人生のプチ美学を教えてください!!

私は小学生の頃から抱えている問題があります。

それは過ごすなかで次々に生まれる疑問に自身の知識と解決するために必要な時間が足りていないということです。

時間があれば解決できるという内容だともあまり思えないのですが、私は考えたいのです。

しかし、先ず自分を生かす必要があり、その為には働いてお金を稼がなくてはなりません。

生きていれば人間関係によって割かれる時間もあります。

小学生の頃など、まだ幼く学校に通うだけで働く必要のない立場ではありましたが人間関係で悩みました。

冗談を言い合い他愛ない話をする相手がそれなりには居ましたが、私が欲しているのは疑問の答えでそれが得られない為に虚無感に襲われていました。

現在の私にもそのような相手が居ますが、やはり満たされません。

解決されない疑問のせいで苦痛を感じない日はありません。

理解され難い希望かとは思いますが、私は疑問が消えないのなら考える時間が欲しいです。

つまり、働くということ、人と接するということをやめたいのです。

全てを絶てば疑問は今のように次々に生まれないと思うのです。

そうすれば今自分が得ている情報から生まれる疑問についてのみ考えることが出来ます。

馬鹿げてると言う人がきっと居るでしょう。

ですが、本当に苦しいのです。

問題の疑問というのは、一部を挙げると

・何故人は言葉を意味(何かを表すもの)として認識出来るのか。

・現実とは何か。

・皆がいう「赤」は全て同じもの(色)なのか。

・善悪を説いたのは誰か、それにならう者はどういった考えでそれを受け入れているのか。

・今見ているものは真か。

・恥とは何か、どのような意義があるのか。

・共感って?そもそも感情とは何か。

・美味、悪臭、それらは何なのか。

このようなものです。

死を考えることもありましたが、痛みが怖くて出来ません。

ここまで書いたものの、私は働かなくてはいけないのも人間関係を絶つことが出来ないのも分かっております。

吐き出したかったのです。

こういう疑問を抱く人は大勢居るかもしれません。

ただそれを重大な問題と捉え、苦痛を感じ悩む人は多数派ではないのだろうと思っております。

この頃は自分に対する怒りや焦りのようなものを感じます。

何故ここまで気になるのだろう。

気持ちを楽にしたいです。

ですが、放りたくても放れません。

…助言をいただけたら幸いです。

文章におかしな点がありましたらどうかお許し下さい。

自分でも上手くまとめきれないのです。

A 回答 (27件中1~10件)

>私は小学生の頃から抱えている問題があります。


とのことです。「疑問」を拝読しますと,どれも意味のある深遠なものです。人間が自力で答えを編み出せる種類の疑問ではないように思います。それゆえ,「人間より高い存在」が存在するならば,そこから答えを発見・認識できるにちがいありません。

 私は,そのような深遠な疑問の答えを求める場合,「人間より高い存在」を認めることは,知恵のある考え方だと思います。むしろ,進化論などのように「人間より高い理知ある存在もしくは創造者」を考慮せずに説明したり理解したりしようとすると,うまくいかないように思われます。

 なぜなら,例えば,進化論は「生命」はどこから来たかについて,何も信憑性のある証拠を提出できず,ただ,今は確認できない「説」や「論」を主張するだけだからです。それに対して,「宇宙」「地球上の現実世界」「人間」などには始まりがある,と考えるのは,現実と一致するし,道理に合っています。

「疑問」のことですが,一度に全部は書けませんが,まず,最初のものを考えてみます。

>何故人は言葉を意味(何かを表すもの)として認識出来るのか。

 人間には「心」があり,「理性」や「道徳性」「創造力」などの高度な精神性があります。一方,動物にはそれらはありません。科学者の中には,動物も“言語能力”を持っているかのように思わせる意見もありますが,それは人間の言語能力とはまったくかけ離れています。

 人間の言語能力はどこから来たか?それは,「心」はどこから来たか,というのと同じだと思います。人は心にあるものを口から語るからです。たといウソをついても,本当のことを知っているのに,何かを意図して,あえて本当のこととは違うことを「言おう」とする心(動機)で言うのですから,やはり,うそを言おうという「心」から語っているわけです。

 それで,学者は,人間の言語能力がどのように形成されていったかについて,いろいろと「説明」しますが,おおむね「物質」面に限った説明のようです。「化学作用」とか「進化論」のような説明です。しかし,そのような説明は,重要なものを欠いていると思います。それは,「目的」の存在です。

