日本では、
ドイツ・オーストリア音楽と一括りで語ることが多いように思いますが、
ベートーヴェン VS ハイドン、モーツアルト、シューベルト
あるいは
ブラームス VS ブルックナー
と対比しますと、
ドイツ音楽とオーストリア音楽は、かなり違っているように思えます。
ドイツ音楽は構成的なのに対し、オーストリア音楽はメロディアスである。
ベートーヴェンやブラームスとは違い、上記4人のオーストリア系の作曲家はメローディーや主題なんかはすぐにいくつも浮かんだに違いない♪
誰だか忘れましたが、「ブラームスにはメロディーや主題と言えるべきものはない」なんてことを言っていた人もいたように覚えております。
また、
ドイツ音楽の音色、響きはよく言えば重厚、悪く言えば、厚化粧の女のように厚ぼったく聞こえる。対してオーストリアの音楽は澄んでいると申しましょうか、透明度が高いような印象を受けます。
誰が言ったのかは忘れてしまいましたが、
ブラームスは、音や音色、響きに対して鈍感と言いますか、音色・響き音痴であり、この部分に関して彼は頭で作曲せざるをえなかった、
といったような内容をどこかで読んだ記憶があります。
また、
オーストリア系の作曲家は音そのものに対して本能的な歓びを感じる、
といった話を読んだり聞いた記憶もあります。
どちらの話もクラシックの作曲家によるものだったと思いますが…。
もっとも、バッハやヘンデルのようなバロック期、R.シュトラウスのような作曲家もドイツにはいますので、ドイツ音楽と単純に一括りできないのでしょうが、シューマンの交響曲やワーグナーの楽劇などをダサいと言いますか、垢抜けしていないように聞こえますし、そう感じられます。
そこで、お尋ねします。
1 ドイツ音楽とオーストリア音楽の違いとは? 何が異なるのか?
2 何故にドイツ音楽とオーストリア音楽はかくも違うのか? その理由は?
「いやいや、オーストリア音楽という分類がおかしいのだ。これは、オーストリア、チェコ、ハンガリー、ルーマニア、イタリアの一部というハプスブルク帝国の枠組みで考えるべきなのだ」
「いやいや、ベートーヴェン、ワーグナー、ブラームスの毛色が変わっているだけなのだ」
「プロテスタント VS カトリックだ」
などなど、自由な視点、観点からの回答も大歓迎です。
学生の頃から長年抱きつづけている疑問です。
ヨロシクお願いいたします(ペコリ)。
No.4
- 回答日時:
面白そうな議論ですね。
一口かませて下さい。私には、ドイツ人、オーストリア人の知人はあまりいないので、あくまで日本人として見ている立場での一意見です。
まず、この議論で言っている「ドイツ」「オーストリア」が何を指すか、はっきりさせる必要があるでしょう。
ドイツ語を話す同じ文化圏と考えれば、同じまたは類似の文化圏といえるでしょう。
中世からナポレオンによって消滅されるまで、同じ「神聖ローマ帝国」を構成する国家群でしたから。ドイツ各国は皇帝となりうる「選帝侯」でしたが、後半はオーストリアのハプスブルク家がほとんど「神聖ローマ帝国皇帝」を独占していました。
(その意味で、ヒトラーは、神聖ローマ帝国を第一帝国、1871年の統一ドイツ帝国を第二帝国、自分の政権を第三帝国と呼びました)
逆に、「ドイツ」と「オーストリア」とは違う、という立場に立つと、次のような疑問が生じます。
(1)「ドイツ」とは何か。1871年の「ドイツ帝国」誕生までは、「ドイツ」という国家はなく、プロイセンやバイエルンやザクセンやハンザ同盟自由都市が割拠していた。当然、バッハ、ベートーベン、シューマンからワーグナーの最晩年まで、こんな状況だった。(ワーグナーのパトロンだったのは、バイエルン王国の国王であったルートヴィヒ2世)
(2)「オーストリア」は、1918年までは、中欧の小国ではなく、ハンガリー、チェコ、ユーゴスラヴィアの半分(スロヴェニア、クロアチア、ボスニアなど)、北イタリアまでを含んでいた。
この辺を現在の地図をベースに取り扱うと、架空の議論にしかならないと思います。
これに加えて、「音楽家」と「国家」の関係は、さらに複雑です。
質問者さんは、音楽にも歴史にも詳しいようなので、下記のような疑問にどう答えるかの回答をお持ちのようですが、私にとっては答えが出せません。
(1)ベートーヴェンは、ドイツのボンで生まれ育ちましたが、音楽家としての活躍はもっぱらウィーンだった。
(2)ハイドンは、オーストリア人と言われるが、生まれた所はハンガリーとの国境近くだし、人生の大半を奉公したエステルハージ公はハンガリーの貴族である。
(3)ブラームスも、生まれ・育ちはハンブルク、作曲のほとんどはウィーンである
私にはオーストリア人の知り合いはいませんが、オーストリア人(特にウィーンっ子)は、ベートーヴェンやブラームスを「おらが作曲家」と思っているのではないでしょうか。
ベートーヴェンやブラームスは「ドイツの作曲家」か「オーストリアの作曲家」か、こは答えがないのではないですか?
