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森田療法を実践してるという方とか、精神科に詳しいというか、そんな人に答えていただきたいです。


僕は今精神科に通院しております。僕はアスペルガー、鬱、強迫、恐怖自体へのトラウマ、記憶が何でも飛ぶ、僕の中に何人も僕がいる、混沌と渦巻く思考、リアルタイムで会話ができない、紙に書いたほうがまだ話せる、アダルトチルドレンでもあるのでは? とも言われたり気づいたりと、精神的に色々とある人です。

先ほど「恐怖と向き合う」というような事を検索していたら、森田療法というものを知りました。

しかしよく分かりません。あれはどういった治療方法なのですか?

どなたか教えてください。

特に「あるがまま」という点を詳しく。

なんというか、何らかの目的の為に、苦しかろうが何だろうが全部無視して、自暴自棄のようなままでとても刺が長く鋭利な刺が生える茨の道を突き進むって、鬱の方たちにしてみれば自殺行為じゃないでしょうか。


森田療法は神経質に限らず、精神的な病全般に効くみたいなことが書かれてまして、僕にも効果はありますか?

A 回答 (2件)

入院森田療法を2ヶ月受けて、その後4年ほどで完治した経験があります。

その後既に34年ほど経過しています。

神経症の中の『恐怖症と離人症』で長い間苦しみました。14歳から32歳までの18年間の苦しみです。

簡単に神経症が発症する原因を書いて、治ると言う事実と治らないと言う事実を書いてから、森田療法の治療と言う目的とその方法を書いてみます。

神経症には様々な症状が在ります、又うつという場合でも同じと思います。神経症やノイローゼは、本人の性格が発症する遠縁になっています。その遠縁とは、細かな事にでも気が付く性格と言う意味です、つまり神経質な性格です、或は不安に成り易い性格と言う意味でも同じです。

始めに神経質な性格の説明です、細かな事に気が付く場合では、他の人が見逃してしまう事柄などにも気が付く、という事です。そうしてそういう性格の為に『自分自身の心や感情や考え』にも、細かい所に気が付くという意味になります。

自分自身に気が付く、それも、『自分自身の、心の在り方や、身体のあり方や、行動のあり方』に気が付く事を意味します。

是を説明する為に、人間の心に感情や考えが湧き上るシステムを語って置く必要があります。


人間の心は「二つ在ります」一つは考えや感情が沸き上がって、それを感じている”心”です。この”心”を、自我意識や顕在意識と呼んでいます。

ですが、自分では分らないとしても、人間にはもう一つ心が在ります。始めに科学的な証拠をウイキペデアから紹介します。

『”ロジャースペリー 分離脳』
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”

この記事だけでは、俄かには信じる事が出来難いと思いますので、この記事を補強するために、脳卒中になってしまって、自分の経験として、『左脳の自分』と『右脳の自分』とを、別々に体験した『脳科学者』の体験談が載っている動画を紹介したいと思います。

URL:
もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。

この動画は、或る意味では「宗教体験を語っています。」ですが、神経症で苦しんでいる場合では「完治した瞬間」を語っています。

こう云った『心に感情や考えが、湧き上るシステムに付いて、細かく気が付く人を神経質な性格』と言います。つまり漠然とした不安や、何処から押し寄せているのか知れない得体の知れない不安感です。』

こう云った不安感を敏感に感じている性格を神経質と表現しています。

この動画に有る様に『自分自身が発信している情報を、恐れる人を』不安になりやすい性格と表現しています。

神経症のからくりを説明するためには、人間の脳内の活動とか、脳の機能を説明する必要が在る為に、今説明しました。

このシステムが理解出来た時、治りに入っています。そうしてこのシステムを体得する時を『完治』と表現しますので、今の貴方には理解出来ないとしても、読んで置いて下さい、そうして私の書いたものが「貴方の腑に落ちた時」貴方はは完治しています。

何気ない気持ちで出来た事が、「意識してしようとする時、自分の意識が邪魔をして、出来る筈のものが出来ない現象があります。」こう云った現象が神経症の直接のきっかけになります。そのきっかけを助長する遠縁が、先に書いた性格基盤という事になります。

