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男子学生服は陸軍、セーラー服は海軍の軍服が元ですが、

1.世界で学生服があるのは日本だけですか?

2.学生服はいつ、なぜ、軍服から引用されたのか?
  セーラー服は昭和からだと思っています。男子学生服は明治だと思います。

3.そもそも軍服を学生服化した人物は誰でしょうか?また、その理由とは?

A 回答 (5件)

1・英国のイートン校など幾つかの学校で制服があります。

また、日本の影響を受けてアジア圏では制服のある学校が見られます

2・標準学生服は東京帝國大學が明治10年前後に制定した標準服です。日本軍の軍服がモデルではありません。当時の日本陸軍の制服はホック式でボタンが無いんです。学生服のデザインをベースに19年制服、警察、消防、獄吏、郵便局の制服がデザインされています。ベースはフランス当たりの軍服だと思います。日本に最初に入った洋服は軍服です。洋装を普及させようと思うと最も単純で、江戸時代から知られた洋服は軍服でしたので、それを基にするのが最も合理的かと思います。セーラー服は1920年に平安女学院が採用したのが始まりと言われてます。

3・そもそも日本軍の軍服を基に学生服が生まれたんじゃないので説明不能です。
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http://en.wikipedia.org/wiki/School_uniforms_by_ …

世界の学生服


http://www.heian.ac.jp/head/about/uniform.php

平安女学院では、1920年(大正9年)に図2のような洋装制服であるセーラー服が導入されました。同時に新たな徽章(バッジ)が制定され、その徽章は今日でも使用されています。 当時のセーラー服は、学生に好評であったと言われています。


Children's Fashions, 1900-1950, as Pictured in Sears Catalogs
これによれば
P63に 1928-1929カタログで 女児用 セイラーが人気です

P12 1909 6-14歳用に sailor suits $2.19 となっています

昭和天皇の幼児服としてセーラー服姿があったように記憶しております。
当時は後期なお方は女児服を着ていたことと、天皇家は英国風が好きなので、セイラー服を女児服として着せるのが20世紀初頭は流行っていたのかもしれない。
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回答になってないけど、



日本海軍の士官、下士官も学生服タイプの詰襟ですよ。

セーラー服は、水兵だけ。
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1.世界で学生服があるのは日本だけですか?


日本と同じ詰襟型のものは1984年までは韓国でも使用されていました。
学校ごとの制服制度は世界中にあります。

2.学生服はいつ、なぜ、軍服から引用されたのか?
  セーラー服は昭和からだと思っています。男子学生服は明治だと思います。
詰襟のデザインのものは、明治6年(1873年)に札幌農学校や工部省の工学寮で採用されたのが初めてとされています。
ただし、上着にベルトがあるなど、現在のとはだいぶ異なるデザインでした。
明治12年(1879年)に学習院が制服を定めています。
海軍士官の制服を模したものだったと言われています。
明治19年(1886年)に東京帝国大学が制服を定めました。
同時に高等師範学校にも制服を制定することが決まりました。
現在まで続くデザインの始まりとされています。
陸軍士官のものを模したと言われています。

3.そもそも軍服を学生服化した人物は誰でしょうか?
いずれも軍隊を尊重した訳ではなく、侍集団から近代的軍隊に切り替える際に洋服が採用された結果、制服としてのお手本が軍隊以外にはなかったということです。

>また、その理由とは?
服装というのは、社会的な身分を表す重要な形式とされていました。
現代とは全く感覚が違います。
逆に言うと服装を見れば社会的な身分が自動的に判断できました。
学生服だけではありません。皇族、侯伯爵、軍人、経営者など社会的身分に応じた服装をするのが常識でした。
これは、日本だけではなく万国共通のものでした。
当時、大学生は当然のこととして、義務教育以上の教育を受ける学生は、、エリート中のエリートです。
それ相応の服装をするべきだというのは、当時としては自然な発想です。
ただし、実際には高額であったために普及はしていませんでした。
あいかわらず、着物に袴でした。
着物に袴で学生帽を被るというのが普通でした。
普及するのは大正時代以降です。

制服という物に対する価値観や考え方が基本的に異なりますので、現代の学校の制服制度とは同レベルでは議論できません。
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No.1です



まずNo.4様
東京帝國大學の制服制定が明治19年である事を教えてくださりまして誠にありがとうございます。

まず明治12年に制定された学習院の制服ですが、海軍の制服を基にしてはおりません。何故なら当時の海軍の制服はダブルのフロックコートなんです(明治4年制定)。折襟の制服制定が明治20年で23年に映画でよく見る詰襟型になりました。
学習院の制服は、当時の陸軍将校服の胸飾りを外したデザインに酷似しております。
学習院の制服は陸軍の将校服を基にされたのだと思います。

明治19年、東大が現在の標準服に繋がる制服を制定しますが、これは完全なオリジナルです。当時の陸軍の制服は、将校が詰襟のホック掛け肋骨服で下士官兵は詰襟のホック掛け服です。陸軍にはボタン式制服が礼装以外(礼装はダブルです)存在しないのです。海軍も開襟のフロックコートです。学生服はどちらのデザインでもありません。同年秋に、陸軍の兵隊服に5つボタンの制服が採用されます。つまり学生服より後にボタン式が採用されたのです。但しデザインは全く似てません。

明治26年、陸軍は学生服をベースとした将校用戦地野戦服を採用します
続いて明治41年に警察(消防)、獄吏が学生服をベースとした制服を採用
ほぼ同じ時期に郵政省が学生服型を採用します。

陸軍・警察(消防…当時は同じ組織です)・郵便局の制服が学生服を基に生まれはしましたが、学生服が軍服を基に生まれる事はあり得ないんです。
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