(4)生粋のウィーンっ子ヨハン・シュトラウス2世も、代表作「こうもり」の仮面舞踏会で「チャルダッシュ」を歌わせているし、ハンガリーを舞台とした「ジプシー男爵」というオペレッタもある。ウィンナ・ワルツとして人気の高い「宝のワルツ」はこのオペレッタの音楽。
ヨハン・シュトラウスの意識では、「ハンガリーはオーストリア」ということだったのだろうと思います。
(5)マーラーも生まれはボヘミアだが、「チェコ人」と呼ぶ人はいない。
似たような例に、ドイツ生まれのゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルがあります。日本では「ドイツの作曲家」と教わりますが、イギリスに行くと「ジョージ・フレデリック・ハンデルは英国の作曲家である」とされています。確かに、音楽の勉強はイタリアで、イギリスに帰化して人生の2/3をイギリスで過ごしていますし、代表作「メサイア」は英語のテキストに作曲、「水上の音楽」はテムズ川での舟遊びのために、「王宮の花火の音楽」もロンドンの祝典のための音楽です。
このような「人の移動」に加え、ヨーロッパでは上のオーストリアの例のように「国境の移動」というのもたくさんあります。
現在のフランスの都市ストラスブール Strasbourg は、かつてはドイツの都市シュトラスブルクでしたし、ブラームスが名誉博士号を授与されて「大学祝典序曲」を贈ったブレスラウ大学は現在のポーランドにあります。
なんか、とりとめもなく書いてしまいましたが、私なりの考えは、音楽は「国家」「国土」に帰属するのではなく、あくまで作曲家個人に帰属する、ということです。もちろん、「民謡」のような音楽は土地に根付いていますし、特に「歌曲」は言語に依存する部分が大きいと思います。また、作曲家も人間なので「気候・風土」「育った環境」「伝統」の影響を多分に受けるとは思います。でもそれは「環境」であって「国家」「国土」ではないと思うのです。
従って、現在の地図上の国家、国土としての「ドイツ」「オーストリア」に基づく議論なら、あまり意味がないのではないか、というのが私なりの判断です。
質問者さんは、音楽に対する造詣が深いようですので、まだお読みでないなら下記の本をお勧めしたいと思います。どちらも一般向けの新書・文庫本なので、安いし入手も容易です。ちょっと斜に構えた、ドイツ音楽以外からの視点が新鮮です。
岡田 暁生・著「西洋音楽史~「クラシック」の黄昏」 (中公新書)
http://www.amazon.co.jp/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E9%9F …
石井 宏・著「反音楽史~さらば、ベートーヴェン」 (新潮文庫)
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%8D%E9%9F%B3%E6%A5 …
こんにちは。
☆。ドイツ各国は皇帝となりうる「選帝侯」でしたが、後半はオーストリアのハプスブルク家がほとんど「神聖ローマ帝国皇帝」を独占していました。
◇ですね。
カール6世(1740)がなくなったときに、ハプスブルクは神聖ローマ帝国皇帝の地位を、一度、失っちゃいますけれどもね。
そして、有名なマリア・テレジアの旦那さんが神聖ローマ皇帝になった(1745)。
この時、皇位継承を巡って、プロイセンなどとは戦争までしています(オーストリア継承戦争)。
歴史的に見て、
ハプスブルク家とフランス、そして、プロイセンとは仲が悪いんですよ。
特にフランスと…。
だから、マリー・アントワネットはフランスに嫁いだ。
マリー・アントワネットとモーツアルトには、ちょっとしたエピソードがありまして、
神童モーツアルトがマリア・テレジアの前で御前演奏をしたあとに、モーツアルト転んじゃうんですよ。
そして、
転んだモーツアルトが起きるのを手助けしたのがマリー・アントワネットで、
この時、7歳のモーツアルトは「大きくなったら、僕のお嫁さんにしてあげる」とプロポーズした♪
☆(1)「ドイツ」とは何か。1871年の「ドイツ帝国」誕生までは、「ドイツ」という国家はなく、プロイセンやバイエルンやザクセンやハンザ同盟自由都市が割拠していた。当然、バッハ、ベートーベン、シューマンからワーグナーの最晩年まで、こんな状況だった。(ワーグナーのパトロンだったのは、バイエルン王国の国王であったルートヴィヒ2世)
◇そう、だから、これらの音楽をドイツ音楽と一括りで扱うのはかなり無茶なのかもしれません。
そして、こうした文化・風土的な違いは、今日のドイツにも色濃く残っているようです。
