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大相撲九州場所が絶賛開催中です。
白鵬がほぼ2年ぶりとなる金星配給をしたなどということもありましたが、これは「まぐれ」の範囲ということでいいと思います。鶴竜も順調です。

日馬富士が不調です。先場所、眼窩底骨折という怪我を負ってみるみるうちに目の周辺が青黒く腫れ上がって途中休場をしたのは記憶に新しいところですが、巡業をすべてキャンセルして療養し、九州に入ってから急ピッチで仕上げて今場所に臨んでいるようです。
その意気やよし、ですが、ちょっと危なっかしい相撲が目立ちます。考えてみれば、日馬富士の不調は先場所の怪我に始まったわけではなく、二場所連続の全勝優勝というあの昇進の時の強さは長く鳴りを潜めているように思います。

というわけで考えてみました。
史上最弱の横綱は誰だったか。
史上初めて「皆勤した横綱が負け越し」という不名誉記録を作った大乃国、その記録の2例目を作った若乃花・・・などいくつか上がりますが。
やっぱり双羽黒かなあと思わざるを得ません。優勝制度ができてから、優勝を1回も経験せずに角界を去った唯一の横綱。土俵の上で負けてから引き上げるときに、付き人を両脇に立たせて肩を借り片足を引きずって歩いて「実は痛かった」アピールをした女々しい横綱。鶴竜の師匠である逆鉾に「あの人は横綱になりたくてなった人じゃないから」と同情されたダメ横綱。

保志(後に「北勝海」と改名)が大関になることが決定的になったため、1横綱(千代の富士)の下に6人の大関ができることになり、番付上バランスが悪いということで横綱昇進が決まったとも言われ、「仮免横綱」などという言葉もできました。

この影響で、のちの長い1横綱(白鵬)6大関(日馬富士、鶴竜、琴欧洲、把瑠都、琴奨菊、稀勢の里)時代にも無理に誰かを横綱に昇進させるということが避けられたとも言えるかもしれません。

相撲黎明期を見れば、体が大きくて土俵入りが立派だというだけで横綱になった力士、逆に実力は申し分ないのに体が小さく見栄えがしないという理由で横綱になれなかった力士などもいるようですが、現行制度ができてから以降に限って言えば、最弱といえば双羽黒と言わざるを得ないように思います。
残念な横綱はいっぱいいますが、誰が一番弱かったと思いますか?

A 回答 (2件)

 成績だけを見ると、北尾が最弱ってことになるんでしょうね。

それに異論はありません。
 が、相撲の内容を見ると、北尾って強い時はかなり強力な相撲取りでしたよ。

 っというワケで、(恐らく相撲ファンから総攻撃を受けるでしょうが)相撲の内容だけから判断して、ワタシは敢えて言いましょう。

 『最弱は、横綱に昇進したばかりの頃の千代の富士』

 あの時代、旭国、魁傑、貴乃花、輪島などの人気力士の引退が続き、相撲界は最強のヒール(のイメージでした)北の海と、横綱昇進後何故かイマイチの若三杉(2代目若乃花)しか残ってなく、相撲界には輪島や貴乃花に匹敵する、一般ウケのよいスターを育てる必要がありました。
 忘れもしない'81年、千代の富士の快進撃は、相撲の内容を考えると何か作られた成績の様な気がして、どうにも納得できません。勿論、横綱というチャンスを与えられた千代の富士のその後の『爆発』は、純粋に彼の努力の結果だと思いますが、しかし横綱昇進時、ワタシは『コイツで大丈夫なのか?』っと、非常に心配したのも事実です。
 っというワケで最弱の横綱=昇格時の千代の富士。最弱だった横綱は、その後歴史に名を残す最強横綱の一人になったということです。
 
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この回答へのお礼

「最弱」の意味をめぐるということになるとそうなりますかね。
ただ、弱さというものの「瞬間最大値」をとりますと(妙な言い回しですが)私なんか番付に名前があるだけで顔すら知らなかった末期の隆の里とかいるわけで、言い始めるとキリがない気がしますね。

千代の富士の「大丈夫なのか」的なところというのは、あの軽量でありながら投技に頼る相撲スタイルにもあったと思います。脱臼癖があり、生まれ持った骨格的にも肩関節で上腕骨の肩甲骨への食い込みが浅いと言われていましたし(彼が被爆二世であることと何か関係あるんでしょうかね?)。
だから千代の富士は考えて、立ってすぐに相手の前まわしを引き一気に寄り立てるというスタイルを新しく考案したんだと思います。それまでの勝利のセオリーを一切捨てて新しいスタイルを確立するというのは本当に勇気のいることです。優勝回数云々より千代の富士の本当の凄さはここにあると思います。

