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こちらでもよく目にする言葉です。

年齢相応の“格好”、“行動”、“生き方”、“考え方”、また“恋愛”なども…
何につけても年齢に見合うようにしなければいけないことはよくわかります。
極端な話、100歳の方が、10代の子が着るようなワンピースなんかを着ていたら「え!?」となると思います。
でも、始めに書きました「○歳のくせに」という言葉を目にすると、
どうしても苦しくなってしまいます。
自分が若くなく、加齢に恐怖し、人一倍年齢にコンプレックスがあるからだと思います。
おばさんは何もかも許されないような気がしています。日々、若い人に怯えています。若さには敵いません。
おばさんになり、ひっそりと暗闇で生きていかないといけないのかと思うと、あまりの絶望すぎて、また生き難さに、生からのリタイアすら頭に浮かんできます。
極論すぎるとは思いますが、
日々加齢し、もう二度と若くない自分を、自分自身が責め追い詰め許すことができません。
もっと、人生を楽しみたいです。
辛いです。

A 回答 (5件)

海外へ旅行へ行く一番の楽しみは


文化の違いです

ハワイなどでは
まるまる太ったおばちゃんでも
水着になって
海岸で日光浴をしています

日本でしたら
まずほとんどといってもいいくらいの
見かけない光景です

私の家内などはびっくりしています
そんなに太ってはいませんが
わたしには絶対できないと言っています

海外の
とくにアメリカなどでは
家がきれいです

日本のようなクリーム色ではなく
ピンクや明るいグリーンやブルーなどもあり
町並みがおもちゃのようできれいです

本当は私もそうしたいのですが
ご近所を考えたら
それには勇気のいることですね

年をとった女性でも
派手な服を着ていますし
でっかいおしりでも
ジーンズで堂々とまるだしで
お買い物をしています

日本で生活をしているのですから
同じような真似はできませんが
我が家では
子どももふくめて
個人主義
自分は自分と
あまりまわりを気にせず
好きな服装
好きなことをしています

仕事ではありませんが
お母さん世代の方と
接することが多いのですが
仲が良くなるこつは
女性はいつまでも
17歳なんですね

40、50の女性でも
17歳の女性と話すつもりで
会話をすると
みなさんとすぐ仲良くなれます

おばさんだからといって
ばばくさい話ばっかりは
したくないですからね

ご近所ばかりをみていないで
べつに旅行をしなくてもいいですから
もっと御自分の個性を出して
もっと好きなことをすればいいのではないですか

そういう私も
まわりはオヤジばっかりになってしまって
話す内容に飽き飽きしています

先日も
派手な服装で(自分では普通なのですが)
スーパーで買い物をしていたら
ご近所のご夫婦と出会い
その奥様が
ご主人に
あなたもこういうかっこくらいはしなさいいよと
ジャージ姿の旦那をしかっていました

好きな服装で
好きな音楽を聴いて
好きな本を読んで
楽しんでいます

まわりは気にしないことです
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私が、時々行く海辺の食堂(安くて美味しい)に


「子ども叱るな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ」という評語?が貼ってあります。
私は「確かにそうだな~」と思い、お年寄りの行動が遅い事などに寛大になれました。

質問者さんの年齢はわかりませんが、私も年齢的には「おばさん」です。
可愛らしいミニワンピースを着たりすることは、似合わない年齢ですが、
「おばさん」には「オバサン服」という考えには反対です。
逆に若い子が着こなせないような、上質なファッションが楽しめると思います。
(それほどお金持ちではありませんが)。

人は誰でも歳をとります。永遠に若い人はいません。
それなら、自分の年齢を受け入れて、年齢相応の楽しみ方をすればいいと思っています。
高級ホテルに宿泊することに、若い時はビビッていましたが、今は特段身構えずに楽しめます。
加齢は悪いことばかりではありません。加齢による体力・容貌などの衰えは否定しませんが、
経験値が増し、物事の考え方が深くなったり、弱いものに対して優しくなれたりします。