☆(2)「オーストリア」は、1918年までは、中欧の小国ではなく、ハンガリー、チェコ、ユーゴスラヴィアの半分(スロヴェニア、クロアチア、ボスニアなど)、北イタリアまでを含んでいた。
◇18世紀までは、スペインもハプスブルク帝国だったんですよ。
☆(2)ハイドンは、オーストリア人と言われるが、生まれた所はハンガリーとの国境近くだし、人生の大半を奉公したエステルハージ公はハンガリーの貴族である。
◇第一次世界大戦後に、オーストリア・ハンガリー二重帝国が解体するまで、オーストリアとハンガリーは一つの国ですよ。
少なくとも20世紀以前の歴史や文化を考えるとき、
たとえ異なる民族、異なる言語を話していたとしても、
一人の王をいただく一つの国であって、この両者を分けて考えるべきではないのでしょうね。
ドイツ、オーストリア、そして、オーストリア、チェコとはかなり事情が異なるように思います。
☆ 私にはオーストリア人の知り合いはいませんが、オーストリア人(特にウィーンっ子)は、ベートーヴェンやブラームスを「おらが作曲家」と思っているのではないでしょうか。
◇ですよ。
そして、
ウィーン・フィルのメンバーは、ドボルザークも「オラが国の作曲家だ」と思って弾いているに違いない♪
☆ ヨハン・シュトラウスの意識では、「ハンガリーはオーストリア」ということだったのだろうと思います。
◇です。
少なくともこの時代はハンガリーとオーストリアは一体ですから、分けて考えるべきではないのでしょうね。
☆(5)マーラーも生まれはボヘミアだが、「チェコ人」と呼ぶ人はいない。
◇マーラーは、ボヘミア出身とはいえ、ドイツ語文化の色濃い村で生まれ育ち、そのために幼少からドイツ語を話していましたから。
さらに、ウィーンで音楽教育も受けていますしね。
マーラー自身には、自身がオーストリア人であることに対して何の違和感もなかったんじゃないですかね。
小さい頃からキリスト教の教会にも通っていたようですから、ユダヤ人としての自覚も薄かったんじゃないですかね。
ただ、彼の周囲の多くの人は、そうは考えていなかったようですけれど…。
回答、ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
お礼有難うございます。
今回は、一度にたくさん書けないので、少しゆっくりやらせていただきます。>それはそれとしまして、
>なぜ、日本では、ハイドンの人気が今ひとつないのでしょう。
>世界的に見ても、モーツアルトやベートーヴェンと比較すると、ハイドンの人気はかなり落ちるように思います。
ハイドンは、作品があまりに多いので、私も把握していないのですが、数年前にちょっと気になって、それまでほとんど弾いたことがなかったピアノソナタを数曲弾いてみました。面白いことは面白いのですが、様式的にはまだ、モーツァルトのように確固たるものが完成されておらず、まとまった印象を得にくいような感じもあります。初期のものは、やはり前古典派からの過渡的な様式なのだろうと思いますが、これはモーツァルトの初期の作品にも言えることです。モーツァルトの初期の交響曲は、あまり知っている人はいないでしょう。たぶん、ハイドンの作品の多くは、非常に素朴で、発展途上のものだと思います。自分より若いモーツァルトの才能に感心して、その作品を学んだというのも有名なエピソードです。ハイドンについては、もう少し考えてみますが、もっと聞かれてもいいですね。ついでに言えば、バッハの息子たちの曲ももっと聞かれるべきだと思います。そうすれば、ドイツ・オーストリア音楽の成立の流れが把握しやすくなるはずです。ところで、モーツァルトは、C.P.E.バッハのほかに、アベルというドイツの作曲家も影響を受けているのですが、御存じですか。以前聞いたときは、つまらないと思ったのですが、下の曲などは、楽想はかなり平凡ではありますが、やはりモーツァルトを先取りしていると思います。
ドイツとオーストリアの違い、ブルックナーについては、追々書くとして、カトリックとプロテスタントという見方も面白いのかもしれませんね。そうなると、同じドイツでも、ベートーヴェン、ワーグナーと、バッハ、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスの二つのグループに分かれますし、うなずける部分もあります。ベートーヴェンはカトリックではありましたが、教会にも行かないような自由人でしたし、ドイツ人でありながら、オーストリアに結構同化できた人ではないかという気もしています。一般的に気難しいイメージがあると思いますが、これは耳の障害のせいであったことは、ベートーヴェン自身が書いています。生まれつきは、結構明るく、冗談好きの性格だったと思います。