 もし,「言語能力は,目的無く形成され,今日の状態になった」としましょう。「偶然に」「自然に」「何とはなしに」言語能力が今日あるようになったというわけです。すると,自然の道理に合わないことが,いろいろと発生します。 例えば,「文法」の存在です。例えば,サルが別のサルが持っているバナナがほしくて「キキキ,キーキ」と発音したとします。しかし,これでは,用をなさないのではないでしょうか。どう考えても,対象物や意図を表す個別の語がなければ意志を伝えられません。

 人間の持つ言語で,まったく「法則性のない言語」「文法を持たない言語」はあるでしょうか?まずないでしょう。そうすると,文法の基になっている「法則性,法則の概念」は,「偶然性」とは相容れないのではないでしょうか?「法則」があるのに「その法則には目的は無い」のなら,矛盾します。

 「きまり」や「規範」が存在することは「そのような規範に従って言語で表現しよう」という目的があり,言語集団内の「みんな」がそれに合わせようとする目的があるから「言語」が使われる,話しが通じる,ということではないでしょうか。全くの無意味,無目的な「法則」は存在しません。確かに,く赤ん坊の場合は,何かの叫び声を発しただけで,母親がその意図を“理解”して適切に対応するものですが,法則に性をそれは「母親」という存在があるからできることではないでしょうか。その場合,母親が叫びを「解釈」したのであり,赤子が言語能力を用いて意思表示をしたわけではありません。

 こう考えてみますと,言語能力というものは,まことに奥深いものがあります。それは「高度な精神性」を反映させる「能力手段」といえるのではないでしょうか。そうすると,言語能力は人間の持つ「高度な精神性」と密接不可分であると考えるのは道理に合っている,といえると思います。

 結局,「何故人は言葉を意味(何かを表すもの)として認識出来るのか」という疑問の「答え」があるとすれば,それは,「人間にはなぜ「心」があり,高度な精神性があるのか?」という問いの答えと密接に関係しているだろうと考えられるということです。(まだまだ論じなければならないことはありますが,とりあえずということで。)

(追補)
>つまり、働くということ、人と接するということをやめたいのです。
それは少しはわかりますが,通常,人はできる限り働こうとすることをよしとするものですし,人は完全に孤立してはまず生きていけません。また,「全てを絶」ったとしても,おそらく疑問は解決されないでしょう。むしろ,人として生きる責任をできる限り果たしつつ,自分としても答えを探してゆくというのが平衡がとれているのではないでしょうか。
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自分の若いころを思い出してしまいました。



あなたは自分の中のさまざまなものと、まともに向き合おうとしているのだと思います。絶望的な思いが次々と現れてくるのでしょう。もっと自分の中と向き合わなければなりません。これからも本当に苦しいときが多々あるでしょう。
あまりに苦しいときは、一時考えるのをやめて、回りのいろんなものを感じ取るようにしてみてください。
私の場合は山の木々の中で樹木の「声」を聞くように心を落ち着かせているのが好きでした。

なかなか「あせり」とか「苦しさ」などは無くならないですが、絶望的、悲観的にならず自分と向き合ってください。
そういう私ももう50過ぎにもなりましたが、いまだにずっと続いています。振り返れば、いつしか他の人の悩みを聞けるようになっていました。あなたのような人が今の世界には必要な人であるということを忘れないように。

苦しさは本人しかわからないですが、本当の成長の糧になると信じています。

もし、参考になれば幸いです。
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 たくさんの回答がある中で、「本当に知りたい事が有る筈」と云うのがありますが、沸き起こる疑問の発生源は「これ」に在るように思います。



 r001さんの心は、今は根を大地に張ることのできない浮き草のような状態、なんだと思います。
 別の例えを使えば、宇宙飛行士の宇宙空間での遊泳状態、なんでしょう。
 踏ん張る大地が無いんです。

 私も若いころは踏ん張る大地が無く、それを求めて新興宗教に参加したこともあります。
 本気になれず一年通ってやめましたが。
 でも勉強は続けました。・・・と云うより「?」を求め続けていました。

 そうしてたどり着いた世界は、「自分の住む世界は自身の好ましい方の心」であると気づいたのです。
 そして、「他者への思いやり・やさしさ、と云ったような好ましい心」は神仏の心の反映したものである、とも。

 根拠は「涙」

 年を取ると涙もろくなりますが、自身の不甲斐なさに罪の意識を感じ神仏に懺悔すると、なぜか涙が出てきます。
 なぜなんでしょう。

 人は感激しても涙します。
 不思議です。

 たくさんたくさん疑問が浮かぶr001さんはこの「涙」に付いて、なにか思ったことはありますか。
 少なくとも質問にある事柄は理的なことで、情的な疑問は無いですね。
 もしかすると大地に根を張るのは「情」であって「理」ではないのかもしれないのです。

