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ブレヒト『アンティゴネ』谷川道子訳 光文社文庫
が来月出版されます。購入予定です。ブレヒトについては、若いころ岩波文庫の『三文オペラ』(千田是也訳)を読んだだけで、ほとんど何も知りません。おもしろいけれど、印象に残りにくい、といつた感覚です。

一般に、ギリシャ悲劇を題材にした、後世の戯曲は、あまりにも現代化されすぎて、やはらかすぎる、悪くいへば骨抜きのやうに感じられます。ブレヒトの場合はどうなのですか。

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    >今話題に出ている脱構築

    デリダは読んでゐません。yy8yy8azさんから「大阪弁での解説を聞いて見たいね。」といふ回答をいただいたので、1件だけ投稿しました。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/07/31 22:17

A 回答 (4件)

陶酔と幻影。

もう一つ補足です。
以前、ニーチェのアポロ-ディオニュソスの対比はニーチェのオリジナルではないと書きました。文学や哲学で先行する記述としては、シュレーゲルやシェリングがありますが、もう一つニーチェが大きな影響を受けたのがヘルダーリンでした。ヘルダーリンの詩には、キリスト、ヘラクレス、ディオニュソスを同一とするテーマがありますが、ヘルダーリンは『バッカスの巫女』も部分的にドイツ語訳しており、そこから発想を得たようです。「アポロ的」「ディオニュソス的」という形容詞としての用法もニーチェ以前の文献学者が使っており、ニーチェはそれらも読んでいましたが、古いところでは、プルタルコスの著作の中にアポロとディオニュソスを論じたものがあり、それもよりどころとなっているようです。それはともかく、ソポクレスの『アンティゴネ』にもディオニュソス崇拝のテーマがあります。ブレヒトの『アンティゴネ』でもこのテーマは重要な意味を持つようで、ヘルダーリンよりもソポクレスのオリジナルに迫る部分があるようですが、やはりかなり違うところもあるということです。非好戦的で、忘却や順応を与えるバッカスが、一方では時期尚早な勝利への誘惑をし、ティレシアスがそれに警告を発する、これはギリシャ悲劇にはない解釈だそうです。
今書いたことは、あるドイツ人の卒業論文のようですが、ブレヒトとスイスの作家デュレンマットにおける悲劇を比較して、ギリシャ悲劇との関連も含めて論じています。この二人の作品に、アンティゴネのパロディーなどがずいぶんあるらしいのです。長い論文なので、じっくり読まなければ理解できません。これとは別に、ブレヒトの『アンティゴネ』についての90ページほどに渡るドイツ語の解説も見つけてあります。こちらは、ギリシャ語の引用などもあって、かなり専門的な解説ですが、とても一度には読み切れません。読むことができましたら、別の機会にお話しいたします。
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この回答へのお礼

ありがとう

追加回答をありがたうございます。

>ニーチェのアポロ-ディオニュソスの対比はニーチェのオリジナルではないと書きました。

御意見をうかがひたいと思つてをりました。プルタルコスにつきましては記憶にありません。たいして読んでゐませんから当然でせうか。ここでもヘルダーリンが登場するのですね。ぶらげろさんのページに書きましたが、ニーチェは『バッカスの巫女』を念頭に置いてゐるやうに感じられます。統一的にまとめたのがニーチェといふことなのですね。

>ソポクレスの『アンティゴネ』にもディオニュソス崇拝のテーマがあります。

「ディオニューソス」「バッコス」の名前がちよこちよこ出てきます。ブレヒトとニーチェがつながつてくるとは予想外でした。

お礼日時:2015/07/31 23:37

リンクを一つ張り忘れました。



異化効果
https://kotobank.jp/word/%E7%95%B0%E5%8C%96%E5%8 …
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この回答へのお礼

助かりました

Q&Aサイトではネット情報の単純な受売りが多いのですが、Tastenkastenさんは検索なさつたものにつきましても、理解や批判をなさつたうへで紹介してくださるので、質問者といたしましては大いに役立ちます。リンク先の執筆者も喜んでゐるのではないでせうか。

