アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

子どもの頃、たとえば「お腹が空いたね、一緒においしいもの食べようね」「寒いね、毛布をもう一枚書けようね」「このお花きれいだね」といった声かけがないと、子どもは、自分の感覚や感情を自分のものとして認識することができなくなるそうです。

私は、何をしていても、気がつくと、他人や自分の周りに起こったことを考えていて、自分の気持ちや感覚を感じるということがどういうことなのか、わかりません。

小さい頃、父も母も、私が近付くと去っていく、他の人と話をし始める、まるで、私を嫌っているかのようで、自分はどこが悪いんだろうと、考えてばかりいました。

きっと、感情をオープンにしているとあまりに辛いので、感じないようにしたんだろうと思います。その後の人生でも、人に近づいて行くと嫌がられて、その人は私から去っていく。これ以上ないというほどやさしく、低姿勢で、面白いことを言って、とにかく相手に気に入られようとして人に接してきましたが、やっぱり逆効果のようで、私は人に嫌われる、という思い込みをなかなか払拭できません。

特に男性は、こちらにそんなつもりが一切ないのに、話し始めてすぐに僕には彼女がいる、奥さん、子どもがいる、というようなことを言います。どうしてそういうことを言うのか私にはまったくわからないのですが、想像するに、私の態度や物の言い方、視線等が、過剰になれなれしいのかと思います。

恐らく、心の底で必死に誰かの愛情を求めていることが、表面ににじみ出てしまうのだと思うのですが、どう振舞ったらいいのか、わかりません。

きっと、ありのままの自分でいることができなくて、どこか装ってしまう、そうしないといけないと小さい頃に学習してしまって、それを訂正できないでいるのだと思います。しかし、一体、どうしたらいいのか。

いろいろな本を読んで、究極的には「そのままをすべて受容する」ということだと理解はできます。私には精神的な深い傷がある、だから、様々な問題行動がある、友だちもなかなか作れない、人を信頼できない、愛情をひどく求めている、この運命のもとに生まれたということ、これが自分の人生であり、その人生を生きるのは自分でしかないこと・・・わかってはいます。


私が近付くと母が遠ざかる、という経験と、すべての人は私から遠ざかる、この二つを絶ち切りたいです。心の深いところで誤解していることを、直したい。誰に嫌われても私には生まれてきた価値がある。誰に嫌われても、私は生きていける・・・潜在意識に呼び掛けたいです。



結婚後離婚、子どもなし、仕事退職、休日はまったく一人、音楽のラジオを聴く。
人生とは、本当に、辛く、悲しいものですね。



でも、後もう少し。頑張って生きようと思っています。
今は、自分を感じる、ということに焦点を絞って毎日暮らしています。自分を愛する。自分を、何よりも大切にする。感覚を取り戻す・・・

これでいいでしょうか。何かアドバイスがありましたら、よろしくお願い致します。

A 回答 (7件)

またもや お邪魔してすみません、No.6です。



回答の下書きにも、投稿内容確認後に回答ボタンを押した最終ページに戻っても、先の回答の一番最後の “奨”の文字はないのですが、何故か余計な一文字が付け足されて投稿されてしまいました。
わりと最近ですが、やはり最後に “□” のようなものがくっついて投稿されてしまったことがありました。このときも、下書きにも、最終ページにも、余分なものはなかったのですが…。
おそらく、どちらもバグなんだろうと思います。

何の脈絡もない、変な文字が最後についてしまいましたけれど、それがない形で文章は完結しています。最後の文字に関しては無視して読んでください。

また変な文字や記号がくっついてこなければ良いなと願いつつ…。
もし、変な文字や記号があったら、無視してください。
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この回答へのお礼

ご返答、ありがとうございました。po-ria1さんも、いろいろつらいことがあったのですね。普通の人間を親に持つ、人類全体が逃れられない悲しみが、あるのだなと思いました。自分だけではなく、恐らく、どれほど「しあわせ」な人にも、それぞれに、それぞれの、悲しみがあるのだと。


