プロが教えるわが家の防犯対策術!

高校2年です。
英語が苦手なのもあって・・・親からしょっちゅう「英語はこれから必要だから!」と言われます。。(自分は話せないくせに)
なんで必要なのかというと・・・就職に有利だとか、世界が広がるとか。。なんかいまいち実感湧かないんですよね。。日本語だけじゃだめですか??

「英語の勉強をしないといけない理由を教えて」の質問画像

A 回答 (9件)

英語の価値は何か??


先日、なるほど〜と思った記事を共有しますね。頑張ってください!
http://peko-fff-startup.blog.jp/archives/why/stu …

この時代だからこそ、英語はあると良いものです。
必ず、5年後、10年後のあなたの未来が広がりますよ。

もちろん、未来を広げる道具は英語だけではありません。
でもね、個人的な意見としては・・・言葉の習得というのは、誰にでもできる簡単なものです。
特に英語に関しては。効果的な勉強方法が世の中に溢れていますから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
purpuchanさんの回答ではないのですがw
共有いただいた記事がわかりやすかったので、ベストアンンサーにさせていただきましたあ。
少し英語が好きになれそうです。何事も理由付け大事ですね。

お礼日時:2016/01/14 19:41

こんばんは。



できれば、みなさんがお書きになった内容は、ご両親に読んでもらったほうがよいと思います。みなさん、それぞれ真剣に考えてくださっていますから。

「英語はこれから必要だから!」と言われたら、私でも、「ムッ」としてしまいます。たぶん、私は、あなたのお父さん、お母さんよりも遥かに年上でしょうけれども、学習する意義は、与えるものではなく、本人が見出すものだからです。

はからずも、私は、中学・高校で、そんなに英語の勉強をしなくても、英語だけは成績が良かったと思っていました。しかし、大学に入って、自分の後輩の英語を聴いて、これは敵わないと思いました。その人は、その後、海外の大学院に行ったそうですが、就職は家業を継ぐ予定だったそうなので、何の将来の不安もなしに、受験して大学院に行ったそうです。うらやましいかぎりでした。

#7様の書いた内容は、ひとつの命題を与えていると思います。

私は、学校の英語がそのまま「受験英語」だと思ってませんが、「学校英語」には違いないです。それは、実際の外国人との話の場では、最初、ほとんど歯が立たなかったわけです。しかし、私の後輩は、元は学校英語ではあったはずですが、特別な勉強を続けていたわけで、間違いなく「目的意識」が違っていた、それに尽きるのではないでしょうか。

ここからが本題です。

私自身、今思い返すと、本当は英語はできたというのは大間違いで、単に、落第点を心配することは一度もなかっただけです。中学・高校で、英語は単に他の教科と同じ科目のひとつにしか過ぎなかったし、中学・高校で、特別、英語がどうという必要はひとつもないと思っています。国の未来がどうとか、政府の方針がどうとか、文科省の学習指導要領がどうとか、そんなお偉い人たちの思いとは関係がなく、学生にとって、英語は単に「やらされている」だけのことです。

言い換えれば、数学、社会、国語、理科、これらの科目で、英語を別格にする必要があるものでもなく、逆に、学校英語は、他の教科よりも内容的にはレベルが低いのではないかと思うのです。むろん、英文を文法解析して解釈しようとすれば、とたんに奇妙な暗号解読になってしまいますし、文学性も情報性もないような英語は、いかにもこ難しく、やっていて楽しいという人も少なかろうと思います。その上、実用英語としても、まったく不十分でしょう。

教科としての英語の成績が悪いのでしたら、それは単なる勉強のコツであって、目標を高く持てば、成績があがるとは思えません。単に、やり方を変えさえすれば、成績は確実に上がります。それは、今よりも、予習・復習で、習ったことを繰り返すだけでよいのです。それを、もう一度間、週末とかに復習すればよいのです。英語の教科書を声を出して読み、日本語の訳を黙読するだけでも、必ず成績は上がります。

それ以上に勉強をする意義が、自分自身で見当たらないなら、それは、あえて求める必要もないと思うのです。私は、高校生にとって、英語を勉強するための大義名分(大前提)などは不要だと思います。他の教科と同じように勉強して落第点を取らないようにすればよいと思います。そんな学校英語が「世界に羽ばたく未来の自分」とか「国際語としての英語」に繋がるなどと考えるのは、何か、とってもインチキくさいのです。