バカ話が好きで、そういうことをよく知っている友人と一緒に散歩をしながら、「何か面白い話はないのか」と尋ねる。友人が話すと、大声でゲラゲラ笑う、という記録も残っています。むしろ、ブラームスの方がとっつきにくかったに違いない。ベートーヴェンには、結構洒脱でユーモアのある曲もあるんですよ。ワーグナーも「マイスタージンガー」のような喜劇が書けたわけですし、のちの時代に大きな影響を与えた二人がプロテスタントではないというのは、偶然ではなさそうですね。それに比べると、ほかのドイツの作曲家はやはり、禁欲的という気がしないでもありません。今ちょっと思いついて、ブラームスのセレナード第1番というのをYoutubeで探して見て、楽譜もちらっと見たのですが、モーツァルトのセレナードのようなわけにはいきませんね。重すぎる。まじめすぎる。やはり、ドイツ的な作曲家は、ある意味完璧主義で、作品全体の古典的完成度を目指しているような印象です。ベートーヴェンやワーグナーは、思い切りはみ出しますからね。
今日はこれくらいにします。つなぎとして、昨年plapotaさんがなさった御質問を参考に紹介しておきます。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8801805.html
この回答への補足
現在、2:44p.m.
ルイジ・ケルビーニの弦楽四重奏曲の6番なんてマイナーな曲を流しております。
たぶん、はじめて聞く曲だな。
この作曲家の名前くらいは聞いたことがあるのですが、いい曲ですね♪
まっ、名曲だから流しているんでしょうけれど。
こんにちは。
☆そうなると、同じドイツでも、ベートーヴェン、ワーグナーと、バッハ、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスの二つのグループに分かれますし、うなずける部分もあります。
◇ベートーヴェンとワーグナーはカトリックですか。知りませんでした。
「ベートーヴェンとワーグナーは、他のドイツ人作曲家と少し毛色が違うよな~」
と、特にベートーヴェンなのですが、
7番や8番シンフォニーなど、他のドイツ人作曲家にはない明るさと快活さ、軽快さがありますでしょう、
ベートーヴェンとワーグナーの扱いに苦慮しておりました(ポリポリ)。
であるとすると、
☆のちの時代に大きな影響を与えた二人がプロテスタントではないというのは、偶然ではなさそうですね。
◇というのも、何となく納得できるような気がします。
無調、12音階など音楽が産まれたのも、ウィーン、カトリック的土壌ですので。
バロック後期のバッハ、新古典主義(?)のブラームスは、
新しい音楽への開拓者というよりも、それまでの音楽の大成者的な位置ですしね。
私の頭の中にあった構図としましては、
オルガニスト バッハ VS ブルックナー
レクイエム ブラームス VS モーツアルト
といった漠然としたものであると同時に、
プロテスタントとカトリックの宗教音楽が彼らの作曲活動に何らかの影響を与えたのではないか、という曖昧模糊な推測だったのですが。
宗教的、教会音楽的な土壌の違いが作風に影響を及ぼしているのかも知れませんね。
☆ブラームスのセレナード第1番というのをYoutubeで探して見て、楽譜もちらっと見たのですが、モーツァルトのセレナードのようなわけにはいきませんね。重すぎる。まじめすぎる。やはり、ドイツ的な作曲家は、ある意味完璧主義で、作品全体の古典的完成度を目指しているような印象です。
◇私だけなのかも知れませんが、
バッハとブラームスの曲は、
居住まいを正さないと聞けません(ポリポリ)。
聞くのに「これから聞くんだ」という気構えが必要です。
「ゴールドベルク変奏曲」や「音楽の捧げ物」などは、BGMにならない(笑)。
ところで、
現在、とあるクラシック専門のネットラジオ(OTTO's CLASSICAL MUSIK RADIO)から
SCHUBERT - Sonata for Piano and Arpeggione in A minor, D. 821
が流れておりますが、
いい曲ですね♪
やっぱ、好きなんだな、シューベルト。特に室内楽系ですが…。
オーストリア音楽の方が性に合っているんでしょうね。
このチャンネル、
ハイドンやC.P.E.バッハの曲とかよく流れているんですよね~♪
そして、
わたし、結構好きですよ、C.P.E.バッハ。
この音楽チャンネル、結構、いいチャンネルですよ。
名前を聞いたことのない作曲家の名曲なんかもよく流れているので、重宝しております。
☆ベートーヴェンやワーグナーは、思い切りはみ出しますからね。
◇この二人は、結構、洒落っ気がありますよね。
回答、ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
