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40歳代より上の方に質問です。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8683872.html
これなんですが左翼が多数派を占めた時代はないにもかかわらず、反日報道に対し苦情電話も不買運動もおこらず反日新聞がたくさん売れていたのはなぜでしょうか。
その人が左翼でないことと、自衛隊や日本が嫌いだということは昭和の時代には矛盾しないのですか。
当時は国民ほぼ全員が自衛隊の敵だったのですか。
どのように理解すればいいのか教えてください。
あの当時の平均的日本人の愛国心は今と比べてどんなんだったんでしょうか。

A 回答 (9件)

>40歳代より上の方に質問です。


ということは50歳以上ということでしょうか。
現在平成26年ですから、最年少は24歳で平成を向かえたことになりますね。
当時はバブル経済の真っ最中で、証券会社に入社した新入社員の娘のほうがメーカー勤務の親父よりもボーナスが多かったという時代です。
企業は次から次へと設備投資を繰り広げていました。
当然人手不足です。
いくら身分が安定していても、厳しい訓練が待ち構えている自衛隊へ入隊しようという若者を探し出すのに苦労していた時代です。
敵だの、愛国心だのとは無関係なお話になります。

1960年(昭和35年)の日米安保改定反対闘争を御存知ですか。
1965年(昭和40年)以降のベトナム戦争反対運動を御存知ですか。
世界的な規模で繰り広げられました。
1968年(昭和43年)の東大紛争を皮切りに、日本中の大学が学生の手によってに封鎖されたことがあるのを御存知ですか。
反戦フォーク集会で学生が東京の新宿駅を占拠したことがあるのを御存知ですか。
ギター片手に集まって歌いまくりました。
三里塚闘争(成田闘争)というのを御存知ですか。
あさま山荘事件というのを御存知ですか。
よど号ハイジャック事件というのを御存知ですか。
テレアビブ空港乱射事件というのを御存知ですか。
ネットでご確認下さい。
当時の画像はyou tubeでご覧いただけます。
 
同時に高倉健などの任侠映画や「ふうてんの寅さん」などの映画が流行った時代です。
機動隊と殴り合った帰りに任侠映画を観て、義理だ人情だと言っていました。
現在の感覚での左翼だの右翼だのという机上の空論の時代ではありませんでした。
良かれ悪しかれ主張には常に行動がともなっていました。
不買運動だのという生易しい時代ではありませんでした。
当然、このような政治闘争に参加しない若者も多数いました。
このような価値観の時代に自衛隊へ入隊する若者は極限られていました。
参考までに申し上げておきますが、
防衛大学校というのは、当時は、現在の偏差値でいえばトップクラスの難関校でした。
優秀な連中が集まっていました。

この時代を体験して肌で知っているのは、少なくても60歳以上の方ということになります。
やがてバブル経済の時代へと突入していきます。

昭和30年代から昭和50年代というのは、企業の中堅以上の幹部には軍人上がりがゴロゴロいました。
学生運動上がりの社員を軍隊上がりの上司が指導していました。
価値観の違いなどという生易しいものではありません。
意見が違えばどちらも簡単には引き下がりません。
このような集団が世界第二の経済大国を築き上げました。
国を愛するというのは、戦争や軍隊のお話をするだけが能ではありません。

どなたからお話を聞かれたのか分かりませんが、今一度昭和の時代というのをお調べください。
時代の価値観も社会情勢も目まぐるしく変わっていた時代です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ごく一部の左翼に当時の社会の雰囲気の責任を全部押し付ければ、自衛隊は国民全員が自分らを敵視して左翼を擁護していたとか考えなくてよくて精神衛生的に良い。大多数の国民は左翼をスケープゴートにすれば単純に都合がよい、と思ってたんですが、どうも違うみたいですね。

お礼日時:2014/07/21 17:48

私的には、三丁目の夕日がお勧めです。



冷蔵庫が電気冷蔵庫になり、洗濯板が洗濯機になり
火鉢がストーブになり、お釜が電気炊飯器に変わり
薪風呂がガス風呂に変わり、網戸が無く蚊帳で寝てた。

テレビも無く、ラジオと新聞一紙だけが世の中の動きの情報源であった。

家の中が急速に変わっていき、生活様式が変わり
テレビで月面着陸が生中継されると、もうすぐ宇宙旅行や
移住が始まるのかと、鉄腕アトムはいつ出てくるのかと
そんな夢の期待感が膨らんでいき、高度経済成長でますます加速していく。

白黒テレビを頭の中でカラーに想像してる水準で
生活の変化と夢の期待で、政治的意義とか反体制とか一部の突っ走りに
生活かけて働いてる人が大半の世の中では、余裕や裕福目指してたら
人のことに首突っ込んでる余裕はないです。