最近、大学生でも、TOEICで860点越えを目指すとか、それは結構だと思います。ただ、会社で、その点が昇進の条件とか、何か、日本の企業の将来はとっても危ういような気がします。大学の試験の代わりにTOEIC や英検を使われるのならまだしもです。900点越えで、会社の役員とか言うところもありましたが、「(落とすための)受験英語」を企業に入ってまでやっているというのでは、もう、実用的、コミュニケーションとしての英語はなく、試験だけのものになっているように思うのです。

大学の英文科の英語というものは、こうしたものとは違う所にあるはずです。その学びの場が就職のための英語教育だとしたら、卒業時に、どんなに就職率が良くても、それは、本当の大学教育とは言えないでしょう。

学校教育で、実用英語一本になれば、おそらくは、社会的には大いに賛同を得るでしょうけれども、そうなったら、文学も文化も、まったく軽視したものになって、本当につまらないものになってしまうと思っています。シュリーマンという人は、語学の天才とか言われていますが、逆に、彼は、遺跡の発掘にはまったくの素人であって、史跡の破壊者でもあるわけです。日本人はそのような人はいないと思わないでほしいです。語学が得意でも、日本の文化や歴史にまったく無頓着な、語学の達人さんたちは大勢いるのです。

そんなふうにはなってほしくないものです。

p.s.ご質問者さんには関係がないと思うけれども、イングリッシュ・ディバイド(英語による国民の差別化)というか、国民全員が英語を学ばなければならないなんていう時代が来るとした、私は、願い下げですね。たぶん、その時は生きてはいないでしょうけれども。それでは、韓国のような亡国の民を増やすだけになってしまうでしょう。会社内の『英語公用語』も、経営の根幹部分に語学が入り込む余地などないはずなのです。

それと、私は、日本語と韓国語のように、機械翻訳で95%以上の翻訳率だと聞きます。今、翻訳エンジンは、多くはアメリカの会社に頼っていますが、やがて、そういう時代も変わるものだと思います。技術の進歩が早いか、人間の能力の革新が早いか、確実に次の時代は変わるはずです。
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この回答へのお礼

詳しく書いてくださり、ありがとうございます!
>学習する意義は、与えるものではなく、本人が見出すものだからです。
なんだか心に響きました!動機がないと続かないというのが、悩みでもあり、、私の弱さなのかもしれません。そう考えると全ての教科の必要性に、、疑問を感じてしまいます。
やる気が。。
でも勉強も楽しいときがあります。アインシュタインの相対性理論なんかはGPSに使われていたり・・そんな話を聞くとちょっとドキドキ笑
英語を使えるとどんな未来が広がるんだろう。。そんな何かを求めてたのかもしれません。
だから学校英語で点数を取ることではなく、自分の中でその他の学習する意義を見つけたいと思います。

お礼日時:2016/01/14 19:50

多くの方が誤解してるのですが、外国語を授業に取り入れること、と英語を勉強すること、は本来まったく別のことです。



質問者様は学校の授業で「英語」を習うために、イヤだ!キライだ!と思うのでしょうが、場所や時代が変わっても外国語で悩むことは同じですので、いつの時代に生まれようとも外国語の授業から逃れることはできません。

ちなみに日本であれば江戸時代までの外国語は漢語でしたし、欧米の場合はラテン語でした。ラテン語で苦しむ欧米の学生は今でもたくさんいるはずです。また、旧ソ連の同盟国はロシア語が第一外国語でした。日本と同じ縦書きの文字をもつモンゴルでは、モンゴル語をロシア語のアルファベットに充てた一種のローマ字化した後に、さらにロシア式アルファベットをABCのアルファベットに変換しないとまともにネット接続できない、という時期もあったのです(今ではモンゴル語を直接ローマ字化する方法があり、みんなそれを習います)

高等教育において外国語を習わない、というのはほとんどありません。どこの国でもどの時代でも外国語は習うのです。そして苦しむわけです。外国語を必修にしている理由は二つあります。
・母国語を覚えてから他の言語を習得方法を習うことで、別の言語が必要になっても覚えることができること。
・母国語以外の言語に触れることで、他の考え方・風習など多様な価値観に触れること。
です。英語を習う日本人はすべての文章に主語が必要なことを知ってメンドクサイと思い、日本語を習う外国人は多様な主語(私・僕・俺など)があることに戸惑いメンドクサイと思うことが、多様な価値観を知る第一歩だといえます。

