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「この仕事を通じて、いい勉強になりました」とか「この仕事を通じて、いい勉強をしました」などは、正しい文なのでしょうか。
個人的には「通じて(つうじて)」ではなくて「通して(とおして)」とするべきだと思っていますが、現実には「つうじて」を使用している例も散見されます。それは私がこれまで誤解していたと思うべきなのでしょうか。
手元にある「大辞林」を見ると次のようなことが書いてあるので、混乱して自信がなくなってしまいました。この機会に、使い分けなどをご教示いただければ幸いです。
○通ずる(「…を通じて」の形で)
あるものを経由する。また,仲介の手段とする。 「秘書を通じて面会を乞う」
○通す(使用例としては「通して」しか載っていない)
人を仲立ちとして、また、物を隔ててそのことをする。「先生を通して頼む」「レンズを通して見る」

A 回答 (16件中1~10件)

#15です。



1.
【 「(わたしは)勉強することができた」「(この仕事は)勉強になった」というように、同じことを言うのに主格を変えて表現するのは、なぜだと思いますか?】
質問の趣旨はわかりましたし「言わざるべからず」が二重否定になっていることも認めます。しかし、あなたはどんなことを言いたいのでしょうか。

書き方が悪かったんでしょうかね・・・。わたしが言いたかったのは、
『同じことを言うのに、なぜ、このように複数の表現があるのかという点については、どう思われますか?』ということです。
二重否定はあくまで、その一例ととしてあげただけで、同じことを言うのにも複数の言い方があることを確認してほしかったわけです。
ただ、「同じこと」は正確に言うと「同じようなこと」であり、そこには微妙な(しかし、重要な)ニュアンスの違いがあるはずです。
二重否定の場合は、単に「べき」と言うよりも、否定を否定するという構造をとることで「べき」の意図を強調的に表わすことができる、という効果があることはご存知でしょう。

「(わたしは)いい勉強することができた」は、「わたし」に着目した表現です。「わたし」がなにをしたのか、どうだったのか、ということに焦点を当てたい場合の表現。
「(この仕事は)いい勉強になった」は、「この仕事」に着目した表現。「この仕事」がどうであったのか、どうなったのか、ということに焦点を当てたい場合の表現でしょう。
どちらも同じ内容について述べている文ではありますが、このような違いがあります。
最も大事なのは、「なった(なる)」という動詞を使う場合は、【「この仕事」がどうであったのか、どうなったのか】という意図があることになる、という点です。
今までのやりとりでは、すれ違いが多かったので、まず、ご自身で、主格(主語と表現すべきかもしれませんが)の違いについてお考えいただくほうが、こうしたことに気づいていただける確率が高いと考え、質問の形を取ったわけです。
いずれにせよ、これを踏まえて当初の例文、「この仕事を通じて、いい勉強になりました」について検証してみると、「この仕事を通じて、この仕事がいい勉強になりました」という意味になり、不自然であることがわかります。
「勉強になったもの=この仕事」ですから、「なる」を使うのであれば、あくまで、「この仕事はいい勉強になりました」のようにしなければなりません。

2.
>3 経験を積むこと。「今度の仕事はいい―になった」
https://kotobank.jp/word/%E5%8B%89%E5%BC%B7-3800
つまり「いい勉強になった」とは「いい経験を積むことになった」ということであり、この場合の「なった」は、変化というよりは「物・ことが結果として実現・成立する」の意味ではないでしょうか。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea

「勉強=経験を積むこと」であっても、やはり、「今度の仕事が経験を積むことができるものに変化した」と解釈するのが適切だと思います。
大辞林の語釈で言えば、色々あって迷いますが、おそらく、【(4)ある機能をする。】という項目内の、【 (2) プラスまたはマイナスの効果・機能がある。 「ために-・る本」 「名誉と-・る」 「激励がかえって重荷に-・る」】という用法に該当しそうです。
むろん、この場合にも変化の要素は健在です。
「単なる本から価値のあるものに変化した本」 「ありきたりの事柄が名誉を持ったものに変化する」 「激励がかえって重荷というものに変化する」といった構図。
【(2)ある状態に至る。】という語釈も若干、近いかもしれません。いずれにせよ、【(1)物・ことが結果として実現・成立する】という用法ではありません。

