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小説「人生逆戻りツアー」(泉ウタマロ・著)にどうにも理解できない文章がありました。

私は明らかにおかしい(校正ミス?)と思うのですが、皆さんはどう思われますか。

問題の箇所は次の部分です(68ページ)。

[離婚阻止計画その4]
 離婚反対のビラを作り家の中すべてに貼り付ける

しかし……これはあまりにも子供っぽい。しかも日常生活に障害が起きるし、彼女は予定を早めて出て行ってしまうかもしれない。そしたらあてもない訴えを大声で叫び続けるビラを、一枚一枚はがすか、あるいはずっとそのままで共に暮らして行くかどちらかだ。それも大変な苦痛を伴う。

以上です。私がわからないのは、「そしたら」以降のところです。

この「そしたら」とは、「彼女が予定を早めて出て行ってしまったら」という意味ではなく、「彼女が予定よりも早く出て行かないようにするためには」という意味だと思います。つまり、彼女が少しでも長く家にいてくれるようにするためには、「ビラを一枚一枚はがす」か、「ずっとそのままで共に暮らして行く」しかないという事になります。

しかし、その解釈自体が釈然としません。私はその文章をそういうふうにしか解釈できません。

皆さんはこの文章をどう理解されますか。

(A)何らおかしくない。つまり、……
(B)やはりおかしい。つまり……
(C)不明

A 回答 (6件)

 (A)何らおかしくない。

つまり、……

 主人公がビラを貼り付ける。

→その結果
 彼女は予定を早めて出て行ってしまうかもしれない。

→そしたら
 【あてもない訴えを大声で叫び続けるビラ】を、
 【(自分の手で)一枚一枚はがす】か、
 あるいは、
 【ずっとそのまま(=家中にビラが貼られた状況)で(自分はビラと)共に暮らして行くか】どちらかだ。

 「共に暮らしていく」は、ビラを人にみなした擬人法でしょう。
 逆効果だったことの後始末は億劫だし、かといって、そのまま放置するのも憂鬱になりそうだ。
 離婚阻止という目的に対する効果は見込めないし、没だな、この計画は・・・という流れじゃないでしょうか?


 他の計画も、
 ・何をするか
 ・主人公の行動に対する、彼女の行動予測
 ・最終的に、主人公はどうなるかの予測
の、構成になっているのではなっていませんか?

この回答への補足

他の計画は次のようになっています。

[阻止計画その1]
 とにかく泣いてすがって足の甲にキスし、情に訴える方法

[阻止計画その2]
 親戚・近所の人たちに、彼女がどんなにめちゃくちゃなことをしようとしているのか泣いて訴え、彼らから彼女を説得してもらう方法

[阻止計画その3]
 私自身の自殺をほのめかして脅す

[阻止計画その5]
 パリにいる娘たちに助けを請う方法

これらについては何ら問題なく理解できたのですが、[阻止計画その4]だけがどうにも理解できませんでした。私の読解力が欠如していました。

補足日時:2013/08/24 10:07
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この回答へのお礼

>「共に暮らしていく」は、ビラを人にみなした擬人法でしょう。

なるほどと思います。私は、「何で彼女と暮らしていくことになるのか」と思っていました。私の読解力が足りませんでした。

的確な回答で納得しました。ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/24 10:40

No.1さん、No.2さんと同意見です。


私にはスレ主さんの解釈の方が難しかった><

「そしたら」の言い回しについて、なぜ「そうしたら」と書かないのか
についての私見ですが、「リズム感」「語感」の問題かな~って思います。
言葉の表記としての正しさより、この「リズム」を大事にされる作者さんも
いらっしゃるので・・・いやもしかしたらただの誤植かもしれないけど。

以前、「ほんと、困っちゃう」「ほんと、うまいね」「ほんとにもう終わっちゃうんだ」など
「本当(に)」を常に「ほんと(に)」と表記する人が居て
「なぜ『本当』ではなく「ほんと」なんですか?」と質問したことがあります。
それについて、「『本当』を『ほんとう』と読んで欲しくないから『ほんと』と書いています」
という回答をいただきました。
微妙なリズムやスピード感、ニュアンスの違いを感じていらっしゃるのだなあと思ったので、
こちらの作者さんもそうなのかもしれません。

この回答への補足

「そしたら」に関しては、ご指摘のとおりかもしれません。

あるいは、大阪の人が大阪弁を使うのが自然であるのと同様に、登場人物の話し方の癖として「そしたら」という言い方をしているのかもしれません。

私も最初は、この「そしたら」を「彼女が予定を早めて出て行ってしまったら」と解釈しました。その方が自然だからです。しかし、「共に暮らして行く」という記述のところで話がつながらなくなってしまいました。「共に暮らして行く」のが彼女のことでなくビラのことだとは思いもしなかったからです。

>それも大変な苦痛を伴う。

ここは、「それも」ではなく「どちらにしても」がふさわしいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。ビラをはがすにしても、ビラをそのままにしておくにしても、大いに苦痛だという意味だと思うのですが。

補足日時:2013/08/24 22:19
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この回答へのお礼