お礼日時:2015/07/31 22:14

こんばんは。

もうお帰りでしょうか。

>以前モリエールの戯曲の質問でTastenkastenさんがブレヒトのことを書いてくださつたので、読んでみたくなりました。

リニューアル後、過去の回答を探すのが大変になりました。回答はワードで先に書くのでそちらも見てみましたが、plapotiさんがブレヒトの名前を出されたようで、私ではないですね。それとも私の記憶違いでしょうか。『三文オペラ』の音楽のリンクは、ねこさんの質問への回答の中に張っていました。



映画化されたものの一部も出ています。

https://www.youtube.com/watch?v=-igC0jAV_zQ

確か、この中の1曲か2曲の編曲を頼まれたことがあったように記憶しています。これも昔の話です。

>貧乏してゐますので、回答文を読んだら買ふ気がなくなることを期待して投稿した次第です。

何ですかそれは(笑)。あまり書くとネタバレにならないかと気を使っていたのですけれど。残業手当は出ないのですか?
アマゾンを見ていたら、このブレヒトの『アンティゴネ』をシチリアの円形劇場で収録したヴィデオの日本語字幕付きのDVDを見つけてしまいました。新訳もよいですが、こちらの方が私は興味を引かれます。どうされますか? 高いですよ(笑)。

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83 …

>『兵士ソクラテス』

これは戯曲ではありませんね。たぶん『暦話』に収録されている短編でしょう。

さて、ブレヒトの演劇は、単に芸術としてではなく、政治的、倫理的な内容を持つものです。ギリシャ悲劇も本来そういう性格を持つものなので、その点では重なる部分があると思います。しかし決定的に違うのは、ブレヒトは、観客が感情移入してカタルシスを得るというアリストテレス以来の演劇の形を否定し、叙事演劇というものを提唱したという点です。異化効果(Verfremdungseffekt)という手段を使って、観客が舞台を客観的、批判的に見られるようにしたもので、共感や情動ではなく、社会批判的認識が目的となります。異化効果としては音楽や映像を使います。こういう前衛的な演劇手法は1920年代からあると思いますが、異化効果のようなものは、今話題に出ている脱構築の技法にもつながると考えられます(つまり、かなり昔からあるということです)。ですから、ギリシャ悲劇本来のカタルシス的感動をブレヒトに期待すると、裏切られることになります。
異化効果というのは、演劇以外でも使われる技法で、作曲にもあります。演劇では、特にドイツで発展したと思われるレジーテアター(Regietheater)というものがあって、そこでもしばしば使われます。「レジー」は「演出」のことですが、これは、演出家が大きな権限をもって原作に大きく踏み込み、時代設定や人物の行動、動機づけなどを独自の解釈で変更するものです。当然、原作に忠実な演出を好む人からは嫌われますが、ある時期から演劇界の主流となり、レジーテアターが理解できないというだけで「保守的」というレッテルを張られるようになりました。しかし、かなり前から批判、論争が激しくなっています。レジーテアターでは、常に新しいアイデアを出さないとやっていけないため、その場の思いつきに走ったり、マンネリ化したりというような欠点があります。オペラの演出でもレジーテアターの方法が非常に多いですが、古典の作品でも毎回舞台が現代に置き換えられ、映像や携帯電話、サッカーボールなどが使われると、いささかうんざりします。話が少し脱線していますが、ブレヒトが古典を下敷きに作品を書く場合、レジーテアターのような態度から書き換えを行っているような部分もあるのかもしれません。この点については、全くの推測です。ブレヒトの各作品を原作と比較してみないと本当のところはわかりません。
ブレヒトはコロスの詩行の大部分を保ったまま、これを神話的背景がわかりやすいように書き換えているそうです。また、言葉の切り詰めは、登場人物の性格を強化すべき個所でやっており、セリフを鋭くすることで舞台効果を上げているという説明です。
内容的な変更はかなりあるようです。ソポクレスの『アンティゴネ』の内容を忘れていますし、ネタバレになるのであまり書きませんが、冒頭のイスメーネーとアンティゴネの会話では、ポリュネイケスは戦場でエテオクレスの死を目の当たりにして逃亡した脱走兵になっており、対立関係にはなっていないということです。また、クレオンのいくさも、防衛戦争ではなく侵略戦争だということです。さらに、いくさはまだ進行中の状態で、クレオンは長男のマガレウスに期待しますが結局うまくいかず、アルゴスが陥落の危機に瀕したとき、ハイモンと長老たちの助力を再び得るため、アンティゴネを許そうとします。しかしすでに手遅れでした(具体的な内容は伏せます)。
先の回答の動機づけのところでも少し触れましたが、アンティゴネと長老たちの宗教的、形而上学的論拠の大部分は短くしてあるそうです。また、ポリュネイケスの埋葬よりも、いくさの合法性に対する問いの方に重点が置かれているともあります。アンティゴネとクレオンの単なる二者対決のドラマではないそうです。
ほかにも興味深い解説がたくさんありますが、ドイツ語で読むのはやはり疲れますし、またお読みになったあとでの話にした方がよいかと思います。そのためには、私も読まなければいけませんね。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

