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はじめまして。

王莽が建てた新王朝と、武則天が建てた武周王朝についてなのですが、
新王朝は漢王朝の歴史の中の一つとして扱われることなく、その前後を前漢後漢と区別していますよね。
ですが武周王朝に関してはそれを唐王朝の歴史の中の一つとして扱い、その前後を前唐後唐などと分けていません。


どちらも同じく、短期間ながらも天下を統べた王朝だと思うのですが、この差はどうしてなのでしょうか?どなたかご教授ください。

A 回答 (2件)

 中国史には余り詳しくないのですが、王奔の「新」の前後が劉家の血筋を出自とする後継者によるものであり、彼が唯一の拠り所としたのは伯母が皇后に立てられたとの縁故関係であるとの理由だけであり、しかも本家ではなく分家であるとの部分に問題点があります。

「正統な王家」ではないとの部分で、一代の部分的な権力掌握でしかなく、それを王朝と評価するにはいささかの疑問符も付きます。
 これに対し武則天は自身が皇后であるとの部分に注目する必要もあります。唐の家系が李氏であるのに対し、この皇后の姓は「武氏」です。けれども皇帝の正統な皇后であるならば、皇帝との間に設けた子供は次の皇帝となる正統性を裏付けることともなりえます。
 むろん武則天が権力基盤を構築する目的で粛清と専横を行ったとの点を王奔に類似するとの見方もありえますが、皇帝権力の継承を正当化するものが何であるかを考えれば、両者の間には相当の差違もあるといえます。
 余り自信はありませんが。
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男尊女卑との考え方から、女性が独立した王朝をと考えるのに抵抗がある



また、武則天が帝位に就く前も廃位後も同じ中宗だから王朝としての連続性が一応あるということでないのかな

一方の前漢後漢は帝室内部の権力闘争ではなく、外部勢力による王朝 <-外戚とは言え

で、前漢の皇帝と後漢の皇帝とに直接的な血縁関係はない
※一応血筋とされているがどこまで信憑性があるのか・・・・
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