お久しぶりです。
今年もよろしくお願いします。この問題は、いつかちゃんと取り組みたいと思っているのですが、今月は仕事の都合で時間がありません。中途半端になりますが、現時点で大雑把にお話しできることだけ書きます(何回かに分けるかもしれません)。
ドイツとオーストリアの音楽を、一つの様式的ジャンルとしてまとめるというのは、ヨーロッパでもしていることではありますが、日本では、その意味をあまり理解せず、そのまま受け売り的に使用している人が多いと考えられます。日本で、「ドイツ・オーストリア音楽」と、あまり考えもなしにひとまとめにされる背景には、二つの事情があるのではないかと思います。
一つは、「ウィーン古典派」の音楽が、国境を越えて、その後の西洋音楽の規範になったということ。ヨーロッパの音楽大学の楽理科などで音楽研究を始めるとき、やはり一番の基礎として研究対象にされるのは、「ウィーン古典派」様式です。これは、ハイドン、モーツアルト、そしてベートーヴェンに代表されます。つまり、この様式の発展、形成には、オーストリア人もドイツ人も関わっているということです。
もう一つは、日本では、ドイツ、オーストリアそれぞれの文化そのものは意外に知られていないというか、差異を明確に把握している人が少ないということでしょう。もちろん、ドイツ文学や哲学は昔から知られているわけですが、それでは、ドイツ文学とオーストリア文学の違いは何か、などということを把握している人は少ないと思います。ドイツとオーストリアでは、民族も違いますし、気質が全く違います。しかし、日本にいる限り、あまり意識されないでしょう。どちらも同じドイツ語を話す、同じような人達だと思っている人が多いに違いありません。だから「ドイツ・オーストリア音楽」という名称をそのまま疑問を持たずに使っているのだと思います。
最初の問題に戻りますが、ウィーン古典派も、もとをたどればドイツのマンハイム楽派などに行きつくでしょう。バッハの息子たちの名前も当然挙がってきますね。これをより洗練された様式に発展させたのが、ハイドンとモーツァルトということになります。「ドイツ音楽は構成的」という言い方はよく聞くのですが、古典派からロマン派の基礎になった様式、構成美学を確立したのは、ハイドンとモーツァルトといっていいと思います。ベートーヴェンは、モーツァルトへの尊敬の念からウィーンへ行き、ハイドンに学び、古典派の様式をさらに拡大発展させました(もっとも、ハイドンのレッスンにはあまり満足していなかったようで、アルブレヒツベルガーやサリエリに習っています。シューベルトもサリエリに習っているので、ウィーン古典派にとって、サリエリは結構重要人物なのでしょう)。ドイツ人とはいっても、ハイドンとモーツァルトの精神をしっかり受け継いだわけですが、拡大発展した部分につては、やはりドイツ人ならではのスケールの大きさがあると思います。結局のところ、同じドイツ語を話し、隣国同士でもあったドイツとオーストリアの交流が、ほかの国との交流より密であったことはたしかです。そして、西洋クラシック音楽の基礎となった古典派の様式は、ドイツ人だけ、もしくはオーストリア人だけではここまで充実しなかったと思います。両者のいいところが補完し合った結果の発展だと思いますし、それが、ほかの国を先導するほどの勢いを持ったという意味では、「ドイツ・オーストリアの伝統」といっていいのだと思います。
その一方、やはり気質の違いから、ドイツ人とオーストリア人の発想には当然違いが生じてきます。私はオーストリアとの付き合いが長く、ドイツ人との交流もありましたが、やはり全然違います。生真面目で理詰めのドイツ人から比べると、オーストリア人は、よく言えば柔軟、悪く言えばいい加減な部分があります。面倒くさいことは嫌いで、物事を感覚的に楽しむ気風があると思います。「ドイツ的」なものに対する抵抗も結構持っています。ハイドンやモーツアルトの軽妙洒脱さも、こういう気質からきているでしょう。オーストリアの場合、なんといっても「音楽的であること」がまず評価されます。そして、近隣の国の民族的な要素も入ってきます。ドイツ文学には、喜劇の傑作がほとんどないといわれますが、オーストリアには喜劇作家がいて、風刺やユーモアの伝統もありましたから、ヨハン・シュトラウスのワルツや、オペレッタなどの文化が発展したのも当然で、これらはみな、オーストリア、特にウィーンならではのものです(余談ですが、ヨハン・シュトラウスとブラームスの話はよく出るのですが、ワーグナーもヨハン・シュトラウスの音楽は評価していました)。シューベルトの場合も、小さなモティーフを組み合わせて、論理的、有機的に展開することよりも、旋律や和音一つ一つの色合いの方に意味があったと思います。また、歌曲などの場合、どの国の作曲家も、ある程度自国の民謡などをよりどころとすることが多いと思うのですが、昔、世界の民族音楽を研究していた折、ドイツの民謡だけ、旋律に装飾がないと読んだことがあります。つまり、一シラブル対一音符という感じです。オーストリアの民謡には、以前ねこさんのスレッドに動画を張ったような気がするのですが、ヨーデルのような裏声や豊富な装飾を伴ったものがたくさんあります。さらに、ボヘミア的なものやハンガリーの音楽も古くから入っているはずですね。オーストリア人の方が、感覚に訴える旋律を好むと思います。
