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誰にでも、主観と客観をもっていますね。
でも、その濃淡は人それぞれです。
ご自分、或いは他人を見て、そのバランスをどのようにお考えでしょうか。

A 回答 (18件中1~10件)

私がトップバッター?



浅薄な思い付きに過ぎないけど、、、
社会的にはトップの地位に近い人程客観の占める割合は高く、底辺に生きる人程主観の占める割合が高い。
と、考えたらこれは社会的責任の軽重に比例するのかな?なんて思いました。

また個人的な面では自身を見つめる心、自己診断をしやすい人は客観性が高いと言えると思います。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
「社会的にはトップの地位に近い人程客観の占める割合は高く、底辺に生きる人程主観の占める割合が高い。と、考えたらこれは社会的責任の軽重に比例するのかな?なんて思いました」
→なるほど、そのように感じるのですね。
「また個人的な面では自身を見つめる心、自己診断をしやすい人は客観性が高いと言えると思います」
→同感です。私もそう思います。

お礼日時:2015/06/17 08:13

人の欲せざるところ成すべからず。


「立場交換可能性」で主観と客観を入れ替えても両者が一致同意する点、
もしくは主観の妥協しうる点を探すことでバランスします。

ごうじっくさんは強い欲望が嫌いみたいですが(笑)
死んだら強欲な人も、少欲な人も「したいこと」がなくなって
「したいもの」もなくなります。

この「したいもの」は直接欲望を導いているのじゃないのですね。
欲望はどこから来るものか?は親しみからかもしれないし、憧れ、嫉妬かもしれない。
欲望の根源を探ってみたりとかです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「立場交換可能性」で主観と客観を入れ替えても両者が一致同意する点、もしくは主観の妥協しうる点を探すことでバランスします」
→ちょっと難し過ぎて、よく分かりません。
「この「したいもの」は直接欲望を導いているのじゃないのですね。欲望はどこから来るものか?は親しみからかもしれないし、憧れ、嫉妬かもしれない。欲望の根源を探ってみたりとかです」
→これも同じように、おっしゃる意味がよく分かりませんでした。

お礼日時:2015/06/17 13:53

◇「立場交換可能性」=「間主観性」と主客対立について



例えば「私」はある人の子供であったり、ある人の親であったりします。
上の立場になったり下の立場になっても私は私です。
ですが、マッチョな男だったり、アラブの大富豪であったりすることはありません。
「立場交換可能性」は固有の性質を指すのではなくて役割稼動性を指します。

貧しい私はお金持ちの苦労を実感することは一生なくても、大体想像できます。
もしお金持ちになっても管理能力が乏しい(欲求は増えない)ままなら
主観で生活に必要なお金や土地だけ残して
貧しい人の苦労を軽減させるよう分けてあげたいと願う客観を持つつもりです。
現に貧しい私の主観がそう願っているからです(笑)

「お金持ちなのに卑しい者」と「貧乏なのに気前がいい者」は対立しておらず
実は仲良く有史以来何千年も共存してます。なので二極化は進みますね。

これを「金持ちは気前がいい」「貧乏人は卑しい」ものとして主客対立させると
貧富の差がバランスされてしまいなくなるのに。という簡単な話です。



◇欲望と主客対立について

食欲に例えるとケーキは「食べたい(主観)」と感じてから
「食べたいもの(客観)」に変わります。
ケーキ自体が人を惑わし食べたくさせてはいないのです。
「いや美味しそうなケーキだから食べたくなるんだ」という反論には
食欲がないや満腹ではない状態、つまり「満たされない不幸」が達成されつつある時
は、満たされてないままで充実感を得ているのです。

