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外国人に「見せると見させるの違いは何ですか。どのように使い分けますか」と質問されましたが、どのように説明すればいいでしょうか。
いろいろな使用例を見ると同じ意味で使っている場合も多いようですが、働きかける相手に自発性の有無(そんな記述も見かけたのです)とか、相手に見るように使役する意味を持つとかで使い分けている場合もあるようですが、例えば「姿を見せる」の場合は自発性などないが使役の意味もなさそうです。
そのようなことを考えているとすっかり混乱してしまい、明確な説明に行き詰まっています。いっそのこと、自発性の有無を考慮せず、次のように割り切ればいいことなのでしょうか。
・「見せる」=相手から見えるところに物を差し出す
・「見させる」=使役の助動詞を使っているので、見ることを強制する

質問者からの補足コメント

  • とりあえずこれをベストアンサーとしますが、この後もいろいろと議論を展開しています。
    だから後日このスレッドを見る方は、他の回答も参照して下さい。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/14 13:53

A 回答 (14件中1~10件)

【見せる】には多様な意味がありますが、今回の場合、大辞林の【(1)人に見させる。

示して見えるようにする。】という語釈がご参考になると思います。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
「人に見させる。」
「示して見えるようにする。」
という2つの意味があることになります。
(例1)『あの映画を彼に見せるつもりだ』
(ア)「彼を映画館に行かせて、上映中のあの映画を見せるつもりだ」(「人に見させる。」)
話者は「見る」という動作に直接的には関わらない。
(イ)「私が( DVD を操作するなどして)あの映画を彼に示す(見せる)つもりだ」(「示して見えるようにする。」)
話者は「見る」という動作に直接的に関わる。

【見させる】
使役の助動詞が使われていますので、強制的(強引)に何かをさせる、という使役の意味になります。
辞書にあるように、不干渉・放任といった意味を分けても構いませんが、これも消極的強制には違いないので、今回は、同じ「使役」としておきます。
(例2)『あの映画を彼に見させるつもりだ』
(ウ)「彼を映画館に強制的に行かせて( OR 連れて行って)、強引にあの映画を見せるつもりだ」
(エ)「私が( DVD を操作するなどして)強制的にあの映画を彼に示す(見せる)つもりだ」
(オ)「私が花子に強制(指示)して、あの映画を彼に見させるつもりだ」

少しまとめてみると、
【見させる】と【見せる】は似通った意味を持つ。
ただ、【見させる】には、「強制」「強引」という要素が顕著である点、また、第3者の介入も想定可能な点が「見せる」との大きな違い。
ということが言えるように思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

明解なご回答、ありがとうございました。この回答内容とNo.2さんのご回答のように「見せる」のいろいろな意味を足し合わせると、完璧な説明になりそうですね。
ただ、【見させる】には第3者の介入も想定可能な点が「見せる」との大きな違いであるとの点については疑問です。
「私が花子に強制(指示)して、あの映画を彼に見せるつもりだ」は、通じませんか? 【見せる】も第3者の介入が想定可能だということにならないでしょうか。

お礼日時:2015/12/08 22:58

#13です。



>「自発性」は、相手が映画を見る段階で話者がいるかどうかには無関係です。ここでの意味は、相手が「自らの意志で望んでいる」という意味で言っています。その点だけはコメントさせていただきます。

わかりました。
言われてみると、その解釈のほうが正しいようですね。
この点に関する私見は取り消します。
失礼しました。
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この回答へのお礼

今回もいろいろと、ありがとうございました。

お礼日時:2015/12/11 20:53

#4です。


ご質問文の冒頭だけ見て回答したので、もう少し補足させていただきます。

>いろいろな使用例を見ると同じ意味で使っている場合も多いようですが、

そうですね。
ただ、#4でもお示ししましたが、【見させる】には、「強制」「強引」という要素が顕著である点が若干違っていそうに思います。

>働きかける相手に自発性の有無(そんな記述も見かけたのです)とか、相手に見るように使役する意味を持つとかで使い分けている場合もあるようですが、例えば「姿を見せる」の場合は自発性などないが使役の意味もなさそうです。

