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日本の歴史、認識合ってますか?

1.弥生時代に農耕技術や土木技術を朝鮮から伝えられた
2.豊臣秀吉が朝鮮を侵略し、大量に朝鮮人を殺しまくった
3.第2次大戦中、中国人を大量に虐殺した
4.朝鮮の皇后を日本の役人が暗殺した
5.伊藤博文の時代に朝鮮を植民地化した
6.朝鮮人を強制連行し、炭坑夫や兵隊として利用した
7.朝鮮人の女性を強制連行し、従軍慰安婦として遣わせた

いずれも、日本人として目を背けたくなる歴史ですが、現実を把握するすることが、日中韓の友好の第一歩かと思うので、どうかよろしくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

>日本の歴史、認識合ってますか?



回答不能
何に「合うのか?」 という事が不明。
更に、認識とは、事実に対する解釈であり、それは国家どころか個人レベルでも違うものです。
更に、1~7の各論について、質問者様の「認識」の根拠が不明なので、回答が困難です。


>いずれも、日本人として目を背けたくなる歴史ですが、現実を把握するすることが、日中韓の友好の第一歩かと思うので、どうかよろしくお願いします。

私は、彼らの主張を受け入れ言いなりになる事が「日中韓の友好の第一歩」とは思っていません。

しかし、歴史上の「事実」ではなく、今の中韓が彼らの都合による「歴史認識」で日本を非難している事で、日本の国益が不当に損なわれているという「現実」は把握するべきだと思います。


以下の各論については、字数の問題で詳細な説明はしていません。
知りたければ個別の質問を立ててください。

また、この場合は【告発側の立証責任】により、「日本がこれらの行為を行った」と主張する側がその証拠を出す義務があります。
なので、「やっていないという証拠もない」という反論は認められません。


>1.弥生時代に農耕技術や土木技術を朝鮮から伝えられた。

大陸から文化や技術が渡って来たことは事実だと思いますが、それらは中国から朝鮮を経由したもの、朝鮮発祥のものではないと思います。

農耕については、現在では↓の理由で、稲作の伝播は 南方→日本→朝鮮←中国 のルートと考えられています。
(これから、稲作をもたらした弥生人=大陸からの渡来人という説も同時に否定されています)

1:稲のDNAの種類ですが、日本は1つだけですが、朝鮮では2種類確認されています。
片方のみ選択的に伝播するということは考えられません。
2:大陸から来るには半島の北を通らなければならないのですが、当時の技術では朝鮮北部で稲作は育ちません。
  (日本の東北地方が米どころとなったのは、日本人の異常とも言える努力と執念の結果です。)
3:水田の遺跡も、日本の方が朝鮮より古く、矛盾が生じます。

実は、朝鮮半島で民衆が米を食べられるようになったのは、併合後の日本の農業指導により、米の収穫量が上がった為です。(それ以前は雑穀を常食にしていました)


>2.豊臣秀吉が朝鮮を侵略し、大量に朝鮮人を殺しまくった

感情的な表現への評価は困難です。
確かに秀吉は朝鮮に出兵しましたが、元寇をモンゴル皇帝に進言したのは当時の朝鮮王であり、対馬や壱岐での残虐行為の主犯は朝鮮人でした。
当時の朝鮮の学者には、過去の元寇が原因になっていると言う者もいます。

秀吉軍が上陸時の朝鮮の民衆は、圧政に苦しんでおり、秀吉軍を解放軍として歓迎・協力し、戦乱に便乗して迷わず役所に火をつけ、戸籍を燃やし自分の身分記録(奴隷)を抹消しました。
そして、その後(何故か)自称両班(貴族階級)が激増しています。


>3.第2次大戦中、中国人を大量に虐殺した

質問者様の「虐殺」定義が不明ですが、そう思う根拠は何でしょうか。
私は、兵士が戦闘で戦死する(殺される)事を虐殺とは考えていません。(当時の国際法でもそうです)

そして、日本軍が民間人や捕虜を無差別に殺戮したという資料はありません。
中国人が中国人や日本人を虐殺したという資料はあります。

【黄河決壊事件】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3% …
(1938年6月に、中国国民党軍が日本軍の進撃を止める目的で起こした黄河の氾濫である。事件当時は黄河決潰事件と表記された。中国では花园口决堤事件(花園口決堤事件)と呼ばれる。犠牲者は数十万人に達し、農作物に与えた被害も住民を苦しめた。)

