あなたの「腑に落ちたとき」体験を教えてください。
悩みや、受け入れきれない自分の感情が、ふと転換するようなことがあると話に聞くことがあります。「気づき」「諦め」「悟り」「受容」など、言葉は色々あるのでしょうが、そのような体験をしたことがおそらく無い私は、それがどのように起こるのか知りたくてたまりません。人は「納得してやる!」という努力で、納得というのはできるのか?心を転換できるのか?
そこで、皆さんが体験した「すとん」というような体験を教えてもらえないでしょうか。どういう時にどういう経緯でそれが起こりましたか?ずっと悩んでいたことに対して、転換するようなことが起きたのがなぜその瞬間だったのか、考えられる理由もあれば教えてください。
*
私事でざっくり言うと、私は、昔からの自分嫌いが直りません。自己肯定感が低い状況だと思います。なのに、矛盾してるようですが、俺なんぞ何もなし得てないし、そんな大層なことができる人間じゃないんだ、ということが受け入れられてないようなのです。
それでも「すとん」はまだ来たことがないです。毎日何をこんなに悩み苦しんでるのかアホかと思います。何と戦ってるのか。言うなれば自分に対して「愛情は薄いが要求は高い」そんな感じです。諦めきれたら、そこから再スタートして少しずつ自分に自信をつけながら生きていけるのかなと漠然と思っているのですが・・・。今だと、何とかついた自信もちょっとしたことでいつもおじゃんになってしまってる気がするのです。
*
あの時をきっかけに私は変われたよ、というお話を聞き、参考にしたいと思っています。人生的なことでなくても、どんなジャンルでもかまいません。よろしくお願いします。アドバイス等もあれば嬉しいです。
30歳男
A 回答 (12件中1~10件)
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No.12
- 回答日時:
10です。
>「愛し愛され」は同時に発生するものなのですか?
おどろきですが、そういうこともあります。
何かをしたから、とか、見た目がいいから、とかではなく、
魂がひびきあうような・・・
でも、甘えて待っていればいいのではなく、良い意味で自分らしく生きていることで、
魂のくもりを落として自分らしい輝きをはなって初めて、
相手も自分を、自分も相手を、見つけやすくなるのでは・・ と思います。
甘えたい気持ちは私もあります。わかります。
ただそれは、くもりの部分なのかもしれません。
そうですね・・・。
自分らしい輝きですか。
難しいですね。
今の自分は自分らしくないのかどうかもよくわかりません。
曇りがなんなのか、気づけるように生活したいととりあえず思います。
何度も回答ありがとうございました。
No.11
- 回答日時:
貴殿は若いのに「すとん」の事に気付くなんて素晴らしいじゃないですか。
半分は得心して後は今暫く「すとん」待ちでよいと思います。必ずその日は来ますよ。
私は今、貴殿のこの文章読ませて頂いて
そおいやかつて憎くてしょうがない事や残念で悔しかった事を今更の如く思い出して、半ば忘却状態でもありながら何とも無駄な感情に支配されていた事かと今頃になって思い起こし納得でも合点でもストンでもなく…
何やってんだろか?
しかし小さくも憎くさや残念さ悔しさは消えないのです。
でも
貴殿の文章読んで分かったのは…
ストンな感触は無くもイジイジした感情はこれからかなり小さくなるぞ!
