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昭和16年に満州へ出征した大叔父の事について質問です。
大叔父は香川県小豆郡内海町(現小豆島町)出身です。

私の大叔父(大正9年生まれ)が昭和16年1月に現役兵として満州へ出征していきました。
そして、残念ながら昭和20年6月に沖縄南部で戦死しました。
大叔父の両親である曾祖父母は出征の前日の夜か出征の日に「鯛麺」といって、瀬戸内地方の縁起物の料理なのですが、素麺の上に煮魚にした鯛を乗せて食べる郷土料理を作って出征をお祝いしたそうです。この料理には「対面」という意味も込められており、生きて必ず帰ってきてくれという願いを込めたのだと思います。

質問内容から話が逸れたのですが、大叔父は姉である祖母と、昭和16年1月23日に香川県小豆島から広島に行き、翌24日には宮島を遊覧し、2日後の1月25日に広島の宇品港(現在の広島港のすぐ近く)から満州に行ってしまいました。

以下が質問なのですが、戦後間もなく赤紙が軍命令で焼却されてしまっているので、私ではわからないので以下の事を質問させてください。
だいぶ記憶が薄らいだ頃に聞いたのではっきりした事は不明ですが、「どうやって広島まで行ったの?」という私の質問に、亡くなった祖母が言うには、戦前は小豆島から広島まで直接行ける船があったのではないかな・・・どうやって行ったかはハッキリと思い出せないけど、と言うのです。

1、本当に戦中には小豆島〜広島間の航路の船があったのでしょうか?
(もしかしたら、高松〜広島間なのかもしれません)

2、「そんな航路の船はない」という事でしたら、戦中で一般的に小豆島から広島まで行く手段というはどのような方法があったのでしょうか?

難しい質問だと思いますが、お分かりになる方がおられましたら、ご教示のほどよろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

大正時代には、大阪商船の航路があったようです。


坂手港から出て高松や多度津に寄港したあとで、尾道に行くルートがあったという記録がありました。

叔母が小豆島の人と結婚していたので、生きていれば色々と教えてもらえたのですが
残念です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
小豆島〜広島(宇品)へ直接向かう船はなかったようですね。
ご回答頂いたように小豆島〜本州まで船で行き、そこから陸路で広島まで向かったのでしょうね。軍も降伏したのに、機密文書を焼却するなよ…と思ってしまいます。

お礼日時:2015/08/09 19:20

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