それがケーキを食べて欲望が弾圧(主観)されると
ケーキは美味しそうであっても「食べたいもの(客観)」でもなくなります。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
「立場交換可能性は固有の性質を指すのではなくて役割稼動性を指します」
→これは私には難し過ぎます。
「もしお金持ちになっても管理能力が乏しい(欲求は増えない)ままなら 主観で生活に必要なお金や土地だけ残して 貧しい人の苦労を軽減させるよう分けてあげたいと願う客観を持つつもりです。
現に貧しい私の主観がそう願っているからです(笑)」
→このご説明はよく分かりました。
「「お金持ちなのに卑しい者と貧乏なのに気前がいい者、金持ちは気前がいいと貧乏人は卑しいものの話は、簡単といいますがよく分からなかったです。
「それがケーキを食べて欲望が弾圧(主観)されるとケーキは美味しそうであっても、食べたいもの(客観)でもなくなります」
→欲望が弾圧されることが主観、食べたいものが客観というご説明はよく分かりませんでした。

お礼日時:2015/06/17 15:58

役割と距離感と状況・状態、相手の思考・意見などなどの多くの条件で


その場で適切であろうチョイスを心がけています。

ですから、必然的に毎度変わりますね。
全てが同一条件は、2度はありませんので。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「役割と距離感と状況・状態、相手の思考・意見などなどの多くの条件で その場で適切であろうチョイスを心がけています」
→なるほど、ご自分が主観に走り過ぎないためですね。
「ですから、必然的に毎度変わりますね。全てが同一条件は、2度はありませんので」
→はい! 常に諸行無常ですからね。

お礼日時:2015/06/17 16:02

相対性理論において、真の客観=絶対空間・絶対時間は否定された以上、つきつめれば全て主観です。


ただ、そうした物理や社会学など、人の主観性を分析する学問を学んで、主観の実態を理解する事が、
客観の1つの形であり得るでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「つきつめれば全て主観です」
→なるほど。
「ただ、そうした物理や社会学など、人の主観性を分析する学問を学んで、主観の実態を理解する事が、客観の1つの形であり得るでしょう」
→確かに、そうでしょうね。

お礼日時:2015/06/17 16:04

この質問での“客観”は、自分の物差しではなく他人の物差しで観る、と言う意味のことですよね。


相手側の価値観で、とか常識に照らして観ると、と言う事なので自分の思い(主観)から離れて観る事になり、それはありふれた表現になりますが、相手の立場を思う気持ち、に通じています。

そう思うと、バランスとしては客観性が主観性を多少上回った方が良いように思いますし、日本の和の文化は該当するのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「この質問での“客観”は、自分の物差しではなく他人の物差しで観る、と言う意味のことですよね。
相手側の価値観で、とか常識に照らして観ると、と言う事なので自分の思い(主観)から離れて観る事になり、それはありふれた表現になりますが、相手の立場を思う気持ち、に通じています」
→確かに、そういうことでしょうね。
「そう思うと、バランスとしては客観性が主観性を多少上回った方が良いように思いますし、日本の和の文化は該当するのではないでしょうか」
→そうでしょうね。刺激はないが、争いは少なくなるでしょうね。

お礼日時:2015/06/17 16:07

>欲望が弾圧されることが主観、食べたいものが客観というご説明はよく分かりませんでした。


 逆だったようです。すみません。

「欲望を持つのは主観」で、「欲望を持たれるものが客観」という考え方ではどうか。

客観は観ているのではなく、観られている自覚があり欲望を制御してるだから。
そして客観が弾圧されることはありません。

一般論や規制や法にのっとり発進される報道(客観であろう)に責任を問えず?
客観には被害者も加害者の立場もないのですから代弁するだけですね。
もし、客観に責任を問えることになったら主観と変わらないことにもなる。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
「「欲望を持つのは主観」で、「欲望を持たれるものが客観」という考え方ではどうか」
→これなら理解できます。
「一般論や規制や法にのっとり発進される報道(客観であろう)に責任を問えず?
客観には被害者も加害者の立場もないのですから代弁するだけですね。
もし、客観に責任を問えることになったら主観と変わらないことにもなる」
→何かを訴えたいお気持ちは分かるのですが、文章を読む限りでは、その何かが見えてきません。