右脳の人格は『無意識の自分を働かせている機能で出来ています。』

人間は『意識する自分』と『無意識の時の自分』と二つの意識が交替制をキープする事で健常者としての生活は成り立っています。

『何気ない気持ちで出来た事が』と言う意味は『意識しないで出来た事が』と言う意味です。「意識してしようとする時、自分の意識が邪魔をして、出来る筈のものが出来ない現象があります。」と言う場合では『無意識の自分の出番を奪っている事を意味します。

そう云った交替制に気が付く人が神経質と言う意味ですので、神経症が治る場合と治らない場合を書いてみます。

漠然とした不安や、自分が症状として感じている事柄は、動画に有るように自分自身の右脳からの情報です。自分の心『自我意識』は、この情報を受け取りたくないものと感じています。好き嫌いという感覚で表現するなら『すごく嫌いな感覚』と感じています。』その為に、受け取りを拒否したり、その”感覚”の打ち消しに必死になっています。

自分の心が自分の心を打ち消そうとする時、目の前などは見ていない事を意味します。その現象が『心此処に在らず』と言う現象です。

頭が真っ白になる現象です、『見ても見えず、聞いても聞こえていない現象』と言う意味です。

神経症や恐怖症やノイローゼが治ったと云う事を書いてみます。

こういった現象は『自分自身の心同士が争っている現象です。』『自分の心が内部抗争に使われている事を意味します。』従って普通の人の半分も仕事など出来ない事を意味します。

或は判断力に欠けているために、間違いも多くなっています。つまり『心の矛盾を』生き難さや、不安として感じていますので、治った時には、不安も生き難さも解消しています。

ですので、神経質な性格は乗り越えた時には『自分の心が争う事をしなくなりますので、大きな安心感に包まれます。』この安心感を『涅槃』とお釈迦様は答えています。この動画の中でも表現されていると思います。

では、治し方です。

治し方は存在しますが、くれぐれも勘違いしないで読んで下さい。それは症状との向き合い方です。症状の改善を諦める事です。症状とは『誰でもが感じている事柄だからです。』誰でもが感じている事柄を、『意識する自分が、自分の意識する力で症状にまで大きくしているからです。』

言い替えるなら『自分の心の、感じ方が、極度に敏感に成っているからです。』そうして極度に敏感に反応しているからです。ですので症状を固定させる『原動力は、その症状としている事柄を、心から追い出そうとする努力です。』

ですので、強く症状の改善を望むほど『症状に苦しむ事を意味します。』治る時は『症状の改善を放棄した時です。』症状の改善を放棄する時から治りが始まっています。

そうして完全に放棄する事が出来た時、全治や完治と言っています。もう少し詳しく書くなら『症状を心から受容れた時の事です。』

ですので、全治したとか完治したと言ったところで、心の中を子細に点検するなら、症状らしきものは存在していますが、その症状らしきものを、心から受容れてしまった事によって、意識上に挙げて問題にする事が無くなっています。意識地獄が解除されています。この晴れ晴れとした心持が、幼子の心です。

次に治らない場合です、症状がある事に飽くまでも拘っていて、一生掛かっても『症状を無くしたいとする場合です。』症状を心から追い出す力で、何でも無い事が症状にまで高められています。そうして症状にまで高められた内容を、心から追い出そうとする努力が、『しっかりと心の中に固定させる原動力になっています。』

次に治し方です。

湧き上がる感情や考えは、自我意識の計らいで『自由になる事など在りません』目の前の情報は人間が生きてゆくために『刻々と変わっています。』こういった目の前に起きる現実からの情報を『自我意識の計らいで、受け取りを拒否する事で、受け取りたくないものとして『頭の中で否定しまくっている事で、意識地獄になっています。』

簡単に言い表すなら、湧き上がる感情や考えに右往左往している事を意味します、自分自身に湧き上がる雑念に振り回されている、或は湧き上がる只の雑念に『敏感過ぎる感じ方をして、敏感過ぎる反応をしているだけ』という事です。