という確信が持てました。
という事で貴殿の歳倍手前のジジイは未ストンの身でありながら
また
何ら意見どころか逆に感謝の意を表します。
(^人^)
お礼が遅くなりすみません。
そうですね・・・。
いつか苦しくなくなっていくものだと思いたい。
やはり完璧主義というか、ストンがないと人としてだめな人間だという意識が
強すぎるのでしょう。
そういうことにばかり執着してしまいます。
僕自身も、
昔は執着していたが、今考えるとそうでもないな・・・ということがありそうな気もします。
そう考えると徐々にいじいじした感情は移ろいでいるような気もします。
成長しているんだと信じて生きていくしかないんですかね。
ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
わたしも同じでした。
自分が嫌いで、とてもつらかった。いまは、治したいところもあるけれど、存在としての自分はokと思っているかなと。
こんなたとえをききました。
人間を、植木の選定に例えると。
治すべき、整えるべきは枝葉であり、
幹を切り倒したり、根っこを引っこ抜いたりなんて、とんでもない。
人間も同じで、枝葉を整える必要はあっても、
存在を否定する必要はない。
あなたは誰かに否定されて生きてきたかもしれない。
言い方は、あなたの存在否定の言い方だったかもしれない。
けれど、他人は誰かの存在否定、人格否定をすることなんてできない。
そう思ってしまうのは、あなたがそれを信じてしまった、受け入れてしまったから。
それは、ある意味あなたのその人への愛でした。その人を信じたのです。でもそれは、間違いでした。
他人ができることなんて、せいぜいが、あなたの枝葉のこういうところを治したら、その程度です。
人格否定なんて、八つ当たりか、言葉の選び方を間違えているかです。
まあこれは知識や心構えであり、
癒されるには、ほかにもいろんな経験を積み上げることが必要になると思います。
人の間で傷ついた心は、人の間で癒されます。
いちど大人になると、誰かから一方的に愛をもらうことはできないけれど、
愛し愛され、優しくし優しくされ、 そんな関係を築くことは可能なんです。
お礼が遅くなり申し訳ありません。
>いちど大人になると、誰かから一方的に愛をもらうことはできないけれど、
愛し愛され、優しくし優しくされ、 そんな関係を築くことは可能なんです
これが僕の目下の悩みです。
「愛し愛され」は同時に発生するものなのですか?
「愛したから愛される」「愛されたから愛する」のどちらかしかない気がします。
僕は一方的に愛されたいばかりです。
自分から愛せることが皆無です。
たまに愛かと思ったら、自分の劣等感を埋めるための道具だったりします。
そしておっしゃるとおり、誰かから一方的に愛されることは他人からはありえないと思います。
それに絶望しかけている、というのが実情です。
>いちど大人になると
この「大人」はやはり、自分を愛せるよう人のことを言うのではないでしょうか。
よって、
この「大人」になっていない人は、愛し愛されの関係を築くことは不可能なのではないでしょうか。
私は自分を愛せません。
よって愛し愛されの関係を築くことは不可能に思えます。
なんか変な証明問題みたいになってしまいましたが。
No.8
- 回答日時:
受け入れられなかった事で、苦しみや生き難さを感じていた場合で、主に行動と言う面から述べる時神経症と呼んでいると思います。
自分の行動に自分自身が制限を掛けている場合です。強迫観念や、強迫行為なども含みます。又、受け入れられない事として、苦しみや生き難さを感じていた場合で、身体的或は肉体的な健康状態に対して疑いを持つ場合を、自律神経失調症や過敏性腸症候群等の、難治性と言われている心身症と呼んでいるようです。
又、受け入れられない事として、苦しみや生き難さを感じていた場合で、沸き上がる自身の”感情や考え”を問題にしている場合を心を病むと表現しているようです。
今書いた事柄は、全く別な事柄のように感じられるかも知れませんが、問題の根っこは同じです。同じと言う意味の根拠です。
赤ん坊を例にすると分り易いと思います。赤ん坊に元々備わっている働きと言う意味ですが、この働きを機能と書き換えても同じ意味になります。
赤ん坊に元々刷り込まれている、DNAとしての機能かも知れません。それが命そのものの働き=生命を機能させている機能という意味です。
