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法の世界では「罪を憎んで人を憎まず」という有名な言葉があります。
その意味するところは何なのかと考えてみました。


例えば、
「ジハードを説くイスラム教は人権侵害だろ。」と言ったところ、人権侵害は、、、というより「実害」は、、、(「実害に対する「罪刑法定」は、あるでしょう)との答えが返ってきました。

そこで質問文のようなことが頭に浮かんできた訳です。
このような考えが正しいとするなら、「罪を憎んで人を憎まず」とは一体何を意味するのか。
果たしてその精神は今でも生きているのでしょうか。
 

「「罪を憎んで人を憎まず」とはどういうこと」の質問画像

A 回答 (13件中1~10件)

「罪を憎んで…」という諺が示すこととは、「ジハードを…」の会話のことではないのです。



「悪人に対しても恨みを残すな」という戒めです。宗教的には宗派を問わず広まっている教えだと思います。
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この回答へのお礼

 
>「悪人に対しても恨みを残すな」という戒めです。


「罪を憎んで人を憎まず」への私なりの解釈。
物事には全て原因と結果があるが、もしも物事の善悪について裁くならばその結果を裁くのではなく、その原因をさばくべきである。
これが私の解釈です。
結果は物事の表層であって、原因はまた別のところにあるなら罪の結果をさばくのではなく罪の原因となるものを裁くべきであるとする立場であると考えます。
一つの巨大な悪の根源が多くの罪人を生む。
一人一人の罪人を裁いたところでその悪の根源は無くならない。
しかしもしその巨大な悪の根源に立ち向かいこれを裁いたなら、そこから多くの罪人が生まれることは無くなる。
「罪を憎んで人を憎まず」とはこのように解釈すべきではないでしょうか。
 

お礼日時:2014/11/03 16:42

「罪を憎んで人を憎まず」は孔叢子と聖書(ヨハネ福音書8章)にある言葉です。


日本に入った時には孔子の言葉はかなり曲解されて、聖書の方の意味に近いものとして受け取られました。
今の日本では大岡政談や仮名手本忠臣蔵の影響が大きいですね。

ジハードのことを日本では『聖戦』と訳すことが多いが、正確ではありません。本来は努力、奮闘のことですが、そこには「異教徒との戦い」「防衛戦」も含まれるということです。「コーランか貢ぎ物か剣か」です。

そもそも西洋での人権の概念を、イスラムに当てはめて考えるのはどうかなと思います。
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この回答へのお礼

>そもそも西洋での人権の概念を、イスラムに当てはめて考えるのはどうかなと思います。

反対です。
人権は世界共通であって、西洋であろうが東洋であろうがイスラムであろうが全て等しく当てはめるべきことです。
 

お礼日時:2014/11/03 16:24

>果たしてその精神は今でも生きているのでしょうか。



その精神は日本では生きています。
広島や長崎の女子供など非戦闘員を大量虐殺した原爆投下に関してさえも、アメリカ人を憎まないのが日本人です。罪を憎んで人を憎まないからですね。


その精神は韓国では生きていません。
大日本帝国が戦争に突入し、日本人、台湾人、そして朝鮮人など当時の帝国臣民には、多大な苦労を掛けました。
この罪を憎むのではなく、この罪を犯した日本人を延々と憎み、その子孫にまで謝罪を要求する人々が多数派なのです。罪を憎まず人を憎む文化だからですね。

地球上にはいろいろな文化・風俗をもっている人々がいるものだと思います。

この回答への補足

本題ですが私の解釈はこうです。
物事には全て原因と結果があるが、もしも物事の善悪について裁くならばその結果を裁くのではなく、その原因をさばくべきである。
これが私の解釈です。
結果は物事の表層であって、原因はまた別のところにあるなら罪の結果をさばくのではなく罪の原因となるものを裁くべきであるとする立場であると考えます。
一つの巨大な悪の根源が多くの罪人を生む。
一人一人の罪人を裁いたところでその悪の根源は無くならず、罪人は生まれ続ける。
しかしもしその巨大な悪の根源に立ち向かいこれを裁いたなら、そこから多くの罪人が生まれることは止められる。
「罪を憎んで人を憎まず」とはこのように解釈すべきではないでしょうか。
 

補足日時:2014/11/03 17:42
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この回答へのお礼

 
>その精神は韓国では生きていません。

韓国朝鮮の精神とは一筋縄ではない、幾重にも複雑に捻れたドクロ蛇のようなものなのでしょう。
昼間は国を挙げて反日となるが、夜になると一家で親日になるとも噂されています。
そーなったのも様々な理由があるのでしょう。
ニンニクやキムチを食い過ぎたとか。

それより肉食妻帯坊主であるが、これらは人ではなく罪の部類ではないかと考えます。
 

お礼日時:2014/11/03 17:39

”「罪を憎んで人を憎まず」とはどういうことか ”