 心の安定を例えて云えば、幼子の母親の胸に抱かれた状態のことです。
 大人になった我々はそれを神仏の胸に求めます。

 心は心。
 宇宙の本体は絶対の大心霊体。
 その宇宙から分娩された人間の精神はそれと同質。
 神の心も悪魔の心も人の心に内在する。

 地球に現れた人間の代表格である釈尊の言葉、『悪しきを為さず善きを行え』とは神仏の反映である処の“好ましい心”を育てよ、と云う事。

 再び涙。
 なぜ神仏の心は博愛であり慈悲心なんでしょう。

 宇宙そのものは永遠でも、その中で繰り広げられる千変万化する現象、そして生命の誕生と消滅。その中で繰り広げられる命の喜怒哀楽。
 これらを神仏はどうすることもできないのです。
 自身が生命を生み落しながら、その苦しみをどうすることもできない故に“涙”するんです。

 宇宙の精神に触れようとするとき、人間は手を合わせますね。
 そうしてみてください。

 もし涙が出るようであればそれは神仏の流す涙ですから。
 

 

 

 
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悩みも疑問も同じ原因で湧きあがっています。

貴方が悩みや疑問を抱いた時、もう既にその悩みや疑問の答えは、貴方の脳の中では答えは出来上がっています。

こう云った事を大昔から伝えているものに『禅』があります。

禅の中で語られている答えとは、『では、お前は何故そう思うのだ?』が答えです。疑問や悩みが沸き上がった原点にたち帰る時、そこには答えが用意されていると言う意味です。

誰の悩みでも疑問でも、確かにはっきりと答える事が出来るものは『本人』が了解する以外『答えは出ないようになっています。』明確に私が貴方に答えを『提示したところで』貴方が了解しない限り、貴方が納得する事が無いからです。

誰でもが『自分自身に沸き上がる疑問や悩みは、自分で解決する以外はありません。』是は脳の構造上の悩みを悩んでいる事を意味しているからです。

貴方にヒントを差し上げて置きます、と同時に答えも用意して載せておきますので参考になるならありがたいと思います。

科学的なヒントです。


人間の頭脳の発達と、言葉の発達と、疑問や悩み、或は心の苦しさの相関関係は『知恵の実を食べた事』を聖書は指摘しています。

脳の機能分化に関する化学的なデータです。ウイキペデアからです。

『”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』

更にこの記事を補強するために、或る脳科学者が『自分自身の内面から』脳の機能分化の体験を脳卒中の為に『体験せざるを得なくなった』貴重な体験談を語っている動画を載せてみます。


もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。

URL:

この動画で語られている内容が『見性』と言う体験です。自分自身を知れとソクラテスが言っていた内容です。疑問や悩みが沸き上がる背景には、『疑問や悩みを沸き上がらせている者』が存在しているからです。

この者を『自分自身で掴む事が出来た時』全ての疑問や悩みは解消します。それが『見性体験』です、詰まり悟りを開くと言う意味になります。

この後では、悩みや疑問を沸き上がらせている者と『自我意識』は、『幼子や嬰児』のように一体となって仕舞う為に、心に『ざわめきがなくなっています。』この静まり返った様を『涅槃と形容します。』

悩みや疑問を強く感じている人は、宗教的な生き方に強く引き付けられている事を意味しますが、悩みや疑問の為に、気が付く事が無いかも知れません。

貴方の、悩みや疑問を強く感じている場合を『救道心』が強いと呼ぶ事が出来ます。道に至る時解消する問題です。貴方は『自分自身の心の矛盾』を悩んでいると言う意味になりますので、解消方法は『心の矛盾を解決する中に存在しています。』

私の場合には、鈴木大拙博士の著作集を読む中で答えが分りました。貴方の悩みは『自分の意識性の問題をクリアー出来た時解消します。』

人間には『意識する自分』と『無意識で生きている自分』が二つの意識として存在しています。貴方が『自分の中に、無意識の意識が存在していた事』を知った時に解消すると言う意味です。

励んで下さい。
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書いてある悩みに「こうしたらどうかな」とか、「こうすればいいよ」とこたえないで、


でも、当人の悩みにただ共感するというのでもなくて。

「余計なお世話ですがキミの疑問の答えを考えてみました」って回答がけっこう多いのは
どうしてかな?
疑問の答えを得られたら、この質問者さんはもう悩まなくなると思っているのかな?