私は若い頃のもの知らずな自分より、今の自分の方が少しだけ好きです。
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職場にも所謂おじさんおばさんの年齢となった人がいますが、


40歳50歳になっても男らしさ女らしさというものを失わず、恋愛の話や若者がするような他愛もない話をしている先輩方が何人かいます。
それを「40歳50歳の人間がする話じゃないだろ」みたいには僕は思いません。

芸能人を引き合いに出すといろいろと誤解を招きそうですが、あの人達も男女共年齢より若いなと感じる人が多いと思うのです。
中には痛々しいと感じる人もいますが、おじさんおばさん然として枯れている人よりかは何倍もましなんじゃないかと思います。
僕の主観ですけども。

年齢的にそうであれ、老けこむのはいいことではありません。
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そういうときは、こう考えます。



「過去から人が生まれて老いて死んでいった以上、

 自分より年上のかたがたが皆同じだったのではないか?」

と。

その上で解決できていれば、今頃は不老不死の社会ができあがっているはずです。


どうしても獲得しておかなければならない考え方が幾つかあります。

「一見してミスボラシク見えても、心の中や、その実力は、

 自分なんか到底及ばない立派な人物かもしれない」

そう思って、誰を見ても恥じ入り、侮らないようにすることです。


年上の人が何故立派かと言うと、

自分よりも老いており、死に近いはずなのに、

まるで気がついていない様なフリまでして、

普通に振舞っているからです。

誰もが同じなのですから、自分だけ救われようとしないことが大事ですね。




とはいえ、現実的に楽になるためには、加齢の恐怖の正体を知ることが必要です。

あるとき、同様の悩みを抱えている人と話をしたことがあります。


話してみて、彼から出た言葉をまとめますと、

「これまで良いことが全くなかった。

 だから、先にあるんだと自分を支えてきた。

 若いからこそ、まだ諦めないでいいんだ」

ということでした。

こうやって自分の”今”を放棄して、未来に託してきたのですね。

だから、”今”を我慢して、辛くても笑っていられたと言うことです。

(彼も年配なので)年齢の話をすると、

「まだ、自分が経験してない楽しいことが世の中に沢山ある(らしい)のに、

 自分はゲームオーバーで、何も体験しないで終わるんですか?」

と焦っており、

「そんな不公平な、不条理な話が本当に起きるなんて、

 神様は意地悪だ」

と思って絶望し、加齢自体を忌み嫌っているという話が本質でした。

大変驚きました。

競争に打ち勝っても、不条理により、良い事が得られないのが当たり前。

ましてや、待っていたら、そのままです。


一般に他力本願といいます。

この考え方を持つと、晩年で加齢を怖がるようです。

当然ながら、沢山の同じ様な人がいるはずです。

「この後何とかならないんですか?」

こんな質問も受けました。

「待ってると、どんどん減っていくので、今を楽しまないとだめだよ」

こんな趣旨の答えを返した覚えがあります。

とくに最近では震災がありました。


東日本が全滅するかもしれないと、私たちの首相がTVで涙ぐんで話したとき。

その前後の話です。

先ほどの加齢を怖がっていた人。

この人にあっておりまして、

「数日中に私たちは死ぬことに成る」

とこれらを原子力発電、放射能などの科学的な話から説明しました。

また風速を計算し、現地での放射能量が幾つに増大したら、

何時間後に私たちが死ぬと言うことまで。


私は、

「こうもあっさりと、日本が。しかも自分が生きているうちに無くなるとは。

 現実と言うのは、物語よりドラマティックだね」

そんなことを言いました。

私もある程度は年を取れました。

その時間は苦しかったし、楽しいかったです。

ですが、若さゆえに未来を楽しみにしていた若者も多かったはず。


当時、

何も知らずに、

無人のデパートに集まって不安を抑えて遊んでいた子供たちがいました。

その姿が今でも思い出せます。