a.
「自発性」については、#4でお示しした、
(ア)「彼を映画館に行かせて、上映中のあの映画を見せるつもりだ」(「人に見させる。」)
のような場合を言っているのだと思います。
話者は「見る」という動作に直接的には関わらない。
とも書きましたが、彼が映画を見る段階で話者はいませんから、その意味では彼が自発的に映画を見ることになる、という解釈なのでしょう。
ただ、話者が見るように仕向けているには違いないので、本来の「自発性」とは異なると思います。
「見せる」の場合は強制の要素が希薄である、という分け方のほうがわかりやすいような気はしますね。

b.
「使役する意味」は、#4の
(オ)「私が花子に強制(指示)して、あの映画を彼に見させるつもりだ」
のような場合なのだと思います。
「姿を見せる」の場合、少なくともこの意味では使えません。

c.
色々細かいことを申し上げてきましたが、本質は、おっしゃるところの、

・「見せる」=相手から見えるところに物を差し出す
・「見させる」=使役の助動詞を使っているので、見ることを強制する

で問題ないと思います。
解釈の幅は広いですが、強制・使役といった観点から使い分けるのに十分な説明になっているでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
「自発性」は、相手が映画を見る段階で話者がいるかどうかには無関係です。ここでの意味は、相手が「自らの意志で望んでいる」という意味で言っています。その点だけはコメントさせていただきます。
いろいろ考えていると、この問題は奥が深そうです。学習者にとっては素朴な疑問をぶつけただけなんでしょうけどね。
この問題にさらに第三者が関与する可能性を考慮すると、ますます複雑な議論になりそうです。そもそも互いの主観をぶつけあうだけの水掛け論になってしまいそうですので、そこまでは踏み込まないこととしましょう。
私としてはこれで気が済んでいますが、何かありましたらあらためてコメントいただければと思います。

お礼日時:2015/12/11 14:30

#9です。



>この表現からすると、おそらく「彼」は、あの映画をあまり見たがっていないような印象を受ける。
ここが私との一致点です。

一致点が見つかりましたようで、いくらか安堵しております。

>(例)子供に本を見せる と 子供に本を見させる
子供(働きかける相手)が「見せて下さい」と言っている場合なら「見せる」です。
つまり、自発性が十分に強ければ「見せる」

それは確かにおっしゃるとおりで、分かりやすいと思います。
ただ、ご指摘のように『ただし自発性だけで割り切れるわけでもありません。』という点に留意が必要です。
大辞林に「人に見させる」という語釈があるように、「子供に本を見せる」にも強制性が全く無いわけではない、ということ。
むろん、無い場合にも使いますし、それは大辞林の「示して見えるようにする」という語釈に該当するのだと思います。
この後者の場合には強制性の含みはありません。そのため、相手の自発性が十分に強い場合にも使える、というふうに考えるほうがわかりやすいのではないか、と思います。
大辞林では、【(1)人に見させる。示して見えるようにする。】と一行にまとめてしまっているのでわかりづらいのですが、このように2通りの意味に解釈するほうが、「見せる」の全体像が把握しやすくなるでしょう。

>そうではなく、自分が子供(働きかける相手)に「見なさい」と言っているような場合なら「見させる」です。
---
ここから強制的な意味合いも生じ得るでしょうね。

「させる」は使役の助動詞ですから、「見させる」の場合は、強制的意味合いが必至だと思います。
大辞泉では4つに語釈を分類していますが、最後の尊敬を除けば、すべて強制の構図になっているでしょう。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/88100/meaning/m1u …

>「姿を見せる」とか「度胸のあるところを見せる」は、働きかける相手に自発性があるわけではありませんが、これを「見させる」に置き換えると強制の意味になります。このあたりはNo.2さんの回答内容も参考になるでしょうね。