ドイツの作曲家の場合、やはり主題労作による有機的構成が優先的になります。ベートーヴェンもそれを推し進めたわけで、第5交響曲の第1楽章の、短い一つのモティーフで曲全体が構成する方法がその極致です。ワーグナーのライトモティーフの考え方なども、こういうところから始まっていると思います。このような作曲法に適しているのは、短くても特徴のあるモティーフ、「音型」で、流麗な旋律ではありません。旋律としては魅力的でも、そこから一小節だけを切り出した時にあまり特徴がないと、展開に耐えません。両立できれば一番良いのですが、それは至難の業だと思います。「ブラームスにはメロディーや主題と言えるべきものはない」というのは極端な意見で、ちょっと思い出すだけでも、第1交響曲の主楽章や第3交響曲の第3楽章など名旋律はいくらでもあります。ベートーヴェンもまた然りなのですが、実は、私も一時期、ベートーヴェンの曲は分散和音と音階ばかりで、旋律がないではないかと思ったことがありました。しかし、これは、旋律を書く才能があるかないかではなく、曲全体の展開を考えて主題を考えだすか、とりあえず書きたい旋律を書いてしまうか、個々の作曲家の創作態度に左右されるものだと思います。私にとって今一つ把握できないのがブルックナーで、もちろん嫌いではないのですが、流麗華美な旋律を書く人ではないと思っています。むしろ、短いモティーフを多用しているようですが、それでいて、有機的な展開に徹することもできなかったようで、オーストリア人の良いところと悪いところが同時に出ているようでもあります。
音の厚みについては、一般的に、時代とともに厚くなっていくということもありますので、時系列でも見なければならず、一概にドイツの作曲家の特徴とすることはできないと思いますが、ある程度そういう傾向があるとすれば、やはり、ドイツ人は何事も頭で考える傾向がありますから、複雑になるということはあるかもしれません。しかし、メンデルスゾーンなどは風通しも良く、整ってすっきりしていますよね。シューマンも、重厚というほどではないように思います。ブラームスは重いですが、やはり北ドイツ的なのでしょうか。リヒャルト・シュトラウスは南ドイツで、文化圏としてはややオーストリアと近い地域です。よく、ドビュッシーやラヴェルなどのフランスのオーケストラ音楽が色彩的だといいますが、オーケストラの色彩的な扱いに関しては、リヒャルト・シュトラウスが名人的です。そして、ドイツの作曲家よりも、オーストリアの作曲家の方が、音の色彩的な扱いに興味を持っていたような気がします。
もっとも、リヒャルト・シュトラウスやマーラーになると、二人とも指揮者であり、毎日のようにチャイコフスキーやヴェルディ、プッチーニなどのオペラも指揮していたわけで、すでに国際派ですね。いろいろなものから影響を受けていますし、ドイツ・オーストリアの枠にはすでにおさまらなくなっています。もちろん、マーラーは、ボヘミア的でもありユダヤ的でもあり、しかしやはりオーストリア的でもある。リヒャルト・シュトラウスには、結構イタリア的な部分もあると思います。
じっくり書く時間がないので、やはり話がまとまらなくなりました。ここでいったんやめます。時間があったらまた回答します。
こんばんは。
そして、
少し遅くなりましたけれども、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
シューベルトに関する質問に対するTastenkasutenさんの回答で、
ドイツとオーストリア音楽などの違いについて軽く触れられておりましたので、
「やはり、この両者には大きな違いがあるのだな」
と確信し、
時間を隔てて、今回この質問をさせていただきました。
☆これは、ハイドン、モーツアルト、そしてベートーヴェンに代表されます。つまり、この様式の発展、形成には、オーストリア人もドイツ人も関わっているということです。
◇ベートーヴェンがいなくても、おそらくウィーン古典楽派はインターナショナルなものになりえたのでしょうね。
