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 ハートやヘルツやカール( coeur < cor )は 偶然 音が一致しているみたいなのですが 果たして《こころ》はあるのか? こころとは 一体何ぞや? を問います。


 たとえば イヌの嗅覚が発達しているとかコウモリが高感度のセンサーを持っているとかいうとき  これらの感覚も大きくは 《こころ》に入ると思われます。

 その感覚の器官は 言ってみれば《身》ですが そこで知覚した内容はすでに《感じ》として心をかたちづくります。

 感じが認識されれば 《獲物がいた! 探しているものが見つかった!》という概念内容になります。イヌやコウモリ(かはぼり=川守?)が言葉を使っているとは思いませんが 行動のための情報を得ているのでしょう。


 盲導犬が 危険を察知して停止することは 大きく心にかかわる方向へ向かっていると考えるのですが では犬は そこで《考える》か? 何かを考えるか? その人間に停止信号をつたえて あとは 危険をよけ それが去って行くのを見守っているだけか?

 コウモリは センサーで獲物を見つけたなら あとはそれへと向かうという行動をするのみか? 考えることは無いか? あるのか?







 ところがここでわたしが――分からないながら――わざわざ《こころ》論を始めたのは わたしは 《動物のこころは 身における感覚器官のはたらきの問題に還元される》と思うその内容を あろうことか 人間にも当てはめて見ようと思っている妄想があるからです。その思いが くすぶっているからです。


 イヌが飼い主にかわいがられて 嬉しがったりするときにも それは 身における感覚器官のはたらきでありその延長であるという見方です。それを 人間の心にも当てはめようというコンタンが ちょっぴりあるからです。




 ぎゃくに言うと 親しい人の死はかなしい。心がゆさぶられえぐり取られるようにさえ思う。
 ところが 《かなしい》というのは 何ごともしかねる(つまり 出来ない)思いだと言っているのであって つまり:

  いむ(忌む) > いまいまし(忌みたい気持ちだ)
  をく(招く) > をかし(情がかよって招き寄せたい気になる)
  ゆく(行く) > ゆかし(行って寄り添いたい気持ちだ。床しい)
  かぬ(漢字なし) > かなし(何も出来かねる思いだ。哀・悲)

 というように表現しているのであって これらの《こころ》はほとんどみな じつは《身》とそのウゴキ(行動)にかかわる内容を言っている。身にかかわる中身のことしか言っていない。

 《忌み》とは その場やものが神々しかったりあるい逆にシカバネのごとく汚かったりするとき触れがたいとか触れたくないとかという気持ちを表わしている。触れるか触れないかの身のウゴキの問題なのである。



 これらの身の振る舞いを表わすコトが 《こころ》の問題であると考えられる側面がある。おそらくこれはつねにあると思われる。

 わらふ(笑う)にしても ゑむ(笑む)にしても 顔の表面における変化を言っている。ゑくぼ(笑窪)とも言うように 顔がほころび頬にくぼみが生じることを言っている。わらふは 顔がくぼむだけではなく 割れるのである。

 (-ふ はこの場合 反復や継続の相か。あるいは 割り合ふの約で 顔の筋肉相互の相か。ゑぐる(抉る)やわく・わかれ(分く・別れ)とも言うように どうも子音の / w / が ひとつのモノの分割・分裂の相を指し示しているようなのです)。
 
 昨今では クオリアといったことも言われて来ていますが:

 ○ こころは あるか? 
 ○ 《こころ》とは 何ぞや?

 お考えをどうぞ。

A 回答 (21件中21~21件)

「心は存在するか?」というより、存在は心によって生じている。


存在=全ての素粒子が、根源的に超弦=量子定常波の励起状態
として得られる時、量子=不確定性原理こそが存在の本質を成す
ものである事が明らかとなった。
不確定性原理における、「位置(S)と運動量(St)、時点(T)と質量
(Ts)の2対において一方を確定しようとすると他方が無限不確定性
(=無)に発散する」という空間と時間の相補性は、宇宙の起源たる
自我仮説(時間の流れ=記憶=過去=超光速)と空間仮説(空間の
広がり=予測=未来=光速下)の相補分化に由来する。
「由来する」といっても具体的に生じる訳ではなく、根源的に超弦
(=光速)に還元されるものを、階層現象表面(仮想)的に捉える
(いい加減に捉える)事で、相補的不確定性を無限発散させない
事によって有限的存在性は派生しているのだ。
無いとは分からない事が有(=存在)なのだ。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 ★ 存在=全ての素粒子
 ☆ すでにここが出発点なのですね。わたしには 素粒子としての存在と人間としての存在とでは 話の仕方に違いが生じて来ると思われます。

 ★ 存在の本質
 ☆ と人間の存在とは 同じですか? 同じ話の仕方で述べてもかまわないのでしょうか?



 ★ 自我仮説と空間仮説
 ☆ とは わたしたちおのおのの存在についてそれぞれ どのように対応していましょうか? まさか そのまま人間の存在を論じることが出来るというわけではないでしょう。


 ★ 根源的に超弦(=光速)に還元されるものを、階層現象表面(仮想)的に捉える(いい加減に捉える)事で
 ☆ こころについては
 ★ 「心は存在するか?」というより、存在は心によって生じている。
 ☆ と帰結されるというお考えでしょうか?

 だとすると そのとき《心》は どこから降って来たのですか? 存在は素粒子によって成るそうですが では心は どのようになっていますか?

お礼日時:2014/11/03 11:31

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