靴下や洋服も、穴を塞いでも使い続けてる時代で
今の物が溢れて、飢えも寒さも知らなければ
何年も貯蓄し続けて、家電をコツコツ買うなど考えられない時代。

子供でも薪割りや風呂焚き、掃除やお使いが
毎日の仕事ととしてやってた一般庶民の生き方に
論じる余裕があるのか?ですよ。

学生運動も、保護者が食べさせてくれたからであり
大学も家が裕福でないと行けない訳ですし。
空論は、養ってもらえる立場じゃないと描けないので
就職となるとそこで終わる。

革命で国を崩壊させて、国民の生活を壊すことに
やっと向上し始めた生活を、戦中戦後の人は良しとしない。

今でしたら、山中で2~3年自給自足をやれば
生活に勤しむ気持ちが分かるかなと思います。
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>人数が集まるのは単に自衛隊にしか入れないような人たちの生活のためではないのですか?



少なくとも災害時等に救援活動が出来るレベルの高い集団であるのは間違いが無く、其の程度の事も理解不可能な貴方の様な低脳児でないことだけは確かです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
大昔の江戸時代の農民が搾取されてたかを検証するときでさえ、何百年たった今なのに右か左か立場によって評価が違うことを考えると数十年前でしかない昭和の評価を感情を排してすることは難しそうですね。
昭和なら証言者がたくさんいて、映像や写真などの明白な情報もたくさんあるのに残念な気持ちです。
でも、記憶がフラッシュバックしたり辛い差別や排除の思い出のある方も多いと思われる今、興味本位で質問するのはまずい気もしてきました。
ご注意いただきありがとうございました。

お礼日時:2014/07/21 23:28

No.2です。


お礼ありがとうございます。

>左翼ともめるのが嫌だったから大規模な不買運動は難しかった。

いえ、不買運動に興味がある人が少なかったように思います。

中国で抗議に日本車壊したりしますよね。
持ち主の中国人が困るだけですよね。
目先の感情で、そこまでエキサイトするのもなく
基本冷静ですよね。

震災でも、タクシー並ぶじゃないですか。
スポーツで楽しんだ後、ゴミ拾って行くような。

相手国のダメージを狙うことに血道上げてもねぇ・・・。
陥れるより、切磋琢磨で自分を引き上げる闘争の方がいいと思います。
それで大国までなれた訳ですし。

発展性で懐も国力も上げた方が良くありませんか?
社会的にも、そっちに方向が向いていたと思います。
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#5の者です。



>自衛権放棄はなくて戦争反対。
>なんか平成世代の人間にはわからないです。

簡単です。家族を守るためには戦う。
しかし、金銭的利益や政治家のために死ぬのはイヤだ!
という事です。
国家は、我々の手段であって目的ではない。
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え?高度経済成長期は自民党の天下であり、3C(カー、クーラー


カラーテレビ)を目指して全国民がコマネズミのように働きまくって
いた時期であり、共産党や全学連は、大衆から浮いたピエロに
過ぎませんでした(当時の共産党、社会党の体たらくを見ても分か
ります)。
マスコミが左翼的に見えるのは、スキャンダルは権力側に生じる
からです(反日ではなく反体制)。
社会党が息を吹き返すのは、その後だいぶ経って高度経済成長
が行き詰まってからです。

しかし、戦争はこりごりという実感は、大衆が抱いており、ベトナム
戦争反対運動などは、大衆を動員しました。
この「戦争反対」は、決して自衛権の放棄ではありません。
大多数の大衆は、自衛隊を肯定していました。
しかし、時代は経済成長志向真っ盛りであり、サラリーマンが花形
の時代であって、生産に直接寄与しない自衛隊員は、実際、頭の
悪い人間が仕方なく就職する先であったので、そういう意味では
「肩身が狭かった」のも事実です(左翼とは関係ありません)。

この回答への補足

回答ありがとうございました

補足日時:2014/07/21 18:05
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この回答へのお礼

左翼ではないのに反体制。
当時は冷戦の脅威があったはずなのに。
自衛権放棄はなくて戦争反対。
なんか平成世代の人間にはわからないです。
質問でそれを把握するのは無理な気がしてきました。
当時のそのへんの価値観とか雰囲気を知ることのできる本を紹介いただけると幸いです。

