ホテルを選ぶとき、これだけは譲れない条件TOP3は?

 下記のような〈「拝+させていただきます」は誤用〉という意見をよく見聞します。

拝見させていただきます
拝読させていただきます
拝借させていただきます

 たしかに相当クドいと思うので、基本的には使うべきではない気もします。
 しかし、適切な状況であれば問題のない表現では……とも思います。
 どう考えればよいのでしょうか。

「誤用」か否かを判断する典拠になる文献を教えてください。

A 回答 (7件)

最近の質問には手応えがなく、つまらなく感じていました。

歯ごたえのある質問だと思っています。
問題になる点はふたつあり、一つは「せる・させる」という使役の助動詞であり、もう一つは「コピーを取らせていただきます」の形が「敬語の指針」に取り上げられ、「相手の許可を得て、恩恵を得られる場合の表現」とされていたと思います。これを自然な言い方と認めるか、どうかです。
 まず、「せる・させる」は現代語では使役の助動詞です。(古文の「す・さす」は尊敬の意味もありました)
その接続は、「せる」は五段及びサ変(これに注意)の未然形に、「させる」は上一段・下一段・カ変の未然形につきます。
 拝見さ・<せ>ていただきます(拝見する) 「拝読する」も同様
 見せていただきます(見せるー他動詞)
 見<させ>ていただきます(見るの使役形)
とりわけ、「拝見・させて」ではないことに注意。
「取らせていただきます」「言わせていただきます」「書かせていただきます」はいずれも五段動詞なので「せ」がつきます。
 これらがokで「拝見させていただきます」が納得出来なければ、それは二重敬語になるというだけでしょう。これを二重敬語と考えなければ、何も問題ありません。
 
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この回答へのお礼

 Commentありがとうございます。
 ご無沙汰しております。
  
 現代語の「させていただく」は使役のニュアンスを失っていると思います。
 仮に失っていなかったとしても、大きな問題ではありません。
 どちらで考えてもそこは問題にならないはずなので。

>これらがokで「拝見させていただきます」が納得出来なければ、それは二重敬語になるというだけでしょう。
 世間に流布している「誤用説」は、まさに「二重敬語」と解釈しているようです。
 これは「二重敬語」ではなく「敬語連結」なので、「誤用」ではないはずです。クドい表現なので当方はよほどことがないと使わないと思いますが、言葉の丁寧な人なら使うのでは。

 以下、字数制限があるので、下記に書きます。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3211. …

お礼日時:2015/02/07 21:32

#5です。



> 当方は典拠になりそうなものを3つあげました。

ですから、「典拠(確かな根拠)」になっていないでしょ、と申し上げたつもりなんですけどね。
以下、順に説明を求めていきましょう。

>1)『大辞泉』
 当方は「使役」とは別物だと考えています。

大辞泉が「別物」としている項目には(「させていただく」「させてもらう」の形で)という条件が付けられているのに、それは無視ですか。
では、「させていただく」の「させて」は、どんな用法なのでしょうか。
また、「と考えています」というのであれば、「個人的、且つ独断的見解」を述べておられるだけでしょう。

>2)説得力のある(主観による)Comment
〈削除された質問では「拝見させていただく」は問題なしと断言していました〉。非常に説得力を感じるCommentでした。「主観」であってもこれくらい説得力があれば納得できます。

トビさんが納得されたのは良かったと思いますが、削除されたのであれば、わたしは見られないわけですよね?その「非常に説得力のある主観」というやつを。
しかも、説得力があれば典拠はなくても良い、ということのようですが、説得力があるかないかを決定すること自体、「個人的、且つ独断的見解」じゃないんですか?
因みに、「拝見させていただく」は良くて「拝借させていただく」は間違い、という論拠は何でしたか?

