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戦争って、自衛で戦う以外は大体、略奪と陵辱、虐殺がメインだったとおもうんですが、ドラマなどでは、そう言うところはあまり描かれません。

武士(武装勢力)の人口比を調べてみたら、7%くらいらしいです。

いろんな武将がヒーローとして描かれていますが、相当数が略奪と陵辱、虐殺を好む人格障害だったのではないでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

>相当数が略奪と陵辱、虐殺を好む人格障害だったのではないでしょうか?


置かれた状況を考慮すると、直ちにYESというのは難しいでしょう。
戦国動乱の時代というのは、統制する機構がありません。
攻撃は最大の防御と考えられていました。
防戦するよりは、相手の拠点を潰すことに重点が置かれていました。
逆に言うと、何時何処から誰が攻め込んでくるのか判らない相互不信の状況です。

農耕という生産手段は収穫量を増やすためには、耕作地を広げる必要があります。
家族が増え集落の人口が増えれば、それ相応の農耕地が必要となります。
必然的というか、結果的に土地争いが起きます。
自分達の農耕地を増やしてくれる武力集団を支持します。
武力集団にとっては農耕地を獲得することが仕事というか生業となります。
この争奪戦を中央政府が制御できなくなったのが日本の戦国時代です。

ユーラシア大陸に居住していた民族間では、お互いに言語が通じない上に、生活習慣も異なっていました。
結果として、獲得した農耕地や放牧地から、他民族を追い払うか、抹殺するか、奴隷として牛馬の代わりに使うか、という手段がとられました。
日本では追い払いや抹殺という手段は取られませんでした。
おそらく、言語が通じ、生活習慣も同じであったためでしょう。
獲得した農地から従前の収穫が得られて、それが自分達のものになるのであれば、耕作していた人間を減らす必要はありません。
これらの人達を統治して従わせるのには、略奪や凌辱をしたのでは、反感を買い、何時反逆されるか恐れ続けなくてはならなくなりますので、組織的な略奪も凌辱もおこなわれませんでした。
個人的なものは確かにあったでしょう。

これに宗教が絡むと非常に厄介なことになります。
西欧の歴史家は、戦争とは、常に神と正義の名のもとに行われるものである、と言っています。
南米のインカ文明を滅ぼしたスペイン人も敬虔なカトリック教徒でした。
十字軍も聖地奪回の為に出撃して行きました。
数年前にアメリカのビルに突入したアラブ人も敬虔なイスラム教徒でした。
現在も、イスラム教徒の中で過激な思想を持った人たちが戦闘を続けています。
アラーによる救済を信じて腹に爆弾を巻いて吹き飛びます。
中近東の砂漠には、農耕地や放牧地に代わって膨大な石油が眠っています。

以上のように、現在の日本に住んでいれば、戦闘行為に参加する人間が人格障害と見えるかもしれませんが、即断は難しいです。

ビジネスの世界を考えて見て下さい。
より多くの顧客を獲得して、より多くの商品を売った会社が勝ち残ります。
値引き競争、新製品競争、サービス競争とあらゆる手段が使われます。
ただ漫然と経営を続けていれば、たちまち顧客を奪われて倒産してしまいます。
倒産した会社の従業員は路頭に放り出されてしまいます。
血を見ないだけで、相手の会社の従業員やその家族を奈落の底に叩き落すことに変わりはありません。
いわゆる経済戦争です。
この戦闘に身を置いている人達が、ドラマの武将に親近感を持つのもうなずけます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

同じ言葉で同じ宗教でアラブの人たちは今大変な事になっていますが、武器の威力が違うだけで日本の戦国時代と似たような状況になっていると言う事でしょうか。

だとすると、日本の戦国時代に生きた人たちの気持ちがわかる気がします。
古今東西ほとんどの人間は進んで殺し合いなど、したくないと思うのです。

お礼日時:2014/02/02 02:07

本当に何度も書き込みしてすみません。



ちゃんと一度で書ければいいのですが・・・w

>人格障害のひとすべてが殺人を好むのではなくて、たとえば昔でいえば、ある集団の中で平気でひとの仕掛けた罠にかかった獲物を横取りする、女房を寝取る、平気でウソをつく等、今でいうなら、窃盗や強姦、ふりこめ詐欺、あるいは、ヒモなんかもこう言う人たちに属するそうです。女性や子供を平気で殴るひともそうかもしれません。そういう人たちがだいたい5%という学説です。

人格障害者全体の数ならなるほど、其れ位の比率でいいのかもしれません。

現代の軍隊ではこういった人間は逆に使いませんが、戦国期では数を揃える為にも寧ろ積極的に使われていたかもしれませんね。

村や親としても惜しみなく、送り出せるかもしれません、真相は判りませんが。

恐らく初期から中期にかけては質問者様の仰るように、こういった人間が幅を利かせた可能性が非常に高いのではないでしょうか?