ここに、自分のことを書かせてもらって、そうして、それに反応をいただいて、氷のように固まって冷たくなっていた自分のこころに、少し揺らぎが生まれます。「大変でしたね」と声をかけてくれる人がいる、「頑張ってきたんですね」と言ってくれる人がいる、わかってくれる人がいる……うれしいことです。


読ませていただいて、新たに気づいたことがありました。「おまえは変だ」「それでいいと思っているのか」という母の言葉は、自分自身への言葉だったのか、と。それはとても納得がいきます。母は私を自分と同一視していたのでしょう。そうなんだ、あれは私へではなく、深いところでは自分へ向けていたのだ。

この気付きは、私をまた少し楽にしてくれるように思います。うれしいです。




分析を終えたら、それはすべて一旦忘れる。今は、自動的に発動する自分の癖を見極めています。自分が本当に欲していることに近づく。それを覆うものが黒いカーテンのようにかかるんです。自分を責める、悲しがる、諦める、くよくよ考える、等々。そして、感情を十分に感じるようにする。怒りの感情を持ってもってもいいのだと、自分に許しを与える。どう頑張っても「普通」にはなれないのだから、いろいろな欠点を持つ自分をそのまま認める。仕方がない、しょうがない、と受け入れる。それでいいのだ、と自分に言い聞かせる。自分の気持ちを感じつづける。自動発動するセンサーに応えるのではなくて、自分の深いところにある「欲」と、しっかりつながっていること。


あ~また力が入ってますね。ハハハ。人生、日々勉強。人と比べず、自分のことを生きる、それだけで良しとする強さ。少しずつ、少しずつですね。



ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/20 02:06

再度、長々と失礼します。

No.5の続きです。

私は母がいつも「忙しい、お金がない、疲れた」とこぼしていたので、手の掛からない子にならなければいけないと思っていたのですが、
>小さい頃は酪農農家で、牛小屋に連れていかれて、牛がすぐ近くにいる柱につながれ放置されました。理由は母親よりも祖母を慕ったから。母は恐ろしい。

私は、これを読んだとき、ものすごい孤独と恐怖を感じて…。
自分が今は母親だから、尚更に「幼い子どもに、なんてことをしてくれたんだ!」と。
こんなのは躾でもなんでもなく、虐待です。

それと同時に思ったことがあります。この直前に書き掛けていたことです。
母は、私が母に迷惑を掛けまい、強くなろうと涙を堪えたりと、頑張れば頑張るほど、私のことが薄情な娘に思えていたのかな…と。


私は小さいときはお父さん子だったんです。
母はあまり体力がない人だったのに子だくさんで、その上、私が幼い頃は父は薄給だったので、母は内職もこなさなければならず多忙だったんです。

私が幼い頃の母は家事をしているか内職をしているかで、後は疲れて横になっていて、遊んでくれた記憶はほとんどありません。
母の説明だと、父の転勤の都合で私は幼稚園も保育園も入り損ねたということで(とは言え、途中でも入れたと思うので、本当には家計の問題があったんだろうと思います)、昼間、近所には年の近い子は誰もいなくて、姉たちが帰って来るまで私は家で一人でお絵描きをしていました。
だから週末、外に連れ出してくれたり、体力を使った遊びをしてくれる父のことが私は大好きだったんです。

もしかすると、母は母なりに私に申し訳ないという思いがあったのかもしれません。でも、自責の念に押しつぶされるようなことは、プライドが高く、日々の生活に追われる母にとって、あってはならないことだったのでしょう。そんな考えは母にとっては無駄でしかなかったのだろうと。
だからこそ、自分が忙しいのは自分の所為ではないのに、自分よりも夫になつく娘(私)のことが、憎らしく思えたり、心から愛せずにいたのかもしれません。


結婚をし子供にも恵まれ、その子供たちも大きくなりと、一見、順風満帆な私ですが、それでも仲の良い夫婦のもとに、ごく普通の子どもとして生まれて来たかったなと時折思います。父親は酒乱だったし、母はとても見栄っ張りだったので、実家は普通とは言い難く、母の暴言は子供に対する八つ当たり(父からもっと愛されたかったという感情から)というのが大きかったのだろうと思います。言っても仕方ないことだけれど、もう少し普通よりの家庭に生まれることが出来たなら、私はもっと生きやすかったし、子供にも、もっと愛情深くできただろうになと。