「(観衆の大歓声に応えて)姿を見せる」などのシチュエーションであれば、「見たい」という要望(自発性)が観衆にあったことになると思います。(観衆が嫌がっているのに無理やり見せるわけではない)
「(わざと、手錠をかけた)姿を見せる」のような場合は(若干の)強制性があるでしょう。
「若干の」というのは、「見させる」ほどではないが、という意味です。
「度胸のあるところを見せる」の場合は、大辞林なら【①示して見えるようにする】と同じでも良いように思いますが、または【②おもてに表し出す】という意味でも良いかもしれません。
むろん、No.2さんも引用しておられる大辞泉の【2 行動・態度・表情などに表して、そうであることを人にわからせる。】の意味に解釈しても良いでしょう。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/211967/meaning/m1 …
表現が煩雑になってしまったような気もしますので、腑に落ちない点は、さらに補足していただけると助かります。
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この回答へのお礼

度重なるご回答、ありがとうございました。
このように第三者が関与する可能性を問題にしなければ、素直に納得できるのです。

お礼日時:2015/12/10 01:31

No.7でコメントした者です。



>ただし「見る」と「見せる」は別の動詞であると思われるなら、「『見る』の使役形としても使えなくはない」という発想は避けるべきではないでしょうか。
 すでに書いたとおりです。個人的には〈8)9)にあるとおり、「見せる」は別の動詞と考えるほうがいい〉と考えています。8)9)に関してはリンク先をご参照ください。
 しかし、下記のように辞書にもある解釈なので、無視することもできません。実質的には「別の動詞」だと思います。
https://kotobank.jp/word/%E8%A6%8B%E3%81%9B%E3%8 …
==============引用開始
大辞林 第三版の解説
みせる【見せる】

( 動サ下一 ) [文] サ下二 み・す
①人に見させる。示して見えるようにする。 「
==============引用終了

>こちらの資料(文化審議会答申)をご覧いただければ、参考になると思います。
 この「敬語の指針」の解説は曖昧なところがあり、結局何が言いたいのかわかりません。
 詳しくは下記のコメントNo.2をご参照ください。
【心ばかりの物を、お贈りさせていただきます、は?】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8472230.html
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この回答へのお礼

ご返信、ありがとうございました。
実に複雑な問題ですね。

お礼日時:2015/12/10 21:01

見せる=実際に見るかどうかは相手次第。


見させる=強要とまでしなくとも、実際に見る、行動を起こすように働きかける、または状況設定する。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
確かにそのような面もあるんですよね。

お礼日時:2015/12/09 21:25

#8です。



>主観の相違とか言葉の文化の違いと言うべきことかもしれませんね。

文化の違いということは無いと思いますが、主観の相違という可能性はあるかもしれません。
つまり、論理を超えた感覚の違いなので、「私はそう思わない」「私はそう感じない」と言われれば、それ以上、「しかし~」などと遣っても、おっしゃるように平行線を辿るばかりですよね。
なので、「見解(主観)の相違」という文言は、基本的にコミニュケーション終了の意志を示す意味があることになります。
ただ、おっしゃっていただいたように、私の説明能力が不足していた可能性は、まだ残されていそうです。
その可能性について言及していただいたことにより、微かながら希望が残されていることになります。
ということで、通常はしつこい押し付けになるので、やらないのですが、再度の説明をさせていただきます。

以下のように誰かから言われた場面を想像していただきたいと思います。
その場合、Mister0413 さんは、第一印象としてどのように感じるか、ということです。
私は次のように感じます。
大事なのは、下記の第一印象が1と2で逆になることは、わたしの場合、まず無いと思う、ということです。
「強制性」の有無、あるいは、その程度の強弱といった要素が伏線として存在しています。

1.『私は、あの映画を彼に見せるつもりだ』

この人は、たぶん、彼を自宅(または映画館など)に呼んであの映画を見せるのだろう。または、彼にDVD などを渡して見るように言うのかもしれない。

2.『私は、あの映画を彼に見させるつもりだ』

この表現からすると、おそらく「彼」は、あの映画をあまり見たがっていないような印象を受ける。
しかし、どうしても見てほしい映画なので、この人は無理やりにでも彼に見させるつもりなのだろう。(強制的に彼が見る状態にする)
あるいは、誰かに指示するなどして、彼にあの映画を強制的に見せるように、と言うのだろう。
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この回答へのお礼