いつもお礼が遅くなつて申し訳ございません。Tastenkastenさんからは教はつてばかりですので、ブレヒトもさうなのだと思ひこんでゐました。見直すと、先に私のほうから名前を出してゐました。『三文オペラ』の動画は少しだけ見ました、つづきは別の日に。ブレヒトのとぼけたやうな作風にピッタリの音楽です。

>ブレヒトの『アンティゴネ』をシチリアの円形劇場で収録したヴィデオの日本語字幕付きのDVDを見つけてしまいました。

オペラのDVDもこのくらゐの価格です。最近は買へません。日本語つきでしたらチェックしておきます。

>たぶん『暦話』に収録されている短編でしょう。

何も知らないことがばれてしまひます。

>叙事演劇というものを提唱したという点です。異化効果(Verfremdungseffekt)という手段を使って

Tastenkastenさんは、私に書籍やDVDを購入させて、貧困の底につきおとすのですか。光文社古典新訳文庫は読みやすい訳が多く、ずつと注目してゐます。アリストテレスの『詩学』については、いろいろ疑問も感じますので、そのうち質問として取りあげたいと考へてゐます。ブレヒトの批判がどのやうな効果をあげてゐるのか興味がわきました。

モーツァルト「後宮からの誘拐」の手持ちのDVDは、現代的な情景でセットが組まれてゐるのですが、かういふのも変化があつていいものです、やりすぎでなければ。

>神話的背景がわかりやすいように書き換えているそうです。

これまで何度か書きましたが、文学における「神」の存在は、好都合な手段に思へます。不都合なものは「神」のせいにすれば何でも書けますから。「神」は人間活動への制限だとする意見には同調できません。

Tastenkastenさんの文章を拝見しますと、ブレヒトはゲーテ以上の人物に思へてきます。人間を単純化せず、ありのままの複雑さを表現するのは簡単なことではなささうです。書籍注文サイトにブックレビューを投稿することがあるのですが、見習ひます。御回答ありがたうございました。

お礼日時:2015/07/31 22:09

こんにちは。

ずいぶんお久しぶりです。いつもお話ししていたので、半年ぐらいお会いしていないような気がします。お忙しいようですが、plapotiさんのジュースはそんなにおいしいのですか?

>ブレヒト『アンティゴネ』谷川道子訳 光文社文庫が来月出版されます。

耳よりな情報をありがとうございます。これ以上蔵書を増やせない状況ではあるのですが、これはチェックしておきます。
しかし、回答はつかなそうですよ。私も岩波文庫の『三文オペラ』はずいぶん昔に読みましたが、『アンティゴネ』の翻案があることは知りませんでした。よく覚えているのは、これも古い話ですが、ベルリナー・アンサンブルが来日したときの『コーカサスの白墨の輪』をテレビで見たことです。子供を白墨で描いた輪の中に立たせて、母親と主張する女二人が子供の手を引き合い、本当の母親の方が手を放してしまう有名な場面は今でもよく覚えています。あとは、『セツアンの善人』『ガリレイの生涯』を日本の劇団が上演したものをNHK が放送したときに録画しましたが、あまり見ていません。ドイツではブレヒトが非常に重要な作家であることはもちろんですが、「政治的」という点が引っかかって、あまり接してきませんでした。