お礼日時:2014/07/21 18:05

 新聞って思想信条で選んでとるようなものじゃなかったです。



 まず新聞とってて当たり前という世間の常識があった。それがテレビ欄のためであっても。むしろ『テレビ欄以外も読んでいる』なんていうと珍しいと言われたりするぐらい。

 そしてどの新聞を選ぶかというと、『親の代からずっととってた』とか『契約すると景品貰えた』とか『ご近所さんが勤めているから』で、『この新聞の編集方針に賛同した』なんてのはごく一部。新聞の売上高と思想の浸透は別です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
テレビ欄のために新聞の契約をする人がいるのを忘れてました。
そういえば昔はそれがありました。

お礼日時:2014/07/21 18:09

>反日報道に対し苦情電話も不買運動もおこらず反日新聞がたくさん売れていたのはなぜでしょうか。



苦情電話は、いろいろとあったように覚えています。

クレーマーは以前から居るわけで、気に入らない一言にも
クレームを入れる人はいます。
とにかく言わないと気が済まない。

正当だと思えるもの、苦情が多いものは訂正なり説明が入ってました。
が「不適切な表現があり、お詫び申し上げます。」では
どこがどのように不適切であったのか分からずと言うのも多いですよね。

新聞や雑誌のお詫びは、後追いなので明確にされやすいですが
テレビなどリアルタイムでやれるものは、不明も多かったと思います。

それは、反日報道に限らずですが。

不買運動は「そんなのは、どうでもいい」感が世間にあるのを感じていました。
左翼が勝手にやってることには、巻き込まれる方を避ける傾向で
左翼は一般的にはあまり関心を持たれず、燃えてる人に「よくやるよ・・・」
そんな目を持つ人が多いように、当時は思えました。

もめたり喧嘩をすることに意欲的な傾向は、全体として低かったように思います。
関心事が個々それぞれにあって、全体としての高まりはさほどなく
生活水準が上がっていく時期でしたので、個人的欲求の満足に向かっていたと思います。

思想低迷期であり、自衛隊は災害時に必要な要員であり
花見と盆踊りはでは敷地が開放され、地方では地域生き残りの
誘致もあり歓迎されるところも、それなりにありました。

制服で自転車通勤してる人とかを見ると
厳つさと健全さの不思議な感覚を覚えました。
昔は車が高かったからでしょうか?
制服姿は、通勤時多く見かけてました。

高校のときぐらいでしょうか、「自衛隊に入るなら親子の縁を切る」と
言われましたが、兄弟そろって緩かったので入るはずもなく(笑)

左翼は左翼。
自衛隊は、自衛隊。
入隊していても個人は、個人。

日本人としての誇りをもつ教育は、敗戦と同時に無くしてしまったので
民族的なバックボーンを持たない、ありきたりな日本人として
日本の良さを知らずに成長した「誇りを持てない日本人」であり
愛国心って何?と言う世代だと思います。

手にしている治安の良さだとか、技術力の高さだとか
勤勉さがどれほどのものか、平和と平等は世界的に見ると
高く維持されていると認識せずに、個人の未来に向かうことに意識が行く。

社会がいろいろと飽和状態でしたからね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
左翼ともめるのが嫌だったから大規模な不買運動は難しかった。当時の人たちは左翼でなくても争いを嫌ってて自分と家族の幸せが人生の価値観のほとんどだった、ですね。

お礼日時:2014/07/21 18:17

自衛官は立派な日本国籍を有する日本人です。



国家の政府の役人も同じです。

国民全員がそっぽを向いていたら、誰一人として人員は集まらない筈です。


反日報道には当然に苦情電話や運動も行われました。

が、其れ等は一切「報道」されませんでしたし、更にメディアに対する反論は「右翼」だと言うレッテル貼りとネガティブキャンペーンが行われました。

要は国民間で左翼が多数派にはなりませんが、新聞・TV等のメディアは左翼オンリーなのが日本なのです。

ネットが普及する以前の時代では、メディアの掌握のみで世論を操作する事が可能でしたから、酷いものでした。(今でも偏向報道を頑張っていますがw)

この回答への補足

>>国民全員がそっぽを向いていたら、誰一人として人員は集まらない筈です

暴力団に人望と優秀さを兼ね備えた人物が集まったり、芸能界の大物に暴走族出身者が大勢いたのは、ああいう反社会的団体に国民の理解があったからなんですか?
人数が集まるのは単に自衛隊にしか入れないような人たちの生活のためではないのですか?

補足日時:2014/07/21 17:58
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
当時は右翼や保守活動家の肩身が狭くて、そういう右寄りの思想を持ってるとみなされると社会的不利益があった。だから苦情電話も運動も当時は無視される程度の規模でしかできなかったわけですよね。でも左翼報道を不満に思う人らはTVCMに対する不買運動をなぜやらなかったんでしょうか?
不買運動のほうはノーリスクなのになぜメディアに影響力のある規模がに達しなかったのでしょうか?

お礼日時:2014/07/21 17:54

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