3.
>「この話は(単なる話ではなく)将来のためになる」と言い換えれば納得できますね。

念のため申し上げておきますと、この「なる」は、むろん変化であって、「この話は(単なる話ではなく)将来の役に立つものに変化できる話」という意味です。
  
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この回答へのお礼

度重なるご回答をいただき、ありがとうございました。
しかし私にはどうしても「仕事が○○に変化する」という発想が理解できません。
「ためになる本」についても、本が変化するわけではなくて読んだ人に何らかの変化を与えるものだと思いますので、「単なる本から価値のあるものに変化した本」は妙な解釈としか感じられません。
「この話は(単なる話ではなく)将来のためになる」と同様に「この本は将来のためになる」と言い換えれば納得できますが。
「名誉となる」 「激励がかえって重荷になる」については、「変化」の意味でしょうね。しかしこれらと「勉強になる」とは、異質のものがあると思わざるを得ません。
さらにこの議論を続けたいと思われるようでしたら、この質問はここでいったん締め切らせていただき、下記の新質問でお願いします。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8828648.html

お礼日時:2014/11/17 22:42

#14です。



「この仕事を通じて、いい勉強になりました」
1.
>【 なぜ、このように主格を変えて表現しようとするのか】
ここまではわかりますが、その後の二重否定の件では何を言いたいのでしょうか。私にとっては「言わざるべからず=言うべきだ」しかありません。そしてそれと主格を変えて表現しようすることとの関連性がわかりません。

『「言わざるべからず=言うべきだ」しかありません。』とおっしゃいましたが、この文の構造が二重否定になっていることはお認めになりますか?
もし、お認めになるのであれば、同じことを言うのに、なぜ、このように複数の表現があるのかという点については、どう思われますか?
ということをお尋ねしているわけです。
ですから、『主格を変えて表現しようすることとの関連性』がわからない、ということであれば、それは、わたしの提示した例が悪かったのでしょうから、その例は無視していただいて構いません。
関連性は無視して構いませんから、「(わたしは)勉強することができた」「(この仕事は)勉強になった」というように、同じことを言うのに主格を変えて表現するのは、なぜだと思いますか?
についてだけお考えいただければ結構です。これが質問の骨子です。
わかりやすくするために一例として二重否定の用法を挙げたつもりでしたが、かえってわかりづらくしてしまったようですので。
また、ややこしくしてしまうかもしれませんが、要するに、文の真意が意訳によって表現されるのはそのとおりなのですが、文の構造を理解することによる直訳ができてこそ、はじめてそうした意訳が可能になるはずだ、ということです。
そして、今は、質問文の冒頭にありますように、「になりました」と「をしました」の差異について検討しているわけですから、どのような意訳が適切か、ということはさておき、正しく直訳することによって文の構造を明らかにすることのほうに焦点を当てるべきでしょう。

2.
>【その解釈だと、「勉強=より高度なもの」という意味になってしまい適切ではないように思います。「より高度なもの」にするための手段が勉強なので。】
これもわかりません。私が「自分の技術や知識がより高度なものに変化した」と言ったら、なぜそのように言ったことになるのでしょうか。

Mister0413さんは、『変化するものがあるとすれば、自分の技術や知識がより高度なものに変化したということであり』とおっしゃいました。
「変化する」の意味は「なりました(なる)」という動詞に由来していますから、
「この仕事を通じて、いい勉強になりました」という文は、「この仕事を通じて、自分の技術や知識がより高度なものに変化しました」という意味だ、とおっしゃっていることになるでしょう。
「なりました=変化しました」ですから、「勉強(に)=より高度なもの(に)」と解釈なさっていることになるのではないでしょうか。
しかし、「勉強=より高度なものにするための手段」なのであって、「勉強=より高度なもの」ではないのだから、この解釈は適切とは言えない、と申し上げた次第です。