本格的に死を予感すると、親たちですら、子供の存在を忘れます。

これは物語の作家ですら想像できないことでしたね。

「もう少し年をとらせてあげたかったな」

本当にそう思いました。


また、正体不明の死が近づいたときの人の行動ですが、

先ほどの人が運転する車に乗っていると、

何度も交通事故を起こしそうになり、大変でした。


正体不明の死の灰を恐れる余り、もっと分かりやすい死をここで招いてしまう。

こういった愚かしさを本当に露呈してしまいます。

私たちは、自分以外の誰かが、自分を救ってくれると信じすぎているのです。

誰もが自分に見向きをしないと直感すると、

これまでの全ての能力や尊厳が失われるようです。


人生は積極的に”今”を楽しみ、無理やりにでも自分にサービスをしないといけません。

誰かが与えてくれると信じていると、

「何を持っていれば? 誰かがサービスしてくれるか?」

と発想してしまいます。

何かしら趣味や仕事、能力を持っていれば、それを当て込むのでしょう。

しかし、何も持っていない人は、

「若さがあれば」

とある意味悲しい嘘をついてしまいます。

若さがあっても、誰もあなたにサービスはしません。

それどころか、何を持っていても、誰も自分にサービスはしないのです。


そして、

明日死ぬかもしれません。

自分だけではなく、皆で同時にです。


加齢の恐怖の本質は、

「失った時間分、自分を楽しませていない」

と言う負い目です。



オッサンやオバサンになって良い事はありませんが、

これまでの人生、若かったからと言って、良い事があったんでしょうか?


加齢を怖がった彼が、震災のとき、いったことは、

「何も良い事がなかった」

です。


加齢とは別に原因があると思えますよね。


そこで彼が何を求めているのか知ることにしました。

良い事とは何か?と話を聞くと、

「世に認められたい、自分に隠された力があると信じたい」

でした。

どんな結果を導けばよいのか不明でしたので、

彼が好きなアニメや漫画を聞き、それのどこが良いのか聞いて見ました。

次に、

彼がいいという部分は敢えて無視して、

登場人物から女性を削除した場合、

主人公がイケメンじゃなかった場合など、

想像させました。


すると、魅力のほとんどが無くなるそうです。

つまり、端的に申しますと、

「美人な女の子に持てる為の方法」を探しており、

彼が強く願う良い事とは、たった一つそれだけだったのです。


そこであるお店につ入れていきました。

「こんな良い事が世の中にあるなんて信じられない」

と言う次第。


彼と私の違いは、

自分を磨いてきた胆力や人物の出来、立派さとは関係なかったようです。

そのお店を紹介した後、彼は大変立派な人物に生まれ変わりました。


言葉と言うのは万能ですが、

本当に恐れるもの、

本当に求めるもの、

これを解明し、本当に処方しないと、話が深刻になり、一人歩きします。


彼と私の違いは、

お店を知っているかどうかだけでした。

その差を作り出したのは、「恥ずかしいという気持ち」。この壁だけです。


今を楽しみたいのに、自分の恥ずかしさが障害と成っているひとがいるようです。

それを乗り越えて楽しんでいる人が羨ましく成り、

そんな自分を「時間を無駄にしている」と責めている自分がいるようです。


わたしはこの焦りが、加齢の恐怖の正体であると思っています。


自分が求めているものを良く知って、

そこに恥ずかしさがあることも認め、

今まで無駄にしてきた時間を諦めて、

これ以上無駄にしないように考えて、求めるものを得るための手段を、

得るように動くことです。


年を取ることの良さをどう言おうと、

若いことの弱点をどう指摘しようと、

加齢を怖がる原因は、時間の浪費に対する焦りであり、

自分が求めるものは、

そんなに大それたことではなく、

恥ずかしさを乗り越えれば、手近で代用できます。

代用であっても、体感して分かるほど自分が変化します。

思い込んで大げさにしないことであり、正しく自分にサービスすることですね。


以上、ご参考に成れば。
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