>おもしろいけれど、印象に残りにくい

ブレヒトの場合、劇作と、劇場という現場での仕事が密接に関係しています。やはり、実際の舞台でないとそういう印象になるのかもしれません。『三文オペラ』の場合は、特にクルト・ヴァイルの音楽が重要ですから、歌や音楽とともに鑑賞しないと本当に体験したことにはならないと思います。そういう私も、実際の舞台で見たのは『アルトゥーロ・ウィの興隆』だけではなかったかと思います。この時はしかし、事前にドイツ語の台本を読み切れず、セリフが聞こえにくい席だったため、結局内容は全くわからないまま記憶から消えてしまいました。
ブレヒトの作品には、ほかに原作があるものがかなり多いです。『三文オペラ』もそうですが、『セツアンの善人』もそうですし、能をもとにした作品もあります。『アンティゴネ』も翻案に当たるわけですが、あまり上演の機会は多くないのではないかと思います。滞欧中には劇場にもよく通いましたが、この作品が取り上げられていた記憶はありません。日本語のブレヒト全集はだいぶ前に出ており、『アンティゴネ』も収録されていますが、読んでいる人はあまりいないでしょう。私も持っていません。今回の訳者は、全集の訳者に師事した人ですね。師匠に当たる人もそうですが、この人もブレヒトやハイナー・ミュラーなど、ドイツの劇作品を専門にしているので、訳には期待できるかもしれません。
『アンティゴネ』は二重の意味で翻案です。ブレヒトは、ギリシャ語の原典にも当たったようですが、もともとはヘルダーリンによるソポクレスのドイツ語訳を翻案することが目的です。ヘルダーリンのドイツ語訳は、荘重で格調高いドイツ語として知られています。ブレヒトはこのヘルダーリン訳を使い、編作、補作をしました。ヘルダーリン訳そのものは、あまりにも暗いので上演されることがまずありません。ブレヒトは、ヘルダーリン訳を使った理由について、シュヴァーベン地方の音調と、学校的なラテン語構成、そして、ヘーゲル的なものがそこかしこに感じられたためと言い、おそらく「ドイツ語の領域への回帰」がこの仕事へ駆り立てたのではないかと思う、と述べています。

>一般に、ギリシャ悲劇を題材にした、後世の戯曲は、あまりにも現代化されすぎて、やはらかすぎる、悪くいへば骨抜きのやうに感じられます。

どんなものがありましたっけ? 私がすぐに思いつくのはジャン・アヌイの『アンティゴネ』です。まだ二十代のころ、日本の小さな劇団で見ました。その時は、アンティゴネとクレオンの対話が非常に緊迫感に満ちていて強く印象に残ったのですが、当時はまだギリシャ悲劇はもとより、演劇のことはほとんど知りませんでした。面白いと思ったのは、役者の熱演のためだったかもしれません。アヌイの本は持っていなかったので、ソポクレスを読んでから見に行った形跡があるのですが、今その「ギリシア悲劇全集」の月報を見ると、アヌイの読者はソポクレスにも複雑な悲劇を求めようとする、と書いてあります。また、アヌイの本質的なテーマは純潔のかたくなさであって、オイディプス王の女の持つギリシャの誇りではないともあります。このあたりがplapotiさんの印象と関係しているのでしょうか。後世と言っても、古典時代はどうでしょうか。ゲーテやグリルパルツァーの翻案なら、軽いということはなさそうですが。
さて、ブレヒトの場合なのですが、作品そのものを持っていないので、具体的なことは何も確かめられません。著作権がまだあるのでインターネットでは読めませんし、ドイツのアマゾンにもダウンロード販売がありません。ここは仕方なくネットに出ている記事や評論を参考にするしかないのですが、まず、ヘルダーリンの荘重なドイツ語を使っているということで、柔らかすぎるということはなさそうに思います。もっとも、言葉の響きに関する部分は翻訳で読んだのでは伝わりません。冒頭だけ比較してみますが、こんな感じです。