赤ん坊は、手の動かし方や行動に付いてハウツウ本に必要な内容を質問してくる事はありません、何故かと言うなら『もう既に知っているからです。』
同じく、赤ん坊は身体の器官の全てに付いても同じく機能する力があります。発汗作用でもホルモンの分泌でも、腸の機能でも臓器の機能でも知り抜いて働かせている機能を持っています。
同じく、赤ん坊は『沸き上がる感情や考え』に付いても予備知識が無くとも、不安や安心する事を始めとして全ての『感情や考え』を感じています。
今書いた三つの機能を兼ね備えている働きが『生命維持機能』=『命を働かせている者』と言う意味です。この為に、先に書いた三つに関して『医師の元に行って、如何に精密な検査をしたとしても、異常なし』という検査結果になっています。
またこの三つに、便宜上分けて書いたのですが、生命体としての人間を語る場合では、必ずしもきれいに三つに分ける事も出来ない場合があります、それはお互い同士に繋がりがあるからですので、同時に三つとも症状として訴える場合や、二つの症状として訴える場合もあるからです。
この生命維持機能を仏教では仏性、聖書では神としています。仏教の場合では『悟りを開く時』全ての悩み苦しみから解放されると言われる理由です。悩み苦しみとは、悩み苦しんでいる人間が『本人の頭の中に作り上げた仮の思い込みであった。』と言う理由が此処にあります。
この三つに共通する苦しさや生き難い想いや、漠然とした得体の知れない不安とは、自身の自我意識=顕在意識が『自分の生命維持機能』とうまく同調出来難くなっている印です。
悩みや、受け入れきれない自分の感情が、『ふと転換するようなことがある体験』が、自分自身を知る体験『見性』と言う体験です。
この体験を重い脳卒中の体験を通して熱く語っている動画をご紹介します。
もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。
URL:
博士の言葉の中のキーワードは、『全てを諦める』と言う言葉です。この意味は、『諦めが付かない事が、悩みを拡大していた事』です。人間の悩み苦しみとは『受け入れられない事』で発生しているからです。
自我意識が諦める事が出来ない場合に『悩みや苦しみが生じているからです。』自我意識は思い込みで生きていたという意味です。命の働きは『今現在の全ての真実の情報を脳梁を介して逐一送っています。この情報を『勘違いして受け取る事』が、先の場合では『症状』として認識をする結果に成っています。
悩みや苦しみの場合でも同様です。一つの見方から抜け出せないでいる時、悩みや苦しみに深刻さが増しているからです。そう云った偏った見方から抜け出すきっかけが、自分自身との付き合い方の変更です。それが自分自身を知る事、詰まるところ見性体験の意味です。
私事ですが、死に対する恐怖症に陥ったのは14歳の時でした、そうしてその死に対する恐怖症が解けたのは32歳の時でした。
恐怖症の時は絶えず『死の影に怯えた生活でした。』毎日を死刑囚の心持で暮らしていた事です、その死刑執行が何時も”今”執行されるような心持です。生きた心地がしない感覚です、その為に死に対する恐怖症が『離人症』と言う形で現れていた事です。
入院森田療法を27歳頃、2ヶ月間受けて、自分の”意識の在り方”を学んで来ました。それから5年後、32歳の時にその転機が訪れました。
死に対する恐怖症が解消する転機です。『死』は恐ろしいものだ!の解消方法は『死は恐ろしいものだ』でした、当たり前の事が当たり前になった事です。
その背景に在るものは、死というもののあり方です。肉体の死と、魂の死は違う事です。肉体は滅びたとしても『命の働きとしての魂は、永遠からやって来て又その永遠に帰ってゆく事』を知った事です。
死が恐ろしかった理由は、右脳からの『魂の救いの手を跳ね除けようとしていた事』が苦しみの原因、詰まり心の矛盾に苦しんでいた事が原因だった事です。命そのものの働きは『元々備わっていた事』でした。無いものでもなくて、又あるものでもない事です。
死を恐れる事は、自身の中に、永遠の命が備わっていて、そう云った実態を認める事が出来ないジレンマが恐怖症の原因だった事です。心の矛盾と言う理由が此処にあります。