3.
> 【「将来のために―・る話」→単なる話ではなく、「将来的に役立つという要素を含んだもの」に変化した「話」。】
ここからなぜ「変化した話」という解釈が引き出されるのか、見当がつきません。変化するのは話を聞いた人の方だと思います。

その解釈は違うように思います。
「将来のためになる話を聞いた人が(有益な知識を得て)変化する」ということは結果的に起こり得る事態ですが、この例文の内容は、そこまで言っていません。
「なる(変化する・作用する)」ものは、あくまで「話」です。
「話」を主題にして「この話は(単なる話ではなく)将来のためになる」と言い換えてみれば、わかりやすくなるでしょう。
どのように変化(作用)するのかと言えば、聞いた人にとって有益なように変化(作用)する、という構図。

4.
>どう考えても話が合いそうにないような気がします。ここまでくると、「見解の相違」で片づけるべきことなのでしょうか。

一素人の感覚で述べていますので、専門家のように、系統立てて話を構築できていないかもしれませんね。
その点では忸怩たるものがあることは否めません。
  
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この回答へのお礼

1.
> 「(わたしは)勉強することができた」「(この仕事は)勉強になった」というように、同じことを言うのに主格を変えて表現するのは、なぜだと思いますか?
質問の趣旨はわかりましたし「言わざるべからず」が二重否定になっていることも認めます。しかし、あなたはどんなことを言いたいのでしょうか。
2.
> 「なりました=変化しました」ですから、「勉強(に)=より高度なもの(に)」と解釈なさっていることになるのではないでしょうか。
あまりにも字面にとらわれた解釈のように感じましたし、ここは意訳するしかないのではないかとさえも感じましたので、角度を変えて「勉強」の語義を辞書で確認してみました。すると大辞泉には次のように載っていることに気がつきました。
3 経験を積むこと。「今度の仕事はいい―になった」
https://kotobank.jp/word/%E5%8B%89%E5%BC%B7-3800 …
つまり「いい勉強になった」とは「いい経験を積むことになった」ということであり、この場合の「なった」は、変化というよりは「物・ことが結果として実現・成立する」の意味ではないでしょうか。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
3.
なるほど「変化した話」というから妙に感じてしまったのであって、「この話は(単なる話ではなく)将来のためになる」と言い換えれば納得できますね。
締切の期限(20日)も迫っていますので、さらなるご回答をいただけるのでしたら早めにお願いします。

お礼日時:2014/11/16 23:41

#13です。



>「仕事が勉強という価値を持つものに変わった」は、無理な理屈だと思います。

そうですか。^^;
わたしの説明能力が不足しているためかもしれませんね。下記で、もう少し述べさせていただきたいと思います。

>私は
「仕事をすることによって、勉強することができた」のように解釈するのが自然だと思います。

むろん、そのように解釈しても構わないと思います。
しかし、では、なぜ「勉強することができた」ではなく「勉強になった」と表現するのか・・・。この点を、ぜひ、考えてみてください。
省略せずに表現すれば、「(わたしは)勉強することができた」「(この仕事は)勉強になった」でしょう。
同じことを言うのに、なぜ、このように主格を変えて表現しようとするのか・・・ということをです。
同列に論じることはできませんが、たとえば、次のようなケースと似ているかもしれません。
「言わざるべからず」は「言うべきだ」という意味に解釈するのが妥当ですよね。
しかし、本質はと言えば、「言わない」という否定の形を「べからず」でさらに否定している、いわゆる二重否定の構造になっているからこそ、そのような解釈が可能になるわけです。
これを無視して、「言うべきだ」という意味しかない、と言ってしまっては身も蓋もないでしょう。