>3)文化庁の資料
当方は、文化庁が「拝借させていただきたいんですけ(れ)ど 」を認めている貴重な資料だと考えています。

しかし、<敬語の指針>では一行たりとも触れられていませんよね。
しかも、トビさんがバイブルとまでおっしゃる<敬語再入門>でも同様に、全く記述なしと。
どちらも、書き忘れたとでも、お考えなのでしょうか。
認めるのは難しいと判断したと考えるのが妥当だとわたしは思うのですけどね。
15,6年ほど前の、かなり大雑把な<経過報告>であり、内容を見てもやっつけ仕事であることは一目瞭然でしょう。
別にわたしの解釈を押し付けるつもりはありませんが、少なくとも、こうした背景を考えれば典拠典拠と大声を挙げるほどのものではないでしょう、と申し上げているわけです。

要するに、
1)『大辞泉』に関して⇒「使役」とは別物だと考えています、と言いながら、その根拠が挙げられていない。しかも、「させる」に「使役」とは別物の語釈があるとはどこにも書いていない。
2)説得力のある(主観による)Commentについて⇒削除されているのだから提示もできていない。
3)文化庁の資料に関して⇒最新の<敬語の指針>は無視して、15,6年ほども前の<経過報告>を「貴重な資料だと考えています。」という「個人的、且つ独断的見解」を、根拠もなく述べているだけ。
という状況なわけです。
これで、「当方は典拠になりそうなものを3つあげました」と、よく言えますね。
全く理解に苦しみます。

>典拠も示さず断言されても……。

上にも具体的に記しましたが、そんなことを言えるお立場なんですか?
自分の場合は典拠は示す必要はないが、他人が言う場合には典拠が必要だ、と言っているようなものでしょう。
まあ、それも好き好きですから、そういうお立場であっても構いませんが、自分が出来ていないことに関して他人を責めるのは、いかがなものでしょうかね。
繰り返しになりますが、「典拠」とは「確かな根拠」のことですよ。「確かと思われる根拠」でも構いませんが、その域にさえ達していないのではありませんか?

>「お」のつかない「書いていただく」でも尊敬語ですよね。

おっしゃっている意図がちょっとわかりませんが・・・。
『No.3の〈「お~いただく」という謙譲語1の一般形が大枠です。〉はちょっと違うと思います』というのは、何が違う、とおっしゃったのですか。
「お書きになっていただく」の場合の「お書きになって」が尊敬語だ、ということをおっしゃりたかったのではないんですか?
それはそうだが、「お~いただく」という形になれば謙譲語1という一般形になるでしょう、とわたしは申し上げました。
それに対して「書いていただく」でも尊敬語だとおっしゃる意図がよくわかりません。
謙譲語1の誤植だとは思いますが、それにしても意図が不明です。
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この回答へのお礼

 当方が納得できるものを3つあげました。
 いままで、「誤用」と主張した人は、これで納得してくれました。
 これでご納得いただけないなら、これ以上の説明は当方には無理です。
 それぞれの大元にでもお問い合わせください。

>謙譲語1の誤植だとは思いますが
 当方の勘違いです。謙譲語Iですね。
 ご指摘ありがとうございます。

お礼日時:2015/02/03 20:25

#4です。



>前半部は見たことがない論理なので、当方には是非の判断ができません。

そうですか。^^;了解しました。

>とにかく『大辞泉』は別にしています。

(「させていただく」「させてもらう」の形で)となっていますので、「させる」自体の意味を分化させているわけではないと思いますけどね。

>当方がわかりやすい説明と思っているもののひとつに、下記のベストアンサーがあります。

拝見しました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
この方の論理だと、「拝見→見る→人の物を見させてもらう」という重複になるので「拝見させていただきます」は間違い、ということになります。
しかし、どうでしょう、この論理は違うとわたしは思いますけどね。
『「拝借させていただきます」を平易にすれば「借りさせてもらう」になり、元から意味が重複したおかしな日本語なんです。』ともおっしゃっているわけですが、「拝借する」と「借りる」には、敬語か否かの違いはあっても意味上の違いはないでしょう?
「拝借する」に使役の意味が含まれているかのように勘違いしただけだと思います。

>これを否定すると、「敬語の指針」も否定することになりそうで、そんな無謀なことはできません。

これは、かなり大雑把な内容ですよね。3分類から脱していませんし、ほとんど行が割かれていません(各敬語ごとに1、2行ほどしかない)。しかも10年ほど間も空いているようですし、<敬語の指針>とは全く関連性が無い、と言っても良いとわたしは思います。
どちらかというと現状検証しただけといった印象さえ受けます。本当の「経過」報告、といった感じ。
ちょっと長めですが、「Ⅱ 敬意表現の在り方」から抜粋してみます。
『 国語審議会は次期の審議で具体的な敬意表現の標準を示すことに取り組むことが予定されているが,その場合も語形面での誤りを正すだけでなく,運用面の適切性についても扱っていくことが必要と思われる。すなわち,現実に行われている様々な敬意表現を整理して,平明な言い方を中心に複数の選択肢を掲げ,併せて頻度の高い誤用例についてはそれが誤りとされる理由を説明しつつ,想定される場面に応じた運用の指針を掲げることになろう。』

>「委員も総入れ替え」……そうなんですか?

