに、連合国は共産主義や全体主義と戦っているわけですから、いちおう同じ自由主義国としては、貿易や援助ぐらいなら特に問題を感じていませんでしたが、いざ自らが血を流すとなるとアメリカ市民がこれを許容する事は中々ありませんでした。
 
しかし、ドイツの重大な政策の一つが、これを動かす事になります。
 
それはユダヤ人問題でした。
 
ドイツ第三帝国は、強力に人種隔離政策を実施しており、計画的なホロコーストによりユダヤ人、ロマなどドイツ第三帝国が劣等人種と認めた民族を収容所に送り、強制労働に従事させ、果てには計画的虐殺を実施するようにすらなります。

そして、それが1941年後半位から、加速度的に大規模・残虐化しており、これを放置する事をアメリカ市民が是としなかったのです。
 
市民達は、もっと連合国へ援助を送るべきだとの声を強くします。それが、早期の無償貸与へと実を結んだワケです。
 
そして、連合国からいくつかの「真実」がアメリカ大陸にもたらされると、この動きはさらに加速度をあげる事になります。
 
市民達は政府に訴えます。ホロコーストを実施している悪魔の政府を打倒せよ、欧州で不当に抑圧されている人々を救済せよ、と。
 
また、一方で連合国側は、英国のパレスチナ地方でのユダヤ人に対する援助などの美談を計画的にリークし、アメリカ世論を誘導します。

この動きは、ついにアメリカ大統領ウェンデル=ウィルキーの口から、連合国への参加と対独参戦を宣言させるに至ります。

時に1942年6月3日の事でした。
 
そして、不当に抑圧された住民を救うため、更に強大なドイツの攻勢に苦しむ連合国を、さっそうと救援に登場するアメリカという、アメリカ市民が最も喜ぶシチュエーションでアメリカ軍は欧州戦線へと登場する事になります。
 
しかも、1942年に入るあたりから、師団の戦時動員や海軍艦艇の大西洋への移動など、かなりの準備を進めていた事から、ドイツの予想よりもはるかに早くアメリカ軍は欧州へとやって来ることになります。

当然、連合国各国もアメリカの勇気と英断をこれ以上はない程に称え、賞賛し、やってきたアメリカ兵士たちを諸手を挙げて歓迎しました。

(このアメリカ参戦の結果、勝敗では無く、戦争は後どれだけ時間がかかる?という問題にまで矮小化したともいいます。)

しかも、いわば対立状態にあったイギリスは、アメリカとの関係が大きく改善し、戦後の事を考えてもかなり楽観できる状態だったのですから、連合国、特に英政府の喜びはひとしおだったでしょう。

一方のアメリカ政府としても、美味しい場面で颯爽と国際社会への完全復帰を果たし、しかも持ち前の工業力で以て、戦争の主導権すら握る事で、今後の国際社会をリードできるかも知れない未来が見えてきたのですから、内心の喜びはかなりのものと言えるでしょう。

もっとも、連合国が半ば強引にアメリカを戦争に引込んだのは、日本人達がロシア人と手を結ぶ事を嫌ったため、その補完として打った手が半ば偶然に功を奏しただけで、もし連合国がソ連邦と親密な同盟関係を即時に結んでいたら、このアメリカ参戦はありえなかっただろうと言うのが、今日では一般的な見解になっています。

いずれにしても、連合国側はアメリカの参戦を迎え入れ、海洋帝国連合となった連合国は、ドイツとの戦いに気持ちも新たに取りかかることになります。
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同盟条約の条文に拠れば、いずれか一ヵ国が現在戦争に関係していない国から攻撃を受けた場合にのみ相互援助義務が生じるんですが、ドイツがアメリカに宣戦布告しました。


まあドイツは独米中立条約を結んでいなかったからでしょうかね。

1941年12月8日、日本は真珠湾攻撃を行い、アメリカ合衆国・イギリス・オランダに宣戦布告した。同12月9日、ドイツもアメリカに宣戦布告し、他の条約参加国も追随した。しかし日本はソ連に宣戦することはなかった(日本はソ連との間に日ソ中立条約を結んでいた)。日中戦争で日本と交戦中であった中華民国はドイツ・イタリア・日本に対して正式に宣戦布告を行い、連合国に加入した。12月11日には日独伊単独不講和協定が結ばれ、枢軸国陣営が成立した。



第一条 日本國ハ「ドイツ國」及「イタリヤ國」ノ欧州ニオケル新秩序建設ニ関シ、指導的地位ヲ認メ、且ツコレヲ尊重ス。
第二条 「ドイツ國」及「イタリヤ國」ハ、日本國ノ大東亜ニオケル新秩序建設ニ関シ、指導的地位ヲ認メ、且ツコレヲ尊重ス。
第三条 日本國、「ドイツ國」及「イタリヤ國」ハ、前記ノ方針ニ基ツク努力ニ附相互ニ協力スヘキ事ヲ約ス。更ニ三締結國中何レカ一國カ、現ニ欧州戦争又ハ日支紛争ニ参入シ居ラサル一國ニ依リ攻撃セラレタル時ハ、三國ハアラユル政治的経済的及軍事的方法ニ依リ相互ニ援助スヘキ事ヲ約ス。
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