今では随分と吹っ切れたと思いますが、自分が親になったことで母を尊敬する部分と、許せなかった部分がくっきりとし、そのことで余計に辛くなった時期がありました。憎むことも愛することも出来ない、どっちつかずな自分が…。

でも、過去に囚われても、どうしようもないんですよね。
心に皺やら染みやらをつけた過去の出来事は消え去ることはなく、真っ白になることはないけれど、皺や染みは薄くすることは出来るんです。
自然と何度も思い出されて、染みが濃くなったり皺が深くなることがあったけれど、でも、その辛い出来事に耐えた自分のことを認めたり、無理に許そうとはせずに、染みや皺の原因となった側の事情を少しだけ酌めるなら、それだけで染みや皺は薄くなるんですよね…。

許そうとするよりも、自分に理解できる形に、負担の少ない形に捉えなおす。
その繰り返しで、染みや皺は目立たないまでになり、不意に心の中に浮かぶということが段々と無くなり、平穏に近づいて行くんだと、そのように思います。

多くの人から避けられたと仰るご質問者ですけれど、真っ直ぐに、真っ当に生きようと、とても努力して来られたんだと思います。
本当に、よく頑張っていらしゃいますね。
穏やかな日々が少しでも早く訪れますように…。奨
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ご丁寧なお礼をありがとうございます。

No.3です。
文字数制限内に上手くまとめられなかったので、投稿を二回に分けました。

他の回答者の方々に宛てられたお礼も一緒に読ませていただきました。
私の想像には及ばない、悲しい子供時代を過ごされたのですね。
よく事情も分からずに、自分では気が付かないまま無神経なことを書いていたのではないかと、大変申し訳なく思っています。

突然ですが、横レスすみません。
>母親がよく小さい私に「おまえは変だ、変わっている」、大きくなるにつれて「それでいいと思っているのか」とよく言い
>母は絶対で、神聖にして侵すべからず(笑)という感じで。

この箇所は、自分のことが書かれているみたいでギクリとしました。
母親との関係がギクシャクしている人は、例にもれずそうですよね…。
母親というものは、自分と子を重ねてみる傾向が強いように思えます。特に同性である娘にはそれが顕著で、容赦ない人が多いようにも…。

そういう「娘に容赦のない」母親は、自分に未熟な面があっても認めたくないのでしょう。自分の未熟さには目を背けて「私の全てを理解しろ」とばかりに無茶振りをします。その不条理を娘が理解できなければ、「お前がダメな子だからだ」と罰します。
______

ここにあるご返信を読んでいると、私と母のことが重なります。
自分のことばかり書いて申し訳ございませんが、共感することが多かったので。

自分勝手で、きまぐれで、家庭を飛び越えて自分が社会のルールとでも言うかのように、何故だかいつも自信満々に振舞っていた母。年を追うごとに、母の話には破綻があることに気が付いていたけれど、それに触れると大変なことになるのも分っていて…。

何よりも常々母からは「おまえは、おかしい。間違っている」を連呼されていたので、どう考えてもおかしなこと、理不尽なことをされても、反論する前に「いや、母が正しいのだ」と考える癖がついていたんですよね。反論なんかすれば、完膚なきまでに徹底的に責められることは経験上分っていましたので、何も言わないのが処世術だとも。

でも、何も言わなかったのは間違っていたと、後々、後悔しました。
泣きもせず、怒りもしない私に、人並みの傷つく感情があるということを母は想像すらしなくなったから。同じ我が子であっても、感情表現をしない子の方が攻撃しやすいからなのでしょう。母の攻撃は私に集中していました。


私には反抗期というものが許されなかったから、母の歪みは自分の歪みと捉えるよりなかったんですよね。
「母の言動は愛ゆえなんだ。疑うのは、こちらの心が狭いからだ。私が間違っているから、未熟だからいけないんだ」って。でも、こんな思考は間違っていたし、幼い子供にそんな感情を植え付けさせる母の態度も間違っていたと今なら思います。
もともとが歪んだ関係なのですから、それを何十年も続けることなんか出来るはずがなかったのです。子供の時は無心に母を信じること、愛されたいと願うことでやり過ごせても、大人になってまで、それで過ごせるはずなどなかったんです。