乱捕りには都合の良い性格ですからね、喜んで「出稼ぎ」に出た事ではないでしょうか。


ただ後期になると織田に代表される兵農分離が出て来たりしますし、戦法も鉄砲を多用するようになり「個人の武力」は「無用」な、兵站・経済力の強さを生かした経済力が軍事力の強さになっていきます。

こうなって来ると軍機も厳しくなってきますし、そもそも新しい領土から略奪をする訳にはいかないでしょうから、そうすると上記の人間は兵としては唯の足手纏いになって行ったのではないでしょうか。


まぁ、でも結局は適材適所で、混乱期にはそういった人間が幅を利かせるのでしょうね。

外国の暴動の映像なんかを見ているとそう思います。

日本人と他国人との間で大きな差は無い、と、私は考えていますので、現れている差は教育・環境の差なんだろうなと。


>シリアの内戦とかを見ても、戦っているのは人口比からすればおそらく少数でほとんどの国民は逃げ惑うばかりです。
このまま政府軍が勝てば、400年後にはアサドは、歴史上の偉人になるのでしょうかね

そもそも統治に失敗しているから内戦に突入しているのですが、仮にこのまま統治に成功すれば、そうなるかもしれません。

歴史は勝者が書きますからねぇ・・・。(まぁ、シリアでそういう結末になるとは考えにくいですが)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

最近「教えてGOO」をつかいだしたんですが、これほど多くのみなさんが(しかも長文を)回答してくれたのは初めてです。

戦国時代も終わりの頃は歴史の淘汰で、まともなリーダーや武装集団が増えてきたということですかね。

お礼日時:2014/02/03 16:25

>昔から良心をもたない人格障害の人は、だいたい人口比5%という話を聞いたことがあって、自ら望んで戦闘集団に入る人たちの中には、相当数偏在しているのではないかと思ったからです




私も確かにそういう方たちがいたら、間違い無く入っていたのだろうと思います。

何しろ公然と殺し・奪う事が出来ますから。

中には人肉を食らうと言うカニバリズムの話が有りますし、ネクロフィリア等も有ったかもしれません。(と言うかあったでしょうね)

武功さえ上げれば、少々の事は目を瞑るのが当たり前でしょうし。


ただデータは無いので、元々異常性癖の人間が起していたのか、戦の中の生活でおかしくなったのか判りません。

それにその人数的な比率もデータがありません。

私が知らないだけかもしれませんが・・・。


“女子高生コンクリート詰め殺人事件”と言うものが1988年11月から1989年1月にかけて、“名古屋アベック殺人事件”が1988年2月にありました。

この二つは未成年の不良集団による暴走というのが、主原因ではないかと思います。

同調圧力が大きく関係しているのではないかと考えられます。

対して“東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件”の宮崎勤。

これは件の人格障害かと私には見える事件です。(法的には禁治産者(現在では正確には成年被後見人)の認定は受けていません、2008年6月17日死刑執行)


実際に禁治産者の刑事事件って少ないんですよ。

むしろ、弁護士が弁護の過程で精神異常を叫んで、捏造すらしている位です。


私が言いたいのは残虐な行為は個人の資質というよりも、環境なのではないのかなぁ?と言う事です。

勿論精神異常者によるモノが無いとは言いませんが、人口比5%の二十人に一人は多すぎじゃないかなぁ、と思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

人格障害のひとすべてが殺人を好むのではなくて、たとえば昔でいえば、ある集団の中で平気でひとの仕掛けた罠にかかった獲物を横取りする、女房を寝取る、平気でウソをつく等、今でいうなら、窃盗や強姦、ふりこめ詐欺、あるいは、ヒモなんかもこう言う人たちに属するそうです。女性や子供を平気で殴るひともそうかもしれません。そういう人たちがだいたい5%という学説です。