江藤淳とかが副会長やってたようです。
ざっと見たところでは1~2人、あるいは数人、ダブっているのかもしれませんが。

>「5年も経たないうちにこういう体たらく」……どういう意味でしょう。

「5年も経たないうちに」は無視してください。単純な勘違いですので。
「こういう体たらく」の意味は次のとおりです。
<敬語の指針>で言及していないということは、「拝見させていただきます」を認めていない、ということだと判断したわけです。
でなければ、「非常に丁寧」「非常に改まっている」として、当時、最上段に掲げた事柄を記述しないはずはないでしょう。
贔屓目に見ても、適切な表現だと大きな声で言えるほどの自信はなかった、ということ。
要するに、専門家の言った内容であっても、これほど変化する、ということです。

>クドいというのは「誤用」とは別の概念のようです。

そのことは同意できます。
ただ、「拝見させていただきます」の事案とは関係なく、です。
こちらの場合は、論理的に誤用と言えます。しかし、かく言うわたしもつい使ってしまいそうなほど、人口に膾炙している表現であることも、また確かでしょう。
その意味で、誤用と目くじらを立てるつもりはない、ということです。
しかし、誤用か否かと聞かれれば、明確に誤用である、と断言します。
非論理的で、あり得ない表現が、現在では正しい表現になっているものも多いことですし、それは時代に委ねるしかありませんが。

>No.3の〈「お~いただく」という謙譲語1の一般形が大枠です。〉はちょっと違うと思います。詳しくは『敬語再入門』のP.88〜をご確認ください。

確認しました。
特に違わないと思いますが。^^;
「お書きに(なって)」の部分は尊敬語・・・という箇所のことをおっしゃっているのですよね。
そこ(=部分は尊敬語)はわかりますが、ただ、「お書きになっていただく」という表現の場合、この動作主は相手ではなく、「いただく」という動作主である自分であるから、「お~いただく」というのが謙譲語1の一般形になる、ということだと理解しています。
「お書きに(なって)」の部分は尊敬語・・・というのは、著者も断わっているように「理詰めで言えば・・・」です。
「お~いただく」という謙譲語1の一般形が大枠、というわたしの記述と何ら矛盾する点はないと思います。
  
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この回答へのお礼

 当方は典拠になりそうなものを3つあげました。
1)『大辞泉』
2)説得力のある(主観による)Comment
3)文化庁の資料

 それに対して〈例によって個人的、且つ独断的見解で、「典拠になる文献」〉もない意見を繰り返されるなら、これ以上Commentしても意味がないようです。

 詳しくは↓のリンク先に書きました。

お礼日時:2015/02/03 17:04

#3です。



>何か典拠になるものがあるのだと思っていました。残念です。

申し訳ない。
『「させること」の内容は、あくまで「見ること自体」であり、この時点で「拝見する」という謙譲状況は発生しない(すべきではない)』と述べた点について、若干補足の必要があるかもしれない、とは感じていました。
たとえば、首相が「国民のみなさんには冷静に対応していただきたいと思います」のような敬語表現を使って記者会見したとしましょう。
しかし、NHK では「国民は冷静に対応してもらいたい、と首相は述べた」と敬語抜きで表現すべきですし、実際にもそうしているはずです。
これはつまり、「言った内容自体」に敬語は不要だからです。(NHK が国民に語りかけているわけではない、ということ)
これと似たような理屈になるかもしれません。