>変化するものがあるとすれば、自分の技術や知識がより高度なものに変化したということであり、勉強に変化したとか仕事に変化したという解釈は不適切かと存じます。

その解釈だと、「勉強=より高度なもの」という意味になってしまい適切ではないように思います。「より高度なもの」にするための手段が勉強なので。
念のため申し添えておきますが、「仕事に変化した」という内容は一切述べていません。あくまで「仕事が」です。
また、「仕事が勉強という価値を持つものに変わった」という解釈においては、「勉強に変化した」ではなく、「勉強という価値を持つものに変化した」と字義通りに捉えていただくほうがわかりやすくなるはずです。
要するに、単なる「仕事」という枠を超えた(=単なる仕事から変化した)ものだったからこそ、結果的に、いい勉強をすることができた、と言いたい場合の表現なわけです。

>4 ある働きをする。作用する。「不用意な発言が紛糾のもとと―・る」「将来のために―・る話」
https://kotobank.jp/word/%E6%88%90%E3%82%8B-5901
ここで使用例としてあがっている「将来のためになる話」については、どうお考えでしょうか。「話」が「将来のため」に変化するのではなく、「話を聞くことによって将来のために役立つ」ということではないでしょうか。変化するものは自分自身の知識などだと思います。

辞書では、大体、基本的な用法が先のほうにあげられているものです。
この場合も、1~4まではすべて「変化する」という要素が基調になっているでしょう。
・「不用意な発言が紛糾のもとと―・る」→不用意な発言が、単なる発言という枠を超えて、「紛糾のもと」というものに変化する。
・「将来のために―・る話」→単なる話ではなく、「将来的に役立つという要素を含んだもの」に変化した「話」。
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この回答へのお礼

申し訳ありませんが、ますますわからなくなってしまいました。
> なぜ、このように主格を変えて表現しようとするのか
ここまではわかりますが、その後の二重否定の件では何を言いたいのでしょうか。私にとっては「言わざるべからず=言うべきだ」しかありません。そしてそれと主格を変えて表現しようすることとの関連性がわかりません。
> その解釈だと、「勉強=より高度なもの」という意味になってしまい適切ではないように思います。「より高度なもの」にするための手段が勉強なので。
これもわかりません。私が「自分の技術や知識がより高度なものに変化した」と言ったら、なぜそのように言ったことになるのでしょうか。
> 「不用意な発言が紛糾のもとと―・る」→不用意な発言が、単なる発言という枠を超えて、「紛糾のもと」というものに変化する。
これについてはわかります。しかし、次がわかりません。
> 「将来のために―・る話」→単なる話ではなく、「将来的に役立つという要素を含んだもの」に変化した「話」。
ここからなぜ「変化した話」という解釈が引き出されるのか、見当がつきません。変化するのは話を聞いた人の方だと思います。
どう考えても話が合いそうにないような気がします。ここまでくると、「見解の相違」で片づけるべきことなのでしょうか。

お礼日時:2014/11/16 06:12

#12です。



>この場合の「勉強になった」は、変化の意味ではなくて「進歩した」とか「力として身に付いた」という意味に解釈するべきだと思います(完了形表現とでも言うのでしょうか)。

「この仕事は勉強になった」とは言えても、「この仕事は進歩した」とか「この仕事は力として身に付いた」とは言わないと思います。
「この仕事は勉強になった」が「仕事が勉強という価値を持つものに変わった」という構造になっているからこそ、「この仕事によって進歩した」とか「この仕事の内容は力として身に付いた」といった意味として成立し得る、ということでしょう。

>私としては【変化する前のもの】【変化の結果】にとらわれた『私に対して、あるものが「いい勉強」という価値あるものに変化した』という解釈には、違和感を覚えざるを得ません。

