アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

太平洋戦争で日本が勝利するとするならば
日本軍の指揮官は最終的にどういう状態を理想として構想して
いたと思いますか。
日露戦争で一応日本はポーツマス条約を締結し、引き分け(以上?)くら
いにはもちこんだと思いますが、サンクトペテルブルクを占領できたわけ
では勿論ないじゃないですか。
仏領インドシナを占領して講和するくらいが最終的な目標だったのですか?

A 回答 (10件)

最終的には、大東亜共栄圏の設立でしょう


半島からインドにあたる亜細亜圏の諸国を欧米から独立させ
その盟主に日本がなる・・・今の大英帝国の様な物(盟主国の権限はより強い物になるでしょうが・・頂点は当然、今生天皇です)
(諸国とは基本対等な立場ですから、欧米の植民地政策とは違います)
    • good
    • 0

日本が中心になって、アジアをまとめ


欧米列強の侵略に対抗出来るように
しよう、というのが最終目的です。
    • good
    • 0

実際の話ですが、当時は「フィリピン沖で日米決戦」という、日本海軍が何十年もシュミュレーションして準備した必勝プランがありました。



その内容は、フィリピンでアメリカ軍を殲滅し、大量に獲得した捕虜を奪還するためにやってくるアメリカ海軍と水深の深い海上で艦隊決戦すると言うものでした。当時の日本海軍の砲弾命中率はアメリカの三倍とも言われ、そのプランを実行すれば真珠湾攻撃が無いため、アメリカは空母の有用性に気づいていません。

戦闘的には勝機があり(当時の海軍戦力比は、日米で148: 131トン)、最悪引き分けても大量の戦死者をアメリカ側も蒙るので厭戦がアメリカ中に広がります。ルーズベルトは「若者を戦地に送らない」という公約で当選しましたので、嘘つき呼ばわりされます。ルーズベルトが公約違反し続け、フィリピンに増援を送り続ける事が出来るのか疑問です。しかも、フィリピンはアメリカの植民地であって、本土とは異なります。アメリカ人にとっては、そんな僻地はどうでも良いのです。その僻地を守るために、アメリカ人を犠牲にするなど、当時のアメリカ人の感覚ではありえない話です。

そうなれば、大量の捕虜と引き換えに早期講和の可能性も高まります。

それを台無しにしたのが、山本五十六で、わざわざハワイまで出向き、占領せずに帰ってきました。日本海軍の手の内を全部明かして、アメリカ人を本気にさせてしまいました。



この計画通りに行った場合も、早期講和が実現したかは分かりませんが、そういう計画があったと言うお話です。
    • good
    • 0

まさに日露戦争みたいに、同盟国(ドイツ)が仲介にたって戦略的引き分けみたいな状況をベストとしていたと思います。

がんばって引き分けがベスト。そして勢力圏を確保する。完全勝利は絶対に不可能。北米大陸に攻め込むなど論外です。ただドイツがソ連を降伏させるのがこの話の前提条件です。戦略的引き分けを達成するにはこの場合には戦術的には完勝を狙わなくてはいけません。つまり日露戦争と同じです。
    • good
    • 0

アジア共栄圏を築くのが日本の目的でした


それを阻止するために欧米が日本に経済封鎖をした
これが太平洋戦争の原因です
戦争に勝ってどこうするために起こした戦争ではありません
戦争に勝てば初期の計画を遂行するのです
何か目的があって戦争を始めたのではなく目的を邪魔されたから起こした戦争です
窮鼠猫を噛む
    • good
    • 0

最終的な目標「早期和睦」です。


土地や利権の獲得は狙っていませんでした。
早期和睦するために必要なことは連戦連勝です。その結果に得られる報酬として、インドシナの占領も頭にあったかもしれませんが、どちからというとおまけ的なものです。

なぜ早期和睦が最終目標といえるか?
以下理由
戦争直前は軍幹部(東条英機など)、及び政府関係者まで、首脳陣はおよそ全員が太平洋戦争反対でした。つまり、戦争をやるつもりがない以上最終的な目標は存在しません。それでも始まってしまったならば、太平洋戦争の最終的な目標は早く戦争をやめること、つまり早期和睦しかないでしょう。

