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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140312-00000 …
校長公募は来年度募集を中止することになりそうです。
 ここで改めて皆様にご意見をお聞きします。
民間人を校長に登用することに是非
民間人登用でもスカウトでなくて公募にこだわることの是非
校長は教頭の経験者から登用することの是非
 ご自由に校長に関するご意見をお書き下さい。
 大阪市議会が校長公募関連予算を復活するかもしれませんので、ご意見をお待ちしております。

A 回答 (6件)

学校という閉鎖的になりがちな組織の活性化のために、優れた人材を外部からも受け入れることそのものはいいと思います。


ただしそれはあくまでも「優れた人材」でなければならず、「不適切な人物」を採用して「それ見たことか」という印象を与えたのでは逆効果です。

またこれは学校内部からの登用と相反するものであってはならず、互いに切磋琢磨すべきものだと考えます。あくまでも「外部から「も」」です。外部が主になってしまったのでは教員の士気を失わせてしまうおそれがあると考えます。

>民間人登用でもスカウトでなくて公募にこだわることの是非

この点、しかもあらかじめ採用人数を決めることは疑問です。これでは員数合わせのために結果として「不適切な人物」を採用してしまう可能性が高くなるでしょう。公募がダメだというのではなく、公募だけではダメで優れた人材をスカウトすることも必要だと思います。「初めに公募ありき」では失敗すると思います。

>校長は教頭の経験者から登用することの是非

学校内部からの登用の場合、結果として教頭からの登用が多くなるのは当然だと思います。しかし「校長はすべて教頭経験者でなければならない」とするのは行き過ぎで、かえって「広い世間を狭くする」ことになってしまうと考えます。

この民間人校長公募をめぐる議論の本質は「学校における校長の役割をどう考えるか」ということだと考えます。
学校という組織のトップとして管理職として優れた管理能力が求められることは当然で、教員としてはいくら優秀でもこの管理能力に欠ける者には校長は務まりません。(スポーツの世界で名選手が必ずしも名監督にはならないことに似ています)

もちろんそれだけでは不十分で「優れた教育者」でもあってほしいという希望は根強くあると思いますし、それは当然です。ただし、「優れた教育者」を「優れた教員」に限定してしまっては、「民間人校長」の出る幕はないことになってしまいます。こうした議論は昔からありますが、教員経験がない人が学校の校長となって「優れた教育実績」をあげた事例は確かに存在し、「教員出身でなければ校長は務まらない」というのは誤りです。

教員経験のない「優れた教育者」をどのような方法で見つけ出せばよいのか、多くの人が納得できる方法がまだ確立されておらず、しばしば不適切な人物を採用してしまっていることが、この民間人校長をめぐる最大の問題点ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
よく知られている公募にタレントの公募がありますが、優勝したタレントでも数年後に消えていく人の方が多いそうです。校長を教育法規のテストもしないで公募で適切な人材を得ることは不可能だと思います。校長であるからにはせめて教頭の仕事については経験していて欲しいと思います。
 そのような意味で民間から人材を登用するにしても教頭として採用してその仕事を評価した上で校長になって欲しいと思います。大阪では教頭の希望者が少ないそうですので教頭を公募で採用したらどうでしょうか?
 私も民間人を教育の世界に導入することは賛成です。実際に教育現場では社会人を経験されてから採用試験を受けて教師になる人も少なくありません。
 校長になりたいほどの人物であれば教育実習を受けて教師になってからでも遅くはないと思います。
 乃木大将が学習院の校長をされたことがありましたが、きっと学習院に立派な副校長がおられたから実現したことだと思います。
 今でも大学の付属小学校などでは大学教授が校長をしていますが、実質的な経営は副校長がしております。その副校長は数年後、教育長などになっていくような人物です。そのように規模が大きな学校であれば民間人(例えば三浦裕一郎氏等)であって上手くいくとは思いますが普通の学校にはとても人材の余裕はありません。

お礼日時:2014/03/29 13:40

料理をしたこともない者が料理長になったらおかしいですね。

それと同じで、教員でない者が校長になるのはおかしいのです。校長は管理職なのですから、自分の教科の授業をやれるのが当たり前です。

民間企業の管理職などを校長にしても駄目です。会社では、自分の命令に部下が服従していたでしょうが、非営利団体である学校ではそうは行きません。まして児童や生徒、そして保護者に対しては尚更です。

民間信仰はやめてもらいたいですね。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
校長の大切な仕事は教師を育てることです。どんな授業を見ても的確に評価して良いところを褒め失敗したところはこうするんだとアドバイスできない人間では誰も校長の言うことなんか聞きません。

お礼日時:2014/03/29 08:23

3の者です。



確かに採用試験ですね。

でも、応募してきた方達に、そういった試験をさせるのは、いいんじゃないでしょうか?
選考基準の一つとして。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
1000人からの人間を書類選考と面接だけで11人選ぶことにどう考えても無理があります。
A社で元専務と言うのとB社で元課長と言うのをどのような基準で判断するのでしょうか?
教育に熱意を持っている人間なら当然教育法規ぐらいは知っているはずですからそれこそペーパーテストで教育に関する熱意を計り知ることが出来るのではないでしょうか?