シリアの内戦とかを見ても、戦っているのは人口比からすればおそらく少数でほとんどの国民は逃げ惑うばかりです。

このまま政府軍が勝てば、400年後にはアサドは、歴史上の偉人になるのでしょうかね。

お礼日時:2014/02/03 11:14

>どの時代だろうと、徴用やら徴兵やら、されてたらたまらんわ~という素朴な考えからです



私も同感ですw

しかし私がそう考えるのは、やはり生まれた時から戦争に直接には無縁の生活をして来たからでしょう。

教育の中で環境の中で、戦争をしなくて良いと言われれば、当然だろうなと思います。

そして其れは逆に言えば「教育」と「環境」で幾らでも「戦争」に適応していくのだろうとも思います。


しかし当時の人間に我々の感覚を押し付けても、答えは出ないのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

適応しちゃうのでしょうかね・・・
私など、とても感化されやすいほうなので、なおさら恐ろしいカンジがします。

なんでこんな質問をしたかというと、昔から良心をもたない人格障害の人は、だいたい人口比5%という話を聞いたことがあって、自ら望んで戦闘集団に入る人たちの中には、相当数偏在しているのではないかと思ったからです。

お礼日時:2014/02/03 00:08

>学者や作家が楽しげに語らっているのはいいんですが、どうもここの根本的なところで違和感をかんじるのです



そうですねぇ・・、私も同じ様な事を考え、話しますねぇ・・・

其の影には犠牲があるのは間違い無いのですがね。


相撲やボクシングの試合でも勝者と敗者がいます。

クローズアップは常に勝者で、敗者にマイクは向けられません。

選手のドキュメンタリーでは敗北までも記録されますが、必ず美談で終らせます。

悲惨で陰惨なストーリーは好まれないのですよ。


逆に言えば何故貴方は悲惨で陰惨な部分が頭から離れないのでしょうか?

私も戦争捕虜に対する扱いで、信玄の例も知っていますが、それが全体としての必要悪としか映っていません。

戦国時代が永遠に続く事よりも、終らせるための犠牲としか見えないのですよ、私には。

ヘタに人道主義で臨んだら、むしろ滅びるのが戦国期です。

最低限、味方の幸せの為には何が必要なのかを考え、答えを出したのが、いわゆる戦国武将なのではないのでしょうか。

人を苦しめる為にいた訳では無いのです。



戦争が良い事ではないのは判りますが、何故起こるのかも考えるべきではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>逆に言えば何故貴方は悲惨で陰惨な部分が頭から離れないのでしょうか?

私は生まれてこのかた、子供の頃の取っ組み合い以上の(中学生までですね)争いを経験したことがありません。相手の顔を拳でなぐったことも、自分が殴られたこともありません。

どの時代だろうと、徴用やら徴兵やら、されてたらたまらんわ~という素朴な考えからです。

お礼日時:2014/02/02 15:54

鉄砲隊に向かって騎馬武者が突撃し、鉄砲隊がババーンと撃つと騎馬武者が馬から落ち、やがて合戦が終わると死屍累々・・・というのが合戦シーンのお約束ですが、あれ、オーバーにも程があると思うのですよ。



残っている当時の文書を見ると、「どこどこで敵軍と衝突があって怪我人が出た」なんて記録が残ってるんです。怪我人が出ただけで当時の武士がわざわざ手紙に残してるんですよ。毎日人が死んでるなら怪我人くらいで大騒ぎにはならないはずですよね。だいたい、当時の人口が約1000万人ちょっとと推計されてるんです。たったそれだけの人口で毎日殺し合っていたら人がいなくなってしまいます。