このとき、中国国民党は「黄河決壊事件は日本軍が引き起こしたものである」という捏造情報を流しています。
(現実には、日本軍は決壊箇所の修理や避難民の救助を行っていますが、それに対しても、国民党のゲリラが攻撃を仕掛けています。)

【通州事件の真実 01 Sさんの体験談】(中国人のよる日本人の虐殺)



>4.朝鮮の皇后を日本の役人が暗殺した

この事件に、日本がどこまで関わっていたのかは未だ不明です。
(朝鮮王は、閔妃殺害の実行犯は自分の部下だと言っています。)
反日政策のために、彼女は今の韓国では「慈悲深い国母」「悲劇の皇后」とされているようですが、実態は李朝を亡国に導いた張本人です。
閔妃達は外国に国内資源の採掘権や森林伐採権、鉄道建設権を切り売りし、それを浪費に当てていました。
そのために、民衆からは非常に憎まれていました。
閔妃は夫(高宗)の父である大院君と政治的に対立しており、そのために暗殺後身分を平民に格下げされました。
日本はそれを哀れに思い「明成皇后」という名を贈り身分を戻しています。
(何故か、韓国では今でもその大嫌いな日本から送られた名前を使っています。)


>5.伊藤博文の時代に朝鮮を植民地化した。

他の方も言っていますが植民地ではなく併合ですし、伊藤博文の死後です。
日韓併合は、自業自得の失政により破綻し、独立を維持できなくなった朝鮮が、日本に併合を求めてきた事によるものです。
併合に対しては、日韓両国でそれぞれ議論されましたが、当時の日本は併合反対派の方が多数でした。
このように積極的でない日本に対して、韓国の一進会は↓の上奏文と請願書を李完用総理と純宗(皇帝)と曽祢荒助統監に提出しました。

【韓日合邦を要求する声明書】
日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。
それでも韓国は、これを有り難く思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。
丁未条約を締結されることになったのも、やはりハーグ事件を起こした我々に責任がある。
伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のために御苦労されたことは忘れられない。
にもかかわらずハルビンの事件が起きてしまった以上、今後いかなる危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。
―中略―
それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国を作って世界の一等国民として日本人とまったく同じ待遇をうけながら暮らしてみよう…
1909年12月4日.一進会(百万の朝鮮人会員)

しかし、曽祢荒助統監はこれらを却下しています。
理由は、清国やロシアの影響力は排除したが、朝鮮の実情は、未開の原始社会に等しく、これを日本の一地方とするには莫大な負担がかかるばかりで何の利益もないという事です。

【朝鮮半島の真実】
https://www.youtube.com/watch?v=tR2zF5tZT7s

一進会はその後も、上奏書の提出を繰り返し、四回目に桂首相の指示により受け取られ、併合が実現しました。
これが日韓併合の経緯です。
手続きも双方の合意に基づく合法的かつ平和的なもので、これについては当時の国際社会も認めています。


>6.朝鮮人を強制連行し、炭坑夫や兵隊として利用した

強制的に連れてきて労働させたという証拠はありません。
当時、日本に来たものは、出稼ぎや↓のように「徴用」や「官斡旋」による人達です。


徴用ですが、
戦時下の国民の義務として、日本人にも適用されており(というか、日本人の方が圧倒的に多い)、合法なものですし、期間後の帰国の便宜も図っています。
それに、国民徴用令は日本内地では1939年に実施されましたが、朝鮮で行われたのは1944年9月~1945年3月迄で、人数も多くはありません。

官斡旋ですが、
朝鮮総督府が企業の要請で募集したものです。
官斡旋は辞めても罰則はなく、そのまま日本に残って別の仕事に就くこともできました。
そして、その場合でも日本国内で食料の配給を受けることができました。
現場での待遇も、日本人と比較しても悪いものではありませんでした。


>7.朝鮮人の女性を強制連行し、従軍慰安婦として遣わせた

現在、強制連行(軍・政府による組織的に拉致)の証拠は出ていません。

質問者様は日韓条約をご存知でしょうか
この条約の交渉時に、韓国は「従軍」慰安婦を問題として出していません。
韓国は従軍慰安婦が名乗り出なかったので「わからなかった」と言っていますが、それは有り得ないと思います。

