アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

アラフォー男子です。

僕らの子供の時とかって、、、同じ映画とか?何度も観たりとか?
同じマンガとか、何度も観たりとか?
エロビデオなんて、皆で回し見して、、、テープが擦り切れるまで見たじゃないですか?
テレビの、ロードショーの映画を、ひたすら繰り返し見たりとか?(僕の地元は民放2局だったし)
その前から図書館は各地に有ったし、レンタルビデオも出来たけど(ビデオと共に出てきた)、、、けど、レコードから、テープに移り変わる時期だったし、テレビで流れてる音楽を(皆で黙って)、テープに撮って聞いたりした記憶とか?親が聞いてる記憶とか?無いですか?

今って、ブックオフにはズラリと凄まじい数のマンガが並ぶし、ネット上でも数限りなく作品が発表され続けてる。
映画も、音楽も、或いはゲームも同じなのかもしれないけど???既にあるモノは残り続けて、量産のスピードも上がっている。
(勿論、追いきれないし、見きる事も出来ない。)

親世代は、物がない世代で、衣食住を満たしてきた、で、バブルを起こした世代?で、僕らは物がなかった世代では無いけど、、、エンターティメントは限られていた。

今だって物は海外品も含めて、飽和するくらいに、在って、、、衣食住を考えると、貧富は有るにしても事足りていて、衣と食はデフレが続いてるし上がるとは思えない。住もバブル崩壊後の下落等は言うに及ばず、で、今後の人口減少と、農地法、相続税法などの改正?或いはより自由な人の移動が考えられる、今後、上がる見込みも(アベノミクスどうこう言おうが)其れほど無い様に思えます。

話を戻して、エンターティメントも、同じように、飽和し続けてる訳で、、、更に、翻訳が自動化されるようなプログラムも出てきている中で、何というか?海外製品(アメリカや先進国のみ成らず)も、間違いなく今後、増え続ける中で、、、ハンパない?飽和?は、加速されていく、と、思うのですが、、、衣食住と同様に、多分?個人が消費出来る量は相対的に、其れほどは、延ばせるでしょうか?

こういう流れって、災害とか?戦争とか?そう言うこと?が、無い限り、一方向な流れな気がする訳ですが、、、其れはツマリ世の中が豊かになった、と、言った証明だとは思うのですが、、、

しかし、エンターティメント?或いは、文学的なモノに、関して言うならば、、、其れが ファスト化 する事、 自 体 が、何というか? 心 の 在 り 方 へ の 影 響 ?って、在るように感じませんか?

 何となくなんですが、、、

 考えて?しまった、、、

 よく解らない事を?

 質問に、してしまいました。


 皆さんは、どう思われますか?

質問者からの補足コメント

  • 未完欠長期マンガや、スピンオフ作品などの、 惰 性 消 費 に、付いて、、、

    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8993875.html

      補足日時:2015/06/04 21:46
  • 良質のモノのレベルは上がり続けては居る。(例えば、バガボンド以上の、マンガ作品を、僕は知らない。)

    加えて、其れまで な ら 、埋もれていた(かもしれない?)才能にも、日の目を当てている。

     た だ 、 メ タ な…最大公約数的な、モノは共有できるにしても、それ以外は、共通?と、は、成りえず、細分化したカルチャー(サブカル?サブサブカル?)に成る。



     コレ自体は、悪い事とは、捉えないし、、、メディア先導(テレビ局や出版社、新聞社)の、洗脳には引っ掛からない人が増える?自分で考える事が出来る人が増えていく事に、繋がるなら、悪い事ではない、良いことだと思うのです。

    た だ 、そんな中で、世代間に共通されるような?価値観?美意識?と、か、無い事に寄っての、 ち が い は、出ると思う。

    それは、どんな物なのかな?と、か、思ったりします。

      補足日時:2015/06/04 22:07
  • また、既にある カ タ チ での、視覚、聴覚、に、訴える様な 表 現 は、在る程度??? 飽 和 への、流れは、この先、ますます加速されるようになると、思えます。

    その中で、新たなる表現?
    が、出てくるとしたら、どんなものだろう?と、空想します。

    誰でも思い付く範囲で言えば、バーチャル体験???視覚と、聴覚を、、、奪っての?一人称的な?作品。
    (SF的ですが、簡素なものなら?今すぐにでも出来ますよね?)

      補足日時:2015/06/04 22:16
  • やはり、在る程度のモノは、既に在るようです。

    http://www.phileweb.com/sp/review/article/201210 …

      補足日時:2015/06/04 22:38
  • 既に在るもの(テレビゲーム、マンガ、音楽、映画、小説、、、等々)は、ネットに集約され、量産され、そして大量に消費され、て、行く。

    悪い流れでは、無いですね。

    と、その中で次に来ると思われるのは、、、

    体感型、一人称的視点での、エンターティメントな、気がします。
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8997128.html

      補足日時:2015/06/06 21:55
  • https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8997784.html
    ↑バーチャル空間での体感型エンターティメントに、ついて、、、

      補足日時:2015/06/07 21:23

A 回答 (3件)

私は単純にいいことだと思っています。



たとえば音楽を「聴く」という歴史を考えて見ましょう。
200年ぐらい前であれば、まだ蓄音・再生機器が発明されておらず、音楽は「生」で聞くものでした。大きな音、複雑なメロディーを作り出すには、高価なピアノとかオーケストラなどが必要で、特に庶民は笛に御囃子ぐらいでも十分に音楽だったわけです。