創始者であるハイドンによってそのスタイルは確立されていましたから。
ただ、ベートーヴェンがいなければ、その後の隆盛や発展はなかったのでしょう。
それはそれとしまして、
なぜ、日本では、ハイドンの人気が今ひとつないのでしょう。
世界的に見ても、モーツアルトやベートーヴェンと比較すると、ハイドンの人気はかなり落ちるように思います。
☆もう一つは、日本では、ドイツ、オーストリアそれぞれの文化そのものは意外に知られていないというか、差異を明確に把握している人が少ないということでしょう。
◇はい、この差がよくわかりません。
華やかなハプスブルク文化については多少の知識がありますが、小国の乱立していたドイツの文化についてはまったく知りません。
そもそも、19世紀後半のプロイセンによるドイツ統一以前に、ドイツ文化という、広いドイツ国土共通の文化が存在するのかについてさえ、かなり懐疑的です。
そして、私たちがドイツ的と思っているのは、プロイセン的なそれなのであろうと。
ドイツに住んだことはもちろん、ドイツに旅行したこともありませんので、
北ドイツとバイエルンなどの南ドイツでは、気質も文化もかなり異なっているのでしょうね。
ベートーヴェンとブラームスの音楽的違いなども、こうしたドイツの気候・風土、文化的土壌や気質の違いなどが反映されているのでしょうね、きっと。
☆西洋クラシック音楽の基礎となった古典派の様式は、ドイツ人だけ、もしくはオーストリア人だけではここまで充実しなかったと思います。両者のいいところが補完し合った結果の発展だと思いますし、それが、ほかの国を先導するほどの勢いを持ったという意味では、「ドイツ・オーストリアの伝統」といっていいのだと思います。
◇ドイツとオーストリア音楽の幸せな結婚があったのでしょうね、きっと。
☆その一方、やはり気質の違いから、ドイツ人とオーストリア人の発想には当然違いが生じてきます。私はオーストリアとの付き合いが長く、ドイツ人との交流もありましたが、やはり全然違います。生真面目で理詰めのドイツ人から比べると、オーストリア人は、よく言えば柔軟、悪く言えばいい加減な部分があります。面倒くさいことは嫌いで、物事を感覚的に楽しむ気風があると思います。
◇かなり違うらしいですね。
ハプスブルク帝国は、基本的に多民族、多文化の世界ですし…。
ところで、これはネットで聞いた話なのですが、
ドイツ人は海水浴に行くと、決まって、何時間もかけて砂浜に穴を掘りつづけるそうですね(笑い)。
http://www.all-nationz.com/archives/1006874141.h …
「ドイツ人は砂浜で穴を掘り、オランダ人は川でダムを築く」とも言われているらしいですよ。
http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/7734463 …
ドイツ人の習性は理解できない(ポリポリ)。
☆ハイドンやモーツアルトの軽妙洒脱さも、こういう気質からきているでしょう。オーストリアの場合、なんといっても「音楽的であること」がまず評価されます。そして、近隣の国の民族的な要素も入ってきます。
◇R.シュトラウスなどは違いますが、こうした軽やかさはドイツ音楽に欠如していますよね。
聞くだけで、心がウキウキするような、心がときめくような音楽は、ドイツ人にはちょっと書けない。
踊りやダンスなど、プロイセン人やドイツ人は苦手そうだし、リズム感が悪そうだし(ポリポリ)。
☆私にとって今一つ把握できないのがブルックナーで、もちろん嫌いではないのですが、流麗華美な旋律を書く人ではないと思っています。むしろ、短いモティーフを多用しているようですが、それでいて、有機的な展開に徹することもできなかったようで、オーストリア人の良いところと悪いところが同時に出ているようでもあります。
◇ブルックナーは、かなりベートーヴェンを意識していますよね。
ワーグナーの影響を強く受けている上に、さらに、彼の根底には教会音楽があり、これらをすべて統一した形式で同時に表現しようとしたからではないですかね。
おまけに、シューベルトの如き、オーストリア人的な音楽的心性、魂がこれに絡む、この統一を邪魔をする、困難にしてしまう…。
ブルックナーの交響曲第3番の第一稿なんか聞くと、何が何だかわからない音楽になっている。
ですが、
実は伝統的技法を取り入れているだけのかも知りませんが、すごく斬新で新しいことをやっているように聞こえ、素人の耳にはスゴい音楽だと聞こえてしまう。
https://www.youtube.com/watch?v=rMxR-FgnK4o
私には宇宙が鳴動しているように聞こえてしまう。
この圧倒的スケールは、ベートーヴェンの第9を超えている???
