海外旅行から帰ってきたら、まず何を食べる?

長崎県佐世保市の県立高校1年の女子生徒(15)殺害事件で、殺人容疑で逮捕された同級生の少女(16)について、

県の児童相談所に6月に寄せられた相談は「放っておけば人を殺しかねない」と指摘する深刻な内容だったことが、県への取材でわかった、というニュースがありましたが、県によると、県の児童相談所への相談は6月10日に電話であり、精神科医が名前を名乗り、「高校1年の少女について相談したい」と伝えた。少女の名前や住所、高校名などは明らかにしなかったが、(1)小学校での給食への異物混入(2)中学時代のネコの解剖(3)父親を金属バットで殴ったこと、の3点を挙げ、「このまま放っておけば、人を殺しかねない」と注意を促したという。児童相談所は、児童福祉法上の制度を説明し、精神科医に助言をしたというが、助言の内容は明らかにしていない。ということなのですが、こういう大きな事件の場合は、事前に○○に相談していたとか、○○がきちんと対応していれば防げたのではないか?とか、どこかが責任を問われることが多いですよね?みなさんはどう思いますか?実際にこういう殺人事件の場合、第三者が責任を問われるのは仕方ないことなのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

 「第三者が責任を問われる」、僕はこの部分に疑問を感じます。

「第三者も責任を問われる」ならば普通の法感覚となりますが、何か事件の問題を加害者から他の第三者に転嫁させてしまうかのような危惧を感じもします。
 件の加害者は恐らく精神鑑定を受けた後に医療刑務所で生涯を過ごす形になるでしょう。けれどもそれで事件は終わったわけではありません。この凶行に至った背景は法廷で断罪もされることになり、精神科の医師から警告を受けていた児童相談所ならびに学校は、何も対応を取らなかったことで厳しくその責任を問われもするはずです。
 むろん児童相談所の所長や主事そして学校の校長も懲戒解雇されて然るべきであり、彼等には危険を予知しながらもそれに対する対応を何一つ取らなかったとの責任があります。
 児童相談所といえば、虐待の問題に世間の耳目が集まってもいますが、その問題一つをとっても虐待されている子供を積極的に保護しようとする動きは相変わらず鈍いともいえます。
 事件が起こってからでは遅い。これは桶川ストーカー殺人から警察が得た教訓のはずですが、それも実際には生かされてもいないとの点で、同じ問題と根深さを感じもします。精神科の医師から連絡がなされたのは、喫緊の問題を感じていて、それを事前に防止できるのは児童相談所や学校そして警察であるとの判断があってのことと存じます。もし精神科の医師だけで解決できるならば、そうした手続きもとらなかった。
 この事件はあくまでも特異な事件であり、その性質により判決の行方に注目が集まりもすることは自然でしょう。
 何よりもこの加害者の言葉が未だに報道されてこない事の方が僕は気掛かりです。もしかしたら「私、何か悪いことした?」と自身の行為とその結果の重大さに気付いていない可能性もあります。
 もし僕が検察サイドの人間ならば、被告と同時に児童相談所という組織そのものとそこに従事する人間の職務責任を徹底して追究しもし、また法の陥穽とそれを放置し続けてきた立法と行政そして司法の責任も厳しく断罪します。
 児童相談所の仕事の範囲を養護相談・保健相談・心身障害相談・非行相談・育成相談との「相談」に限定してしまえば何も解決できないことと同じです。いつも傍観者的で安全な立場に身を置く彼等に対し、それこそ頭をカチ割ってその中がどうなっているかを観察してみたいほどの衝動にも駆られます。
    • good
    • 0

小学校を含む教育関係者、親、児童相談所の3者が世間体を気にしまともに向き合わなかったことが原因です。


尾木ママがこの事件は100%防げたと言ってますが私も高い確率で阻止できたと思います。
教育・保育について学んでいる現在での意見です。

10年前に佐世保で小学生同士の殺人事件が起き日本中に衝撃が走ったのですが、結局子ども達が悪い、だから倫理道徳を徹底すればいい、という考えしかなかったため悲劇が繰り返されたと思ってます。
まず変わるべくは模範となるべき大人の意識だったのですから。
そのことから逃げた結果が再び起きた悲劇なのです。