エジソンが最初に蓄音機を発明し、レコードの形になって普及したのは日本で言えば大正時代で、大体大正から昭和初期にかけて一気に「音楽を聴く」という行為が、生音ではなくレコードやラジオを通したものに変わります。
とくにラジオが普及した時点で、それ以前の生音しかない時代に比べれば「飽和した」状態になったといえます。

面白いのは、音楽が飽和した結果です。大きな音や複雑なメロディを作り出すのにオーケストラは必要なくなり、ジャズを原型としたバンド形式が増えていったのです。つまり飽和して「音楽」が足りなくなったため、「音楽を作る」側も気軽に音楽を作れる形に音を作り出す側が変化したのです。

この変化はカセットテープの発明によるウォークマンの出現、CDの発明から今のICオーディオに至るまで、音を作り出す側もどんどん変化していっており、現在のような音楽のジャンルの多さ、楽器を弾くという裾野の広さ、電子楽器やパソコンを使った楽曲作製など、ものすごく変化しています。

ちなみに、これは山下達郎氏がラジオで言っていたことですが、1980年代に初めて自宅にスタジオを作ったときは1億ほどかかり、それでもプロスタジオの設備にはかなわないので、なるべく音質の劣化しないPCMで録音して最終仕上げはプロスタジオでやったものなのに、2000年を越えたら、100万円ぐらいかければほぼプロスタジオと同じことができるようになった、そうです。
20年で「音楽を作る側も飽和状態を解消する進化」を遂げているといえます。

現代では、プロの作る音楽、プロミュージシャンの歌う歌、などのほかにアマチュアが作る音楽、アマチュアがプロの曲を演奏したり歌ってみたりする音楽(いわゆるyoutubeの「歌ってみた」シリーズなど)、プロなのかアマチュアなのかの境界線ぎりぎりでゲームや映画や芝居などに音楽を提供する人々、素材を作って提供する人々、など音楽の飽和に合わせて飽和状態を支える裾野も大きく変化しているといえます。

この先にくるものは、予測しがたいですが、たぶんそろそろ「プロレーベルによるCD製作とマネー」という図式がおおきく崩れ、より自由により広範囲に音楽が聴かれるようになるであろうと思います。もっとも良質で高度な音楽を作り出す方式が壊れてしまうと、かえって衰退してしまうので、何らかの形で「ネットからビッグマネーを稼ぐ方」が発明されるでしょう。

この方法が発明されると、現在のテレビも映画もおよそ「エンターテイメント」と呼ばれるものは、ネットに収束されていくでしょう。

私もアラフォーというかアラフィフと言った方がいい年齢ですが、音楽に目覚めた中学生ぐらいは、レコードからCDに変わる時期であったことや、テレビで流れている音楽とFMでしか聴けない音楽とか、もっとディープなメタル系などは雑誌を読んで、レコード屋に行かなければ「聴く」ことすらできない状態でした。
 それが今は、どんな音楽だってネットでアクセスできるし、探そうと思えばほぼ見つけることができる、というすばらしい時代になっているといえます。

で、飽和するのか、しているのか、という話しなら、まだまだ飽和していないと思います。たとえば民族音楽とか民族音楽から発展したその国のコンテンポラリー音楽などにはまだまだアクセスするのが難しいです。
こういうものもまで発見し、自分の好みで聞けるようになるには、音楽そのものよりも「情報を検索したり紹介したりする」仕組みに大きな進化が必要です。

だから、このような情報を扱う限り、飽和なんてなかなか出来ないと思いますよ。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

エンターティメントが、ネットに集約されていく。


 確かに、と、思います。

ネットに集約され、其処を媒体にして、拡散するモノは拡散していく。

僕も、肯定的に、は、捉えています。

 が、追いきれないなあ~。

と、なると、、、ツボ?を、紹介するネット媒体が結構、肝心な役割をする事になる。

 そう言う事になりますかね?

悪くないとは、僕も思います。

お礼日時:2015/06/05 21:56

モノがあっても無くても、ヒトの心が満たされる事は無いのでしょう。

    • good
    • 1
この回答へのお礼

そうですね。

物の飽和がまず起こり、、、

そして、エンタメの飽和は、或いは?

 こ こ ろ  の 、 飽 和

に、繋がってる気もします。

お礼日時:2015/06/04 21:34

文化が成熟を通り越して、腐り始めてる時代できないかと。


例えば、漫画など、粗製乱造に近くなってますね。玉石混合の中から良質のものを選ぶ手間が大変す。
 悪貨は良貨を駆逐する。で、良質の作品が減り続け、そのうち、文化、文明の退廃の時代にならなければいいのですが。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

良質のモノのレベルは上がり続けては居るのだと思います。

加えて、其れまで な ら 、埋もれていた(かもしれない?)才能にも、日の目を当てているとは思うのです。

 た だ 、追いきれない?メタな…最大公約数的な、モノは共有できるにしても、それ以外は、共通と、は、成りえず、細分化したカルチャー(サブカル)に成る。

 コレ自体は、悪い事とは、捉えないし、、、メディア先導(テレビ局や出版社、新聞社)の、洗脳には引っ掛からない人が増える?自分で考える事が出来る人が増えていく事に、繋がるなら、悪い事ではない、良いことだと思うのです。

た だ 、そんな中で、世代間に共通されるような?価値観?美意識?と、か、無い事による?変化?みたいなもの?は、在ると思う。

それは、どんな形で現れるだろうかと、気になります。


あと、追いきれないですよね。

過去のモノも、蓄積され続ける訳だし、、、

その中で、新たな、、、新ジャンル的な、表現が、生まれる。

な、ら、どの様なもの、に、成るだろうとか?思ったりします。

お礼日時:2015/06/04 21:31

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!