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今日、こんな話を聞きました、教えてくださいというか、ご意見くださいというか、大いに考えさせられましたので、ここに質問させていただいた次第です。

良く言えば曲がった事の大嫌いな正義感の固まりのような、悪く言えば融通の利かない頑固一徹の性格、こんな柔道部の大学生が、横断歩道でヨロメイて買物袋を落としそうになったお婆さんに、大丈夫ですかと駆け寄って、買物袋とバッグを持ってあげようとした瞬間、キャーとかギャーとか、ひったくり・返してぇ・助けてぇ…と、大声を発せられて、周りの人々に取り囲まれて、ちょっとしてから警察官も来て、取り押さえられて、結局は拘束されて事情聴取され、犯罪者扱い、約束の予定は狂うは、助けようとしたつもりのお婆さんからも、腕を掴まれて痛かった等と、散々の言われようで、漸く3時間ほど経ってから、結局は解放されたそうですが、この大学生、もう二度とご免です、重そうな荷物を持った老人が転けようが倒れようが、助ける行動は今後はしません、一切絶対に拘わりません、アホらしくてやってられませんから、との声を発して憮然として帰って行ったそうです。

何か違和感というか、こんなことでいいのか、こんなことが続いていったら、とちょっと心配な感じを覚えた次第です。

いつから、こんな国になってしまったのですか、ちょっと前までの日本ではコンナコトなんてなかった思いますけど、何故こんな風になってしまったのですか、教えてくれませんか。

A 回答 (6件)

朝日新聞北京特派員の体験談と似ています。



中国でやはりお婆さんが転けたので、助けようと
駆け寄ったら、それだけで犯罪者扱いされて
閉口した、という話。

中国では、他人の為に親切する奴など、下心
が有る奴しかいないから、とのことでしたが、
遂に日本もそうなってしまったんですかね。



”何故こんな風になってしまったのですか、教えてくれませんか。”
    ↑
その一例だけで、日本が、という判断は難しい
でしょう。
そのお婆さんが特別な人だっただけかもしれない
からです。
その大学生のやり方に誤解されても仕方が無い点が
あったのかもしれません。

そう思いたいです。
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この回答へのお礼

そう思いたいですが、似たようなケースが増えているような、少なくとも一昔前に比べたら、ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/14 10:24

可哀想な人生を送ってる婆さん。

そんな悲しい人生を引きずりながら、棺桶に。あの世でも、閻魔大王にも見向きもされず、49日すぎても、ほったらかしで、成仏もできんでしょうな。

わたしも亭主と一緒に腕組んであるいていたら、前から来たおばハンがジロジロ見。亭主が笑顔で会釈したら、怒ったような顔で「変態爺い」て通りすがりに言われてしまいました。大都市では、知らない人と人生を楽しく平和に暮す方法を拒絶する人が多くなりました。

なんでこんな殺風景なことに。小学校の先生が左むきの日教組様々志向が多くなってからです。権利ばっかり主張で、人間としての義務は、スルナ!教育で。今が異常だと気づいても、まともになるのに、50年はかかりますね。
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この回答へのお礼

50年かかってもマトモになっていけばまだマシなのかも、ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/14 10:21

「殺すのは誰でも良かった・・。

」事件が始まってからではないでしょうか。
見た事も会った事もない他人から、かってに恋され殺されたり、歩いているだけで刺されたり。
お婆さんは、もしかしたら耳が遠くて、「大丈夫ですか?」という言葉は聞き取れなかったのかもしれません。
そうすると、いきなり荷物に手を出され、腕を掴まれた感じに思い、恐怖が走ったのかもしれません。
これからの世の中は、まず相手に同意を求めてから助けてあげる、そんな世の中になってしまうのでしょう。
私たちの環境を取り巻く社会、人間、事件が、簡単に人とは触れ合えない世界を作り上げて来ている様に思います。
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この回答へのお礼

確かにそうですねぇ、わかります、ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/14 10:18

個人主義が最高という風潮のせいでしょうか、


助け合うのが当然というのが当たり前なんですが、
そういうことを嫌って、自分さえよければいいという人が多いんです、
その老婆もこれまで人を助けたことがないので
他人=危険な存在と思って生きてきたんでしょう。
昔の村社会からいまの個人主義の世の中、
どちらもそれぞれいいところはあるのですが、
人を見たら泥棒と思え、という社会は生きにくいです。
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この回答へのお礼

そうですよねぇ、ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/14 10:17

そんなふうになったのはいつからでもなくそういう人がいたのに私たちが単に遭遇してないだけですよ。



運悪くもその方が遭遇したのがそんな人だった。

私は事故で怪我をしてしまい優先席に座っていたら若いんだから向うに座りなさいと脚をひきづって片目しか使えず立体感が掴めず大変な思いをしながら電車の席を移動したことがあります。

どこもスカスカに空いていて移動が大変だったので近かった席に座った。

人のことを考えられないのは年齢関係なくいる。そんなおばさんを忘れて、困ってる人がいたら助けてあげて欲しいです。

ひどいことを言う人もいれば、感謝の言葉をくれる方もいます。

親切がおせっかいと感じる人います。

私も似たようなことがありましたけど、それでも、困ってる人を見ると助けてしまいます。

自己満足でもいいと思ってます。
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この回答へのお礼

似たようなケースに幾度か遭っていてこのたびの件、でさすがにモーヤメタ気分なのかもしれません、ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/14 10:16

 自分が善と信じることを行うのが人助けではなく、結果的に相手が求めるものを与えるのが人助けだと大学で教えないからですかね。

人を助けて相手が喜ばないかもしれないことは最初からありえることで、その結果によって人生観が変わるとはおかしなはなしじゃあーりませんか。2万年前からそうだと私は思いますがね。
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この回答へのお礼

見て見ぬ振り、他人のことには拘わらない、やっぱりコレが一番ですですかね、ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/13 21:12

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