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この世は存在するかしないかしかありません

存在しなければ問題にもなりません、話にもならないのです

存在するかしないかを物質、生物、人間、人工物もせめぎ合って存在しようとしています

ただ人間は学習・思考で進化するので生存競争は必要ありませんが

存在する事が目的であり 存続しタスキを渡し命と心をつないでゆく

もちろん人は死んでもその言動は因果律に乗って未来の終わり 永遠 まで活かされていきます。

存在することが目的であり 価値の基本なのです。どなたか分かる方居ませんか?

A 回答 (10件)

存在するには、生存の条件を揃え無いと物理的にあり得ません。

衣食住を生産出来ず存在が出来る妄想は、やめましょう。一人で生存出来る妄想もやめましょう。ギャングは、妄想で、生きているから危ないのです。
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haru27さんのそれは


パラドックスと言えると思います
まず存在するしないしかないとありますが
そこに存在しているにも
関わらず存在しないと認識することもあります
逆に存在していないにも
関わらず存在していると認識することもあります
さらに存在しているかいないかが
不明瞭なこともあります
これらは私達の認識外では存在するか否かが
明確に別れているのかもしれません
しかし私達はそれが存在をしているにも
関わらずそれを認識できなければ
その物に価値は生まれません

次に存在をしなければ話にならないとありますが
存在をしないことにも価値はあります
いい例えがうかばなかったのですが
箱が複数あり1つには
私が探している物があるとします
その時、空の箱をあけると
そこには私の探し物は存在しないということを
知ることができます

次にタスキをつなぐとありますが
確かに¨今¨ そのことが
存在することに価値はあるかもしれません
しかし未来においては価値がない可能性もあります
例えば大昔に一人の人物が
存在をしなかったとしましょう
すると現在の私達からみれば
その人物から生まれたであろう様々な
価値は失われたように感じます
しかしその人物が存在しない未来においては
それらの価値は元々なかったものなのです

結局何が言いたいのかというと
価値とは今、存在をするものが付与するものであり
未来の価値はその未来に存在するかもしれない
何かが付与するものだということです
価値の基本とは存在をすることが目的ではなく
私達が認識しているものに
価値を付与することではないでしょうか?

haru27さんの
意図に触れることが出来ていなければ
すみませんm(__)m
1つの意見だと考えてください
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どの様に存在するかが大事な気もしますが。


まぁ、ハルさんの事ですので言われるまでもなく分かっておられると思います。
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この回答へのお礼

ありがとう

どの様に存在するかで 人間は全然違いますねえ

人間はみんな一緒だ という気もしますが 実際には実に様々です

価値観の多様化はいいのですが 人間としてのDNA?を持たなければうまくことが運びません。

お礼日時:2016/02/06 18:56

>何故分かってくれないのでしょうか?



パフォーマンスが不足してゐるからです。世の中、「正しい」ことを主張すれば「わかつて」くれる、などといふものではありません。マスコミによる輿論操作、宗教による洗脳、教育による植付け、など例を挙げればきりがありません。このサイトでも、「まちがつた」回答にベストアンサーがつくことは珍しくありません。私などは、自分がベストアンサーになつたら、この質問者のこれからの人生は大丈夫だらうかと心配になります。