> でも、現在では「使役」のニュアンスは薄れているようです。下記では「使役」とは別にしています。

「させる」が使役だからこそセットになれば謙譲の意味が付与可能になる、という構造は現在でも変わらないでしょう。

> 下記(平成10年頃の資料?)を見ると、「拝借させていただけません(でしょう)か
」が「非常に丁寧」で「非常に改まっている」になっています。

貴重な資料をお示しいただきましたね。興味深く拝見しました。
委員も総入れ替え・・・といったところでしょうか。
彼らも専門家と呼ばれる人種だと思うのですが、5年も経たないうちにこういう体たらくでは、どうなんでしょう、あまり有り難がりすぎるのも考えものかも。
実は、お勧めによって購入させていただいた<敬語再入門>も確認してみたのですが、菊池氏も特に触れていらっしゃらないようですね。
彼なら何と言いそうですか?
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この回答へのお礼

 前半部は見たことがない論理なので、当方には是非の判断ができません。

>「させる」が使役だからこそセットになれば謙譲の意味が付与可能になる、という構造は現在でも変わらないでしょう。
 そうなのかもしれません。これも見たことがない論理なので、当方には是非の判断ができません。とにかく『大辞泉』は別にしています。

 当方がわかりやすい説明と思っているもののひとつに、下記のベストアンサーがあります。
「見せて」(正確には「見させて」ではないかと……)「もらう」
 を敬語にしたものが「拝見させていただく」でしょう。
 このかたは、削除された質問では「拝見させていただく」は問題なしと断言していました。

 続きは↓のリンク先に書きます。

お礼日時:2015/02/01 23:09

例によって個人的、且つ独断的見解で、「典拠になる文献」もお示しできませんが、がんばってみます。


「拝見させていただきます」の構造を考えれば、
『「わたしが拝見する、という行為」を、「あなたがわたしにさせること」を「わたしはいただきます」』
のようになると思います。
「あなたがわたしにさせること」の内容は何かと言えば、それは「わたしが拝見する、という行為」である、と言っていることになるでしょう。
しかし、「させること」の内容は、あくまで「見ること自体」であり、この時点で「拝見する」という謙譲状況は発生しない(すべきではない)、と捉えるのが論理的だろうと思います。
「させること」をわたしが「いただいた」時点で、はじめて謙譲の意味が構築される。

「お話しさせていただきます」の場合は、「お~いただく」という謙譲語1の一般形が大枠です。
「(わたしが)何をいただくか」と言うと、「あなたがわたしに話しさせること」だ、という構図。
「話しさせる」に謙譲の意味はないため、問題のない文になる。
端的に申し上げると、「拝見」は「お話し」の箇所(だけ)ではなく「お話しさせる」という箇所に対照している。
こういうことではないか、と考えます。
ちょっと自信はありませんが、こんなところです。
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この回答へのお礼

 Commentありがとうございます。

>「拝見させていただきます」の構造を考えれば、
>『「わたしが拝見する、という行為」を、「あなたがわたしにさせること」を「わたしはいただきます」』

 元々はそうだったのだと思います。
 でも、現在では「使役」のニュアンスは薄れているようです。『大辞泉』は「使役」とは別にしています。
https://kotobank.jp/word/%E3%81%95%E3%81%9B%E3%8 …

 以下、字数制限があるので、下記に書きます。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3211. …

お礼日時:2015/01/31 20:47

「て」で切れているので、誤用ではありません。


「ご拝見します」などは、二重敬語のため、誤用です。
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この回答へのお礼

 ですよね。
 世間には「誤用」とする説が多数流布しています。
【拝見させていただく】で検索すると、上位のものは「誤用説」が目立ちます。
http://woman.mynavi.jp/article/130730-074/
http://machigaijp.ti-da.net/e3200613.html
http://www.tv-asahi.co.jp/announcer/nihongo/memo …
http://news.ameba.jp/20131203-566/

微妙説
http://dora0.blog115.fc2.com/blog-entry-50.html

お礼日時:2015/01/31 14:47

拝見(する)…これ自体で謙譲の意がありますし、


(させて)いただく…これも謙譲の意がsりますよね。
ですから、謙譲+謙譲と二重に使用するところが変なのではないですか。
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この回答へのお礼

 Commentありがとうございます。
 その考え方だと、
「お話しする」(謙譲語)と「(させて)いただく」(謙譲語)
 を組み合わせた「お話しさせていただきます」も二重敬語になるのでしょうか。
 No.2のやり取りをご確認ください。

お礼日時:2015/01/31 14:38

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