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共産主義的に最低限に平等という形にすると、何か私有財産の大切さがわかるのですけど。
ルールで画一的に絶対的平等を実現すると、私有財産が意味をもってくるように思えまして。

並より低めの層が画一的に広がり、上部層や多様性に欠けていく問題点があってなど分かるんですけど。

無機質で蓄積もない状態から個が何かを積み上げる形で?

エドマンド・バークの『フランス革命の省察』 のように。

やはりそうなんでしょうか?

A 回答 (4件)

共産主義圏の崩壊が果たして資本主義の共産主義・社会主義の勝利を意味するのか、


私はこれについてかなり懐疑的なんですよ。
旧ソ連を筆頭とする東側諸国は、その理念を実現する手段や方法、そしてその運用を誤り、社会や経済的停滞を招き、結果的に自滅したんじゃないか、そんな風に思えてならないんですよね。
と前置きしまして、

☆共産主義的に最低限に平等という形にすると、何か私有財産の大切さがわかるのですけど。
ルールで画一的に絶対的平等を実現すると、私有財産が意味をもってくるように思えまして。
◇だと思いますよ。
私有財産に限らず、自分にはあるが、他者は有していないものの、才能や個性などが重要な意味を持ってくるのでは。


☆並より低めの層が画一的に広がり、上部層や多様性に欠けていく問題点があってなど分かるんですけど。
◇上層部が人間が何たるかをあまりに知らず、マルクス・レーニン主義といったイデオロギーにがんじがらめに縛られたアホウだったから、東側諸国は崩壊したのだ、と考えております。
私が旧ソ連共産党書記長だったら、ソ連という国家は未だに存在していたと、「ここに」断言します(笑い)。
そして、
ネムネコ像がソ連の至る所に立てられ、人々はネムネコ像を中心にウォッカを片手に持ち歌って踊って、幸せな毎日を送っていたに違いない。
 ───旧ソ連、ロシア人は、いいウォッカと歌、そして踊りがあれば、幸せ生きられます!!───
なお、ネムネコ像への礼拝行為は禁止です。ネムネコ像を拝むと罰金が課せられますので、注意が必要です。ネムネコ個人崇拝は禁止───スターリンと同じ轍を踏まない───。

国歌は
 コードレス☆照れ☆PHONE(ゆかたんコンサート・バージョン)
http://www.dailymotion.com/video/x23x031_%E3%81% …
の一部を変えた『ネムネコ・バージョン』です。

人は、経済・金銭、物質的動機、インセンティブだけで動く生き物ではない。
名誉や誇り、使命感といった無形のインセンティブもある。そして、こうした無形のものにこそ、より高い価値、理想を認め、生の喜びを見出すことができる。
自身の経済的利益の追求のためではなくても、こうした無形のものからでも、「できるだけ安い価格でいい物を作ろう」というインセンティブは起きますし、そして、それに対する報酬は金銭ではなく感謝や尊敬といった無形のものであってもいいんじゃないですかね。
最低限の金銭・物質的な報酬は生きる上で必要ですが、「いつも美味しいものを安い価格でありがとう」という真心のこもった言葉、感謝の念でも、人は「もっといい物を」というやる気を起こすんですよ。
そして、こうしたものはけっしてお金や物質的なものではかることができない。
 ───経済学は、こうした金銭で計量化できない価値を扱うことができず、したがって、こうした価値は蔑ろにされ続けてきた───


☆無機質で蓄積もない状態から個が何かを積み上げる形で?
◇なにより、《ゆかたん》のように歌って踊れる、そしていつも自分のそばにいてくれると感じさせるアイドルこそ必要です。
このようなアイドルがいれば、国家、国民は一体性を保てるものです(ニコニコ)♪♪♪



質問の内容があまりに大きすぎるので、回答にどう答えたらいいのかその糸口がなかなか見つからず、オチャラケ過ぎたかな(ポリポリ)。
ですが、
旧共産圏・東側諸国の崩壊の最大の原因は、共産主義・社会主義の問題というよりは、国民が何か新しいことをやろうという意欲を喪失させたところにあったと思うんですよね。
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 こんにちは。



 ★ エドマンド・バークの『フランス革命の省察』 のように。
 ☆ についてはよく知らないので 分かりません。

 それにしましても
 ★ 共産主義的に最低限に平等という形
 ☆ というのは 分かりづらいです。

 そもそも理念として〔つまり思い描いた歴史観としてだけですけれど〕 共産主義社会になっていれば 生産力はすでにじゅうぶん大きくてすべての人びとの需要を満たすだけの生産物が供給され得ます。