私の理解力が足りませんでした。

ご親切な回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/01 19:53

頭すっかすかの人が作ったんでしょう。


私も、本を読んでいたら29歳の大人がレストランで「お箸を二本ください」と言っているのを見て、そりゃまあビックリしましたとも。
もちろんお箸を頼むのは良いんです、理由はあったし。しかし、『二本』って。『二膳』じゃん…。作者の『世間知らず』『マナーの悪さ』が一発で分かりました。その人、一回『。』が二個付いてることもあり、「読み返さないのかな?他人も読むのに」とも思いましたし。
すいません。余計な話でした。

私は『B』です。

この回答への補足

>余計な話でした。

とんでもありません。参考になりました。

売れる本を書く人は、文章に少し難があってもその内容の面白さで人気があるために推敲にそれほど時間を掛けないのではないのでしょうか。理解できないのは読者が悪い(わかる人にはわかる)という思い上がりもありはしないでしょうか。実際のところはよくわからないのですが…

どういう表現をしようともそれこそ著者の自由です。他人がどうこういうべきことではないかもしれません。しかし、読者を混乱させるような書き方をしてほしくはないと私は思います。

補足日時:2013/08/24 15:20
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この回答へのお礼

疑問が解決しました。

ご親切な回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/01 19:55

前後の経緯はよく分かりませんが、文章としてはへたくそ、悪文の見本ですね。

論理が目茶苦茶だからどうにでも取れます。読者は頭がこんがらかるか、意味不明のノイズとして読み飛ばすでしょう。
「そしたら」という接続文も書き言葉として未熟すぎます。売文であれば(金を取って売る小説であれば)、少なくとも「そうしたら」とか「そうなったら」にすべきです。

「そしたら」は前のセンテンスを受けているので、「日常生活に支障が起きる。」、「彼女が出て行ってしまう“かも知れない”」と言う二つの蓋然性にたいして、前者に対しては「ビラを剥がす」、後者に対しては「そのまま暮らしていく」という文章論理のはずです。離婚が決定的な状況で、主人公には「ビラを剥がさずそのまま暮らす」という選択肢はないはずです。ここで読者の頭は混乱します。

詩などでは、論理を超越した感性を表現することに価値がありますが、ストーリーのある小説では論理を無視した文章表現はあり得ません。ストーリーが成り立ちません。SF小説のような荒唐無稽の内容でも、文章は論理だっていなければなりません。この文章の場合、「そしたら」をなくした方が原文よりずっと良くなるでしょう。前センテンスと後センテンスの間に論理的整合性はなくてもいいからです。この作者は未熟ですね。

この回答への補足

回答を閉め切ろうと思っていたところに的確な回答を頂きました。おそれいります。

>論理が目茶苦茶だからどうにでも取れます。読者は頭がこんがらかるか、意味不明のノイズとして読み飛ばすでしょう。

なるほどと思います。多くの読者は読み飛ばすのかもしれません。しかし私は、どうしても読み飛ばすことが出来ませんでした。そのためにこうして質問した次第でした。

私も「そしたら」という表現には違和感を抱いていました。なぜ「そうしたら」でなく「そしたら」なのかと思いました。どういう表現をしようともそれは著者の自由だとしても、やはり読者を混乱させるような表現は避けて貰いたいものです。

補足日時:2013/08/24 12:41
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この回答へのお礼

今回の疑問は解決しました。ご親切な回答ありがとうございました。

しかし、この本は理解に苦しむところが多々あります。それを著者のブログで質問してみようと思います。果たしてどういう回答があるか・・・

泉ウタマロさんのブログ
http://ameblo.jp/izumiutamaro/

お礼日時:2013/09/01 20:00

    #1です。

補足です。

>>「あるいはずっとそのままで共に暮らして行く」というのが私はどうにもわかりません。

   離婚の後、離婚阻止に役立たなかった家中にに貼付けたままで、暮らすという意味だと思います。

>>何なのでしょうかね。この「あるいは」というのは。私は、言葉が適切でないように思うのですが。

   この場合、著者も、編集者も、校正者も、#2さんも、僕も、同意見ですが、これは質問者さんのお考えと僕たちの(別にごく当たり前と言う)印象とが、単に食い違うだけだとおもいます。

この回答への補足

>「共に暮らしていく」は、ビラを人にみなした擬人法でしょう。

なるほどと思います。

彼女が出て行った後でビラを眺めながら暮らして行くという事だとすればとてもやり切れませんね。

補足日時:2013/08/24 09:37
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございました。
私の理解力が欠けていました。
私は「共に暮らして行く」というところで混乱していました。
ビラと暮らして行くという事なのですね。
そうだとすれば何の問題ありません。
問題があるのは私の方でした。

お礼日時:2013/08/24 09:51

    (A)何らおかしくない。

つまり、……この「そしたら」とは、「彼女が予定を早めて出て行ってしまったら」という意味だと思います。

    つまり彼女が出て行った後なら、ビラの用途が無くなる、それを剥がすのも、放置するのも苦痛だと言っているのでしょう。

この回答への補足

「あるいはずっとそのままで共に暮らして行く」というのが私はどうにもわかりません。

何なのでしょうかね。この「あるいは」というのは。私は、言葉が適切でないように思うのですが。

補足日時:2013/08/24 02:55
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この回答へのお礼

擬人法を用いて表現していることに気付きませんでした。迂闊でした。

的確な回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/01 19:52

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