子どもの頃よりも、自分が母親になってからの方が親子関係の歪みがくっきりと見えてしまい、とても辛かったです。母が投げつける不条理が、私達きょうだいに対する差別が、私の気の所為でも被害妄想でもなく、現実だったと思い知らされるうちに、私はすっかり気力を失ってしまい、病んでしまったことがあります。
そのぐらい、母子関係の歪みは女性にとっては大きなトラウマになり得るものだと思います。

母の「娘(血を分けた同性)だから分るだろう」は、私にはそのまま「母親(血を分けた同性)なら娘のことを理解してよ」となってしまったんです。
「私は、親になってからは子供のことを守ろうと、味方でいよう理解者でいようと努力して来たよ。でも、お母さんのは何なの? 私には理解しろ、我慢しろばっかりで、お母さんは、そっぽを向いてばかりだったじゃない」って。


母に恩を感じていない訳でも、何も良い思い出がなかった訳でもないけれど、それすら霞みそうなぐらい、家族に対して毒舌家な人でした。
母は何でも一番じゃないと気が済まない人だったから、自分の姉弟も、夫も、私たち子供たちですらも、誰も彼もが競う相手で、平気でこき下ろしをして来たのです。当人にしてみれば、それも愛情表現のつもりだったのでしょうけれど、母は、こき下ろされる側の心の傷については顧みなかったんです。


>小さい頃は酪農農家で、牛小屋に連れていかれて、牛がすぐ近くにいる柱につながれ放置されました。理由は母親よりも祖母を慕ったから。母は恐ろしい。

私は、ご質問者のように体罰のようなことは母からされなかったけれど、幼稚園の入園式も遠足も、付き添い無しの独りぼっちで行かされたことは、今でも心の傷です。インフルエンザの予防注射で発熱したときも、病院には連れていかれずに、無理矢理、幼稚園に通わされたことも、今もって謎です。
それでも無理に理解しようと思うなら、実家は子だくさんで当時は妹が赤ん坊だったから、下から二番目の幼い私は母にとっては手の掛かる存在だから、預けられるものなら預けたいし、なるだけ家にいて欲しくなかったんだろうなと。

幼稚園の入園式も遠足も出席しなかった理由は、母曰く「妹が赤ちゃんだったから」です。当時は紙おむつなどない時代でしたから、赤ちゃんを連れての出席は大変だったとは思います。でも、式自体はそう長くはないし、幼稚園は大人の足でも5,6分で行けるような近所でした。引っ越しをしてから1年近く経っていたし、団地住まいだったので、母にも何人か親しくなっていた人はいたはずで、母がその気になれば入園式の間だけ妹を預ける人を探そうと思えば探せたと思うし、予め入園式のお知らせは来ていたのだから、祖母を頼ることも出来たはずなんです。遠足は秋でしたから、それから半年近く経っていて、妹の世話は入園式のときほど大変じゃなかったはずなんです。母は内職はしていたけれど、そこまで都合がつかなかったとはどうしても思えず…。

自分が母親になって、幼稚園の入園式や遠足に参加すると、赤ちゃんを連れて参加しているお母さんは幾らでもいて、母親が来ないことの異様さがよりハッキリと感じ、余計に辛く感じました。
初めての幼稚園で、初めての集団生活。
母親なら、入園式や遠足を、幼子一人で行かせることに何の不安もないものでしょうか。そんな小さな子が一人で行って、何が楽しいのでしょう。本来は楽しい思い出になるはずの出来事が、スタートから悲しみ一杯で、他の子が羨ましくて…それがどんなに辛いことなのか、母だって想像できないはずなどないのに。でも、子供だった私は、そこまで深く考えずに、ただ耐えることを選択するよりなかったんです。