方法をいくつか考へてみます。

[1] 空中浮遊を習得する
オウム真理教では、これが効果があつたやうです。

[2] 文章の表現を難解にして理解不能にする
内容がわかると反対意見が必ず出ます。中身を隠して表現だけを高尚なやうに見せかけます。

[3] 美女を広告塔にして世間の耳目を集める
無味乾燥な主張だけでは、だれも振向きません。道ですれちがつただけで振向くやうな美しい女性が必要です。

[4] 褒賞を用意する
理解してくれた人に、金銭か不動産か高級車かを渡す。

haru27さんが脳裏に描いてゐるのは、架空の人間なのではありませんか。だからこそ「何故分かってくれない」といふ問が出てきます。現実の人間とはどんなものなのかを考へることが先決だと私は思ひます。新興宗教の教祖さまのほうが、はるかに人間をよく知つてゐます。
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外教の形而上学的実体は具体性をもった永遠不滅の存在とされるものであって、仏教によれば具体的な
不生不滅の存在は考えられない。われわれの周囲にある具体的な存在はすべて生滅変化する有為法であるからである。
これはカントが本体の存在を認識不能として問題にしなかったのと同じい。
また現象としての存在には三界世間の迷いの法と出世間無漏の悟りの法とある。涅槃は悟りの法であって、
仏教にとってはこれが真実の存在である。


仏教要語の基礎知識 水野弘元 147ページ
春秋社
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実体とか現象とか無自性とか自性清浄の話をなぜしたのかといえば
水野弘元の本でも読めばわかると思うのですが。
どういうわけかカントとゴータマ・ブッダを並べる傾向があるんですよね。

中観派とか龍樹は結局、勉強しないといけないのだろうけれど、
よほど気が向いたら。

あとは「実践」として瞑想を始めるとある種のパターンなのかもしれない。

それはいいけれど、カント批判もあるわけで。
真面目にドイツ観念論の勉強もしないといけないのだけれど。

ドイツ観念論ばかり勉強するから同じ問題に悩む気がして
別の勉強もしたいのだけれど。中途半端にもなるし。困ったものだ。



ウリガダイさんがユニコさんにやけに怒る?のは
たぶん思想が反対だからではないだろうか?

インドの出家者の思想でも調べればいいと思うけれど、
目的なんかなくて、誰かの夢でしかない、夢が覚めたら何もない。
誰かとは誰?それはブラフマン。そして、あなた。
あなたはそれである。


価値の話が出てきたけれど
ちょうど労働価値説は、労働していないたとえばニートは
何も価値を産出できないからマルクス主義的ではないなとか思ったりしていた。
労働者の思想だからニートには関係ないという気がする。


あとは、
仏教経済学とかいうのがあるらしいけれど、

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仏教経済学(ぶっきょうけいざいがく、英:Buddhist Economics)は、ドイツ生まれのイギリス経済学者、エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハーによって、1966年に提唱された経済学で、応用仏教学の1つある。
寺院経済学ではない。

経緯[編集]
イギリス政府の経済顧問だったシューマッハは、1955年にビルマ政府に経済顧問として招かれて現地を訪れた際、現地の仏教徒の生活に感銘を受け、特に八正道の正業・正精進に基づいて仏教経済学を提唱した。
概要[編集]
仏教経済学は簡素(少欲知足、無執着)と非暴力を基本とし、最小資源で最大幸福を得ることを目的とし、経済として自利だけではなく利他も目的とする。これに対し、資本主義的経済学では、物資の消費量を幸福の指標とし、自利の追求のみを目的としているため、正反対である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/仏教経済学

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どうにもこうにも展開させようがないけれど。
ブータンの国民総幸福量とかいうのが何年か前にニュースになっていたような気がするけれど
農業なんか仏教から程遠いと思うのだが。

働かないでも生きていけるくらい経済が発展したから乞食で生活する遊行者がいるわけで、
仏教は都市型の宗教である。そのわりには森とかへ行くわけだが。
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解ってますって。


生きる目的は何かを尋ねる人がいますが、生きる目的を生きている人から目的を聞かれると答えようがないんですよね。
なんとかそれに気づいてもらう答えをするようにしてます。
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この回答へのお礼

ありがとう

人間は生きて 存在して存続して調和安定して進化発展しますから そしてその未来の存在を実現して

永遠に向かって消えるまで存在し続けます。

だから生きている人が「目的はなんですか」と聞いたら上の様な事を言ってあげるといいと思います。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2016/02/06 18:38

《命あっての物種》


《死んで花実が咲くものか》

これらのことわざ以上の内容を言っていますか?