その結果『肉体は滅びる事があっても、自分の命は又永遠に帰ってゆく事』を体得或は体認出来た事です。恐怖症の原因は自分自身の中にあった事を知る体験です。
世の中の見方の変更があります、それが『死の受容』でした。絶対肯定という足場に立つ事が出来た点です。その時点で長年身体中に力が入っていましたので、身体中の力が一辺で抜けた事です。
死にたくない想いで体中に、力を込めて生きて来ましたが、そういった力みが一辺に抜ける体験です。道元の言葉を借りるなら『心身脱落、脱落心身』です。全身から力みがスーッとなくなる体験です。
その時をもって『死に対する恐怖症』とそれに付随して発症していた『離人症』が完治する体験を語りました。
心の矛盾が『生き難さの原因』と言う話をして来ました。
神経症の症状ならその症状が在って当たり前と気が付いた時が『治る瞬間です。』
自律神経失調症の場合でも同じです。
心を病む場合でも同じです。心の健康など何処を探しても無い事が分かる時、心は自由に開放される事です。『心を健康にしようとした瞬間から』心が病み始めているだけだからです。心を自由にしたいと求めたり、安心を探し始める瞬間が『心を病むきっかけになっています。』
悟りを開きたいと願う場合も同じです。悟りを開く必要さえなかった事が分った時が悟る契機になっているからです。
ヒントを出すなら、人間の心は『意識する自分』と『意識していない時の自分』と二人存在している事です。自分の中の”無意識の意識”が仏性です。
脳科学で示すなら、『”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』
ウイキベデアからのコピーです。
健常者とか悩みが少ない人の場合では『自我意識と無意識の交替制が順調に行っている場合です。』この場合では、自我意識は引っ込んでいる事が特徴です。この場合をメンタル面が強いと表現しています。
優勝が掛かった一打を打つ場合や、大勢の人達の前で華麗な演技をする場合などで『自我意識が出ないでいられる場合です。』自我意識が出ないでいる時『没我とか無我』と表現しています。我を忘れると言う意味です。
メンタル面が弱いと言う意味は、何事も『自我意識の計らいでやろうとしている場合です。』その場合では『意識地獄に落ちています。』自我意識が強く出た場合では『何事も計算をする機能ばかりが出てしまっています。』
その結果『予期不安』に落ちてしまって、人間の自由が損なわれています。心配事があったとしても、その心配事と一つになれた時、心配事は心配事としてあったとしても、そう云った心配事を忘れています。
不安にしても同じです、不安のままに不安と一つになった時不安そのものが不安ではないものに変化しています。それは『不安を相手にしない』と言う意味になるからです。
沸き上がる雑念を相手にしないでいる時不安とか心配事を相手にしていない事を意味します。
メンタル面が弱いと言う意味は『沸き上がる自分の雑念』の相手ばかりしている、と言う意味があります。
No.6
- 回答日時:
貴方はとても正直な人だよね?
自分の限界を決め付けたくない、
そんな凄く認め難い部分を結構あっさりと認めているから。
おそらく貴方には、
これからも都合の良い「ストン」は起こらない。
それが、
貴方の体感では一番「ストン」なんじゃないの?
30歳の貴方は、
まだまだ自分との格闘技に夢中なんだよ。
夢中と言うとプラスイメージだけれど、
モソモソと自分自身を触り続けている感じ。
そういう自分を「選んで」いる貴方。
自己肯定力がとても低い。
でも、
自分という人間のポテンシャルは今でも信じている貴方。
俺はこんなものじゃない。
何かきっかけがあれば・・・
何か良い節目を経れば・・・
俺は今に、
もっともっと特別な人間になるんだ(認められるんだ)!
その可能性(空想)にはしっかり余白を残している。
それ自体は全然問題無い。
その余白こそが、
貴方という人間の色を「決め付けない」事にも繋がり、
明日からの日々を前向きに進んでいくエネルギーにもなる。
使い方次第ではね?
どうせ俺はこんな人間なんでね。
どうせ俺は何にも出来やしないよ(だってもう俺は30だから)。
口ではそう語る時があっても、
本音ではそうは思っていない貴方。
心の中では起死回生を狙っている。
かと言って、
その起死回生の「為」に、
翻って目の前の「今」を大事に貯金しているか?