ですから、質問者様がいつの時代に生まれようとも「外国語」の苦しみは避けて通れないのであきらめてください。

次に英語の必要性ですが、これはインターネットのせいで確定的になってきています。本来なら一番多くの人が使っているのは中国語なので中国語を勉強してもいいのですが、経済的なメリットから言って英語にかなわないからです。ただし、いずれGDP1位になるのは確実な中国のことを考えれば中国語も今後は侮れません。

英語の重要性についていえば、ネットでの情報の量が全く違います。たとえばwikiの情報量、英語に比べて日本語の情報は20%しかありません。情報量の2位はドイツですがそれでも英語の30%に満たないのです。
 なにかを知ろうとしたとき、そもそもの情報量の差は大きな差になることがあります。

質問者様が今後どのような生活をしたいのか、英語を使えれば有利なのか、と言われれば「間違いなく有利でしょう」としか言えません。
 特に自分の得意技があって英語が使えるならものすごく有利でしょう。たとえばこれだけ寿司が世界に出て行っても、寿司を握れてそれを英語でちゃんと説明できる寿司職人は数えるほどしかいません。もう少し考えれば、寿司の技術を英語でちゃんと教えられる腕のよい職人も少ないということです。
 
 こういう問題は探すといくらでもあるので、日本人で英語が話せれば有利になることはたくさんあるといえます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!情報の量・・今まで考えたことがなかったですが、とても大事なことですよね。英語が使えればきっと便利な世界が広がるのかなと、思える内容でした。
教えていただきありがとうございます!

お礼日時:2016/01/14 19:53

わたしは英国人と結婚しているので、普段、家では英語しか使いませんが、それを前提に書くと、「日本人に英語は必要はない」とおもいます。

 英語が必要になる人は、外国の企業と取引をしている人とか、現実に外国人あいてに商売をしている人。それ以外には、英語圏の大学に留学するときぐらいしか、実は、英語は日本人にとっては必要ないのです。 医師でさえ、英語のはなせる先生は、たぶん1割程度しかいないとおもいます。ですから、妻が病気のときはなんども通訳しました。 ただ、普通の会話と異なり、医学用語はとても訳せないので、普通に話せる言葉に言いかえをします。

また、それらの英語を実用に使っている人は、学校英語からは離れて、独自にいろいろ工夫して身につけたものです。 即席に身につくものではありません。 また、使っていないとすぐわすれてしまうものです。

質問者様も、英語がはなせる人が、外国人の英語をきいて、「いつ日本語に訳し」また、日本人が話していてるときに「あたまの日本語をいつ英語に訳しているのか」不思議に思われたことがあるかもしれません。 そのくらい、日本の英語教育は「英文和訳」「文法解析」などに重点がおかているからそのように思うのです。 現実は、話していて、翻訳するような時間はないですから、英語は英語のまま理解して、英語は、口から自然に英語の語順と語彙を使い言えるように長い時間かけて、練習でできるようになっただけです。 

わたしもたまに通訳することがありますが、英語のままきいたことを、あたまのなかで日本語作文をしないといけないので、通訳は難しくはあります。 日本語を英語に訳するときなどは、ほとんど日本人のいっていることは意味のないことを言っているので、訳さないでいると、「なぜ訳してくれないのか」注意されるときもあるぐらいです。

また、学校で教えているのも「受検英語」だし、最近は、義務教育でもネイティヴの補助教員をおいて正しい英語でコミニケーションしようとしているようですが、それても日本の英語教育は、受験目的以外にはないとおもいます。

そもそもわたしが中学生のときなどは、英語のはなせる先生なんかいなかった。(たぶんいまでもその状況に近い気がします) 外国人講師には、英語のはなせる「英語の先生」が相手していたようにおもいます。

それと、いろいろな方がここに英文法の質問や和訳依頼をあげていますが、わたしなど、見ただけで「嫌だ」と思うような、興味のないことや、長いエッセイの一部だけあげていたり、極端になると、一文だけをあげて、文法解析を依頼されている方もいます。こういう場合は、現実は、いいかたはいろいろあるので、その場面の状況がわからないと、「どれも正しい」としか言えないものもあります。 

ただ、日本の受験英語はその手の、「ふるいにかけて落とす」ような問題が多いのも事実ですね。

ひとつだけ、妻と知り合ってわかったことは、中学で学んだ英語は、古臭くはありますが、英語圏の人がきくと、(発音や細かな文法ミスから非英語話者だとわかるので)少々間違えても、きちんとした英語で礼儀正しくみえるようです。 そういう意味では、将来質問者様が、なにかのきっかけで英語で仕事をしないといけないようになると、起訴教育でならった英語というものは、かなり役に立ちます。 英語の参考書も、一般向けの英語教本よりも、中学生向けの英語参考書のほうができがよいとわたしは思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
必要に迫られて初めて身につく。それが言語の特性ですね。言語だけではないのかもしれませんが。。いろんな方に意見をいただいたので、自分なりに必要な場面を想像したり、思い浮かべたり、してみようと思います。それで、、何も思い浮かばなかったり、きっぱりやめようかな。。笑