こんなもんか、
飲んだことありませんが、酔えそうな酔えなさそうな名前で。
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本当に知りたいことは何なのかを明らかにすることが、その苦悩から免れる道かと思いました。

質問者さんが列挙した事柄は、本当に知りたいことですか?
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人によって言葉の使い方が微妙に 或いはかなり違うので 私の解釈を書きますね。




・何故人は言葉を意味(何かを表すもの)として認識出来るのか。

言葉には文字や声などの個性ある情報があるので それを人間(精神)が脳の働きで目から耳から捉えて認識して

概念に訳して認識するのです。その様な微妙な作業を一瞬でそれも大量にやるのですから 人間の能力は凄いです。


・現実とは何か。

現実は人間が存在する根拠の世界です。唯一無二です。もちろん変化し続けますが、真理は現実の中にしかありません。
何よりも現実を他説にされてください。百万言を駆使するより現実が希望にかなう方向に変わることが大切です。


・皆がいう「赤」は全て同じもの(色)なのか。

これはクオリアという言葉があるのでそれで理解されてもいいかもしれませんが、私の考えは違います。クオリアという特に特別なものはなく 性質が脳内の脳内物質やホルモン・脳波などの性質に反応して 性質として自我が出来て赤いという性質・情報を認識するので。人によって同じ赤ではないと思いますが、お互いに「赤の波長」を約束ごととして「赤」と呼んでるのです。

すみません 随分端折りましたので察してください。


・善悪を説いたのは誰か、それにならう者はどういった考えでそれを受け入れているのか。

善悪は時として変わって行きますが、自然発生的に「人殺し~~!!」とか「ありがとう☆ミ」とかそのような感情が
世論のように形成されて行っていつか十戒とか十七条の憲法とか 後後は世界各国が憲法や法律などに定めたのです。


・今見ているものは真か。

見てるからといって真とは限らないですねえ 錯覚や妄想もあるでしょうし 見間違いや、表面だけ見てますから思った通りの真ではない事の方が多いですねえ。


・恥とは何か、どのような意義があるのか。

恥の意識 罪の意識と違いますが 恥の意識の方は人間関係上良くない事をすると周りの人が何らかの制裁をする
それを知って自分で自己反省しろ と言う事です。 ですから恥と言われても自分に信念があるなら、それを通してもいいと思います。


・共感って?そもそも感情とは何か。

感情とは本能や動物時代から受け継いできた魂が自画に働きかけ起こる精神作用だと思います。ですから犬やネズミには感情はありますが カマキリや植物には感情はないと思います。


・美味、悪臭、それらは何なのか。

美味も悪臭も本能として、あるいは学習して食すに良い 栄養があるものを美味と 悪いものに悪臭と感じるのです
でもこれはご存知のとおり 美味だからといって食べてばかりいると太ったりして生活習慣病になったり
悪臭でも 納豆を悪臭と感じる人もいますが 体に良かったり。理性的なものではないですね。

簡単に書きましたが 貴方の人生にとって何か少しでも参考になれば嬉しいです。

私は存在性思想のゆにこと申します^^
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 こんにちは。





 ★ ・何故人は言葉を意味(何かを表すもの)として認識出来るのか。
 ☆ もともと――言葉を持つ前の段階において―― わが心なる思いと動きとにあって 何かを表わしたいという欲求を持ったからです。それが 生きることです。

 それが 言葉となって――言葉を手段として用いるかたちとなって――現われたからです。

 もともと 心の内容として《意味》はありました。それが 《ことば》につながりました。



 そのようなことばの起こりについて かんたんに想像を交えてですが 描くことをこころみてみます。



         *


  奈良(ちなみに na-ra=地‐ら⇒奈良。cf. no-ra=野‐ら)の三輪山あたりの地で のちに《たたなづく青垣 山隠(ごも)れる》と形容されたその風景を見て われらが祖先の誰かが 

  HA.....

