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あなたの「腑に落ちたとき」体験を教えてください。

悩みや、受け入れきれない自分の感情が、ふと転換するようなことがあると話に聞くことがあります。「気づき」「諦め」「悟り」「受容」など、言葉は色々あるのでしょうが、そのような体験をしたことがおそらく無い私は、それがどのように起こるのか知りたくてたまりません。人は「納得してやる!」という努力で、納得というのはできるのか?心を転換できるのか?

そこで、皆さんが体験した「すとん」というような体験を教えてもらえないでしょうか。どういう時にどういう経緯でそれが起こりましたか?ずっと悩んでいたことに対して、転換するようなことが起きたのがなぜその瞬間だったのか、考えられる理由もあれば教えてください。

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私事でざっくり言うと、私は、昔からの自分嫌いが直りません。自己肯定感が低い状況だと思います。なのに、矛盾してるようですが、俺なんぞ何もなし得てないし、そんな大層なことができる人間じゃないんだ、ということが受け入れられてないようなのです。

それでも「すとん」はまだ来たことがないです。毎日何をこんなに悩み苦しんでるのかアホかと思います。何と戦ってるのか。言うなれば自分に対して「愛情は薄いが要求は高い」そんな感じです。諦めきれたら、そこから再スタートして少しずつ自分に自信をつけながら生きていけるのかなと漠然と思っているのですが・・・。今だと、何とかついた自信もちょっとしたことでいつもおじゃんになってしまってる気がするのです。
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あの時をきっかけに私は変われたよ、というお話を聞き、参考にしたいと思っています。人生的なことでなくても、どんなジャンルでもかまいません。よろしくお願いします。アドバイス等もあれば嬉しいです。

30歳男

A 回答 (12件中11~12件)

普通の考えでは世界があって自分がその中にいると考えるのですが、禅佛教では自己がいろいろと体験することによって世界があると考えます。

それぞれが自己独自の世界を持っているということです。
外の世界が内の世界になる、ストンとなりますかどうか
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この回答へのお礼

あーなるほど。おっしゃることが腑に落ちれば、すごく楽になる、ような気がします(笑)。たぶん自分と世界がひと繋がりになる感じなんでしょうね。同じような体験をした人の話を読んだことがあります。

ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/10 11:55

こににちわ。


「すとん」っとした納得、認識した時ですね。
ではでは、私がそのように「すとん」っとした時を
ご紹介させていただきます。

私は、三十歳までは、どこか卑屈で悲観的で、人生を
諦めて、仕事をしていました。
「俺が頑張っても」「どうせ俺の気持ちなど」「どうして
いつもおればかり」っとこんな愚痴とネガティブな気持ちで
仕事をしていました。
そんなある日、いつも私の家の近くの公園で、花に水を上げている
御婆ちゃんに、出会いました。
たまたま間接的にちょっとした知り合いだったので、いろいろと
お話をし、いろいろと話を聞きました。
おばちゃんが花を植え、そして、365日水を上げ、そして、花を咲かせる
ことを生きがいに生きていることを知りました。
そして、通りがかりの人や近所の人が、この花を見て、何かを感じとって
くれるのも、花を育てる活力になるとも言ってました。
誰からも指示されず、ボランティアで、自主的に365日継続している
御婆ちゃんの姿を見て、私自身、その時「すとん」っとした瞬間を感じました。

理性でなく本能で、そのような感じを得られました。
自分自身、もう少し前向きに卑屈にならず、自分のために頑張ろうと
思うようになりました。
ただ、よくよく考えると、御婆ちゃんの健気で、誰のためでなく、奉仕する精神に
「すとん」っと納得感が得られたように思います。
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この回答へのお礼

すてきなエピソードありがとうございます。
ご自分とおばあちゃんが花で繋がったからこそ、そのおばあちゃんの奉仕の心が自分と繋がった感じがしたのでしょうかね。ずっと通ってる道だけに。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/10 11:50

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