同じなら わざわざ《分かれ》というのは おかしい。
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この回答へのお礼

ありがとう

命そのもの 人間存在そのものが人間の目的なのです

性質進化論など読んでもらえればわかりますが

存在を成り立たせている性質が宇宙の始まりからずっと進化してきたのです

宇宙は終わらないのです。存在が即目的です。価値です。

お礼日時:2016/02/06 18:35

言われていることは、理解できます。


他の人も分かろうとする人は、分かるでしょう。

分からない人で、間違っていると思われることもあるでしょう。

ハルさんの答えは、ハルさんにとっての答えであり
他の人には他の人の、それぞれの自分なりの答えがあります。

ハルさんが間違っている訳でなく、違いなのだと思います。

人によって答えが違うということを認めなければ
ハルさんが持っている答えを、認める人は少ないと思います。

皆が否定してくるのは、共通概念と言う思い込みで
話しを展開するから叩かれているように見えます。
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この回答へのお礼

ありがとう

今はそれほど攻撃されてませんが 前は酷かったです

私は自分の答えを押し付けているのでしょうか?

私としてはみんなに知らせてるつもりなんですが

そりゃ厳密に言えばキリがないですが

う~~~ん 僕の論は役に立たないか・・・残念。

お礼日時:2016/02/06 18:32

生命は、環境による淘汰(エントロピー増大)の結果として、


「生きるため」を目的として発生・進化しています。
そこにおいて、環境との相互作用を正確に行なうために発達
した環境認識(意識)にとって、その「目的」は意志となり、
「生きるため」という目的は、意識にとっては、その意志の
充足=精神的充足(幸福)量の追求へと転化します。

一方で、そうした環境認識の発達は、個体単位の生存とその
競合から、分業化(助け合い)による組織化=社会生命とし
ての進化を可能にしました。
ところが、意識の発生は肉体表面に付属した感覚器官に依存
して行なわれるため、自己中心的な傾向を持ちます。
そこにおいて、社会生命としての自己の生の社会的拡張を
自覚して、自律的に社会行動をとれるだけの認識の深まりを
怠り、自己チューな意識のまま他律的に社会行動をとらせる
ために、お金や出世といった“馬車馬の目の前のニンジン”を
発達させる方法をとってしまったため、人の意識としては
奪い合い・競合による弱肉強食の疑似ジャングルと化して
しまったのです(結果的には助け合っていながら)。

人の生きる目的が「物質的(経済的)豊かさ」であるならば、
自律的であれ他律的であれ社会行動をとるならば同等ですが、
目的が「精神的豊かさ(充足量の最大化)」であるならば、
他律的に強制された生はマイナスになります。
つまり、意識として選択するべきは、お金や出世、虚栄心や
自己顕示欲といった社会的二次的価値によるのではなく、
自己存在の本質に根差した「助け合いとしての自律的な(愛
による)社会行動」をとれるように、認識を深める事です。
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存在することが目的であり 価値の基本なのです。


どなたか分かる方居ませんか?
   ↑
生物学的にはその通りだ、という他ありません。
動物は、己の子孫を残すためだけに存在すると
いっても過言ではありません。
子孫は己の延長的存在です。

人間も動物ですから、その意味で、存在そのものが
目的なのです。

しかし、それでは動物と同じです。

よりよく生きることが目的であり、存在はよりよく
生きるための前提であり、手段に過ぎない、と
考えることも可能です。

そして、そう考えた方が良いのではないか、
それこそ人間らしい、と思っていますが
どうでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

生きることは生存ですね。鹿でもゴキブリでも生存しています

人間が存在することは人間存在の実現です。今私も生きている訳ですが

人間存在を実現するために生存があるという感じでかね

生きること(生存)も目的ですし人間として存在する事も目的です。

脳死に至れば人間は卒業です。

お礼日時:2016/02/06 18:27

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