勝つための試行錯誤、というのは、千代の富士(九重親方)に指導者としての素質ももたらしたというのが私の考えです。北勝海は千代の富士に横綱にしてもらったようなものですし、優勝20回を超える横綱で大関を育てたのは今のところ千代の富士だけでは?現在も幕内に何人か弟子がいますし、まだぺえぺえだったころの白鵬の稽古を見て「君、いいね」と声をかけたこともあるそうです。

強さというものを
・生まれ持ったフィジカル
・生まれ持ったメンタル
・努力して得たフィジカル
・努力して得たメンタル(ロジカルも含む)
に仮に分けるとしますと、「生まれ持ったフィジカル」では稀代の「弱い横綱」だったんでしょうね。生まれ持ったメンタルがとにかく強く、それに支えられてフィジカルを努力して得て、更に努力で考えて勝ち方を編み出した、それが千代の富士でしょうか。
逆に、「生まれ持ったフィジカル」以外何もなかったのが北尾ですね・・・。

お礼日時:2014/11/24 04:20

北尾(どうにも双羽黒とは言いたくない。

由来が双葉山&羽黒山?無礼千万ですわ)の場合、角界所属以降のダーティーなイメージが先行しているだけで、最弱と糾するほど弱くはなかった記憶が。実際当時の同期同世代の保志や小錦、大乃国らにはむしろ苦手とされていたはず。横綱千代の富士全盛期に(当時まだ大関)隆の里と並んで「苦手」と自ら公言した数少ない力士の1人ですし。

むしろ個人的には強い横綱のイメージを全く持てない昭和後期以降なら、それこそ質問者様が名前を出した日馬富士(これは明らかに改名が悪い方に向かった。だいたい特に「富士」に因縁はないのになぜ富士にこだわった四股名ばかり弟子に付けたのか>)の師匠、元横綱旭富士。

相撲の記憶も知識もある程度あるはずなのですが、なぜか旭富士だけは横綱昇進の経緯から横綱在位中の成績まで、ポッカリと記憶から抜けているわけで。それが印象の薄さ=弱さ?に結びついているような気がします。
(しいて覚えているのは、前述の千代の富士の53連勝の最後、組み合った体勢で腰が伸びているにも関わらず必死に寄り立てている旭富士、最後は千代の富士が格の違いを見せ付けるように豪快な吊り出しで負け~!!の記憶のみ)

調べてみると一応規定通り2場所連続優勝(ともに14勝1敗なので現行制度から見ても文句なし)で横綱に昇進していますし、在位中の優勝もしているので弱いとは思えないはずなのですが、横綱在位が短かったのと、当時第2全盛期を迎えていた千代の富士に完全にカモ扱いにされていたのが、横綱らしい強い印象の薄さにつながっているかもしれません。

ということで、個人的な意見ですが申し訳ありませんが”横綱時代の旭富士”を推してみます。
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この回答へのお礼

今ちょっと調べてみたんですが、優勝がないまま横綱になったことばかり話題になる双羽黒ですが、昇進直前3場所の成績は北勝海や旭富士と同じ、大乃国に至ってはその3人より4番も多く勝っていますね。
実は私ももう一人思い浮かんだ顔が旭富士だったんですが、まあ北勝海はいいとして隆の里、双羽黒、大乃国とふがいない横綱が続いたため「大関の地位にて二場所連続全勝優勝、あるいはそれに準ずる成績」の後半部分が実質ないものとされ、大乃国が「二場所連続優勝せずに横綱になった最後の横綱」となりました。旭富士はその割を食ったようなかたちで、昇進するために力を使い果たしてしまったのかもしれません。
そのすぐ後に若貴・曙らの時代が来てしまったのもアンラッキーでした。
ですので、私は正直鶴竜の横綱昇進は見送られるんじゃないかと思ったんですよね。

ただ、横綱として一番弱かった人を選ぶのに横綱としての戦績以外の話を持ち出すのは卑怯かもしれませんが敢えてそれをしますと、相撲界を実質馘首になってから、すぐやり始めたのが「スポーツ冒険家(探検家でしたっけ?)」というお遊びのようなことで、まともな大人ならそんなので食っていけるわけがないと誰もが思いましたよね。実際「冒険家(探検家?)」としての活動は、白けまくった調子で写真週刊誌が1回か2回取り上げただけだったと記憶しています。
そんな、人間としてあまちゃんな人間が、横綱になってしまったという意味でやっぱり双羽黒は弱かったなあと思います。
協会所属ではないとはいえ、今立浪部屋のアドバイザリースタッフを務めているそうです。理解できません・・・。

お礼日時:2014/11/17 14:14

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