No.1ベストアンサー
- 回答日時:
農民の税金は、年貢です。
幕府領地である天領でも、大名諸家でも同じです。徴税方法は、検見制,幕府または領主が役人を派遣して稲のできを調べ、その年の年貢高を決める場合
定免制、一定の期間内はその年の豊凶に関係なく、定額を徴収する。
2形態の徴収方法がとられていました。
何処の土地がどっちというのは、担当役人代官と現地の代表者である庄屋との談合で決まったようです。
農民にとってどちらが得かは、圧倒的に定免制です。
凶作でも一定量徴税しなくてはならないので、一見不利のようですが、
検地が太閤検地以来、検地が行われていない土地も多く、実質生産高と書類上の石高と、江戸期は相当な開きが生じてきていたと明らかになっています。四公六民=徴税率4割でも、実際の取れ高で換算すると5%にも満たない場合が一般的です。大地主や大庄屋に、豪農という大金持ちが存在したのは、その為です。出羽酒田の本間家が尤も著名です。
固定資産税はありません。土地に対する課税は、明治以降です。
江戸期、商人は店の間口の長さで、一定額の税金が課せられました。
まったくない、町も多いですが。
No.2
- 回答日時:
江戸時代の年貢のことですね。
当時は税金とは言わない。年貢は幕府に納めたのではなく領主に納めました。例えば加賀の国では加賀藩に納め、薩摩国では薩摩藩に納めます。幕府領(天領ともいう)の村々では幕府に納めます。
年貢は一般に田、畑、屋敷(宅地)に課されました。
現代風に言うと所得税ではなく固定資産税です。ですから田畑で何を栽培しようと年貢は変わりません(冬に麦を栽培すると増額する藩があるなど多少の違いがあります)。逆に何も作らなくても年貢は納めねばならなかったのです。
一般に四公六民といわれますね。生産量の4割が年貢だったといわれますが間違いです。生産量ではなく「高」の4割です。
田、畑、屋敷には「高」という数値が設定されていました。高をひとつの村で合計したものが「村高」、藩全体で合計したものが「知行高」です。加賀百万石などといわれるのはこの高を合計したものです。
高は年貢を計算するための評価値であって生産量ではありません。高の設定はかなりいいかげです。その理由は長くなるのでここには書きませんが、ともかく生産量とは無関係と考えてください。ですから村によっては4割どころかずっと高い所がありました。私の知っている最も高いところでは16割という村がありました。なぜこんな割合になるかというと高の設定がものすごく低いんです。
では年貢は生産量から見てどの程度かというと冬の生産も含めた年間総生産量の2割あるいはそれ以下と推定されます。1割程度だったという人もいます。年貢の量は残っている文書から正確にわかるのですが、生産量を正確に記録したものがないので割合がいくらだったのかはわかりません。
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