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『KAGEROU』を読んだ方に質問です。P151に「今頃になってようやくきずいたんだけど、『死にたい』って,裏を返せば『生きたい』ってことなんだよね」とあるのですがどういう意味かあまりわかりません。『死にたい』と『生きたい』は別の考え方なんじゃないんですか⁉︎
教えてください。

A 回答 (4件)

私たち生命あるものの、根本の目的はただ一つ「生存せよ」です。


これが全ての根本に働く衝動です。
命あるもの皆、生きようとします。
また、人は時に多くの命を生かす為に自らの一つの命を捨てることがあります。これもこの生存への衝動に裏付けられている顕れです。
もし、その人が「死にたい」という嘆きを口にしたとしても、その人は生存しようとして、その言葉を吐くのです。死にたいというのは、問題を解決できないまま、最後の選択として死を持って解決しようとする、ある種の逸脱です。分かりやすく言えば、混乱なのです。しかし、その人は飽くまで、生存しようとして、死という一つの選択をもって、生存への問題を解決しようと試みているです。人は、生存への衝動を否定することはできません。
なぜなら生命は、生きること、生きようとする衝動だからです。これがまず土台にあるのです。
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おじさんです。


推測はできますが、良くわかりません。
これを書いた人が、自分が「死にたい」と思っていたのか、「死にたい」といってる人のことを分析して言ってるのかもわかりません。
私は「死にたい」と思ったことが無いので、そう思う人の本当の気持ちは分かりません。
「死にたい」言われたこともありません。
「死にたい」と思って自殺する人もいますし、立ち直る人もいます。

「死にたい」と思う人は、人にそういう状況に追い込まれた人もいるでしょうし、自分からそうなった人もいるでしょう。
自分が「死にたい」と思ったときに、「頑張っていきなさい」といってるのか、ひとを自殺に追い込むなと言ってるのか。

色々本や映画を見て、人の心を探る必要がありそうですね。
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『死にたい』というのは、「生きていくのが辛いから死にたい」という事ですが、逆説的に見ると「本当は生きていたいけど、自分の未来に光が見えない、だから死にたい」という解釈ができます。



つまり、「死」を望んでいるわけではなく、「生」を望みながらも、そこに希望が見出だせず、結果「死」しか残されていない、という考え方です。

本当に死ぬことが怖くない人間などいませんからね。

「生」に希望を見出すか否かの差であって、「本当は生きる事を望んでいる」という点では、同一であると言えるでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど‼︎父に聞いたのですがあまりよくわかりませんでした。おかげですごくよくわかりました。本当にありがとうございます‼︎‼︎

お礼日時:2014/08/13 15:04

KAGEROUは読んでないんだけど。


でも、これは分かるから回答。


死にたいと思うまでもなく、生き物っていつか必ず死ぬわけで。
生きる気力がないのなら、すぐ死んじゃうわけで。防御しなきゃすぐ死んじゃう。不注意で死ぬ人って結構な人数いるでしょ?

なら、「死にたい」なんて望む必要はないわけで。生きたくなくなったら、それを努力しなければ望み通り死ぬわけで。



じゃあ、「死にたい」と思う人はなんなのか?
逆に生きる気力がまだあるからなんだよね。だから死ねずにいる。

生きる気力がある=生きたいと思ってる、のに「死にたい」とはこれいかに?それが考えるべき謎なわけだ。



貴方が「もう止めたい」と思う時ってどんな時だろう?
諦めきれない時だよね。それが止めたくても止めれない時。
または、止めたら死んじゃう時。
その二つのパターン。


その「死にたい」は二つのパターンのうちのどちらかなんだよ。
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この回答へのお礼

わかりやすく教えていただきありがとうございました^_^

お礼日時:2014/08/13 15:11

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