イスメーネー、大切な、本当に血をわけた妹の、あなたは、むろん知っているわね、お父さまオイディプスから伝わったいろんな不幸で、生き残った私たちに、ゼウスがまだ掛けないものが、いったいあるか。(呉茂一訳)

O teures, mitgebornes Haupt, Ismene, sprich,
Gedenkst du eines jener Wehn von Ödipus,
Das nicht in unserm Leben schon uns Zeus erfüllt?
(K.W.F. Solger訳 これも著作権の切れた古い翻訳ですが)

Gemeinsamschwesterliches! o Ismenes Haupt!
Weißt du etwas, das nicht der Erde Vater
Erfuhr, mit uns, die wir bis hieher leben,
Ein Nennbares, seit Ödipus gehascht ward?
(Hölderin訳)

ブレヒトの翻案は、ソポクレスより100詩行ほど短いといいます。変更点もいろいろあるようですが、ハウプトマン、オニール、ジロドゥ、アヌイが、ギリシャ悲劇中の重要人物を現代でも理解しやすいように心理学的解釈や分化を行ったのに対して、ブレヒトでは、逆に行為の動機付けは、ソポクレスがやったよりも若干少なくさえなっているようです。アンティゴネがポリュネイケスを葬ったのは神への信仰からであり、クレオンの行為は国家の利益のためであり、その結果自身の家族を滅ぼすわけですが、ブレヒトはこの寓話に疑問を投げかけます。「信仰」「国家の利益」「家族」といったことには、今のわれわれにとっても真であり、現実的であり、強制的であるというような、時代を超えた意味があるのかと。そして、「先入観」や「イリュージョン」に縛られない動機を新たに考えだしました。クレオンは、政策上のずさんさからいくさをせざるを得なくなったのであり、ポリュネイケスは、意味のない闘いから逃れようとして殺されたのであり、アンティゴネがポリュネイケスを葬ったのは、信仰心よりもナンセンスに対する反抗であるというように。
以上は、ドイツのツァイト紙のアーカイブにあるかなり古い記事(1948年)によります。もっと新しい解説があるので、あとで読みます。これから夕食の支度なので、ここで一度送ってしまうことにします。
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この回答へのお礼

音楽やドイツ語の回答文はたびたび拝見してをります。録音された曲の楽器を答へるのは、Tastenkastenさんくらゐしか、できる人がゐないのではないでせうか。仕事が忙しいのは、能率が悪すぎるせいです。たとへば、コンピュータがあるのに、手書き手計算をしてゐます。プログラミングして本社に提案書を出しても、聴く耳持たずの状況です。

以前モリエールの戯曲の質問でTastenkastenさんがブレヒトのことを書いてくださつたので、読んでみたくなりました。現代版への批判は、あのときの『パイドラー』などを念頭に置いてゐます。本来は書籍を読んでから内容について質問すべきなのですが、貧乏してゐますので、回答文を読んだら買ふ気がなくなることを期待して投稿した次第です。あのときも指摘していただきましたが、やはり戯曲は本だけでは評価できないのですね、当然のことながら。それにしてもブレヒトのことをよくご存じです。私は読んだのは1冊だけ、題名を知つてゐるのも5作程度です。『兵士ソクラテス』なんておもしろさうです。

>特にクルト・ヴァイルの音楽が重要ですから

岩波文庫の解説に少しだけ登場してゐました。それ以外はまつたくわかりません。

>ヘルダーリンによるソポクレスのドイツ語訳を翻案することが目的です。

ソポクレスだけかと思つてゐました。時代が経つと、いろいろな作品が下敷きになるのですね。ドイツ語の荘重さが感じ取れるほどの能力はありません。英語の欽定訳聖書の良さすらわかりません。現代版になると、良い人、悪い人の性格付けが明確になりすぎるのではないかと感じてゐます。そのあたりに「あまさ」を感じてしまひます。古典劇の場合は、登場人物それぞれに立派な動機があり、だからこそ悲劇として成立します。ブレヒトの創作した「動機」もおもしろさうです。Tastenkastenさんの文書を拝見すると、いつも本を買ひたくなります。たまには稚拙な投稿をなさらないのでせうか。

詳細な御回答をありがたうございました。

お礼日時:2015/07/30 22:05

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