そう言われると、
貴方はおそらくあまりしていない。
ある程度溜まりに溜まった自己肯定が、
今の僕という人間の考えをコロッと変えていく(ストン)
そんな想像は出来ても、
貴方は丁寧に肯定を溜める事が出来ない(苦手な)人。
でも、
溜めるのは人一倍下手なのに。
溜める事が出来た「後」の、
「タラレバ」世界には凄く興味空想がある。
興味どころか、
そんな自分になりたいとさえ思う貴方がいる。
それでも、
基礎(溜める)無く応用(変化)は起きない。
起こらないと虚しくなる。
起こらないと自分を否定したくなる。
否定したら溜まらない。
でも、
溜まらない(溜められない)自分を否定したくは無い。
そんなグルグルを貴方は続けている。
続けられる体力があるうちは「ストン」は起きない。
言い換えれば、
今の自分を継続出来なくなった時に・・・
貴方にはストンとはまた別の変化が起きる気がする。
例えば、
考えの変化よりも、
体調の変化や環境の変化の方が何かを変える力を持つ。
貴方の肯定力の低さの歴史って根深い。
今まで持ち続けた考え方の癖って中々変わらない。
でも、
変えたくなくても(続けたくても)、
変えなければいけない時もやってくる。
30歳の貴方にはまだそれが来なくても、
40歳の貴方には来ているかもしれない。
自分のノビシロ問題に向き合うにも、
実は心身の「ゆとり」が必要だから。
そして、
ノビシロどころか自分の人生の「残り」をどう生きるか?
可能性よりも現実の方が貴方の身に沁みて来た時・・・
貴方は、
良い意味で自分自身の立て直し方を考えていくんだと思う。
組み立て方次第では、
十分自分を肯定出来る家を建てる事が出来る。
そんな建築資材(経験)は、
既に貴方の手元にもあるのかもしれない。
でも、
貴方の設計図がいつもお城だったり、
立派過ぎる青写真故に上手く建たない(足りない)
じゃあ今の材料の方から見て、
その材料でゆとりを持って建てていける家とは?
無駄な天守閣や外装を排してみたら、
意外にあっさり(でもしっくり)した、
貴方らしい家を建てる事が出来るのかもしれない。
そう感じた時に、
あ、俺がやってきた(溜めてきた)事は、
案外自分自身の為になっていたんだな、と。
少し時間差ではあれ、
貴方なりに認められる時が来るのかもしれない。
貴方はどう思う?
貴方には貴方の「ストン」があったりする。
それは、
物凄く分かりやすく瞬間的にやってくるものもあるし。
実はこういう事なのかな?
時間を掛けてゆっくりと落ちていくストンもある。
貴方はおそらく後者。
ゆっくりと深呼吸を。
貴方は貴方のペースを大切に。
貴方は貴方の前向きな生き方を大切にね☆
何となくですが、分かるような気がします。「今」を大事に生きていないな、と数年前から思っていました。「歳を取るまえになんとか自分を認めて楽になりたい」とかずっと思っていました。
そして残念ながら今もそれが消えていません。たまに忘れながら生活するようにはなりましたが。ただそれは忘れているにすぎません。悟れてはいません。
おっしゃるように、老後に入ったんだなと実感があったときに、徐々に受け入れられるのかもしれません。ただしかし、たまに見かけるようなヒステリックな頑固おやじ頑固じじいを見ていると、将来俺もこのままだとこうなるのか、という気がしてなりません。自分を受け入れられてないな、と明らかに分かります。そして僕も少なからずそのように見られているはずです。彼らは幸せそうには見えません。僕にとっては幸せの形からは遠いです。だから何かしなければ、と焦っているのかも知れません。
自己肯定を溜める、っていうのが方法なんでしょうか?