> 『私は、あの映画を彼に見させるつもりだ』
この表現からすると、おそらく「彼」は、あの映画をあまり見たがっていないような印象を受ける。
ここが私との一致点です。
実はこの質問をする前に、私は次のような説明を見かけたのです。
---
(例)子供に本を見せる と 子供に本を見させる
子供(働きかける相手)が「見せて下さい」と言っている場合なら「見せる」です。
つまり、自発性が十分に強ければ「見せる」
そうではなく、自分が子供(働きかける相手)に「見なさい」と言っているような場合なら「見させる」です。
---
ここから強制的な意味合いも生じ得るでしょうね。
ただし自発性だけで割り切れるわけでもありません。
「姿を見せる」とか「度胸のあるところを見せる」は、働きかける相手に自発性があるわけではありませんが、これを「見させる」に置き換えると強制の意味になります。このあたりはNo.2さんの回答内容も参考になるでしょうね。
このように考え始めたらすっかり混乱してしまったので、頭を整理したくなって質問した次第です。

お礼日時:2015/12/09 22:55

#4です。



>ただ、【見させる】には第3者の介入も想定可能な点が「見せる」との大きな違いであるとの点については疑問です。
「私が花子に強制(指示)して、あの映画を彼に見せるつもりだ」は、通じませんか? 【見せる】も第3者の介入が想定可能だということにならないでしょうか。

そのような表現は無論、可能です。
しかし、今は、
『あの映画を彼に見せるつもりだ』

『あの映画を彼に見させるつもりだ』
の比較です。
この表現だけで、後者は、
(オ)「私が花子に強制(指示)して、あの映画を彼に見させるつもりだ」のように、第三者の介入が想定できる、ということ。
前者には、それができないと思います。
『あの映画を彼に見せるつもりだ』と言われて、「誰に指示して彼に見せるの?」という疑問を持つことは、まず無いでしょう。
これも、「見せる」に強制性が希薄であることが関係しているのではないか、と今、思いました。
つまり、「見せる」自体には、第三者を介して「見せる対象者(彼)」に使役を行なう、という直接的な意味はない、ということを申し上げたかったわけです。
#1さんお示しのサイトに、「見せる」は使役ではない、という意味の記述があったと思いますが、おそらくこうしたことを言っているのでしょう。
(個人的には先述いたしましたように、希薄ではあるものの使役の要素は存在していると思いますが)

さらには、後だしで恐縮ですが、
(カ)「私が彼に強制(指示)して、あの映画を花子に見させるつもりだ」
というシチュエーションもあり得ますね。
こうした想定が可能なので、『あの映画を彼に見させるつもりだ』と言われれば、「誰に指示して?」あるいは「誰に見させる?」という質問が湧くのは自然だと思います。
しかし、
『あの映画を彼に見せるつもりだ』
の場合、そうしたことは想定が難しい。
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この回答へのお礼

いつも詳細なご回答、ありがとうございます。
このような種類の動詞を、文法用語で「使役動詞」と呼ぶのでしょうか。
今回のご回答を何回も読み返しましたが、やはり納得できません。主観の相違とか言葉の文化の違いと言うべきことかもしれませんね。
> 『あの映画を彼に見せるつもりだ』と言われて、「誰に指示して彼に見せるの?」という疑問を持つことは、まず無いでしょう。
これについては、理解できます。しかしそれを言うならば、私には『あの映画を彼に見させるつもりだ』も同じことだと思えます。
> 「私が花子に強制(指示)して、あの映画を彼に見させるつもりだ」のように、第三者の介入が想定できる
これを言うのであれば、「見せる」も同じことだと思えます。
というわけで、この件に関しては全く平行線のままです。私は何か大切なことを忘れていたり、ご回答の真意をとらえることができていないのでしょうか。別の角度から説明できるというのであれば、さらなるご回答をお願いします。

お礼日時:2015/12/09 17:35

No.5でコメントした者です。



>「脱がす」「脱がせる」の関係を問題にしたつもりです
 そちらでしたか。申し訳ない。
 だとすると
【「見る・見せる・見させる」などの動詞について】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9125887.html
 で当方が書いた「亜種」(勝手な命名です)の一種だと思います。
 おそらく、「転ぶ」に近いのでは。

