天使と悪魔選手権

正岡子規がいなかったら日本の野球事情は変わっていたと思いますか?過去のことを言うのはナンセンスですが、よろしければ回答をお願いします。

A 回答 (1件)

子規の当初の認識より、実は、十年も早くから野球は日本に入ってきた。

アメリカでベースボールがプロ化した二年目の明治五年の横浜でのこと。

しかも、今から考えれば笑い話のようなルールと守備位置だった。投手はソフトボールのような下手投げで、四球ではなく「九球」のボールで、やっと一塁に進める。子規のポジションだったとされている捕手は、本塁から遠く離れて、投手の投ずるボールをワンバウンドで捕球していた。グローブなど無く、全員が素手であるから仕方ない。遊撃手(ショートストップ)は投手と三塁の中間地点で守っていた。三塁手の前で守って、三塁手にゴロが到達する以前に補球するからこそ、ショートストップと言う。このショートストップが一番うまい選手というのが決まり。

で、簡単に捕球されるフライは駄目で、強いゴロを打つべしというのが子規のバッティング理論。そして、相手のゴロ打球には袴を広げて身体(袴の裾)で止める。これでアメリカ人チームに結構勝てていた。

フライよりもゴロを善しとすること、体で打球を止めることというのは、高校野球に根強く残っている日本野球哲学。しかし、こういうのは、子規が気付く前に皆がやっていたことだと思う。
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