私は加害者を悪いとは思いません。
ねじ曲がるのを阻止しようと真剣に向き合わなかった大人達が本当の加害者であり犯人です。
これで本気で買われなければ佐世保は子どもを育てるべき地域ではなくなるでしょう。
    • good
    • 0

学校の校長も その一人に挙げるべき



不登校の一人暮らしの生徒を 「仲が悪いとは認識していない・・・・」

全く、トンチンカン。そんな問題じゃないだろう。 
    • good
    • 0

本来、第三者機関は見守りが主なはずですであって、責任は無いと思います。


「第三者機関が対応しないと」という報道とコメンテーターの安易な発言が
事をこじらせているように思います。子供がおかしくなるのは親の責任です。
今回の親の件で言うと
地元で弁護士をしている様ですが
(1)小、中学校時代の素行をもみ消して無かった事にした
(2)妻の看病より愛人への投資
(3)娘をマンションに1人で住まわせて厄介払い、自分は愛人と結婚して居住
弁護士で羽振りも良かったのでしょうが、
娘への投資(お金以外)があまりにもなさ過ぎて、精神が闇のほうに向かったのだと思います。
「佐世保の高1殺害について」の回答画像8
    • good
    • 0

最新の報道です


関係者の苦労がうかがえます
それでも事件は起こってしまった・・・・

http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20140 …
    • good
    • 0

放っておけば人を殺しかねない


      ↓
貴方治療したほうが良いから入院しましょうとお誘いするだけですよね 
      
人を殺しかねない
     ↓
未成年を一人暮しにさせていた

保護者である人は何してたのかな
電話すれば異常ないといえるのかな
親族は信用しなければいけない理由は存在していない

防げるチャンス有ったのにガキの言葉信じて確認していない
問題児なのだから疑って普通だと思いますけどね

根拠として学校もいかず、ふらふらと遊び人なのだから
問題児の言葉は信じる人なんていないのが一般世間常識
    • good
    • 0

結果があり、その後に「実は~」と言う事が


出てくることがありますが
何も起こらなければ
だれも、気に留める事もなく過ぎるだけ。

第三者や、それに関わった方が
何もせず放置した結果と、実際の結果に
因果関係があったとされる事もあるが
すべての、事案がそうなのか。

テレビでは結果を受けて、
いろいろな立場の方々が、いろいろ言っているが
当事者とその関係者が、責任を取るべきでは。

事案に関わった第三者の方々が、何か行動すれば
事件は防げたのか
防ぐことが出来たのか
防ぐことが出来なかったのかは、
その結果なんか、誰もわからないので・・・。
    • good
    • 0

児童相談所は、全く頼りにはなりません・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    • good
    • 0

未成年者ですから第三者の責任云々以前に、保護者である親の責任が


先ず問われ問題になるべきでしょう。

いかなる少年犯罪にも その親の連帯責任も当然伴うと
法律改正する必要があると思いませんか。
    • good
    • 0

”事前に○○に相談していたとか、○○がきちんと対応していれば防げた


 のではないか?とか、どこかが責任を問われることが多いですよね?”
      ↑
これは、過失論の変遷が原因です。

かつて、過失とは、精神の緊張を欠くことだ、と
簡単に考えていました。
しかし、現代では過失とは、なすべき事をなさなかった
ことだ、と捉えるようになっています。
精神の緊張なんてのは本人にしか判らないのに対し、
なすべき事、というのは外部から判明しやすいからです。



”実際にこういう殺人事件の場合、第三者が責任を問われるのは
 仕方ないことなのでしょうか?”
     ↑
第三者といっても、法的責任を問われるのは
特別な法的義務のある第三者だけです。
その第三者が、なすべき事をなさなかったのであれば
責任を問われるのは当然です。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!