こう云った『感じ方と反応の仕方』を改善させようとする事が、『森田療法の狙いです。』

恐怖を感じたとしても、そのままにしてほおって置く事で、『心は次々と他の雑念に変わり、留まる事など無い』と言う事実を、隔離した遮断された環境の中で『身をもって実感する事で』体験的に不安や恐怖と言う”心”の実態を知ってもらう事が眼目です。

恐怖症やうつや強迫観念などが治る事は『湧き上がる雑念の処理方法を学ぶ中に在ります。』沸き上がる自分自身の雑念をそのままにしておいて、只湧き上がるままに出来る事を学ぶ事です。

治った時には『沸き上がる雑念に右往左往しなくなって、泰然自若』と言う風になります。

治らない場合では『自分自身の雑念に右往左往して、症状にまでしてしまった事柄を』医師の元に言ってまでも症状として改善して貰おうとしています。そのための処方が『薬』ですが、時押さえの効き目しかありません、何故なら自身の脳からの情報を時抑えしたところで、薬の効能が切れた時点で、又情報として送って来るからです。

という事で、森田療法は神経症の治りを、症状の改善を求めなくなる事を狙いにしています。そのための方法論が『症状に対しての不問』です。

症状が何であったとしても、症状に付いては語る事を許しません、どういう症状であったとしても、作業を続ける事の重要性を説いています。

症状を考えている時は『自我意識』の自分が出ています。作業中は無意識の自分です。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。

お礼日時:2014/03/16 21:01

支援学校教員です。



森田療法については1~2冊、本を読んだ程度なので詳しくはありませんが。

4段階ぐらいにステップを踏んでいく療法です。

1、まず、外界から遮断して、刺激を入れない、最低限の生理現象を満足させるだけで、ひたすら寝る。
2、次に、少しだけ外界とかかわり、日常生活に必要な軽作業に取り組む。ここで医師とのカウンセリングを行う。
3、ひたすら軽作業に没頭する。「不安」が想起されても「無視」すること。現在の軽作業に意識を集中させること。
4、日常の生活にシフトチェンジしていく。

簡単に書けばこんな感じです。(あまりにも大雑把で、専門家には叱られるかもしれませんが…)
ただ、1の段階は「行わない」場合もあります。

>なんというか、何らかの目的の為に、苦しかろうが何だろうが全部無視して、自暴自棄のようなままでとても刺が長く鋭利な刺が生える茨の道を突き進むって、鬱の方たちにしてみれば自殺行為じゃないでしょうか。

う~ん。そういうのではありません。

「自暴自棄」ではなく「不安」を「不安として受け入れる」と言うのでしょうか。

「無視」というのも「苦しくても」という事ではなく「苦しみは実際にある。だが、それを脇に置いてみる。そして、現在するべきことに目を向け、集中する」ことで「無視」または「忘れる」のです。

言ってみれば「神経症」的な「悩み」や「不安」は誰でも持つもので、しかし、それに苦しむのは「悩み」や「不安」から「目を離せなくなってしまっている状態」なので、自らの意志で「強制的に目を離す」のではないかと… そして、「その強制的な」手法として「現在なすべきことに集中する」なのです。

ですので「刺が長く鋭利な刺が生える茨の道を突き進む」のは「恐怖突入」のことなのでしょうが、「怖い怖いと思っていることも、怖いと思うまま、実際にそこへ身を置いて、行動すれば、恐怖が薄れることがある」という事なのではないかと…

http://www.morioka-clinic.com/morita.html

>森田療法は神経質に限らず、精神的な病全般に効くみたいなことが書かれてまして、僕にも効果はありますか?

個人的には、アスペルガー症候群に対して「有効」だとは思いません。

ただ、「うつ」や「強迫性障がい」に対しては「有効な場合がある」とは思います。

ただし、医療専門家と共に実行する必要があるでしょう。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。

お礼日時:2014/03/16 00:10

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