捕捉①
結構誤解されていますが、シナ事変までは東条英機などは戦争強硬派だったので、陸軍が戦争に積極的だったように言われていますが、途中から反戦派に乗り換えてます。実際太平洋戦争が避けられない状態になったとき、東条英機は陛下に申し訳なくて泣いたというんですから、陸軍(当時東条英機がトップです)は戦争反対でした。政府も反対でした。海軍も当時山本五十六がトップでしたが、アメリカに対して1年は互角に戦えるが、あとは知らんと会議で発言しています。天皇陛下まで戦争を避ける道はないかと下問しているので、まあ、みんな反対だったんですね(国民や政治家の下のほうは、積極的に戦争支持してた人が多かったです)。

捕捉②
戦争が始まった時点では、日本とアメリカの戦力差はそれほどありませんでした。海軍戦力に限れば日本の方が多かったくらいです。しかし工業力でアメリカは日本の20倍あることは事前の調査で分かっていました。普通に考えたら勝てないでしょう。
いくらなんでも、20倍の工業力を誇るアメリカから、国土を奪うとか、強力な利権を奪いとるとか、侵略してやるとか思わないです。でも、ネズミだって追い詰められたら猫を噛むもんです。当時石油と鉄の貿易禁止という経済制裁をアメリカから食らっていた日本は、それを放置すれば滅亡まっしぐら、という状況でした(当時日本は石油依存の国でした)。そんな状況下でハルノートという無茶な条件をつきつけられ、戦うか膝を折るかの二択を迫られました。

歴史にifはありませんが、完敗することが分かっていたならば、ハルノートを受け入れた方が正解だったかもしれません。結局全て失ったわけですから。しかし日本は戦うことを選択しました。相手の国力は20倍。とても勝てません。しかし、アメリカと戦うならば、戦場は海です。海軍戦力なら互角以上と考えられてました。長期戦になれば国力が違う以上勝てっこありません。短期決戦です。国力の差がでないうちに、アメリカの現有戦力を撃破して和睦に持ち込む。途中で足りなくなる石油は東南アジアから仕入れる。戦争の名目は大東亜共栄圏の設立、西欧からアジアを解放する。てな具合で戦争がはじまり、日本は破れ、敗残の国となりました。

そういうわけで、戦争の最終目的はとにかく和睦に持ち込むことでした。
戦争後半、アメリカが無茶な降伏条件をつきつけてきたため、これを拒否。局地的な勝利を治め、その勝利にかこつけ、少しでも降伏の条件を緩くしようとしましたが、その後ただの一勝もできずに完敗。結果的に原爆まで食らってしまいました。

こんなところでどうでしょうか。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

丁寧なご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/05/17 15:28

大日本帝国には戦略を考えられる人がいなかった。


「輜重輸卒が兵隊ならば、チョウチョ・トンボも鳥のうち。」という
言葉をご存じですか?
総力戦の基本は補給ですが、その大事なことをないがしろにしていたのが
旧日本軍です。
多くの兵隊は弾丸も食料もなく、無駄に生命を奪われたのです。
ほかの方も書いてらっしゃいますが、華々しい戦術的勝利で
米国を交渉のテーブルに引っ張りだそうくらいの考えで、
戦争を始めてしまったのです。

問題なのはいまだに日本の支配層がきちんと反省してないことですね。
    • good
    • 0

皆さんの回答に補足です。


太平洋戦争は、アメリカが捏造した歴史の名称ですので、大東亜戦争と呼ぶべきです。
理想は、アジアの植民地を解放して、各国が独立して、白人支配から脱却することです。
日本は、戦争には敗れましたが、理想は達成出来ました。アジアだけでなくアフリカの独立にも影響を及ぼしました。アジアーアフリカ会議(バンドン会議)の冒頭で、日本に対する感謝の意が述べられ、参加した各国の首脳からも賞賛されております。
    • good
    • 0

日本は戦争する必要は、無かったしかし、ABCD包囲網には、戦争を仕掛ける理由があったのです。

大きいのは、人口増加とキャパシティ不足ですね。当時は、世界不況のキャパシティ不足が引き金になったのでしょう。いつまた同じ理由でするか危ないのです。
    • good
    • 0

今度あったら、戦争せず移住して仕舞えば被害に遭いません。

日本のキャパシティが欲しいのです。ゴールドスミスが死な無い限り騙し続けますから仕方ないですね。人口増加問題をまともに受け止め無いといけなくなり内戦勃発それを、他国に振っているのです。戦国時代回避作でしょう。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!