下記辞書にも色々な語釈が載っていますが、どの項目も、若干の表現の違いこそあれ、「変化する」という要素が基調になっていることは一目瞭然だと思います。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
「いい勉強になった」と「いい勉強をした」の差異について論じる場合、こうした本質的な意味に着目しないと、なかなか解決には結びつかないでしょう。
ただ、やはり見解の相違ということは生じざるを得ないわけで、これ以上は時を待つしかないのかな、という印象も受けます。
   
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この回答へのお礼

「仕事が勉強という価値を持つものに変わった」は、無理な理屈だと思います。私は
「仕事をすることによって、勉強することができた」のように解釈するのが自然だと思います。変化するものがあるとすれば、自分の技術や知識がより高度なものに変化したということであり、勉強に変化したとか仕事に変化したという解釈は不適切かと存じます。
#11の時点で辞書を参照すればよかったのですが、大辞泉には次のような用法が示されています。
4 ある働きをする。作用する。「不用意な発言が紛糾のもとと―・る」「将来のために―・る話」
https://kotobank.jp/word/%E6%88%90%E3%82%8B-5901 …
ここで使用例としてあがっている「将来のためになる話」については、どうお考えでしょうか。「話」が「将来のため」に変化するのではなく、「話を聞くことによって将来のために役立つ」ということではないでしょうか。変化するものは自分自身の知識などだと思います。

お礼日時:2014/11/13 01:57

#11です。



>いい勉強になったのは「この仕事をしている間に培ったり身に付けたりした技術や知識」だと思います。そのように考えれば、この表現も筋が通っているのではないでしょうか。

「なる」は変化の用法ですから、「この仕事→いい勉強」というように変化した、というニュアンスで、『この仕事は、いい勉強になりました』のように表現してはじめて、その用法に合致させることができます。
「何がいい勉強になったのか」を問う場合は【変化する前のもの】を意味するわけですから、「いい勉強になったもの」はあくまで「仕事」でなくてはなりません。
おっしゃるように、「いい勉強になったもの」=「この仕事をしている間に培ったり身に付けたりした技術や知識」という考え方も可能ですが、この場合は【変化の結果】になります。
「金が鋳造されて金貨になる」という場合、「なったもの」は金であり金貨でもあるわけですが、「何がなったのか」と問う場合は「金」になるのと同様です。
むろん、「何になったのか」であれば「金貨」というわけです。

この意味で、『いい勉強になりました』と言う場合、「何が」の何は「仕事」を指していることにならざるを得ないわけですが、そうすると、原文は、『この仕事を通じて、この仕事はいい勉強になりました』という意味になってしまい、不自然である、ということです。
『この仕事を通じて、みなさんの技術を学ぶことができ、いい勉強になりました』であれば問題はありません。
この場合は、「何=みなさんの技術」という解釈が可能になるため違和感は払拭される。

『通じて』の場合は、「この仕事を通じて、良いものと出会えました」という意図で使うのですから、「この仕事=良いもの」という意味にはなり得ないのです。
「彼を通じて彼と出会った」などが不自然なのと同様の理屈だと思います。

>そもそも「いい勉強になった」とは、「(いろいろな意味で)成長した」ということだと思っています。

おっしゃりたいことはよくわかります。
ただ、「なる」と「する」の用法の違いに留意する必要があるでしょう。
「いい勉強になった」は、構造としては、あくまで、『私に対して、あるものが「いい勉強」という価値あるものに変化した』ということだと思います。
それを意訳すると「(いろいろな意味で)成長した」という意味になる。
上記『』内の構造を無視した構文にしてしまうと、そうした適切な意訳に導くことができなくなります。
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この回答へのお礼

文法的に適切な説明はできませんが、この場合の「なる」はhakobuluさんが言っている意味とは異なる用法だと思うべきではないでしょうか。
この場合の「勉強になった」は、変化の意味ではなくて「進歩した」とか「力として身に付いた」という意味に解釈するべきだと思います(完了形表現とでも言うのでしょうか)。
私としては【変化する前のもの】【変化の結果】にとらわれた『私に対して、あるものが「いい勉強」という価値あるものに変化した』という解釈には、違和感を覚えざるを得ません。