     ↑
・犯罪を侵した人を見ないで、法に照らして淡々と
 客観的に処理しろ、という意味です。

・不況になれば財産犯が増え、豊かになれば知人の
 間での殺人が増える。
 女性8人を殺害した大久保清の父も、祖父も
 同じ犯罪を侵していた。
 つまり、犯罪はその人だけに帰すべき問題ではない
 ということです。


尚、人権はキリスト教から生み出された概念で、普遍的
なものではありません。

欧米キリスト教国家が世界を制覇しているので
普遍的だと信じている人が多い、というだけです。
つまり、ある種の洗脳です。
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この回答へのお礼

 
>犯罪を侵した人を見ないで、法に照らして淡々と
 客観的に処理しろ、という意味です。

客観的に処理することは必要でしょう。
しかし私の解釈は少し違います。
物事には全て原因と結果があるが、もしも物事の善悪について裁くならばその結果を裁くのではなく、その原因をさばくべきである。
これが私の解釈です。
結果は物事の表層であって、原因はまた別のところにあるなら罪の結果をさばくのではなく罪の原因となるものを裁くべきであるとする立場であると考えます。
一つの巨大な悪の根源が多くの罪人を生む。
一人一人の罪人を裁いたところでその悪の根源は無くならず、罪人は生まれ続ける。
しかしもしその巨大な悪の根源に立ち向かいこれを裁いたなら、そこから多くの罪人が生まれることは無くなる。
「罪を憎んで人を憎まず」とはこのように解釈すべきではないでしょうか。

お礼日時:2014/11/03 16:52

私は人権の概念は素晴らしいものだとおもっていますが、人権主義者ではありません。


たとえば、グローバリゼーションには賛成ですが、グローバリズムには反対です。
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この回答へのお礼

 
その考えだとイスラムによるテロやジハードは永遠に無くならないが、それでよいのか。
 

お礼日時:2014/11/03 16:59

私は人権の概念は素晴らしいものだとおもっていますが、人権主義者ではありません。


たとえば、グローバリゼーションには賛成ですが、グローバリズムには反対です。

この考えと、国際紛争がなくなるかなくならないかは、全く関係ありません。
奴隷制をもった専制独裁国家であっても、王様が『私は戦争を欲しない』と言えば戦争を起こしません。

私はこの世界から戦争がなくなって欲しいと思っています。
有史いらい戦争がなくなったことがないにもかかわらずです。
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この回答へのお礼

 
>この考えと、国際紛争がなくなるかなくならないかは、全く関係ありません。

国際紛争の原因には例外なく人権侵害なるものが付きまといます。
人権侵害と無縁の国際紛争はないはずであるが、あったのですか。
 

お礼日時:2014/11/03 17:48

国際紛争には人権侵害がともないますが、人権侵害がともなうので国際紛争をやめようとはなりません。


『人権が侵害されているので戦争だ』となることはあります。

つまり、理屈で世界は救えない。
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>物事には全て原因と結果があるが、もしも物事の善悪について裁くならばその結果を裁くのではなく、その原因をさばくべきである。


これが私の解釈です。
結果は物事の表層であって、原因はまた別のところにあるなら罪の結果をさばくのではなく罪の原因となるものを裁くべきであるとする立場であると考えます。
一つの巨大な悪の根源が多くの罪人を生む。
一人一人の罪人を裁いたところでその悪の根源は無くならず、罪人は生まれ続ける。
しかしもしその巨大な悪の根源に立ち向かいこれを裁いたなら、そこから多くの罪人が生まれることは止められる。
「罪を憎んで人を憎まず」とはこのように解釈すべきではないでしょうか

物事=戦争 とおいた場合、原因はおたがいの領土主張の違い、所有欲であって、この原因を裁くには、たとえば島の領土問題なら爆破して取り除けますが、大陸内の範囲の取り合いは穴を掘って池にしますか?ともかく不可能な場合が多いです。いずれにせよ2国間の争いを裁く法がないので裁けません。

私の解釈は、犯した過去は戻らない、それは(どうしようもないので)認め、生きている罪人はみな許そうということでしょう。

犯罪の原因をなくしていきたい(主に貧困です)というのはじょうしきでしょう。犯罪には原因がないものもあります。過失 という偶然から生まれたものです。こういったものに責任を追及するのは無意味です。もちろん過失が起こらないような社会構造を作っていく(道路を広くするとか)ことは可能です。

>果たしてその精神は今でも生きているのでしょうか。

まあ、生きているでしょう。でも自己中が激しくなって、寛容さが薄れ、責任を厳しく言う人も居ますが。
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犯罪の被害者が人を憎むのは当然ですが、社会から見ると罪を憎むことで犯罪の再発を減らすことが出来るからです。

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"物事には全て原因と結果があるが、もしも物事の善悪について


裁くならばその結果を裁くのではなく、その原因をさばくべきである。"
  ↑
前述したように、レイプ魔大久保清の父親も祖父も
同じ犯罪を侵しています。

米国の調査では、常習犯罪者の95%に染色体異常が
確認されています。

すると、染色体を裁くことになるのでしょうか?

どうやって裁くのですか。
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