お礼日時:2014/03/27 17:32

公募自体は反対ではありません。


ただ、民間にだけ門戸が開かれてるような気がします。

今、教頭になりたい人が激減しています。
教頭の仕事は、雑務がほとんど。
給料も一般教員と変わらないと聞きました。

でも頑張れたのは、いずれ校長になれるというモチベーション。
これを公募というカタチで閉ざされ、教頭にはなりたくない、という考えが膨れ上がって来たのです。

ならば、校長の公募に、現教頭や現職の教員も応募できるようにしたらいいのでは?
現場もわかってるし、やりたいこともあるはずなんです。

一方、生野区の公募校長が更迭させられそうになった事実もあります。
それは、校長が、赴任先の学校の問題点をみつけ、改善しようとしました。
しかし、その学校には受け継がれて来た慣習が有り、校長よりも職員会議の方が絶対権力を持っていたのです。
今の日本プロ野球機構のような構成です。
コミッショナーに権限が無く、オーナー会議が絶対であるという図式です。
これにより、学校運営が滞り、更迭させられたのです。
(後にそのことがわかり、復権というか、校長補佐だったかになってますが)

こういった悪しき慣習を改善するには、外部からの血が必要だとは思います。

ただ、応募者を見る目が無い市とビジョンも無く応募する民間人に問題が有り、公募というシステムはまだ改善の余地があると思います。
教育委員会や文科省のお達しを、おかしいとはね除けられる人物なら、民間だろうが現場だろうが、志を持ったものなら校長になれるシステムは、改善の余地を残しながらも、有りじゃないかと思います。

この回答への補足

民間人から管理職を採用するとしても教頭も務まらない人間に校長は無理なわけですから、教頭こそ公募で募集するべきだと思います。
 小さな会社でも専務はできないけど社長ならできる人物なんていないと思います。

補足日時:2014/03/27 08:49
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
教頭は本当に大変な仕事です。私が教師をしていたときに教頭にだけはなりたくないと思いました。
大阪に教頭のなり手が少ないのは上司(校長)がその教頭に仕事に理解を示さず、何のアドバイスも出来ないどころか邪魔になるからではないでしょうか?
 皆さんの会社の上司に貴方の仕事を全く経験したことがない何のアドバイスも出来ない人間がいたら仕事のモチベーションは上がるでしょうか?
 文部科学省、教育委員会はほとんど毎日のようにいろいろな通達を出してきます。その全ての通達に大して瞬時にその軽重、趣旨、実行の方法を判断できないことには校長は務まりません。
 その基本となるのは長年の教師経験も必要ですが、教育法規(教育基本法・学校教育法・等)と指導要領を熟知していることが必要です。
 どこの職場でもその仕事に関する法律と長年の経験がなければ何の仕事でも上司にな成れないと思います。
ですから
「教育委員会や文科省のお達しを、おかしいとはね除けられる人物なら、民間だろうが現場だろうが、志を持ったものなら校長になれるシステムは、改善の余地を残しながらも、有りじゃないかと思います。

」そのような人物を選びたいと思ったら教育法規や指導要領に関するテストをするしかないのです。
 ペーパーテストをして上位50名の中から面接をして10人を選ぶというのであれば賛成しますがそれは公募でなくて採用試験と言います。

お礼日時:2014/03/27 08:04

「民間=経験豊富」という前提です。

公募校長の辞職第一号は「やりたいことができない」「給料が安い」の理由を挙げ゛ていました。同程度の能力の持ち主であれば、「仕事に自分の裁量が持ち込める」「給与が高い」と言えると思います。

制度そのものには反対ではありませんが、上に挙げたような事情を理解し、乗り越えられる人材が必要なのだと思います。採用を決定する側の校長にふさわしい人材を見極める能力が問われているのだと思います。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
民間人に賛成だけど公募は反対という意見でよろしいでしょうか?
1000人からの応募者の名からたった11人を選んで3人が辞任・更迭です。
そもそも、責任ある地位についている管理職の人物が「校長に応募しようかな?」なんて思う時間があるでしょうか?
 貴方の上司の方は校長に応募しますか、潰れそうなブラック企業の会社でない限りそんなことはないと思います。

お礼日時:2014/03/25 19:32

社会経験のない教育業者は、教育者には不適な場合が多い。

社会人として場数が足りないからです。したがって公募制に関しては興味深いが、やや拙速な感が否めない。議論を重ねて成熟させれば決して悪くはないだろうが、日本の大学は勉強しないレジャーランドと化しているので、既得権益にまみれた業者ではなく教育の専門家を招聘して熟慮をして欲しい。

まあ、質問者のような政治活動に同調するわけではないのであしからず。

この回答への補足

日本の大学がダメならどこの大学ならよろしいのでしょうか?
推薦される大学をお示し下さい。

補足日時:2014/03/27 09:16
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この回答へのお礼

 教育業者って塾とか教材を販売する会社のことでしょうか?

お礼日時:2014/03/25 19:39

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