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”カトリック教会の洗礼・受礼について”聞きたい事があります。

「洗礼・受礼」とは、イコール(=)「(カトリック)信者になる」と言う理論なのでしょうか?
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それとも、単なる勉強会なのでしょうか?

信者になるのか否かの定義が知りたいです。

「信者になるのか、ならないのか」知りたいです。

因みに、自身は、真宗の家系です。

宜しくご回答をお願いします。

A 回答 (6件)

カトリック信者です。


他の回答者の皆さんが言われるとおり、洗礼を受ける=カトリック信者になる、という意味です。
尚、「受礼」とおっしゃっているのは、おそらく「受洗」(洗礼を受ける、という意味)の聞き違いではないでしょうか?

又、No.1さんやNo.3さんが言いたいのは、以下の意味だと思います。
・「洗礼」はあくまでスタート台に過ぎず、それからも一生修行が必要だ。(そりゃそうですね。)
・成長してから洗礼を受ける場合は、受洗後すぐ聖体拝領(後記参照)ができるが、幼児洗礼を受けた子供は、ものごころついてから、初聖体を受ける。
・洗礼の恵みを更に確固とするために「堅信」という儀式があるので、「堅信」を受けて初めて「完全な」信者になる。

仏教や神道などにおいては、一般的に信徒になるための儀式が特になく(僧侶になる時の「得度」などは別として)、自由に「仏教徒」などと名乗っているのに対し、カトリックを含むキリスト教では、ミサなどのイベントには誰でも自由に出入りできますが、洗礼を受けて初めて、「信徒」(教会の所属員)として認められ、共同体(教会)に受け入れられます。信徒(信者)に対して、そうでない人のことを「未信者」と呼ばれるように、あくまで信徒(信者)になってナンボだという考えです。(私は、この「未信者」という表現が嫌いで、個人的には決して使いません。)
キリストのおからだに擬せられた、パンで作られた「聖体」を「拝領」出来るのも信者だけですし、建前としては、洗礼を受けた人でないと天国に行けない(救われない)ということになっているようです。(まあ、ここには逃げ道があり、洗礼を受けていなかったり、他宗教の信徒でも、何らかの手段で「救われる」という考えもあるようです。最終的に誰が救われるかは「神のみぞ知る」というところなのでしょう。)

さて、私は、仏教・神道など他宗教にも共感を持ち、坐禅や読経の経験も豊富で、寺社参詣も自由に行っており、そうした複数の宗教に足を突っ込むことに何の矛盾も感じません。

この時期も、クリスマスは教会へ、しかし、一週間もしたら、お正月元旦には、一応教会のミサもありますが、どちらかというと、純日本的雰囲気にどっぷりつかって、寺の除夜の鐘を聞き、寺社に初詣に行きたいと思っています。世の中には、こうした連中のことを「節操がない」と忌避する傾向があるようですが、私は、特定の宗教に固執し、他宗教を排除する人間に対しての方が、より激しく憤りと違和感を覚える人間であり、自ら進んで、そうした行為を続けていきます。(これは信念であり、死ぬまで変えません。結果救われなくても一向に構いません。)

カトリックは、第二バチカン公会議(1962年~1965年)以降、他宗教や一般社会との対話と交流を推進し、「開かれた教会」になりました。他宗教施設への儀礼的拝礼や葬儀・法要などイベントへの出席なども、問題はなく、表向きは、排他的な要素は、昔に比べ、著しく減っています。
今日では、多くのカトリック信徒は、他宗教に対して偏見はなく、程度の差はあれ、私のように他宗教施設やイベントへの出入りも自由に行う人間が多数派だと思います。

要は、最後の砦(キリスト教を信じること)が満たされれば、よろしいのではないでしょうか?

尚、私は関連の多くの質問に回答していますので、私のプロフィール画面から、過去問を検索してご覧下さい。
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カトリックを知ろうとする人や信者になろうとする人はまず公教要理(勉強会)を受けます。



そこで納得して信者になる決心がついたら洗礼を受けます。ここからがカトリック信者となります。

洗礼を受けなければアダムとイブがエデンを追われたときの罪「原罪」が残ります。
洗礼によってこの原罪が赦される。これが大きな違いになります。

受礼と言う言葉はありませんが、多分洗礼を受けることを言っているのでしょう。

生まれた時に洗礼を受けた人は洗礼を受けて物心がついたときから勉強が始まります。

両者とも勉強を続け、信仰心が固まったら堅信の秘蹟を受けます。
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この回答へのお礼

貴重なご回答に感謝します

お礼日時:2014/12/25 02:50

なんかいろいろな話が出てますけど。



正式なカトリック教会であれば、洗礼=カトリック信者となります。
受礼という言葉は聞いたことがありません。
聖書勉強会は一般の方でも受け入れるところは多いと思います。
参加したからといって信者になることを勧められたり、強制されることはありません。

大人になってから洗礼を受けたい、カトリック信者になりたいのであれば1年間信者になるための勉強、聖書の勉強をします。
もちろん信者ではなくても御ミサを預かる事は出来ます。
聖体拝領は信者でなければ頂けませんが、神父様の祝福を受けることが出来ます。
もしも現在別の宗教に属していて、カトリック信者になりたいのであれば改宗という手続きを行う必要があります。
カトリック教会は信者への勧誘をしませんし、信者になるためには勉強が必要なので新しい信者さんがなかなか増えないので簡略化すればいいのではないかな?と昔から思っていたのですけどね。

ちなみに他のキリスト教、新興宗教もありますからそれぞれ話は違うと思います。
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この回答へのお礼

貴重なご回答に感謝します

お礼日時:2014/12/25 02:50

正確には、洗礼って、信者になりたい人のスタート台だけで、事前勉強の必要もなしなので、信者にはなりません。


そのあと、数年間勉強し、聖体授与でやっと半人前。それから、勉強し続けて、コンフォマーメーション(確認?日本語知りません)を受けて、初めて「一人前信者」で、はれて、教会で結婚式でも挙げられるようになります。
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この回答へのお礼

貴重な回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/23 23:24

僕はカトリック信者です。

質問者さんの仰る通り、「受洗=カトリック信者になる」と言う事です。此は理論でも何でもありません。初めて教会に足を運んだ時から、教会の神父様や教会の人達との対話(議論や討論になる事も多々ありました。質問者さんの思う「勉強会」は此に当たります)を通じた、当然の成り行きです。因みに僕の場合、初めて教会に足を運んだ時から受洗迄、2年程かかりました。付け加えておきますと、僕の家の方は日蓮宗の家系です。従って、日蓮宗の僧侶(次いでに神道の神主さん)とも親しくしています。以上です。
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この回答へのお礼

貴重な情報ありがとうございました。

自身は、カトリック信者になるつもりが全くないので、
受礼/洗礼は、受け入れられない事が
はっきり判りました。

明確な回答に感謝します

お礼日時:2014/12/23 23:26

堅信という概念がヒントですね。

この回答への補足

意味が解りません

補足日時:2014/12/23 23:27
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