その悲しみは母はもちろん、父にも、きょうだいにも言わずに来たけれど(言えば母を困らせ悲しませるだけだと思ったし、妹が罪悪感を覚えて傷つくと思ったので)、妹が小学生になったときの母の「○○(妹のこと)が、私がバイトで家を空けるのが寂しいと言うのよ。(当時の小学校は土曜日は半ドンだったので、帰宅しても母は家を空けていた。)だから、泣きながら私が作ったおにぎりを食べたんですって」と得意げに話していたときには、なんか、もう、寂しいことを隠して我慢していた自分が馬鹿らしくなりました。


幼稚園で私がいじめに遭ったときも、いつも「お前が悪い」で済まし、私が独りぼっちになることを何とも思わなかった母なのに、妹が少しでも寂しがると、そのことで胸が一杯になるのでした。母は妹がいじめに遭えばムキになり、私には、こちらよりもずっと体格の小さいその子を殴れと滅茶苦茶を言ったりして来たのです。私は、その子には既に言葉で諭していたし、反省してその場でいじめを止めたから、それ以上はもう咎める気はなく、母の言いつけには従いませんでしたが、母の怒り方といったら、私の方が虐めた子よりも憎いかのような凄まじさで…。そんな風に、母は何かにつけて人のあら捜しをしては、無駄に怒るところのある人だったと今なら冷静に思えます。

私は母のことは一生掛けても理解できないと思います。
自分の姉弟にも、子供たちにも、孫たちにも優劣をつけ、露骨な贔屓をして来た母。自分の思い通りの子だけが好きだった母。いつも「私のように」と自慢し、本当の私を見ずに「私を自分のひな形にしたがっていた母」。…そんな母のことを理解したいとは思いません。
母は私には私ではなく、「自分のコピーであることを望んでいた」のですから、本当の意味で理解したら、私は本物の母のコピーになってしまうと思います。だから、理解は出来なくても良いとさえ思います。

もし母を理解するのだとしたら、母は分りやすい愛情を向けてくれる子、「お母さんが、いつでも一番だよ」って、常に一番に慕ってくれる子、母の頑張りを誰よりも認める子を求めていたんじゃないかと思います。
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私も結婚・離婚・子供無し、


只今病気治療中と母の面倒で無職です。

3歳の時に昼寝している間に買い物に行った母が
帰って来ないと思いこんで泣いていた昔を想い出しました。

私の場合は両親の関係が悪く、子供に愛情を注ぐ余裕無く育ち
成人しても「寂しそう」とか「放っておけない」と勘違いされました。
そんな表情してたんでしょうね。

なんだかんだで45歳ですが
質問者様と同じく、今は自分が1番可愛く思うようにしています。
何度も人に裏切られたりして、誰も信用出来なくなりました。
親も弟にも同じく。
悲しいですけど、猫2匹だけには愛情注ぎ生きています。

歳とるごとに生活に余裕が無くなり、家でじっとしています。

でも、同じく後もう少し、頑張ろうと思っています。
5年後10年後の自分が今よりも充実出来るならいいなと思いながら。

自己分析はお上手ですし、何よりこれからの自分も考えていらっしゃる。
それで良いのではないでしょうか?

人に嫌われてもいいじゃない?
自分の事を自分が嫌いにならなければ、と思います。

ご自分を大切に、可愛がり、愛して生きて生きましょう。
そして自分に余裕が出来たら、何かやりたい事が出てくると良いですね。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

この50年、「なぜ、私は人に愛されないのか」と自分を責めてばかり来ました。癖になってしまっていて、気がつかずに何かある度に自分が悪いと責めているんですね。何をやっても、自分が悪い。母親がよく小さい私に「おまえは変だ、変わっている」、大きくなるにつれて「それでいいと思っているのか」とよく言い、精神科に行ったと言ったら「犯罪者の親でなくて良かった」と言いました。そう言われても、感情が湧かないのです。怒りも、悲しみも、何も。母は絶対で、神聖にして侵すべからず(笑)という感じで。小さい頃は酪農農家で、牛小屋に連れていかれて、牛がすぐ近くにいる柱につながれ放置されました。理由は母親よりも祖母を慕ったから。母は恐ろしい。今でも。そして、何だか、女性全体が恐ろしいのです。(父も怖いので、人間全体になってしまいますね)