 と発出した。この場合 ただ ハアーッという息の音を出しただけかも知れない。溜息をついただけかも知れない。でも その主観の内には何らかの心の動きが あったはずである。

  HA.....SI。

 というふうに続けて 舌や口の筋肉のはたらきにものを言わせて さまざまな形にして発声した。これは 音で いま目の前の世界の風景を切り取ったわけである。また その心の状態を 取り立てようとしたことになる。

  HASI . / はし。

 こうなると 心の状態が あたかも意味をもって表わされたかに思える。

 ――愛(は)し。

 つまり これは 中心主題相の子音/ h / と指定相・断定相の子音/ s /が働いたと《あとづけ》して捉えられる事態ではある。ここに 自称相 の子音/ ’(=ア行子音)/で

   ’u = う。 
   'u-ru = うる(⇒裏・裡・心)。

 と作って これを添えれば

   うる‐はし。(心愛し・麗しい)

 とつなぐ。いまの心持ちをそれとしてさらによく取り立てて表わすことができた。



 ところで はじめの《 HA.....》は 主観内面のことでもあれば その心の動きを感じさせてくれる目の前の山々の姿でもある。
 つまりここで 一気に文として扱えば それは 主題の表明になる。

 そのための語彙を考えよう。《山》のことを どういうわけで《やま》と言ったか分からないが 人はこれを得る。そして さらに 《所》の意味の《と》を得て これらを合成すれば 《やま‐と》のかたちにつくった。
 文としては 主題(問い)と論述(こたえ)から成る。つまり

   やまと(山‐処)‐は うるはし。

 人間は その思いを 表わさずにはいられない(!!??)。その内容を充実させようとする。

   やまと‐は・・・・・ほ・・・・・うるはし。

 と表出する。《ほ》は 突出したものの相を表わし 《穂・帆・秀》であろう。ここにさらに《ま / ろ / ば 》をも添えて

  やまと‐は ま‐秀‐ろ‐ば〔なり。 それゆえ〕うるはし。

 と来る。こうなれば 意思表示としての言語は 文による表現を基軸として さらに文法規則としても やがてその現在にまで至る姿を現わしてくるものと思われる。


      *


 これが 《現実》です。人間にとって 世界であり 世界の現実です。

 その人間は 感性の原野と思考(理性)の緑野と そして人間に特有のと思われる境地としての《非思考の庭》とをそなえています。

 感性を その内容について言葉で表わし 互いに《共感》するか あるいは《反感》を持つかを判定することになります。

 総じて全体として――つまり存在の・また人格の全体として―― 《同感》することは ひとの人たることの真骨頂であると考えられます。

 《異観》を感じて《遺憾》に思うということも この総体的な《同感(シンパシー / コモンセンス)》の範囲内において起こります。


 言葉として 《よい(好い・佳い・良い・善い)》とその《善を傷つける思いや意志行為 としての負の善(これを またの名として 悪という)》とが持たれるようになっていて 思考をつうじて そのような《よい・わるい》を もろもろの考えや振る舞いについて 人は自由に判定する。

 真善美といった概念に照らして判断することをもおこなう。あるいは 恥ぢという概念ないし感情をも持つことがある。

 そういった――言葉をつうじての――社会つまり人間相互の関係を 過程的にまた構造的に 織り成して生をいとなむ。



 ★ ・美味、悪臭、それらは何なのか。
 ☆ それらは 《感性および理性》の対象として取り上げられることが あるのでしょう。

 そして《非思考の庭》にあっては 単純に言えば《同感》のもんだいとして ときにこの世界に起こると思われることは 《かをり(香り・匂い)》です。

 大きく《同感》の範疇において これこれの思想は マチガイであると批判することがあり得ます。
 それは 死から発して人を・人の心を死に至らせる死の香りであるようだとか。

 マが合っていれば これは 生きる息吹きなり。生から生へと至らせるいのちの香りであるとか。


 いづれも 飛躍して言えば 《キリストなる神の香り》です。《死の香り》に対しては 軌道修正を問いかけています。
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>・何故人は言葉を意味(何かを表すもの)として認識出来るのか。


   日本に生まれ成長し日本語を認識したのは備わった本能です。
   必ず習得されるものは本能として法的、科学的にも不合理とならない。

>・現実とは何か。
   見かけです。


>・皆がいう「赤」は全て同じもの(色)なのか。
   感受の個体差はあって違うようですが、能動の個体差が違ってたって問題ありません。

>・善悪を説いたのは誰か、それにならう者はどういった考えでそれを受け入れているのか。
   自己主張、つまり同化を拒むことによる恣意的な判断能力が備わった祖先から。

>・今見ているものは真か。
   内容、中身の確認もすべき。

>・恥とは何か、どのような意義があるのか。
   頭が悪いより、頭が可笑しい方が恥?

>・共感って?そもそも感情とは何か。
   共感は自分にも既にある感情の発芽。感情は良かれ悪かれ執着。

>・美味、悪臭、それらは何なのか。
   DNA所属の感覚。
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・・・最高とは言いませんが、



こんなもんか、という酒を飲んでいます。
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