 ですから 《人びとは能力に応じてはたらき 必要に応じて受け取る》というまでの状態になっていると言います。そこでは 《財産の私的占有》はあっても 私的所有はあまり問題にならない。

 ★ 何か私有財産の大切さがわかるのですけど。
 ☆ という見方も――想像の世界でですけれど―― 筋が違うように思います。もしくは 経済制度としての私有だけの問題ではなく どうも共同自治をどうするかなる政治制度がどうであるかという問題もからんでいるように思われます。






 けっきょく問うておられることは

 ○ 所有とは何か?

 ではないかと考えます。

 感想のような話をつづります。



 △ 墾田永世私財法
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%BE%E7%94%B0% …
 
 ☆ という制度が 奈良時代に敷かれました。これは 初めいわゆる公地公民の制度として 土地は 公共のもので公有である――つまり具体的には 公である天皇家の私有――というところから出発したわけですが 人びとはなかなかはたらく意欲が出ません。

 口分田とか称して 農民に土地は分け与えられました。ところが 租庸調の税金がひどく高いのも然ることながら 他人の所有になる土地に愛着が出ないわけです。

 そこで三世一身法で 子と孫までの三世代のあいだ実質的に私的に所有できるともしたのですが そのあとやはり返還するというのでは 仕事に力が入りません。

 だから 永代に渡って私有にしますよと 先の制度は言ったわけですが それでも功を奏しません。おそらく重税の問題とともに この世界において働く場所である土地が――そもそも同じ人間でありながら――何ではたらく当人の自分たちのものではないのかという疑問が 消え去らなかったのではないでしょうか。

 やがて自分たちで開墾してあたらしい田んぼをつくっていったりしたわけですが それでもまだ問題が残りました。けっきょくよそ者が そのあたらしい土地を奪いにやってくるということにありました。

 その荘園を自分たちが けっきょく武士となって腕力で守らねばならなかったりあるいは 貴族の所有に名目上して何とか制度じょう守られるとしたりせねばならなかった。

 その後 武士の世の中になりもしましたが ただし依然として 武士の大棟梁は 征夷大将軍という律令制国家のもとなる職位に就いたわけです。言いかえると どの程度実質的な現実であったかは別としても 日本列島はぜんぶ天皇氏の家の財産であったことになります。国土自然だけではなく そこに住む人びと全部が《財産》であったわけです。


 やがて時は経って 四民平等になり さらには農地改革を経て 《われらが土地 わが田んぼ》が出来て 人びとの仕事への意欲はどうなったでしょうか。

 ただしそれでも 災害に遭ったときなどは その筋の高貴な家の人がお見舞いと激励にお越しいただきその訪問に 人びとは――見たところ――いたく感激しあたかも自分たちが昔のようにその家の私有財産であるかのように 喜んでいる。という光景も見られますし そういう情況にあるとも考えられます。


 果たして 《所有》とはいったいどのような制度になればよいでしょうか どうでしょうか?

 少なくともこれまでの歴史を見るかぎり 所有は ただ経済活動や経済制度の問題だけではなく 社会の共同自治が果たしてどのようになっているかという政治学の問題もからんでいる。このように考えられるのではないでしょうか。(その点は No.1のねむネコさんが問うているようです)。
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「共産主義的な状態から私有財産制が進化」というのは、


原始共産制の話であって、現代社会における共産主義は、
私有財産制=資本主義の結果としての階級闘争による
「進化」として至るものとされた。

しかし、人間の意識の自己チューさは、資本主義のお金
=馬車馬の目の前のニンジンによって他律的に操られな
いと社会行動をとれないため共産主義は生産性が低下し、
資本主義国に経済競争で負けたのだ。
一方、そのお金にも、本来の「需要と供給をつないで、
生産を調整する」という役目があるにもかかわらず、
お金のある所にお金が集まって貧富の広がり、個人消費を
抑制して不景気になるという欠陥があり、「累進課税に
よる社会保障での富の再配分」という共産主義的政策を
とるようになって、この点でも共産主義のアドバンテージ
はなくなったのだ。
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pkuobe99様、こんばんは。




理想は、

「一人ひとりがNo.1」で、
ゆえに??「大差は無い」
ということかな、と。

(「100億人でNo.1」を、それぞれ、目指すのですね)
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