慰安婦が本当に犯罪被害者で、今の韓国や日本の自称人権団体が言っているような大規模な強制連行(20万人)が行われていたなら、当時の朝鮮人が知らないはずがありません。
(本当に知らなかったら、朝鮮人は物凄いバカか、日本軍が超優秀ということになります)
である以上、これに対する補償を韓国政府が要求しなかった場合、国民が納得するとは思えません。

それに、朝鮮戦争時には、韓国政府が連合国の為に慰安所を設置していますが、それについて韓国や日本の自称人権平和団体が行動したという情報を私は知りません。

私は、↑の「事実」を把握するすることが、米韓の友好の第一歩かと思うのですが。

https://www.youtube.com/watch?v=iPhyKUmxwm0
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> 弥生時代に農耕技術や土木技術を朝鮮から伝えられた。



日本列島にどのように人が住むようになったのか。 それは今生きている日本人のDNAを鑑定したところ多方面から渡来して来たことがわかっています。 東北地方にはシベリア、樺太からのアイヌ人、ギリアーク人を始めとするエスキモー。 九州、四国には南方系の諸民族、 山陰、北陸には朝鮮系、中国系を先祖に持つ人々が多いのです。 

ですから米も朝鮮→対馬経由の赤米(あかまい)もあれば、米作の始まりと言われる中国南部の雲南省から直接伝わったものもあります。 多種多様なのです。 それは流通経路が多岐に亘っているからです。 

日本列島には黒潮、親潮に乗って様々な文明、技術、生活様式が伝わっています。 何でも朝鮮半島が先生と言うのは少し短絡すぎるようです。 さらに朝鮮半島に伝わっていた先進技術も元を正せば古代ペルシアだったり、キリスト教の一派である景教だったりと様々です。 

それは日本の長い歴史を見てもわかります。 いろんなところに使者を派遣して技術を取り入れています。 鉄砲が日本に伝わった60年後には、当時世界に存在する鉄砲の七割にあたる六万挺が日本で使われていたのに対し、朝鮮には一挺も存在していなかったという事実があります。  

朝鮮王朝は歴代中国の王朝と冊封関係を結ばされ、隷属関係にありました。 そのため、多岐に亘って様々な制限を課せられています。 ともに17世紀から鎖国をしており、海外への門戸を閉ざしていました。 しかし、日本へはロシアが再三訪れ、国を開くよう説得を続けています。 幕府も長崎にオランダ商館を開設し、オランダを通じて先進技術を積極的に学んでいます。 

しかも日本は徳川幕府が国を治めていましたが、全国は数百の小さな藩に分かれていました。 それぞれが独立国だったのです。 中国の王朝と朝鮮王朝の関係と似た関係です。 そのため、各藩で独自の産業開発を努め、技術革新を行っています。 九州の薩摩藩や肥前藩では科学文献を元に世界最新の軍艦を製造して欧米列強に対抗しようとしています。 また海沿いの各藩は砲台を設置して外国船に備えています。 

地方の小さな藩(地域)でもこれほどに技術革新が日常だったのです。 当然、当時の世界最新の科学技術は熟知していたのです。 幕末に日本にやって来た外国人たちは、当時の日本女性の識字率の高さに驚き、中国、朝鮮との民度の違いを認識しています。 これは当時のイギリスやフランスの女性よりも高かったのです。 

ですから19世紀に国を開いて技術導入を図ると、あっという間に西欧列強に追いついてしまったのです。 これが中国清朝や李朝朝鮮との国際認識の差であり、現在も依然として大きな差となって残っています。 
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> 伊藤博文の時代に朝鮮を植民地化した。



朝鮮半島にあった朝鮮民族の国家は6世紀に起った隋と7世紀に起った唐と激しく戦い、これに敗れています。 それ以降、冊封関係という主従関係に入っています。 植民地になったのです。 これが19世紀末まで続きます。 しかし宗主国である清王朝が19世紀、イギリスとのアヘン戦争に敗れ、急激に衰退します。 そして1893~4年の日本との戦争にも敗れてしまいます。 