しかし全くイメージつきません。
これまでやった「ほめ日記」も「肯定のアファメーション」も全く溜まってないように感じますし、むしろその記憶を思い出すたびに嫌な傷口が開いてかきむしりたい思いです(笑)
No.5
- 回答日時:
私、50年以上生きてきてるわけで、その中で何回もあなたのいう「ストン」を経験してきてますけど「そのこと」で劇的に生き方が変わったってことないですけどね?。
モヤモヤが解決してスッキリした感覚はあったけどね。
変わるのじゃなく「変える」んですよ。
何かが腑に落ちたとしても、それはただの「きっかけ」にしかなりません。
それを手掛かりにして、うまくいくかどうかはわからなくても、とりあえずやってみる、という。
そういうことの繰り返しじゃないんでしょうか?。
自分が嫌いとか、好きとか、そういうのは「どうでもいい」ことじゃないんですか?。
楽しければいいと思うし、笑えるなら笑えばいいじゃないですか?。
自分が起こしたアクションで、自分は変わっていく。
自分の中に「何もない」と思うのは間違いで、単に「蓋が閉まってるだけ」なんですから。
自分って、時には強引に変えていくものですよ。
自分が嫌いなら「自分、うぜぇ!!」って言いながら、それでも走ればいいじゃないですか。
嫌いなら嫌いでいい、好きにならなくたっていいと思います。
そのうちには疲れ果てて倒れるかもしれないけど、その時に休みながらまた振り返ってみればいいじゃないですか。
ああまた傷がついた、血が出た、なんて言ってるより、もっともっと遠くに走ることが必要なのではないですか?。
生きることなんてね、大したことじゃないんです!。
だって今地球上に生きてる人間は何十億人いるし、人間の他の生物は何千兆、何千京いるかわかんないんですから。
そのなかの「たった一つの命」じゃないですか…大したことないですよ。
人生なんて、そんなものでしか無いですから…振りかぶりすぎないようにしてくださいね。
ありがとうございます。
回答を読ませていただいて、以前別の質問をしたときに頂いた回答にとてもよく似ていることに気がつきました。「とりあえず動いて」という回答でした。
それは分からないでもないんですが・・・。
おそらく、回答者さまは受け入れとかができてるんだと思いますけどね?
こういう回答もらって、「そうだよな、動こう!」つって腑に落とせるんだと思います。
僕みたいのは、そういうのが超苦手なんです。
んでこういうのはこれまでの経験上、
訓練努力によって何とかなるものとは到底思えないのです。
だからこういう質問しました。
これまで何度もそのようにしてリスタートしましたけど、頭のどこかに不安が残っていて、それがどんどん膨らんできてしまうんです、何やっても。
そもそも、僕は回答者さまのように
人生で「何をやったか」に価値を見出せないのかもな、
「何を考えたか」のほうに重きを置いてるのかもな、というのは、
前のその質問したときも思いました・・・。
自分を好きかどうか、は僕にとって今一番重要なことです。
僕の目下の目標は人を愛せるようになることで、
そのためには自分を好きにならないと人も好きになれないと思っているからです。
No.4
- 回答日時:
・権威は金を纏うもの。
真心は裸にされるもの。・基礎的な学習を嫌う人々は思いの外多いということ。さらに、他人の足を引っ張り無為を強制する亡者はその何倍もいるということ。だから霊感なぞ、凡俗は持たぬが吉ということ。
・当たるも八卦、当たらぬも八卦。
・金の生る木はまめに剪定しておけ。
・生身の犬猫から学ぶことの多さ。動物嫌いは損。
・結婚は人生の墓場どころか災いの儀式。
・出産を自慢していいのは二人目から。
・金持ちは本当に喧嘩しない。飼い犬同士に喧嘩させて楽しむ。
・病気はノーマークなところから。
・人の他人への嫉妬は自分への自信のなさから。
・嫉妬心の弱い人は謝ることに抵抗がない。ただしすみませんが口癖になっている人はむしろ腹の底では勝ち気。
・謝りたくない人ほど、謝らなければならない人の回りをうろうろするが「ごめんなさい」が言えない。
・魚のほうが肉より旨い。
・大型ないし中型魚の兜煮をきれいに食べられる男は責任感がある。
・男は短髪。
・女の白髪は愛情に贅沢、女の薄毛は愛情の貧しさが原因で起こる。
・女流作家の髪は美しい。
・子持ちの女性の腕はたくましく、また美しい。
・野菜を好みすぎる人々は繊細。
・犬派vs猫派以上にうさぎ派vs小鳥派の抗争は熾烈。
・赤ちゃんは圧倒的に大人より特に自分と年の近い幼児や赤ん坊に興味を持つ。
・暇な人は悲しい。
・年相応の老け方でない人には何か不健康な原因がある。
