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さやか という名前はいつの時代からあるのでしょうか。

なに時代くらいから日本で使われはじめた名前でしょうか?

お教えいただきたくお願いいたします。

A 回答 (8件)

『名前から引く人名辞典』(日外アソシエーツ 2002年)によれば、「さやか」という名前の人物は以下の3人です。



1.安部佐也加(あべ・さやか):江戸後期の女性・歌人

2.沙也加(さやか)?~1643 :安土桃山時代、文禄役の日本人武将≪金忠善≫

3.半井澄(なからい・さやか)1847~1898 :江戸末期・明治期の医師

このうち、2と3は男性です。2はNo.4の回答で紹介されている人物ですが、該当する武士が日本側で特定されてはいないようですので、「さやか」という人名が存在した史料とするには苦しいかもしれません。

2を除けば、このなかでは1が最も古いことになりますが、残念ながらこの人は生没年不詳だそうです。ただ天保7年(1836年)に出された歌集に和歌が載っているそうですので、「さやか」という人名が少なくとも19世紀初めには女性に使われていたことになります。

「さやか」という言葉自体は古代には使われていた古い日本語であり、万葉集の歌にもありますので、人名としても相当古くから使われていたのではないかと思われます。

群鳥の朝立ち往にし君が上は清かに聞きつ思ひしごとく (万葉集 巻二十 4474)
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回答3さんは



>さやかという名前が、日本人の間に一般的になったのは1969年、皇族の黒田清子(さやこ)さんがお生まれになった以降です。さやこという名前のほかバリエーションとして「さやか、さえこ」といった名前が出てきたのです。


と書いていますが、少し嘘くさいですね。とくに、「さえこ」についていうと、黒柳徹子は、1955年ごろのNHKラジオのホームドラマ「一丁目一番地」に、「さえこ」という名前で、名古屋章の妹役で出ていましたし、井上靖の自伝的小説「あすなろ物語」(1953年)には冴子(サエコ)という女性が登場します。当時、サエコという名前は決してめずらしい名前ではありませんでした。私の知人の娘さんは1975年ごろに生まれた娘さんに「さやか」という名前をつけたと聞いたときは、珍しい名前だと感じたことを覚えていますから、当時はまだ一般的ではなかったのでしょう。
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No.6です。

少し補足します。

回答者の親族が卒業した熊本県の田舎の小学校の百年誌に掲載された、明治の終わりから昭和48年までの卒業生名簿の女子の名前を調べてみたところ、興味深いことに昭和11年の卒業生に「サヤカ」という名前の人が1人いました。大正の終わりに生まれた女の子に「サヤカ」と命名した事例が実際にあったことを示すものです。

そのほか以下のこともわかりました。こうしたことは地域性もあるでしょうから、具体的に多くの地域で多数の名前を調べて見なくては全国的な傾向はわかりませんが、九州の一つの小学校の60年以上にわたる変化として参考にはなると思います。

1.明治の終わりから大正の半ばくらいまでは漢字の「子」の付く名前はほとんどない。(当時毎年2,30人いた卒業生の女子の中にツタコやキミコなどカタカナの「コ」のつく人が1人いるかいないか)ナツ、ハル、ヨシノ、トヨ、ヤヨイ、キヨ、イシなどほとんどがカタカナの表記の「コ」の付かない名前。(漢字の「子」のついた最初の名前は大正3年)

2.昭和になると「子」の付く名前(特に漢字+子)が増えるが、サカエ、ハツノ、フミエなどカタカナ表記の昔風の名前も昭和30年代くらいまでは存続した。

3.昭和40年代になると○美、○恵、○代(世)など「子」の付かない名前も増加する。

安部佐也加について『日本女性人名辞典』(日本図書センター 1993年)の解説は以下の通りです。

江戸後期の歌人。筑前国頃末の医師で歌人の安部文彦(淳庵)の長女。同国宗像郡上西郷村の今井深見を婿として家を継ぐ。父文彦、夫深見とともに同国鞍手郡古物神社神官伊藤常足の門に入り、和歌や国学を学ぶ。常足の編んだ門人歌集『岡県集』(天保7年序)には30首の和歌を載せ、女性では最多の歌数である。(『福岡県史』)

なお日本の女性の名前に関しては、古代から現代(昭和60年ころ)までの名前を多数の史料を扱って分析した『日本の女性名』(角田文衛著 教育社歴史新書上・中・下)という書籍があります。
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女性の名前としてです。



現代の「さやか」の有名人では、アナウンサーの
下平さやかさん(1973年2月12日生まれ)が一番
年上です。

一般的には1960年代~1970年代にかけて、さやか
の命名が始まったものと思われます。
理由は1950年代では、女子誕生時の命名に、まだ
○○子が主流であり、末尾に子を使わない命名が
始まったばかりで、○○美のような普通の名が多く
「さやか」のような凝った名にまで行かなかったのです。
1960年代とくに後半になると他と異なる命名が増え
ました。
ただ人名ですから、いつ誰か立証は困難です。

それ以前昭和戦前期にさやかのような凝った命名は
聞いたこともなく、当時の慣習から付けることも考え
られません。

江戸時代以前では源氏名としてなど、使われたことは
あったかも知れません。
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厳密に日本語の人名かどうかは甚だ疑問ではありますが、男の「沙也可」でこんなのもあります。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%99%E4%B9%9F% …
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さやかという名前が、日本人の間に一般的になったのは


1969年、皇族の黒田清子(さやこ)さんがお生まれになった以降です。

さやこという名前のほかバリエーションとして「さやか、さえこ」といった名前が出てきたのです。
同じ「さやこ」をつけるのは「畏れ多い、名前負けする」といった意識があったのでしょうね。
その語韻が「和歌のよう」「古風だけど新しい」というイメージが受けて、だんだん広まっていきました。
特に「~子」とつけるのが古臭いと思われ始めた80年以降、爆発的に増えたようです。

さやかの語源(?)となった清子という名前は、室町以降に貴族や武家で散見できますが
明治に入って一般庶民の間でも広がっていきました。
ここからは推測ですが、「さやこ」という名前は、昭和に入るころには「古風すぎる」と思われていたと思われます。
そのため戦後に入ってからはあまり人気が無かったんじゃないでしょうか。
だから黒田清子(さやこ)さん誕生で、再認識されたのではないかと思われます。
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    名前としては、知りませんが、言葉として有名なのは平安初期の歌人、藤原敏行の



    「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」と言う歌があります。
    https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E7%A7%8B …

    ですから平安初期十世紀ぐらいには既に知られてういます。
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昭和34年生まれですが、同世代にはほとんどいません。



私の友人の子ども世代(昭和50年代)あたりからではないかと思います。
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