お礼日時:2015/06/17 18:43

おもしろい問題提起です。


私の場合、「主観」が圧倒的に主役です。「客観」はその検証として重要な存在であるとしています。
人間は、自分のやりたいこと、興味のあることを、自分の創意工夫でやりながら、生きてゆくということが、「生命力」の強い、「健康」な状態であると思います。
「客観」とは、他人の「主観」の総計と捉えています。他人の存在を無視することは、間違いなく「悪」です。ですから、常に「検証」の努力は必要だと思います。
また、「客観」を社会の既存の常識だとか、「空気」などにすることは危険なことで、人々の「本心」を探るべきだと考えています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「人間は、自分のやりたいこと、興味のあることを、自分の創意工夫でやりながら、生きてゆくということが、「生命力」の強い、「健康」な状態であると思います」
→そうでしょうね。
「客観とは、他人の主観の総計と捉えています。他人の存在を無視することは、間違いなく悪です。ですから、常に検証の努力は必要だと思います」
→そう思います。
「客観を社会の既存の常識だとか、空気などにすることは危険なことで、人々の本心を探るべきだと考えています」
→そうでしょうね。

お礼日時:2015/06/17 18:47

お礼ありがとうございます。



>なるほど、ご自分が主観に走り過ぎないためですね。

そう見えるかもしれませんね。

私としては、「互いに笑顔で居られる」が
私の望みですから、そのポイントであればいいだけです。
ですから、毎度探します。

根拠は、まったくの主観です。
手段は、根拠にそって選ぶこと。
結果として何を選ぶかは、その時しか分からない事も多いです。
自分のアイデアが頼りです。


>はい! 常に諸行無常ですからね。

ご名答。その通りです。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
日々を無理なく過されているようですね。
お人柄が偲ばれます。

お礼日時:2015/06/17 18:53

客観的に考えることが大事、というのは良く聞きますし、自分でも気を付けていましたが、正直どちらで考えようが、個人として下される判断や行動は、結局同じではないかと今は思います。


だから、バランスすることはできないと言えるかもしれません。
主観は、自身の考え、客観は第三者としての立場からの考えとなるかと思います。
裁判や組織など大勢がかかわる場合は、客観が占める割合を高めなければ、収拾がつきませんから客観の比重が重くなければなりませんが、自分一人で思考する場合は客観性を求めるのは、難しいと考えています。
例えば、相手のことを思いやるというのは、まさに主観です。これを客観的に第三者としての立場から見た場合であっても相手の状況がわからなければ、判断のしようがありませんので、結果自分の中の価値基準に照らして、良いか悪いかを判断することになってしまいます。これは結局主観です。
毛沢東が雀を見て、害鳥だと言った結果、虫を食べる鳥がいなくなり、農作物があれまくって餓死者が数千万人出たというのは、どう考えるべきでしょう。
毛沢東は、客観的に雀を害鳥だと判断したのかもしれません。学者がそう指摘したし、そういう物証があったかもしれません。しかし、結果は悲惨でした。歴史を知っている我々が見ると、あるいは科学が進展した今から見ると、毛沢東は主観的に判断してこの結果を招いたように見えますが、常識が時代とともに変われば判断軸を変えなければ不公平だと言えます。
主観と客観にはバランスはなく、すべて主観で動いている、とだから考えています。
客観性が必要なのは社会を運営するための知恵であって、個人には当てはまらないのではないかと思います。
重要なのは、そういった見方を変えた事象に対して、どういう判断をするかとなるので、そこではイデオロギーの問題かと思います。
民主主義が良いのか共産主義が良いのかで争った冷戦時代は、お互い主観的にも客観的にダメ出しをしあっていたことからも、そうかなあと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「正直どちらで考えようが、個人として下される判断や行動は、結局同じではないかと今は思います。
だから、バランスすることはできないと言えるかもしれません。」
→最初の出足で?を感じました。
でも、その後を読み、理由が分かりました。
「例えば、相手のことを思いやるというのは、まさに主観です。これを客観的に第三者としての立場から見た場合であっても相手の状況がわからなければ、判断のしようがありませんので、結果自分の中の価値基準に照らして、良いか悪いかを判断することになってしまいます。これは結局主観です」
→その考えでは、自分が考えることは全て主観になってしまいます。
他人が考えることが客観ではありませんね。
主観も客観も、自分の考えの中にあります。
ですから、
「相手のことを思いやるというのは、まさに主観です」
→それがまさに客観ということです。

お礼日時:2015/06/17 19:31

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