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ベンサムとミルの幸福の思想を身近な出来事に例えて考えてください。お願い致します。

A 回答 (1件)

回答がつかないやうですので、アホがでしやばります。

御質問の内容は、学校の宿題ですか。

ベンサムの主張によれば、宿題をQ&Aサイトで質問することは、最大多数の最大幸福につながります。質問者は哲学書を無理して読まなくても、他人の文章をコピペするだけで課題をはたすことができ、おやつや昼寝などに時間を使ふことができます。回答者も良い暇つぶしになります。学校の先生も、優秀な生徒が知恵を絞つた高度な議論を読むよりも、くだらないネット情報によるレポートのほうが採点が楽ですので、酒を飲んだり、デートにでかけたりする時間がとれることになります。迷惑する人はゐません。関係者すべてが苦痛ではなく、快楽を享受します。これがベンサムの幸福です。

ところがミルはそれに反対します。幸福とは単なる楽しみではなく、崇高な概念であると言ふのです。宿題は自分で考へて書かなければ、人間として成長しない、将来何でもネット検索ですませてしまふやうな能無しになるぞ、と考へます。宿題を他人に依頼することに関してこのやうに記載してゐます。
「他人を模倣するだけといふことが、優れた行為である、と考えている者は一人もいない。......従来の経験を自己独自の方法をもって利用し解釈することは、能力の成熟期に到達した人間の、当然の特権でありまた正当な状態である。」
(J.S.ミル『自由論』第3章 塩尻公明・木村健康訳 岩波文庫 117,118ページ)

ベンサムとミルは、幸福のあり方については、まつたく見解が違ひます。私はベンサムは読んでゐませんし、さらにはロールズも未見です。素人の思ひつきを書いてゐるだけなのですが、もう少し追記します。功利主義につきましては、数多くの批判が投げかけられてゐますが、いちばん引つかかるのは「足し算」方式です。各個人の「幸福」を合算した全体が最大になるやうなものが優れてゐる、などといふのは詭弁です。上記のとほり、幸福が何であるかといふ論点でさへ決めるのは困難です。そんなものが合算できるのでせうか。また合算したからといつて、それが全体の幸福になるのかどうかも疑問です。人間とは複雑なものであつて、それぞれの幸福が衝突して全体として不幸になるかもしれません。部分を足し算したところで、全体をみきはめることができるわけではありません。ベンサムの理論にしたがつて宿題をQ&Aで済ませたとしても、他の生徒も同じ情報をコピペしたら、先生にばれてしまつて、全体としての幸福が損なはれます。個人の幸福と全体の幸福は、別問題です。
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