自我が芽生え、自分の意見を主張するようになる時に、かなり抑えつけられたのだと思います。母の言うなり。奴隷のようでした。それが今に尾を引いています。


話がそれてしまいすみません。自分のことを人に話すことができず、文字にはできるのでついつい書いてしまいます。


自分のことを大事に思う、自分の気持ちを一番に考える、という訓練を続けていきますね。


ご回答、ありがとうございました。

お互い、心地良い時間を、できるだけ多く過ごしていきましょうね。

お礼日時:2014/04/19 09:08

ご質問者の自己分析ですが、他人の所為にせず冷静に書かれていらっしゃいますね。

厳しい内容ですが当たっているんだと思います。

人は相手から「わざとらしさや執着」を感じると、「煩わしさや危険」を感じて去って行ってしまいます。
ご質問者は「寂しさや見捨てられ不安」から、人に接するときに、つい必死な感じになってしまい、それが「相手には計算に見えてしまった」のでしょうね。
ご質問者にその気はなくとも、相手にとって、それは操作されること(友情や愛情など、要望に応えるように強制される感覚)であり、息が詰まることなので、先方は本能的に避けてしまったのでしょう。


>きっと、ありのままの自分でいることができなくて、どこか装ってしまう、そうしないといけないと小さい頃に学習してしまって、それを訂正できないでいるのだと思います。

だから、
>今は、自分を感じる、ということに焦点を絞って毎日暮らしています。自分を愛する。自分を、何よりも大切にする。感覚を取り戻す・・・

と、結論を出したわけですね。
こちらも仰る通りだと思います。


自分を嫌っていると、人との接し方が不自然になってしまいます。
妙にビクビクしたり、他人にも自分にも疑い深くなったり、センシティブになって落ち込みやすくなったり、攻撃的になったりと、表面上は人それぞれ反応は違いますが、共通しているのは「誰かを責めてしまっていること」ですね。

責めている相手は自分であったり、家族であったり、他人であったりと、これも様々ですが、「そのままの自分を受け入れて生きている人は、人から嫌われることを恐れていないし、優劣に拘ったりしません」。
だから、人と接するときは「卑屈にならないし、攻撃的になったりしません」。変な力みがなく「自然体」です。
「自分を甘やかすでも、他人を甘やかすでもなく、それぞれの意思を尊重して今を大切に生きています」。


自分を含めた誰かを常に責めている間は、世の中は敵だらけで緊張のしっぱなしです。反省をするのは良いことだと思いますし、過去を振り返って何が原因になているのか分析をすることも良いことだと思います。
経験が浅く幼かった頃の自分には為す術がなかったと、過去の自分を許すことも必要だと思います。しかし自分を許すために、もし、親を含めた誰かを憎むのだとしたら、その念は、どうあがいても自分に返って来てしまうので、やはり苦しみでしかないと思います。


正しさを求める気持ちは誰にでも備わっています。
しかし、自分が信じる正義と他人が信じる正義は別物です。
例え、肉親であっても相容れない部分はあるのです。
ですから、誰もが相容れない部分があるということは、いつかは受け入れなくてはならなくなります。
距離を埋めようと努力をすることは間違ってはいないし、努力することで思いが届くこともあります。でも、必ずしも思い通りになるとは限らないからです。

相手には、ここからは入って来て欲しくないという心の領域がある以上、自分ではどうしようも出来ないことがあるんです。
自分ではどうしようも出来ないから、相手に変わるようにと責め続けるとしたら、これは作為になってしまいます。

心を通わせたくて、本当の気持ちを伝えることはして良いと思います。
それが、人間の自然な姿だからです。
でも、どうしても、何をやっても伝わらないのなら、それはもう仕方のないことです。無理に我を通そうとしたら、相手を無理矢理作り変えること(作為)になってしまうのです。どこからが作為になってしまうのか、その見極めが難しいですけれど、「その人自身が悟らないことには、こちらからはどうしようもないことがあるんです。例えそれが肉親であったとしても」。