お礼日時:2016/01/14 19:59

こう言っては悪いけど世の中に出てから得意だからと言っても何の役にもたたないし


できなくても何の不自由もないね。それと数学は。多少の計算が出来たら生活において支障はないね。だったら漢字を覚えて字が上手なら会社でも重宝がられますし教養があるようにみられますから。
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他人との差別化です。

自分の価値を上げるのです。
道具としての英語ができて、かつ、あなたの得意な分野で仕事すれば最高です
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この回答へのお礼

ありがとうございます!どんな価値を得られるか、考えてみます!

お礼日時:2016/01/14 19:35

親御さんの考えだけでなく、英語を勉強しないといけない理由はたくさんあります!


逆に、英語を勉強しなくてもいい理由もたくさんあります!!!

英語の勉強をしないといけない理由の一つとして、
学力が日本の評価の一つなので、進学したい、良い成績が欲しいという人にとっては、“英語”ではなく“英語を勉強する”ということが大事になるからです!
私はこの考えが強いです、英語は苦手です。

学生生活頑張って下さい⭐
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
英語を勉強しなくてもいい理由はいろんな方の回答から勉強しました。
英語を勉強する理由、何かあるか自分なりに見つけてみようと思います。

お礼日時:2016/01/14 19:36

日本語だけでいいですよ。

ただ、それを言うなら、中学だけでもいいんですよ。高校に進学しちゃったからには、高等教育を受けなきゃいけないわけで、自ずと英語の授業も難しくなります。ただし、その難しい高等教育を身につければ“その分”進学や就職で有利になりますし、一応、それなりの教養も身につきます。

で、私の持論としては、「これから必要だから英語を勉強する」のではなく、「必要になったら英語はイヤでも身につく」のだと思うんですよね。英語に限らず、母国語も含めて、言葉はすべてそうだと思っています。

したがって、対策としては、「英語は大学進学や就活の履歴書のために“必要”なもの」と割り切って点数対策に励むか、「実際に必要な状態」に自分を追い込むかのどちらかをおすすめします。

前者の場合は塾や家庭教師に頼るといいでしょう。彼らは点数のプロです。その「これから必要」とおっしゃる英語のできない親御さんに出資してもらいましょう。

後者の場合は、英語がないとできないことを好きになるといいです。例えば、日本語が苦手だけど英語が得意であなたと趣味の合う友達を作って交換レッスンするとか、洋画や洋楽や海外スポーツを好きになって、関連記事を読むとか、海外ドラマや海外アニメを好きになって、1話分のセリフを丸暗記するとか。

ちなみに、教科書を暗記するほど何度も朗読するだけでも、かなり英語が身につきますよ。完璧に暗記すれば、これほど点数に結びつくものはありませんしね。これをやれば、たとえ文法の法則が頭に入らなくても、自然と正しい英語のリズムが身につくし、単語力も自然と増します。

英語に長けている高校の英語教師の多くが、この音読を勧めています。また、とかく私のような元帰国子女は、海外で生活しているだけで英語ができるようになったと思われがちですが、多くの人が学校や家庭教師とともに、この音読を繰り返して、正しい英語を体で身につけました。

ちなみに、英語ができれば「世界が広がる」かというと、正直言って、音楽や踊りや運動など、言語以外の方法でコミュニケーションがとれる人のほうが、英語圏を越えて世界を広げていけますよ。ただ、例えば、音楽などで世界が広がった時に、外国語ができると、違う国の人と楽器や発声法について深く話し合えるわけで、英語はいろいろな外国語の基礎になり得ますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
実際に使える英語を身につけたいと思います。

お礼日時:2016/01/14 19:38

全く英語が出来て良かったなんて海外旅行をした時以外は思ったことがありません。


80才の叔母が話していましたが英語が分からないで困ったことは一度もないそうです。
 ただし、入試には絶対に必要ですし、採用試験にも出ることになると思います。
 世界が広がるとの論ですが、今明治以前の日本の文学(古文)が読める人はほとんどいません。
 ドイツ語だって、中国語、だって韓国語だって世界が広がるという面では一緒のことです。
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