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世界は一家 人類はみな兄弟姉妹 みたいなフレーズもありましたが

宗教の多くは地上天国を作ろうと言いますねえ

悟りが必要なのかどうかは知りませんが 南無阿弥陀仏と唱えてるだけでは

実現しそうにないと思うのは私だけでしょうか?

実際に実現するかどうかはわかりませんが その過程も分からない訳ですが

もし地上天国と言えるような平和で豊かな世界が実現するとしたら

世界はどの様な世界が望ましいと思われますか?  是非御一考を^^

A 回答 (27件中21~27件)

国王haru27さんと大奥美女1万人の酒池肉林の快楽世界。

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この回答へのお礼

私は一人でもいいです。

お礼日時:2016/06/29 11:18

安定した構造では外部からの物質や情報の流入や構造内部の生産的活動による新たな物質の生成が蓄積して行くと、その系の構成員の相互作用に起因して、その系は不安定状態に近づいて行く。

そして、混乱が増幅して、ある点に到達すると以前に存在した構造が破壊されて、その点の回りに新たな構造をもった安定点が複数個現れる。そして、その混乱期に偶然を契機としてその新たな安定解の一つに遷移して、またしばらく安定状態に留まって、富の蓄積が行われ、その蓄積の結果再び系が不安定化して、また偶然を契機にして新たな安定構造に遷移する。この繰り返しが、物理学に依る数理科学的な分析によって認識できるようになったこの宇宙に存在するあらゆる複雑な構造の進化の道筋です。もちろん、この複雑な構造の中には人間社会も含まれます。

さらに、もし安定化された構造だけを許すような条件を与えると、その系は徐々に死に絶えてしまい、不安定点の通過後に得られるより多様で豊富な世界は望めないことも明らかにされています。

そして、人類はこの安定不安定の繰り返しで、ここまで多様で民主的な社会構造を手に入れて来ました。ですから、この地球上でより進化した世界を望むならば、その系を強引に安定化させるのではなく、系の内部に起こってくる軋轢を受け入れて、今まで通り成り行きに任せて、何が起こるか予測不可能な進化の過程を享受する以外にはないと言うのが、科学的で合理的な結論です。不安定性こそが、この世界に新たな安定解を創出する要因になっていることが理解できるようになったのが、近年の自然科学から得られる大成果なのです。
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この回答へのお礼

Thank you

ランダムに不安定な状態になってまた進化し安定するとまた混乱が生じ不安定になってはまた進化する

というような事なのでしょうか?

調和・安定と混乱・進化を繰り返しながら生物も 物質や人間も進化してきました。歴史を見てもそうですね。

安定と進化の二つの要素は何にあっても必要だと思います。思い違いがあったらすみません。

お礼日時:2016/06/29 13:14

あなただ、自己顕示欲のためではなく、心から世の中の


ために自分を研鑽しようと考えた時、世界は研鑽に満ち、
努力する喜びの場にあふれた天国になる。
努力せず、自分を高めず、楽をして評価されたいと考え
れば、この世は地獄だ。
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この回答へのお礼

私ですか?私は自己顕示欲でやってるのではないです

自分を高めなければなりませんね 努力不足は認めます

病気と年と薬で頭が働かないのです。

でももう 僕が言わなくてもみなさん感じてると思いますけどねえ

自分達が望む世界はこの様な世界ではないと。

今は存在する事を考えています。生きるべきか死すべきか ザット・イズ・ザ・クエスチョン。

お礼日時:2016/06/28 23:24

嘗てのナチスは終戦時に南極の地下に「天国」を作ったらしいですよ


そこには日本人のカトリック信者も何千人行ったらしいですが。
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この回答へのお礼

ありがとう

ええ?南極の地下に何千人??

本当ですかそれは

南極の下って寒そうですが その後どうなったのでしょうねえ?

お礼日時:2016/06/28 22:13

みんなが天国を作ろうと努力していれば、すでに


天国だと思いますよ
「大目的のための小目的は、すでにその現成である」と
仏教大学で習いました。

悟りを開こうと座禅していれば、その姿はすでに仏である
旅に出ようと地図を広げて計画してれば、それはもう
旅が始まっている
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この回答へのお礼

Thank you

成る程 成る程 みんながその気になっていれば天国も夢じゃないという訳ですね

ではここに地上天国を作ろうと呼びかけたら 地上天国が出来るかも かも かも しれない

という事ですねえ。仏教大学も伊達ではありませんねえ 成る程です。

お礼日時:2016/06/28 20:37

>世界は一家 人類はみな兄弟姉妹



間違ってはいませんが、(教祖とか)誰か有名な人が言ったから正しい、という単純な認識過程から誤謬が発生します。
事実・真理に基いた正しい論理的帰結として、そうした命題が成立していることに気づく必要があると思います。
今のところ、以下のように考えているところ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
我々の身体は原子からできているし、宇宙はブラックホールにより誕生したのかもしれない。
しかし、その原子やブラックホールが何からできているのかは永遠に不可知だろうと思います。
むろん、どちらも、その大元を辿れば1次元の拡がりをもつ弦(超弦)であると推測されるところまで来ているようですが、では、その超弦は何からできているのか、ということになるでしょう。
つまり、理由が分かったとしても、その理由に対する理由が永遠に付きまとうわけなので、永遠に不可知と言わざるを得ません。よって、

「人智の及ばぬ自然宇宙の絶対的摂理(=あらゆる事象をバランスさせる力)に起因して我々は生まれた。( A )」

を定理として認めざるを得ない。この場合、

「我々は [ 人類の一員としての我 ] でありさえすれば摂理の要件を満たすに十分なのであって、 [ 自我としてのこの我 ] が存在しなければならない必然性は(摂理にとって)皆無である( B )」

よって、

「彼は我であったかもしれず、我が彼であったかもしれない( C )」

という命題が結論として導き出される。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

俺が俺が、という自己実現欲求は、本能的自我として否定はできませんし、また、否定するつもりもないのですが、以上のような厳然とした真理が背景にある上での「あがき」であるという点を正しく理解するなら、もう少し寛容な社会になり得るかもしれない。
この理解をさらに進める上で、物理学は、この意味で人類に多大な貢献ができることでしょう。
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この回答へのお礼

Thank you

(A)(B)(C)を否定するつもりではありませんが

(B)・・・ [ 自我としてのこの我 ] が存在しなければならない必然性は(摂理にとって)皆無である

と言うのはどうでしょうか?確かに摂理にとって我々精神が存在するかどうかは問題ではないように思えますが

私の思索では この摂理が生んだ「我」精神は摂理にとっての手足となって現実に新たな存在を実現していくのではないでしょうか?

(C)彼は我であったかもしれず、我が彼であったかもしれない

これはどうでしょう?因果律によって我は我になるべくして成った と言えないでしょうか?

この宇宙がブラックホールからビッグバンしたかもと私も思います。究極のビッグバンであり エネルギーの特異点

ですからねえ。

原子やブラックホールも超弦も 結局はエネルギーで出来ているのではないでしょうか?

お礼日時:2016/06/28 20:03

地上天国⁇


それは、地上の天国という事ですか?
天国といえど、地獄といえど、自分が存在する世界にあるものだと思いますよ。
それは、自分が感じる事だからです。
環境の改善も大切ですが、心の充実がかなり寄与するのではないでしょうか…
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この回答へのお礼

ありがとう

成る程そうでしょうね 天国も地獄も自分の居る所次第ですね。

心の充実も大切です。イライラしたり空しかったりするのは良くないかもしれません。

達観してますねえ。

お礼日時:2016/06/28 20:33

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