ご両親とのこともそうですが、やれるだけのことをやったのなら、あとは「諦観する」ということをして良いと思います。
それは、つまりは自分も相手も許すということであり、「個々の違いを許す」ということ、「ありのまま(偽りのない真実の姿)を受け入れる」ということになると思います。
自分が信じる正義を愛することはしても、これこそが唯一無二の誰もが突き進むべき道であると、責め苦のように肉親や周囲の人に押し付けるようになってしまったら、それは歪みであり作為です。


意志的に生きることは素晴らしいことですが、しかし、そこに他者に対する要求が色濃く入ると、作為や独り善がりになってしまいます。
思いやりとは、何も尽くすことだけではないし、相手の意思に任せることでもあります。
ですから、時折立ち止まって物事を俯瞰することだと思います。

ご両親とのことは残念ですけれども、親もやはり人間で、我が子の前では緊張感が緩んで、人間の嫌な部分を見せつけてしまうことがあるのですよね…。
それは子供からしてみれば親のエゴであり、見苦しく受け入れ難いことですけれども、人には、こちらがどんなに願っても変えられない部分があるんです。

それは寂しいことですけれども、自分を含めた、その人その人の限界を受け入れ、現実を受け止めることだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

>その人その人の限界を受け入れ、現実を受け止めることだと思います。


そうですね、心しずかに、一人一人の限界、そして、現実を受けとめる。自分の心を受けとめる。
どうしても、何かをした後、相手の反応が思った通りでないと、「自分のどこが、何が悪かったのか」と分析を始めます。何故か? 嫌われるのが怖い、怒られるのが怖い、その人に、あとでひどいことをされるのではないか、「ひどいこと」とは、私を一人ぼっちにしてみんなで楽しくどこかに行ってしまう、というようなことなのですが、そういうことをされるような気がしてしまう。特に女性に対して。これは明らかに母親の影響です。この、無意識の行動をやめたいのです。もう自由になりたい。トラウマから自由になりたい。

現実を受けとめる。自分のこころの自動反応も含めて、まずは受けとめる。私にはそういう所がある。そういう深いトラウマを持っていて、それを悔しく思っている、それでいい、変えようとしなくていい。大きく大きく受けとめることですね。


ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/19 09:31

そうね、いいんじゃない。

自分を感じ大切にすること。それができるのはある意味幸せかも。自分中心に生きるって大切よ。変な夫や友人に振り回されたりしないのが一番だわ。

お休みの日に時間があったら、暇つぶしでカウンセリングうけてもいいかもしれない。
カウンセラーに治してもらうんじゃなくて、話を聞いてもらうとか、貴女の考え方の癖を教えてもらうとか。うまくつかってみたら?
これ違うな?っておもったら違うカウンセラーを探して話してみるとかね。

自分主体でいいので、もう少し気持ちが楽になれる方法を探すのもありかもね。
私も50をすぎて、幼少の頃の環境から振り切れたかな~、私を縛っていたものから少し楽になれたような気がする(まあ、49で結婚して少し楽になれたっていうのもあるんだけどね、バツイチなんだけど再婚はいいな~って思ったわよ。のろけてゴメン)

気楽にゆっくりね。自分を愛して日々大切に過ごしてね。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

やさしい言葉をかけられると、涙が出ます。人にやさしくされる、ということがあまりありませんでしたから。強がって、強がって、怖い人、嫌な人、と思われてきたからでしょう。一人でも大丈夫な人、とよく言われました。心ではとってもさみしくてしょうがないというのに。顔にも出せないのです。出すと母に怒られたか、母が泣いて、それを私のせいにする、ということがよくありました。


カウンセリングは受けてみたことはあります。相性は大切ですね。信じられるということも。でも、経済的な理由で続けられないのです。小さい頃の親との関係で、人生が全く変わることがあり得る。それを、運命と受けとめて、乗り越える。私に与えられた課題として。


再婚、良かったですね。私もしたいのです。できなくても、せめて友だちを作れるようになりたいと思います。お茶を一緒に飲める、気楽な関係。


ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/19 09:19

うん、それでいいよ。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/19 08:53

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