 原形が「脱ぐ」
 使役形が「脱がせる」
 使役風動詞は「脱がす」? その使役形は「脱がさせる」。
 一応、「脱がせる」と「脱がさせる」があります。

「脱ぐ」「脱がす」はともにいわゆる他動詞。
「転ぶ」「転ばす」は前者が自動詞で後者が他動詞ですね。
 ただ、「脱ぐ」(使役形は「脱がせる」)は五段活用動詞なので、「見る」(使役形は「見させる」)とは違ってくるでしょう。

 本題の「見せる」「見させる」に関してはリンク先に加筆しました。
【見る・見せる・見させる】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12104049585.html
==============引用開始
「見る」の使役形が「見させる」。
 8)9)にあるとおり、「見せる」は別の動詞と考えるほうがいい。「見る」から派生したものだとは思うけど、詳細は不明。辞書の引用は末尾に。仮に「使役風動詞」と呼んでおく。
「見せる」は厳密には使役ではない。「見る」の使役形としても使えなくはないが、ほかの用途のほうが一般的なことは、下記の辞書を見てもわかる。これを使役形にすると「見せさせる」。
※「厳密には使役ではない」は言いすぎか。「実質上、使役の意味合いで使われることはほとんどないだろう」くらいか。
「見せる」の使役形の「見せさせる」も実際には使われることがほとんどないだろう。
 たとえば、「(新入社員に対して)まず部下がお手本を見せる」。これを「見せる」ことを上司が命じた場合「お手本を見せさせた」とはまず言わない。
「着せる」は「着る」の使役形として使われるが、厳密にはこれも使役ではない。ただ、これがあるので、本来の使役形の「着させる」はほとんど使われない。
「見せる」と「見させて」の話は、「拝見させていただく」の話につながる。
【〈「拝+させていただきます」は誤用〉ですか?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8908533.html
==============引用終了
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この回答へのお礼

再度のご回答、ありがとうございました。
考えるほどに複雑な問題で、出口が見つからなくなりかねません。
ただし「見る」と「見せる」は別の動詞であると思われるなら、「『見る』の使役形としても使えなくはない」という発想は避けるべきではないでしょうか。
「○○させていただきます」については、議論があるようですね。
こちらの資料(文化審議会答申)をご覧いただければ、参考になると思います。
http://keigo.bunka.go.jp/guide.pdf

お礼日時:2015/12/09 17:54

>No.1さんにご紹介いただいたサイトには、使役形の意味にはもう一種類「人に何かをしてあげる」があると書いてあります。


「見せる」のように「見させる」と同様の意味を持つ(一語の)動詞ですが、

確かに、「赤ん坊にミルクを飲ませる」のような意味合いがありますね。そういう分類もあるでしょう。要は「強制的にさせる」か、「相手が望むようにさせるか」、ですね。以下引用。
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 『日本語の使役態には、意味から見て二つのものがある。一つは、(1)力をもって他のものを動かす意味のものである。たとえば、
 学生には、学年末にレポートを提出させる
もう一つは、(2)他のものの意志を尊重してその意志どおりの行動を許す意味のもので、
 図書館を建てて自由に本を読ませる
がこれだ。よく話題にのぼる「本日はこれで休ませていただきます」も、「休むことを許可して……」で、この(2)の例だ。(金田一春彦ー日本語 新版)
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>「脱がす」はどうでしょうか。
現時点における私の仮説によると、相手に影響を及ぼす他動詞がこれに該当する気がしますが、どうでしょうか
 
 「脱がす」を入れ出せば切りが無いほどたくさんあります。
合わす・遊ばす・現わす・急がす・動かす・遅らす(ア行だけでこれだけあります。)
 脱がす 脱がせる (脱がさせる?)と並べるとちょっとおかしいと思いす。
「脱がす」は古語における使役形「脱ぐ」+「す」(使役の助動詞)で現代では何と呼ぶか、私は勝手に「使役動詞」と呼んでいます。共通語では「脱がせる」が使役形。
 私の質問は近くにあります。次の質問を今書きかけています。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9125887.html
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この回答へのお礼

ご返事と質問のURLのご教示、ありがとうございました。

お礼日時:2015/12/08 22:23

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