お礼日時:2014/11/12 20:32

#10です。


補足が投稿された場合のメール連絡は、あえて設定していなかったため気づくのに遅れました。さらなる回答の機会を与えていただき、ありがとうございます。

>「普通ならば『この仕事を通じて、いい勉強になりました』だろうね」という人さえもいました。

わたしも含めてですが、よく考えてみると筋の通らない表現・構文を平気で使っているのがネイティブです。通じてしまうだけに特に違和感を覚えない人も多いことでしょう。
その点、海外の学習者の方々は「通じてしまう」といういい加減さを排除せざるを得ない環境で勉学に励んでおられるので、表現の本質に敏感なのだと思います。わたしたちネイティブにとって、まさに、教えることは教わること、といった状況になっているはずです。

『この仕事を通じて、いい勉強になりました』なども、すでに述べさせていただきましたように、よく考えてみれば筋の通らない構文ではないか、と考えます。
この例文の場合、「何がいい勉強になったのか」といえば、それは「この仕事」に他ならないでしょう。
そうすると、『この仕事を通じて、この仕事はいい勉強になりました』と言っていることになり、これが「筋が通らない」と考える所以です。
あくまで、『この仕事を通じて、いい勉強をしました』または、『この仕事は、いい勉強になりました』と表現するのが正しいのではないでしょうか。
  
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この回答へのお礼

度重なるご回答、ありがとうございます。
> よく考えてみると筋の通らない表現・構文を平気で使っているのがネイティブです
そうですね。それが母語に強い人はめったにいないと言われる所以のひとつなんですよね。
> 『この仕事を通じて、いい勉強になりました』の場合、「何がいい勉強になったのか」といえば、それは「この仕事」に他ならないでしょう
これは疑問です。いい勉強になったのは「この仕事をしている間に培ったり身に付けたりした技術や知識」だと思います。そのように考えれば、この表現も筋が通っているのではないでしょうか。
そもそも「いい勉強になった」とは、「(いろいろな意味で)成長した」ということだと思っています。

お礼日時:2014/11/12 02:09

#9です。



>そもそも何が「自然な表現」なのかということさえも、完全に明確には決められませんしね。

そのとおりだと思います。
そもそも、ここでの質疑応答は、わたしたちが無意識に使い分けている仕組みを意識的に解説するという作業ですので、なかなか難しい面もあり勘違いもあるでしょう。
お互いの遣り取りの間で、そうであったか・・・と気づかされる。
この過程が、当サイトの有意義性だとわたしは思っています。
回答者であろうと質問者であろうと、立場は全く同等で、むしろ、質問者は、無意識の闇から問題点を掬い上げてくる探求者、あるいは冒険者でもあるのでしょう。
その意味で、回答者の面々は感謝すべき立場ということが基本的には言えます。

と言った舌の根の乾かぬうちに偉そうな物言いになってしまうかもしれませんが、ここでご質問文の冒頭を再確認することで初心に戻ってみましょう。今までの遣り取りを経て、
「この仕事を通じて、いい勉強になりました」は正しい文だと思われるでしょうか?
わたしは間違っていると思います。(根拠は、これ以上述べると押し付けになるので省略します)
一方、「この仕事を通じて、いい勉強をしました」は正しい文だと思います。

この回答への補足

その後も某チャットサイトで日本語に関心のある人に聞いてみたら、「普通ならば『この仕事を通じて、いい勉強になりました』だろうね」という人さえもいました。
その人にこのスレの展開を説明したら「こんがらがってしまいました」と言っていたので、それ以上は追及しませんでした。

補足日時:2014/11/07 07:06
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この回答へのお礼