しかも、曲が終わったのか、終わっていないのかわからない形で終わってしまう(笑い)。
誰が何といおうが、
第一稿の方がノヴァークやハース版よりも断然におもしろくて、ブルックナー的ですよ♪
☆よく、ドビュッシーやラヴェルなどのフランスのオーケストラ音楽が色彩的だといいますが、オーケストラの色彩的な扱いに関しては、リヒャルト・シュトラウスが名人的です。
◇と言いますよね。
そして、R.シュトラウスに匹敵するオーケストレーションの名人、達人は、
「シェヘラザード」の作曲で有名なリムスキー・コルサコフ、
「ローマの松」の作曲家、レスピーギだと。
回答、ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
うーん、
・ドイツ音楽
「音楽の頂点は交響曲。
交響曲と言えば、ベートヴェン!とブラームス!。
特に第九 合唱だ!!ドイツの音楽は世界一!!!」
・オーストリア音楽
「人生はウインナー・ワルツ!
ワルツを聴きながら、踊り、飲み、笑おう!」
という、かんじですかね。
まー、普仏戦争でプロイセン中心のドイツ帝国できるまで、
現在のドイツもオーストリアも、チエコ・ハンガリー、はては現在のウクライナ西端までの
中欧東欧まで含め、、神聖ローマ帝国の残光の ほぼ 一つの国といえなくもない、
状態ですから。多分に
「ドイツ人は理屈っぽい」\(^^;)...
「オーストリアと言えば花のワルツの都ウイーン」(*^_^*)
わかりやすいステレオタイプの思い込みです。
思い込みですから、もっともらしく聞こえる。
※実際には、
ベートーヴェンもブラームスも、一流音楽家と世評高くなると
ウイーンに引っ越してますし。
交響曲の仙人ブラームスとワルツ王シュトラウス二世は
「一度あったら友達で、毎日あったら兄弟だ」的親友で、
演奏会をコラボしてたりしてます。
ウィンナ・ワルツできましたか♪
確かに、ブラームス、ベートーヴェンにはヨハン・シュトラウスのようなメロディアスで洗練されたワルツや楽曲は書けないでしょうね。
ドイツの作曲家で、こうした曲を書くことができたとすれば、おそらくR.シュトラウスくらいなのではないでしょうか。
ですが、R.シュトラウスは、モーツアルトを尊敬し、神のように崇めていたらしいので、R.シュトラウスをあげるのは間違いなのかもしれない。
であるならば、
『魔弾の射手』で有名なウェーバーあたりになるのかと思って少し調べてみましたら、ウェーバーもオーストリアで音楽教育を受けているようなので、ウェーバーをあげることもできないようですね。
そうなると、メンデルスゾーンあたり以外いないのかもしれない。
やっぱ、ドイツ音楽はダサい、野暮ったい(ポリポリ)。
遅くなりましたが、こんにちは。
☆ドイツの音楽は世界一!!!」
◇ですか…。
ベートーヴェンやブラームスは大好きですが、
私はどちらかと言うとオーストリア音楽の方にシンパシーを感じますし、こちらの方を好んで聞いております。
そして、
ブラームスよりブルックナーの方が偉大だなんて考えております。
☆ウイーンに引っ越してますし。
交響曲の仙人ブラームスとワルツ王シュトラウス二世は
「一度あったら友達で、毎日あったら兄弟だ」的親友で、
演奏会をコラボしてたりしてます。
◇ブラームスとシュトラウスは仲がよかったらしいですね。
~~~~~~
シュトラウスと親交の深かったヨハネス・ブラームスは、後年シュトラウスの娘から彼女の扇子へサインを頼まれた際、この曲の一節を五線譜で書き「残念ながら、ヨハネス・ブラームスの作品にあらず」と脇に書き添えた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97% …
~~~~~~
というエピソードも広く知られています。
また、ブラームスは、ドボルザークとも仲がよかったようですね。
同時代のブルックナーとは関係が良好でなかったようですが…♪
ベートーヴェン → シューマン → ブラームス
ベートーヴェン → シューベルト → ブルックナー
交響曲作家としての系統もブラームス、ブルックナーでは異なりますし…。
回答、ありがとうございました。
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