宗主国を失った李朝朝鮮は内部で論争が起きます。 ロシアにつくべきか日本につくべきか。 長く中国の歴代王朝に隷属していたため、国力も成長せず、軍事力も押さえられて来ました。  内部論争は次第に日本へ依存すべきとの論で纏まったものです。 19世紀末の世界情勢から見て、李朝朝鮮が欧米列強の植民地化を逃れる道はあったのか。 当時の朝鮮の国力と産業発展の状況から見て、殆ど不可能だったと思われます。 

19世紀末に日本と朝鮮半島を旅して祖の紀行文を著したイギリスの女性旅行家イザベラバードが『日本奥紀行』と『朝鮮紀行』で日本と朝鮮を色々な面で比較している。
 
『私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。 世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている。』 

19世紀の末で日本は既に世界に例を見ないほど安全で清潔な国だった。 しかもそれは当時開拓中だった蝦夷や東北地方にしてこうだった。  一方、当時の李朝朝鮮は首都のソウルでさえ排せつ物が山と積まれていたと記述されている。  

幕末にペルリが来訪し、日本に世界の先進技術が紹介されると、日本の各藩は優秀な青年を欧米に留学させて新体制に備えていた。 これは当時の李朝朝鮮との大きな違いである。 積極的に欧米列強の先進技術を取り入れた日本、宗主国を失い、内部抗争に明け暮れた李氏朝鮮。 

その差は150年が経過した現在においても本質的には変わっていない。 日本は先進技術を正式に契約を結んで導入し、これをマスターして、逆にライセンサーにクロスライセンスするくらいの力を持っている。 しかし、韓国の企業は決して正式にライセンス契約は結ばない。 自分たちで模倣し、どうしても巧く行かなくなると技術供与を求めて接触を始める。 これは相手が日本だけでなく、欧米先進国に対しても同じである。 それは彼らが技術という見えない抽象的な概念を理解出来ないことに由来している。 決して卑怯だとか、劣っているからではない。  抽象的な概念が理解出来ないからである。 
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●.弥生時代に農耕技術や土木技術を朝鮮から伝えられた



農耕技術は弥生時代に大陸から伝わった。 その経路は朝鮮から対馬経由で伝わったものもあり、中国大陸から直接伝わったものもある。 弥生人の経路は諸説あり、統一見解は確立していないが、日本人のDNA鑑定から判断すると、複数経路で渡来している。 

弥生時代に朝鮮北部と満州南部一帯を領土とする高句麗(こうくり)という強大な北方騎馬民族国家があり、日本列島にも支配権を及ぼしていた。 しかし、6世紀前半に起った天変地異と大飢饉によって急激に衰退し、中国に起った隋、唐に滅ぼされる。 以降、朝鮮半島は中国大陸の強い支配権の下に植民地化されて行った。 

日本の古代の土木技術は遣隋使、遣唐使が齎したものが多く、その由来はローマ帝国、中東に及んでおり、朝鮮半島を凌駕するものが少なくない。

●.豊臣秀吉が朝鮮を侵略し、大量に朝鮮人を殺しまくった

豊臣秀吉が朝鮮半島に二度出兵した。 当時の日本は当時の全世界に存在した鉄砲の七割が生産される超先進軍事国家だったので、圧倒的な火力を背景に侵攻した。 しかし、日本軍の中の海軍を司る現在の和歌山県を拠点とした根来衆(ねごろしゅう)という水軍が朝鮮側に寝がえり、鉄砲鍛冶技術を伝え、以降反撃が始まった。 

当時の李朝朝鮮は殆ど武器らしい武器は存在しておらず、宗主(そうしゅ)である中国(明朝政府)は弱体化しており、援軍の派遣もなかった。。  そのため、朝鮮軍は敗退に次ぐ敗退を繰り返すだけだった。 
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 7.について。



 慰安所があって慰安婦がいたのは事実です。それについては認めていると思います。
 問題があるのは「強制」と「軍の関与」です。
 韓国側が「被害女性がそう言っているのだから間違いない」これを根拠に事実だから認めろと言われても誰も納得しません。証言だけで事実認定されるなら、無実の人を犯罪者にでっち上げる事が簡単にできます。
 韓国側が世界中に宣伝している人数についても主張する根拠が明確ではありません。
 再調査する事に対し韓国側が反対するのも変な気がします。再調査するなら喜んで情報提供し共同で真相追求するのが普通と思います。そこまで強硬に反対するのは再調査されると韓国側に不利な事が起きるのを知っているとしか思えません。
 慰安婦に関し戦時中にアメリカ側で事情聴取した記録が公文書として残っています。記録ではかなりの報酬を得ていたようです。
 強制連行したのが本当なら高額な報酬を得るのは不自然です。