あらためてあれこれ考えてみました。申し訳ありませんが、現時点では正しいとも思えますが間違いだとも思え、判断がゆれているというのが正直なところです。
厳密に文法規則をあてはめると間違いになりそうですが、私の周囲の人が平気でそのように言うようであれば、簡単に「順応」してしまいそうです。(この数年間、私の周囲でこのような表現を使うこと自体がありません。久しぶりにこの表現に出会いました。私はそのような環境にあるのです)

お礼日時:2014/10/25 17:21

#8です。



>無理なこじつけを言っているようで不愉快・迷惑に感じられましたら、お詫びします。

それは(わたしも含めて)誰しもに当てはまることでしょうから、まったくお気になさる必要はありません。
ただ、「経由する」と「かかわる」を同じように感じるとすれば、やはり、おっしゃるように感覚の違いということになるのかもしれませんね。
「意味が通じる」のと「自然な表現」とは別物だという立場からすれば、そう言わざるを得ないようです。

  
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この回答へのお礼

種々の角度からご検討いただきまして、ありがとうございました。
そもそも何が「自然な表現」なのかということさえも、完全に明確には決められませんしね。

お礼日時:2014/10/25 14:52

#7です。



>「通じて」も「通して」も、「しました」と「なりました」のどちらを使っても通じるような気さえもしてしまいました。
このあたりは個人の主観の問題かもしれませんね。

主観で片付けるのは容易いことなのですが、せっかくですから、もう少し追求してみませんか。
たしかに、「この仕事にかかわったことで」のように解釈すると、「この仕事にかかわったことで、いい勉強になりました」も正しいように思えることでしょう。
しかし、「かかわったことで」という解釈が有効なのは、あくまで、このシチュエーションだからではないでしょうか。
たとえば、「秘書にかかわることで面会を乞う」という解釈も自然だと思われるでしょうか。
この場合は、辞書語釈のように「秘書を経由して面会を乞う」「秘書を仲介して面会を乞う」でなければ不自然ではないでしょうか。
下記辞書の例文で置き換えてみても、「友人にかかわることで知り合う」「テレビにかかわることで訴える」は、どう見ても不自然でしょう。経由・仲介などの要素が、常に「かかわる」という意味にもなるわけではない、ということではないかと思います。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/146333/m1u/ …

  
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この回答へのお礼

「秘書を通して面会を乞う」も、自然に通じそうな気がしています。それを「秘書にかかわることで面会を乞う」と言い換えるから違和感が生じるのであって、「秘書にかかわりあってもらって面会を乞う」とか「秘書にかかわりあってから(本人との)面会を乞う」と言い換えたらどうでしょうか。
同様に「友人にかかわることで知り合う」は「友人がかかわって知り合う」(知り合ったきっかけは友人がかかわっていた)、「テレビにかかわることで訴える」は「テレビがかかわった形で訴える」(訴えかけたことには、テレビがかかわっていた)では、元の意味とずれてしまうでしょうか。
無理なこじつけを言っているようで不愉快・迷惑に感じられましたら、お詫びします。

お礼日時:2014/10/25 13:24

#6です。


#2さんのおっしゃっていること自体は別に間違ってはいないでしょう。
ただ、わたしとしては、
「この仕事を通じて」が「この仕事にかかわったことで」という意味であることは、そのとおりであり、「この仕事を通じて、いい勉強をしました」という表現は可能だ。
しかし、「この仕事を通じて、いい勉強になりました」のように「なりました」と組み合わせることはできない、と申し上げているわけです。
別に持論を押し付けようとするものではありませんが、「通じて」も「通して」も、「しました」と「なりました」のどちらを使うかによって正しくもなり間違いにもなる、というのがわたしの回答趣旨であることだけはご理解いただかないと、真意が伝わりませんので。
  
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この回答へのお礼

詳細説明、ありがとうございました。
その後何回も考えてみましたが、考えるたびに私としての結論が左右しています。「通じて」も「通して」も、「しました」と「なりました」のどちらを使っても通じるような気さえもしてしまいました。
このあたりは個人の主観の問題かもしれませんね。

お礼日時:2014/10/24 22:44

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