というか、実は戦国時代に人口は増えてるんですよ。

どういうことかというと、戦国大名が国力強化のために開発を進めていたので生産力が飛躍的に向上したのです。あの太閤検地というのがありますが、あれより前ってのはふるーい地勢調査を基に石高が決まっていました。その基準を基に年貢が決まっていて、しかも乱世だから全国調査がありませんから、当時の農民は「作れば作るほど収入が増える」ので、みんな頑張って開発しまくったのです。
さらに乱世でどこも人材を求めましたから、人の流れが盛んになり、それにより商業が発達しました。それが何を意味するのかというと、貨幣経済が全国に浸透したということです。商人はお金儲けに必死になり、お金を増やすために各地で名産品が作られました。名産品の生産は戦国大名にとっても最も重要な現金収入(軍隊の動員は何かとお金がかかります)に繋がりますから、戦国大名は名産品の生産を奨励し、積極的に販売に出ることでさらに商業を発達させます。
京都や大阪に日本中の名産品が集まって売買がされれば、文化が生まれます。またそれが人の動きを活発にさせます。こないだテレビで知って驚いたのですが、当時の筆まめな人が残した出納記録に「宿代48文」というのが残ってるんですね。で、何が驚くって、どこに行っても一泊48文だったらしいんです。つまり全国統一料金になっていたってことです。当時の人々が「宿代は48文が常識だろ」と思っていたということですよね。これはどれだけ人と情報の流れが活発だったかという証拠です。

つまりね、戦国時代というのは「高度成長期」だったということです。しかも乱世で立身出世のチャンスも満ち溢れています。秀吉や滝川一益のように農民(浪人)から一軍の将まで出世した人は枚挙にいとまがありませんし、楽市楽座(信長が有名ですが、各地で行われていました)の「規制緩和」で新規事業者の参入チャンスもあります。農民だって、頑張れば儲かるチャンスがあります(戦争に巻き込まれてオジャンのリスクもありますが)。そして、お茶や派手な衣装など、文化も大ブームです。派手な衣装のかぶき者の出現に、狩野永徳のような絵師も出てきます。
「社会全体が成長し、身分関係なくチャンスに満ち溢れた時代」です。これを魅力的といわずになんといいますか。

なお、誘拐略奪に関してですが、これは「誘拐ビジネス」だったんです。相手を誘拐してね、殺さないんです。「返してほしくば金を払え」とやって身代金を貰うのです。身代金目的だから、殺しちゃ意味がないのです。
ついでにそういう自由な時代だったから上級武士レベルは別として庶民レベルでは男女も自由です。まず、男色はおおっぴらにオッケー。戦国武将も嗜んでいますね。男色といえば、歌舞伎の始祖として有名な出雲阿国はストリッパー女優兼娼婦だったのは有名な話。当時の歌舞伎は「ストリップレズビアンショー」でした。それに興奮した観客は女優を指名してお金を払えば彼女がイイコトしてくれます。キリスト教の宣教師は「日本人に『処女は大事』といっても笑ってとりあってくれない」と嘆く手紙を残しています。さらに素晴らしい(?)ことに、こと庶民レベルでいえば「子供が生まれたら誰の子供でも喜ばしいこと」となっていました。つまり、合戦に行ってる間に奥さんのお腹が大きくなっても「まあ、細かいことは気にしない、気にしない」となっていたのです。

ついでに武士が人口の約7%は確か明治初期の人口調査によるもので、こと戦国時代においては武士と農民の境界は極めて曖昧です。武士も普段は農民ですし、農民も合戦になれば時に兵士として動員されます。福島正則、加藤清正のように農民の子から武士になったのも珍しくありません。武士と農民の身分がはっきりと分けられたのは江戸時代になってからです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

鎌倉室町よりも魅力的な時代であったということですかね。

ただ、どうにも当時、今の時代のヤクザのような人間が生きていくのに有利な時代だったような気がしてならないのです。

お礼日時:2014/02/02 15:36

略奪と陵辱、それに対しての虐殺は実は全然別物で、戦国時代は多くの場合は略奪がメインでした。



略奪は儲かりますが、虐殺は味方側の人的損失が大きくなる可能性もあり、新しい支配地の労働力も減衰します。


戦争はそもそも経済的理由が最大の開戦動機で、憎しみは二次的な後付の為の「大義名分」としての動機になります。

感情だけに走って、挙句、戦争貧乏にでもなろうものなら、次の戦には負ける側になりかねません。

支配地を奪えれば別に虐殺はする必要は無く、ヘタに虐殺すれば取った首の分だけ支出が増してしまいます。


人格障害に関しては、其の通りなのかもしれません。

しかしそれは私達がその時代の同じ立場に生まれていれば、同じ様な人間になっていたであろう事は疑いの余地は無いと思います。

何しろ生まれた時から戦国時代なのですからね。



戦国武将ブームはメディアが作った部分が大きいと思います。

爽快な部分を継ぎはぎして物語を紡ぎますからね。

でも逆に戦争を毛嫌いする方は、多分に陰惨な部分だけを編集して強調します。

そしてそれもメディアが行います。

まぁ、そんな作品がメディアで蔓延する国は、非常に珍しいんですがねw
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

