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漢字には同じような意味がありますよね
例えば用いると使用するこの二つの違いは言い方というだけで意味は全く同じではないですか?
何故同じ意味を持つ言葉があるのでしょうか?無意味ではないでしょうか
だからと言ってなくそうなどとは思いませんが何故だろうと思いました

A 回答 (8件)

「人を使う」と「人を用いる」は確かに意味が違うのですが、


「人を使う/使用する」だと意味が違う訳ではありません。
意味の違いだけが言葉を使い分ける基準になるわけではないためです。

例えば同じ意味の大和言葉が存在する場合は漢語を使わないと決めると、
「安全確認規定の遵守」を、
「安全を確かめるときの決まり事をよく守ること」と表現する事になります。
漢語表現によって表意文字としての利点を最大限活かし、読みやすく簡潔な文章を作ることができます。

他方、漢語は同音異義語だらけです。
口頭で「新薬を試用する」と言ってしまうと使用と試用のどちらの意味か分からなくなります。
試すと使うのように音声的にも分ける必要があります。
大和言葉が文章より口頭での表現に多く見受けられる理由の一つです。

さらに語感の違いによる使い分けもあります。
「放課後の校内を巡視する」という表現は口頭で使われることが少なそうですが、
公的な報告書など堅苦しい文書では見回りの代わりに巡視が好まれます。
「密航や密輸が無いか海上を巡視する」のような文脈では
逆に見回るという言い方が少なめになりますね。
意味の違いというより、語感として日常的、形式的、格式高いといったイメージを読み取って
時と場合に応じて状況や文脈に調和した言葉を選び取っているという感覚です。
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同じような意味であっても、全く同じという


ことはありません。

例えば、哀しいと悲しいです。次のような
違いがあります。

悲 非は羽が左右反対に開いた形。胸が裂けるような切ない感じ。
  人に悟られるほどの悲しみ。
哀 衣で口を隠す。思いを胸中におさえてむせび泣く。
  誰にも知られまい。

言語は、意思伝達の道具であるとともに、
思考の道具でもあります。
複雑、抽象的な思考は言語がないとどうにも
なりません。

この世の事象は言語で顕されることが多いのですが、
その言語が緻密であればあるほど、世界の事象も
正確に顕すことが出来るのです。

判る、解る、分かる、には微妙な違いがあるでしょう。
見る、視る、観る、看る、診る、覧るも同じことです。

微妙な違いを正確に顕す為に、色々な漢字が
創られたのです。
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「使用」は「使い用いる」ですから、全く同じではありません。

しかし、似たようなものであるのは確かです。文字を持たなかった日本が「漢字」を使用することになったのは、やむを得ないことでした。
 「漢字と日本人」(高島俊男著・文春新書)を読んでいると、さまざまな表現に出会います。その切れ端を少し書き出しておきます。

『音声が無力であるためにことばが文字のうらづけをまたなければ意味を持ち得ない、という点に着目すれば、日本語は、世界でおそらくただ一つの、きわめて特殊な言語である。』
『音声が意味をにない得ない、というのは、もちろん、言語として健全なすがたではない。日本語は畸形的な言語である、と言わざるを得ない』
『漢字は、日本語にとってやっかいな重荷である。それも、からだに癒着してしまった重荷である。もともと日本語の体質にはあわないのだから、いつまでたってもしっくりしない。』
『しかし、この重荷を切除すれば日本語は幼児化する。この、からだに癒着した重荷は、日本語に、害をなすこと多かったが、しかし日本語は、これなしにはやっていけないこともたしかである。腐れ縁である。』
 なお、高島氏は「漢語・漢文学」の専門家です。

 この本を読むと、明治政府が「漢字」を廃止し、音標文字化(ローマ字、かな文字)を既定の方針としていたこともよく分かります。(明治30年代以降)その方針のもとに「国語調査委員会」(明35)、「臨時国語調査会」(大正)「国語審議会」(昭9)と引き継がれましたが、一時に「漢字廃止」は無理だから、取り敢えず「漢字制限」を行う方針のまま、現在にいたり、中断している状態です。現代のように、自由に発言出来る時代だから、再び「漢字廃止」に向かうことはまず考えられません。
 本来の質問とは無関係な話をして申し訳ありません。
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>用いると使用


思考が逆では?。
日本の言葉=もちいる、同じ意味の漢文(語)=用。
使用=似た意味の漢字を重ねた熟語。
用いる、ある人物を重要な職責のある役職に就かせる場合にも使われます、重用する。
こんな場合、使用する、は使われません、つまり意味はまったく同じでは、ないのです。
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例えば、


雨(あめ)ですが、いろんな呼び方があります。
こぬか雨、小雨(こさめ)、時雨、梅雨、通り雨などなど
これを無駄だから「雨」だけでいいではないか、ということにはならないと思うのです。
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日本語はポンコツなんです。


多種多様な言い回しがあるから、コミュニケーションが成立しづらいんですよ。
これは仕方ないですね。
これからは、日本語はこういう問題を抱えている、と考えて、コミュニケーションには人一倍気を遣いましょう。

日本語は元々おかしいのに、さらにどんどんおかしくなっていってます。
最近、本当そう思いますよ。
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用いると使用する、これはほぼ同じ意味ですが、和語と漢語という違いがあります。



日本語の成り立ちは、もともと文字のない時代から和語が話されていて、その後中国から漢字を輸入して使い始め、工夫してカタカナ・ひらがなを開発し、かな漢字混じり文を作って今に至っています。

つまり、同じ意味でも和語と漢語の二つがある場合があるのです。モチイルはもともと和語です。用という時はモチイルという意味の漢字なので「用いる」と書くようにしました。使用は同じ意味の漢語です。

ですから、日本語には同じ意味をもつ和語と漢語があるので、もったいないように見えますが、めんどくさいと思うかそれとも日本語は表現が豊か、と思うかはその人しだいでしょう。
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違うよ。



例えば、「中村を用いる」は中村という人間の能力を評価し
登用するという意味。
「中村を使用する」は、結構ぞんざいな言い方で、人に対する
敬意が感じられない。

シソーラス(近い意味の言葉)は途方もなく沢山あるけど、
意味の微妙な違いを使いこなし、正しい意味をこめるのは
結構大変。

でもそれも言語の重要な機能だと思う。
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