 竹島問題もそうですが、「韓国政府は都合の良いように創作した物語を正しい歴史として押しつけている」と思われている以上、真の友好と和解はあり得ません。
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NO5です



追加です。

6・大量の日本人を兵隊にとる代わりに、朝鮮人を炭鉱夫とする、国策は存在します
ただ、強制連行することは、国策ではありません。
ちゃんと、新聞で募集しました。
朝鮮人ブローカーに依頼する戦術は、推測ですが、日本の下部組織にはあったでしょう。
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3・大量というのは具体的数字がないので、なんともいえませんが、虐殺があったのは事実です。


日本軍人の武勇伝として、著書にしている人もいるし、それを目にして、やらされた当時の新兵の手記も残っています。
ただ、日本だけでなく、虐殺を行なったのは、中国人もアメリカ人、オーストラリア人もあった事が、最近明らかにされています。

5・日本が植民地にしたのではありません。
朝鮮が、当時経済が破綻して日本を頼ってきたから、日本に編入したのです。
そして、日本は同化政策をとり、日本人と同じ待遇を目指しました。
ただ、庶民の中での差別が、中々取れなかったのも事実です。
そして、反日思想を持たない朝鮮人軍人を、陸軍兵学校に迎え入れたし、朝鮮人将校を、そのまま、日本軍に編入しました。
朝鮮人王室出身の李王垠は、陸軍中将まで出世し、更に陸軍の中でも特別待遇を受けています。

6・強制連行があったのは事実です。
畑作中の朝鮮人を強制的さらって、炭鉱夫として使った。
これは、目撃した憲兵将校の自伝記があります。
ただ、実際に強制連行したのは、朝鮮人ブローカーです。

7・強制連行と言う言い方をすれば、強制連行です。
上記6と同じで、朝鮮人ブローカーがさらった事もありました。
やはりブローカーに新聞で、日本軍の補助看護婦、酌婦として募集し、応募して実際は慰安婦だったのもあります。
新聞で、堂々と慰安婦として募集、応募もたくさんありました。
それほど、生活が苦しかった朝鮮人も多かったのです。
韓国は100%強制連行と言っていますが、殆どは、進んでお国の為に、生活の為になりました。
韓国のは、ただの難癖つけて、内政の混乱、不備を、反日政策で外に向けて、韓国国民人心をつかみ、かろうじて国家体制を保っているだけです。
事実が判明し、世界に認められて、韓国人心の反日感情がなくなったら、韓国は、国自体が崩壊するでしょう。
それをかわす為の、国家戦略です。
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1.弥生時代に農耕技術や土木技術を朝鮮から伝えられた


     ↑
朝鮮経由、ということですね。
朝鮮経由で色々と学んだのは確かです。

2.豊臣秀吉が朝鮮を侵略し、大量に朝鮮人を殺しまくった
     ↑
その通りですが、どうしてそんなことをしたのか、という
動機が大切です。
第三の元寇を阻止するため、元寇の復讐だった、という
説もあります。
また、当時は侵略され侵略するのは当然の時代で
悪い事なんて評価はありませんでした。
現代の価値観で評価すれば、歴史の英雄はみな、殺人鬼、
独裁者、侵略者ですよ。


3.第2次大戦中、中国人を大量に虐殺した
     ↑
戦争ですから当然です。
ただ南京については決定的な証拠がなく、ウソ臭いです。
また、中国が発表している戦争被害者の数字は明らかにウソです。
当初130万の死傷だったのが、今では5000万の
死者に増えています。
日本政府が理由を尋ねても返事がありません。


4.朝鮮の皇后を日本の役人が暗殺した
    ↑
本当だと思いますが、背後には朝鮮の権力闘争
があったのも事実です。
また、役人の個人的な行動であったとする
説が有力です。