やはり、殺すまではしたくないものだと。

ドラマはほとんどみないんですが、歴史秘話的な教養番組がわりと好きです。
学者や作家が楽しげに語らっているのはいいんですが、どうもここの根本的なところで違和感をかんじるのです。

お礼日時:2014/02/02 11:46

NO,2です


アナーキね ちょっと違いますね。
荘園や寺領を武士階級が略奪しての ひとつの時代の秩序が崩壊し
天道思想ってやつが出てくる (下剋上を正当化するための当時に都合にいい思想)

信長なんか これですね。
ヤクザと当時の武士の違い、
ありそでないですね
仕物(暗殺、毒殺等) 頭をやるだけで後は瓦解しますし、
一番手っ取り早い、奴隷制度といった明確なものはありませんでしたが
人身売買も記録にあります。ドラマとか小説とかでないとても今想像のできない世界が
あったということでしょう。
ですから敵が攻めてきたら、百姓はさっさと逃げる、なにも土地にしがみつく必要もなく
平生の搾取がひどければ、他所の国へいけばいいわけですから
先ほども書きましたが3~4年に1度か2度気候不順や台風
なんかの影響はかなり大きかったとおもいますね。
謙信なんか 関東で何回かは年を越していますでしょ、
川中島のときも、なんで妻女山なの? ですが 信濃国境付近は豊穣なコメの産地
その時も稲穂はたわわでしたね。大義名分は大げさですが、実態は食い扶持の確保ですね。

普通の人たちの普通の生き方だったんですよ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ヤクザとの違いはないが、ヤクザだって普通の人と言うことですかね。

お礼日時:2014/02/02 02:16

何年か前にバンキシャで歴女の特集をやってたとき


元検事の川上さん?だかって人は「戦国武将ったって人殺しの親分ですからね」と真面目にコメントしてました
しかしそれは違います 当時は殺さなきゃ殺される時代だったんです

貴方だって殺されそうになったら
大切な家や家族が殺されそうになったら戦うでしょ?

戦国時代はそういう時代です
それに嫌気が差したのが織田信長
だから全国を平定して戦いの無い国を作ろうとしたわけです
そのための戦いは仕方ないでしょう

それこそ粗暴なイメージの信長ですが
領内での虐殺 陵辱 略奪を禁止してます
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>それこそ粗暴なイメージの信長ですが
領内での虐殺 陵辱 略奪を禁止してます

なるほど。
逆に言えば領外ではOKとも言えますね。

お礼日時:2014/02/02 01:47

戦国の戦争は、太平洋戦争よりはずっとゆるい戦いなんです。


例えば長篠の戦いでは、参加兵力が計5万人余りで、死者の計が1600人という有力説があります。
そもそも、戦国の戦争は、敵方の家臣を寝返らせる「調略」が中心。戦場での決戦はその付属でしかありません。
太平洋戦争では、山本五十六がアメリカに寝返る可能性も、マッカーサーが日本に寝返る可能性もゼロなのですよね。裏切らずに徹底して戦って大量に死にます。
しかし、戦国大名の武田氏も斉藤氏も朝倉氏も、大合戦の敗北が直接の原因で滅んだのでは無く、有力家臣の裏切りから、家臣の大量裏切りにつながって滅んでいます。織田信長に殺されたのは中核の少数の忠臣。

しかし、戦国の戦争は武士の戦いだけではありません。農民も動員されますし、何より、村対村の殺しあいの戦争すら珍しく無く、その際には捕虜が奴隷として売られています。そのための村の城もあり、また奴隷に売られた親族を買い戻す相場や借金の方法まで確立されてたりしました。異常時では無かったということです。


つまり、日本人の多くが、殺人に対する罪の意識が薄いのです。数十%の人間が人格障害で有るはずが無く、やはり、時代によって価値観が違うとしか言えないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

当時は数十%の人間が戦争に関わっていたということでしょうか。
この時代だけの価値観があったのでしょうかね。

お礼日時:2014/02/02 01:42

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