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最近もっぱら「科学的証拠」、つまり「エビデンス」をとても大切にする経済学ですが、おそらくそこには統計学という科学に基づく計量経済学や数学に裏打ちされた数理モデルに実証された証拠にのみ価値を置く姿勢が感じられます。

一方で最近、経済学者の講演や論文ではしばしば「~~といったアネクドータルな説明があるが、…」という表現を耳に、目にします。だいたいアネクドータルとされる対象は、経済学以外の分野で行なわれた非定量的なケーススタディ(e.g., :経営学)や、文化人類学の観察による定性的な観察事例、分類学的色彩の濃い社会学的な研究の結果に対して向けられている気がします。

辞書を引くと「逸話、寓話に基づく」という意味と「考証に基づかない証拠」とありました。2つめの意味はまさに「nonscientific evidence」ということになります。

経済学者が、計量経済学的分析や何かしらの最適化問題を解くというような理論モデルの手続きを経ない、社会学や人類学などの研究成果やケーススタディを「アネクドータル」と形容するとき、それはけなし言葉としての性格を持っているのでしょうか?

つい昔まで「経済学帝国主義」という言葉を耳にしました。今では、他分野を「アネクドータル」と形容することで、この動きは依然として続いているのでしょうか?

A 回答 (2件)

> 経済学者が、計量経済学的分析や何かしらの最適化問題を解くというような理論モデルの手続きを経ない、社会学や人類学などの研究成果やケーススタディを「アネクドータル」と形容するとき、それはけなし言葉としての性格を持っているのでしょうか?



その話者次第でyesでもnoでもありえます。
ただ、多くの場合には、「私がこう思ったから」が論拠になる学問分野は経済学に限らずほとんどないのではないですかね?
例えば、何らかのイベントの経済効果は○兆円、と発表することがありますが、この○兆円をなんらの根拠もなしに「10兆円だ、私がそう思ったからだ」というのは、明らかにダメですよね?

とはいえ、何らかの数学的な理論モデルなしに「経験則的に」形成された理論体系も多数存在します。
例えばケインズは、その著書「雇用~一般理論」の中では数式らしい数式は見当たりません(定式化したのはヒックスら後の経済学者です)。

勿論、現実とあっていない理論体系も、例えばマルクス経済学として存在しています。日本はマルクス経済学が最も盛んな国の一つです。
ただし、経済学を実学として考えているのが現在の主流な流れであり、その意味では現実に根拠をもたない理論は軽くみられることになります(少なくとも賛同する人が多くなるとは思いません)。


> 「経済学帝国主義」という言葉を耳にしました。今では、他分野を「アネクドータル」と形容することで、この動きは依然として続いているのでしょうか?

別だと思いますよ?
まぁ、自分の学問領域が最上であると考える人はいつの世でも一定数はいると思いますが。

ただし、人間と人間がぶつかっている以上、ゲーム理論を含めた現在のミクロ経済学の枠組みで捉える事の出来ない問題は少ないと思います(勿論、他の枠組みでも捉えられるしその方が適切な場合も多いだろうけれども)。
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1. それはけなし言葉としての性格を持っているのでしょうか?



    はい、そうだと思います。下記のオックスフォード辞典の定義で、「必ずしも真実でなく、信頼の置けない」とあるのでも明らかでrす。
    (of an account) not necessarily true or reliable, because based on personal accounts rather than facts or research:
http://www.oxforddictionaries.com/us/definition/ …

2。  つい昔まで「経済学帝国主義」という言葉を耳にしました。今では、他分野を「アネクドータル」と形容することで、この動きは依然として続いているのでしょうか?

    一概に他分野と決めなくてもいいでしょうが、ある程度の自画自賛はどこにでもあるような気がします。
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