・チャラチャラしている人とのつきあいはほどほどに。
・社員の夢を拒絶する職場からは離れるべき。
・会社に勤めるために生きているのではない、生きるために会社に勤めるだけなのだ。
なるほどと思うことがいっぱいありました。
すごいですね、こうやって自分の意見を文にして残せるのは
人生をしっかり歩んでこられた証拠なんでしょうね。
僕は何にもないや・・・。
勉強になりました。ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
今は、すっかり、疎遠になっている、高校時代の友人が、或る時、突然、「お前のお袋が来ただろう?」と言い出しました。
僕の実家は沖縄なのですが、彼が言うのは、「お前のお袋が上京してきただろう?」という意味です。
お袋は、その頃、京都にいた従姉と妹に会うために、京都には行ったことがありますが、東京にいた僕に会うために上京したことは、一度も、ありません。
僕は、「来なかったよ」と応じましたが、彼は、頑として、「来ただろう」を繰り返しました。
その都度、僕は、否定しました。
彼は、僕がウソをついていると思ったらしく、なおも、「来たはずだ」「来ただろう」と言い続けました。
それを否定しながら、僕は、「この男は、なぜ、こんなことを言うのだ?」「まるで、俺のお袋が東京に来たのを見たかのようだ」と思い、困惑しました。
因みに、彼と僕のお袋は、面識はありません。
だから、彼は、僕のお袋を知っているはずもないのです。
その後、彼とは、交流はありません。
ですから、彼が、なぜ、あのような疑問を持ったのか、本人に確かめる機会はありませんでした。
折々に、「あいつは、なぜ、上京したことが一度もないお袋が『来ただろう』と、しつこく、訊いてきたのだろう?」「やつは、俺のお袋の顔さえ、知らないはずなのに・・・」と思い返していました。
ところが、永い間が経って、或る時、突然、それが「解明」できました。
話は、彼と僕とのやり取りの以前の出来事に遡ります。
多分、その前年のことです。
或る、夏の日、僕は、千葉県の房総半島を走る電車に乗っていました。
その電車の、僕が乗っていた「箱」には、一群の若い男女と、母親と娘さんらしき二人連れも乗っていました。
経緯・事情は省きますが、その様子から、若い男女のグループは、「沖縄の人間だな・・・」と分かりました。
母親と娘さんらしき二人連れは、多分、地元・房総の人だったのでしょう。
或る時、突然、この、電車内の状況が浮かびました。
そして、僕は、全てが納得できました。
僕が「解明」した「謎」は、こういうことです。
あの電車内の若い男女のグループは、沖縄の人間で、奇妙な質問を投げかけてきた彼ともつながりがある。
その男女は、母娘を、僕のお袋と妹と勘違いした。
後日、彼は、その男女から電車内のことを聞き、僕に、前述の疑問を発した・・・。
これ、彼と僕との人間関係や、僕を取り巻いていたさまざまな事情から、間違いありません。
このよう「謎」解きをしますと、全てが説明でき、納得できるのです。
当時、彼の態度は不審なものでした。
或る時期から、妙に、僕に対して、棘々しくなりました。
何かが彼の周りで起き、僕に対して嫉妬心を抱くようになり、それが、僕に対する敵意のようなものを感じさせるようになった・・・。
そして、その敵意は、僕に対する「工作」をも生んでいたかも知れません。
この推理は、当時の事情を基にしています。
それを知らない人には、イマイチ、理解できないかも知れません。
が、間違いはないでしょう。
不思議なことです。
自分の知らないところで自分に関わることがスタートし、それが、悪意のある人間の工作でいびつに展開・推移していく・・・。
上述の出来事は、今も、僕の人生に影を落としています。
率直にいって、彼の悪意と工作が無ければ、今とは異なる人生もあり得た・・・。
このように思っています。
ただ、僕は、「運命論者」です。
「あれも、何かの意味があって、僕に与えられたものだろう」と意味づけています。
それが何か、まだ、分かりません。
僕は、今、小説を書いています。
これまでの経緯から、「僕は、天に護られている」「天の目的は、僕に使命を果たさせることにある」「あれも、その一環なのだ」と思っています。
「さまざまなことを文学的に昇華し、天命を果たすことが求められている」と感じています。
彼は、今も、自らの誤解を信じているでしょう。
「ヤツのお袋は上京していた」と・・・。
そして、その「謎」を僕が解いたことは、知らないでしょう。
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