5.伊藤博文の時代に朝鮮を植民地化した
     ↑
植民地ではなく併合です。
当時の朝鮮総理大臣「李完用」が議会の承認をえて
日本に併合を依頼してきたものです。
これは国際的にも承認されています。
だから、朝鮮史上最悪の人物は「李完用」とされて
います。
つまり、韓国人も依頼して併合してもらったことは
知っている訳です。


6.朝鮮人を強制連行し、炭坑夫や兵隊として利用した
    ↑
当時は併合され、日本人になったのです。
そして日本人はすべて強制的に働かされました。
強制連行云々は誤りです。


7.朝鮮人の女性を強制連行し、従軍慰安婦として遣わせた
    ↑
これについては、強制したという証拠が皆無であることに
争いはありません。
あるのは、慰安婦と称する女性の証言だけですが、
裏付けが皆無です。
皆無どころの話ではありません。
否定する証拠ばかりがゴロゴロと出て来ます。
又、彼女らの証言は、コロコロと変わっています。
これであった、信用しろ、というのは無理です。
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あってるか?あっていないか?


それ以前に、殺した、殺されたという歴史感、つまり感情論で歴史を考えても反日、反韓という敵対以外に何か有益なものが生まれるとは思いませんがね?
明らかに従軍慰安婦はお門違いでしょう。従軍慰安婦という言葉自体、最近のものでしょうから。
中国と一つの国で呼ぶのは、可笑しいですね。それまでの清国を破壊し、ソ連の支援を受けながら中国を統一するまでに、多くの人たちが粛清され、殺戮されました。民族思想が対立し混沌とする当時の満州を含め中国国内の状況は置いといて?日本がただ中国を侵略しました、そこでたくさんの中国人を殺しました。と言い出したのは今の中国を支配する共産党ですよ。中国人を殺した数で言えば、中国人の右に出るものはないでしょう(笑)
日本の歴史認識はあってますか?
あなたの仰っている認識は、朝日新聞か日本共産党などが必死に作り上げた歴史感であって、日本の正しい歴史認識とは一切関係ありませんよ。
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1.稲作については、朝鮮経由ではなくて、縄文時代に中国の長江下流域から直接九州に伝わったという説が有力です。


  もちろん、弥生時代に朝鮮経由で伝わった農耕・土木技術もたくさんあると思います。
  というか、私が思うのは、平和的に伝わったというより、弥生時代に朝鮮半島から日本への大規模な移住(あなたの言い方にあわせれば侵略ですかね)があったのでは、と思います。

2.戦争をしたわけで「殺しまくった」といえば当然そうでしょうけど。
  ただ、当時の軍隊(日本に限らず)は、非戦闘員を虐殺しまくる、という能力は物理的にないです。
  当時の軍隊が千人規模以上で人を殺せるのは攻城戦で数万の軍隊で完全包囲した場合だけです。それ以外の状況では軍隊vs無抵抗な非戦闘員であろうと殺しまくることは無理です。(すぐに逃げられてしまう)
  ちなみに、第2次世界大戦時の軍隊なら、本当にやる気になれば、歩兵連隊(3000人程度)程度で市民数万人を虐殺するのに30分もかからないと思われます。

3.15年戦争を合計して、数百万人規模の中国人(軍人・民間人合わせて)が死んでいることは、おそらく正しいです。さすがに1千万とかいうのは誇張しすぎだと思いますが。

4.「日本の役人」は正しいですが、「日本政府の指示のもとに」ではないことはほぼ確実です。
  ただ、まあとくに歴史の話では、「ある英国人が」というべきことを「英国が」とか、「ある日本人が」を「日本が」ということはよくあることと言えばそうですが。

5.伊藤博文の「時代」というのは、微妙な表現ですけど。「時代」というなら、まあそうでしょうね。
 伊藤博文自身はどちらかといえば朝鮮併合に否定的であったことはよく知られています。(ただ、当然のことながら、朝鮮のことを思って朝鮮併合に反対していたわけではないでしょうけどね)

6.「強制連行」という言葉が何を意味しているのかは人によって全く違うので、なんともいえない部分もありますが。ナチスのユダヤ人虐殺などと違って、「朝鮮人を強制連行する」という「政策」があったわけではないです。ただ、まあ労働力確保のために現実に行われたことを見れば、それに近いことはあったんでしょう。ただし、兵隊にっていうのはありえないです。軍属はあったにしても。

7. これも「強制連行」というのが何を意味しているのか、につきると思います。
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